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   ×××


「ミーア……?」


 テオは全身から血の気が引いていく気がした。何故、ミーアがこんなところにいるのか。


 麦わら色の髪を一本結いにしているところは普段と変わらない。だがミーアは公爵家の使用人の仕事着を着ていた。テオが混乱する中、ミーアは呑気な様子で小首を傾げる。


「やっぱりテオだ。……その恰好……何?」

「お前こそ……なんで、使用人の恰好なんて……てかそもそも何でここに」

「わたしは、仕事で。ほら。前に話したでしょ? 野菜の皮むきの仕事。終わった後、一緒に仕事してた子に誘われて、ちょっとここに忍び込んだというか」

「副業って、ここの仕事だったのかよ」

「そうだけど……」


 会話が切れる。その時、リチャードが大広間からテラスへ出てきた。


「テオ。そろそろ戻らないと……」


 リチャードは向かい合っているテオとミーアを交互に見た。


「お取り込み中?」


 貴族然としたリチャードの登場に、ミーアが肩を緊張させる。こちらを窺ってくるが、テオは頭がまったく働かず何を言うべきかわからなかった。


「君は、テオの友人か何かかな?」


 テオの動揺を汲んだリチャードが、機転を利かせてミーアに話しかけてくれる。


「え? わたしは、テオの、……えっと」


 ミーアが「とも……、こ、こいび……」と言い淀む。恥ずかしげな表情に、勘の鋭いリチャードが察した。


「もしかして、君がテオと仲のいい女の子? テオからよく話を聞いてるんだ。知り合いにいい子がいるんだって」

「そう、なんですか」

「名前はなんて言うの?」

「えっと、ミーア、です」

「ミーアちゃん、か。かわいい名前だね。ああ、申し遅れた。僕はセオドア。この家の息子だよ。テオは僕のお気に入りでね。今夜は特別に誕生会に招待してあげたんだ」

「招待……」


 テオはリチャードのとっさの嘘に乗った。


「そ、そうなんだ。庭で仕事してるうちに、坊ちゃまに親しくしていただいてさ。そんなわけで、今日は、こんな恰好で誕生会に出てるんだ。驚かせたな」


 二人がかりの嘘のため信憑性は増すはずだ。ミーアは納得してくれたようだった。


「そうだったんだ」

「それよりお前、もう行ったほうがいいんじゃないか。忍び込んだんだろ? あんまり長くいると、本当の使用人に間違えられて何か言いつけられるぞ」

「あっ、そうだった! えっと――じゃあ、またね、テオ」


 ミーアはリチャードにもぺこりと頭を下げ、慌ただしく暗い庭園へ姿を消した。テオは嫌な汗をかいたまま深く息を吐き出した。


「――お前、ここの庭師ってことになってるの?」


 リチャードが声の調子を低くして訊く。


「ああ。……助かったよ、リチャード。まさか、ミーアとこんなとこで会うなんて」

「いい子そうじゃないか。かわいいし。騙されて、かわいそうだね」

「騙すって……まあ、そうだけど。でもほんとのこと、いきなり言えるわけないだろ。――最初は全然、軽い気持ちで街に会いに行ってたんだ。それが気づけば本気になって……」


 テオは欄干に背を預け、星空を仰いだ。汗が夜風に冷やされ引いていく。ミーアへの気持ちが抑え切れないほど膨らんだことに、一番驚いているのはテオ自身だ。


「お前がものすごく困ってるようだったから、とりあえず嘘をついてやったけど。ちゃんと本当のこと話しに行けよ」

「わかってる。……ちゃんと、話すよ」


 青藍の空に浮かぶ星々を眺めたまま、テオはしっかりと頷いた。


 後日、テオがたんぽぽ亭へ行こうとすると、まだ公爵邸に滞在していたリチャードもついて来ると言い出した。理由はただの興味だ。「暇だな」と言ってやれば、否定の言葉は返って来たが、一緒に来るのをやめようとはしない。


 テオが庶民を装って街へ出ても、リチャードは貴人らしさを隠す気のない身なりだ。歩けば心なしか道が開けていく。


「ヒュロッケン伯爵やエトレシカ嬢にも、婚約をやめる旨は伝えたのか?」

「ああ。誕生会の夜に話した。理由も、正直に。二人とも当然戸惑ってて、でも父さんが俺を説得するって伯爵に言い張った。それでとりあえず、伯爵たちは領地に帰って、俺の考えが変わるまで待つことになった。……まずは父さんの説得だ。もう絶対に気は変わらないって言ってんのに、まるで諦めようとしない」

