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アイル・ウォン・ハルバードの前世の記憶が蘇ったのは、彼がちょうど間食としてケーキを食していた時だった。
まるで落雷に直撃したかの如く、ピシャリと脳内を一瞬にしてかけめぐったのは日本という平和な国で暮らしていたサラリーマンの記憶だった。
「あ……あ……」
突然頭に流れてきた膨大な情報に思わずケーキを食べる手の動きが止まってしまう。
なぜいきなり前世を思い出したかは分からない。
どちらの記憶も自分のものである事は確実なはずなのだが、日本人でリーマンをしていた記憶と意識、そしてこの世界の一貴族、伯爵として領主をしている父を持ち次期領主という立場である今の記憶と意識がごちゃごちゃになってアイルを混乱させる。
「アイル様……?」
壁際に整列している付き人たちが彼がケーキを食べる動作が止まったのを不思議に思い、声をかけたのと同時にたくさんの情報量を捌ききれなくなった彼の意識は途切れてしまった。
◇
目を覚ませばそこは自室のベッドの上だった。
気絶した俺は使用人共……いや、付き人の彼女達にここへ運ばれたようだ。部屋を見回しても彼女らの姿は見えなかった。
どこだろう、お礼を言いたい。
相手にいつも感謝とお礼を、これはサラリーマンとして当たり前の事だ。……元々の話だが。
サラリーマンの記憶が戻る前だったらメイドにお礼を言うだなんて考えられなかった。彼女らは『ストレスを発散する道具』という認識があった。
でも前世での記憶と考えを思い出した俺は非常にショックを受けた。
物事における価値観が全く正反対な前世の自分と今の自分、今の俺がいかに腐っている人間なのかを思い知ることになった。
二つあった意識はごちゃごちゃに混ざり合った結果、前世の俺、日本人の意識が若干勝ったみたいだ。伯爵の息子、次期領主という自分の立ち位置を笠に着て周囲に威張り散らしていた高慢な性格から俺は変わり、お・も・て・な・しの心を持つ日本人24歳(童貞彼女なし)の誠実な人格へとなったのだ!
まあ今の自分……アイルの人格も残っているといえば残っているけど、うまい具合に溶け込んでくれてるようで……二重人格のような感じにはならなくてよかった。
「そろそろ起き上がるか……」
なんで前世を思い出したかは知らんけど気にしていても仕方ない。だって考えても分からないだろうし。ひょっとしたらケーキを食べていたせいで脳が活性化したからとか……いや、ないか。
そんなアホなことを考えていた俺は早々に苦しい現実を思い出す事になった。
ベッドから出て歩こうとした途端に体が重くてうまく歩けなかったのだ。前につんのめって床に倒れてしまった。
「あびゃっ!!」
ドォーーン……
へんな声と共に俺の耳に入ってきたのは大きな地響き……これはヤバイ!
日本人の方の意識が強いから完全に忘れてた……俺は、アイル・ウォン・ハルバードは体重120キロ越えの超おデブだったんだ……!
「ヤバイ、起き上がれない!」
ずっこけた状態から立とうとしても体重が重いせいで体を浮かせることができなくて、手足をばたつかせる事しかできない!
こんなところ見られたら一生の恥ものじゃないか!
非常に焦っていたせいだろう、自室のドアの向こうに聞こえる足音を聞き取れなかったのは。
「アイル様! 先ほどこの部屋から大きな振動がしましたが一体何が……!?」
「くそっ! くそう!!」
「「あっ……」」
駆け込んできた執事と俺の目があった時、二人同時に小さなつぶやきを漏らしてしまった。
「あ、えっと。あの、じい、これはね……」
「……肩をお貸ししましょう。手伝います」
じ、爺や……
「……ッ!!」
笑ってるのバレてるよ……
うん。ダイエットしよう……
しかし翌日、俺は非情な言葉を父親から受ける事になった。
「アイル、お前を領主にするのはやめにした。今すぐこの領地から出て行け」
残念ながら、次期領主はクビになった。