「だろうな。もしお前がいなくなったら、メリルの相手を婿にとって爵位を継がせることになるんだろうけど、叔父さんからしたら、やっぱりお前が一番だろうし」


 期待をかけてくれるのは嬉しいが、テオとしては諦めて息子の意思を尊重して欲しい。


「貴族をやめて、どうやって生活していく気なんだ?」

「この辺に部屋借りて、一人暮らししながら、ミーアの店を手伝おうかなーと」


 リチャードは大仰に溜め息をついた。


「簡単に考え過ぎじゃないのか? 労働をして生きていくっていうのは、とっても大変なことなのに」

「俺に偉そうに言える立場かよ。お前こそ働いたことねえくせに」

「働いてる人たちはよく見てるからね。でもそもそも、お前はいま、恋に浮かれているだけだ。恋なんていつかは冷める。その時々の感情で行動するなんて、愚かなことこの上ない」

「お前にはわかんねえよ。本気で誰かに惚れたことなんて、ねえだろ?」


 テオがふざけ半分で好戦的に笑うと、リチャードはつまらなそうに目を細くする。


「そんな経験、なくて構わないね。恋に溺れてお前みたいなことを言い出すほうが問題だし」


 たんぽぽ亭は昼営業を終えたところだった。店内を覗くと、ミーアは調理台で料理の下ごしらえをしていた。テオに気づいたミーアは顔を輝かせ、だがすぐに隣にいるリチャードにも気づき目を()く。


「セオドア、さま……!」

「やあ、ミーア」


 リチャードが甘い笑顔でミーアを呼び捨てにする。テオは彼を軽く睨んだが、リチャードは気にせず店内の様子に興味津々だ。装飾として壁にかけてある乾燥花束や、空瓶を重ねて作った塔、棚に並べられた香辛料など、街のありふれた食事処の風景が彼には何とも珍しいらしい。


「ちょっと、テオ。どうして公爵家のお坊ちゃまが、こんなところに来てるの?」


 テオがカウンター席に寄り掛かると、ミーアがすかさず小声で尋ねる。対応に困り果てている顔だ。


「来たいって言うからさ。ミンロさんは?」

「上で休憩中よ。どうして庶民の店に、お坊ちゃまが来たいなんて言うわけ?」

「さあな。まあ、そんな気ぃ遣わなくていいから」

「そういうわけにいかないでしょ。粗相をしたら、首を斬り飛ばされちゃうかもしれないんだから」

「セオドア坊ちゃまは、そんなことしないから」


 感情で命を奪う貴族は確かにいる。法律で許可されているわけはもちろんないが、相手が庶民だと金と権力で揉み消しやすい。ミーアの心配も的外れではない。


 ひと通り店内の観察を終えたリチャードが、カウンター席に近づいて来た。


「せっかくだし、何か食べたいな。ミーアが料理を作っているんだろう?」

「は、はい。そうです」

「一番のおすすめ料理は何かな?」

「看板料理は、揚げ鶏肉の定食、でしょうか。安くておいしいって、一番よく出てて……」

「じゃあそれを作ってくれる?」


 リチャードはカウンター席ににこやかに座った。ミーアの顔が青くなる。金持ちにまずい料理を出してしまい、店をたたまざるを得なくなる、なんて話はよく耳にする。


「ミーア、大丈夫だから、いつも通りで。そもそも作りたくなかったら作んなくていいし」

「おい、テオ。お前は僕の家の庭師だろう? 主を敬う態度はどこにいったんだ?」


 テオは沈黙した。リチャードは状況を楽しんでいる。


「あの! わたし、作りますから! 少しだけ待っていてもらえますか?」


 ミーアがテオを庇うように急いで調理に取りかかった。テオが申し訳ない思いでいる中、リチャードはわくわくとカウンター越しにミーアの手際の良さを見ている。


「わあ。すごいね、ミーア。君は職人だよ。まだ若い女の子なのに、感動だ。僕はいつもむさ苦しいおじさんたちが作る料理ばかり食べてるから、なんだか恋人が作ってくれているみたいでうれしくなっちゃうな」

「あ、ありがとう、ございます」


 リチャードは本気でミーアを褒めていた。大してミーアに興味がなさそうだったくせに、やはり連れて来たのは失敗だったかもしれない。頬を赤らめるミーアがテオは面白くなかった。


 あっという間に出来上がった料理を前に、リチャードは湯気から漂う香ばしい匂いを楽しむ。



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