戦いの痕
気を失っていたクロードが目覚めた時にはすでに戦いは終わっていた。敵の姿はどこにもなく、共に行動していた少年たちは皆生きていた。一人足りないような気がするが、死者の気配はないようだからおそらくどこかにいるのだろう。
気を失う直前の事は覚えている。アイザと呼ばれる人物が斬りかかってきた。咄嗟に自分がかばったが、さらに迫ってきた別の何かに気を取られ、胸を刺された……。
クロードは刺されたであろう自分の体に目をやる。服はおそらく自分の血で汚れており、刺された部分には穴が開いているが、傷はかすかに痕を残すだけで完全に塞がっていた。
痛みも感じない。本来であれば致命傷であるはずだが……。
「あ、クロードさん。目が覚めたのですね」
彼らのうちの一人、確か……カガリちゃんかな。彼女は自分が目覚めたことに気づき、こちらに近づいてきた。
「もう起きられて大丈夫ですか? まだ痛むところとかは……」
「ああ、すっかり元気だよ。心配かけちゃったね」
「気にしないでください。最初に助けてくださったのはクロードさんなんですから」
随分と謙虚な子だ。そう思ったクロードは彼女が頭に包帯を巻いていることに気づいた。
「君こそケガをしているみたいだが、大丈夫なのかい?」
「はい。でも、少し頭を打っただけです。もう治療も済ませましたし、激しい動きをしなければ問題ありません」
強がっているわけではなさそうだ。確かに頭の包帯以外にケガしているようなところは見当たらない。あまり苦戦しなかったのだろうか。
……いや、違う。長年の勘からクロードはカガリの表情の機微を察した。身体的な傷はなくとも精神的にかなり参っているように見える。
とはいえ、わざわざ口にするほど自分は無神経ではない。彼女のことはひとまず置いておき、他の人たちの無事を確認する。
共に行動していた少年二人はほどなく洞窟の外から戻ってきた。金髪の少年は簡易的だが、右腕に挿し木をしていた。それから緑髪の少年の方は一見大きなケガはしていなさそうだったが、体のあちこちに包帯が見える。重傷とまではいかないが、それなりの傷は負っているようだ。
「よかった、無事に回復されたようですね」
彼らも一番に自分の心配をしてくれた。初めて会った時から思っていたが、なかなかに礼儀の正しい子たちだ。
「君たちのおかげでね。さすがに死んだと思ったよ」
間違いなくあれは致命傷だった。余程高度な魔法でも使わない限り、ここまでの治療は不可能だ。彼らがそれをやってのけたのだろうか。
「俺たちは何もしてませんよ。ただ精一杯だっただけですから」
「そうそう。まあもし礼をって思うんだったらカガリに言ってください。すぐに治療をしてくれたのはこいつだったんで」
「そんなこと……。私ができたのは応急手当だけで、ここまで回復できたのはーー」
そこまで言って彼女は言葉を止めた。何か言いにくいことでもあるのだろうか。唇を噛み、目線を逸らす。
「何はともあれ君たちのおかげで私は助かったんだ。本当にありがとう」
これ以上を追求するのはかえって彼女たちを傷つけかねない。それよりも本当に自分が助かったことを心から喜ぶべきだ。少なくとも彼女らのおかげであることに違いはないのだから。
そんな自分の気持ちを察してくれたのだろうか。彼女らも表情から陰りが消え、改めて告げられた感謝に少々照れ臭そうにしていた。
「ところで、あとの一人はどうしたんだい? ほら、ティアナちゃん。さっきからどこにも見当たらないけど」
「あーティアナですか……」
彼女の名前を聞き、途端に三人は気まずそうな表情になった。はじめはまさか、と思ったが、彼らの様子を見るにこれはそういうわけでないようだ。
「あいつでしたら今は外にいます。ただちょっと落ち込んでるというか拗ねてるというか……。今はそっとしてもらえると助かります」
「ふむ?」
拗ねているとはまた面白い、いや不思議なことだ。自分が気を失っている間に何があったのか、俄然気になってしまった。そのあたりの詳細を聞いてみたいところではあるが、そろそろ動かないといけない。起きた時に比べて吹き込む風が少し冷たくなった。まだ日は沈んでいないようだが、今の状況で一晩越えるのは少々危ない。彼らと会話しながら自分の体の状態は確認済みだ。万全とまではいかないが、下山するには差し支えない。
クロードはゆっくりと立ち上がり、それから自分の荷物を見つけると早速準備を始めた。アレンたちが心配するもクロードはむしろ留まる方が危険だと説き、彼らにも下山準備をするように指示した。
思わぬアクシデントはあったが、そもそもの依頼自体は果たしたのだ。あとは報告するだけ。療養するのはそれからでも何ら問題はない。
「さて、日が沈む前には豪雪地帯からは抜けよう。少し急ピッチにはなるけどしっかりついてきておいでね」
アレンたちも手慣れたものでクロードから下山をすると告げられるとすぐに準備を整えた。外にいたティアナもなぜか不機嫌そうにしていたが、我儘を言うことなく素直に従った。
「戦闘は私が。一番後ろはティアナちゃん、頼むよ」
「わかりました」
重量のあるものをアレンとシーラが運び、代わりにティアナが隊列を後ろから見守る。彼女は《解析眼《アナライズ》》を使って、周囲を警戒する。刀の柄から手を離さず、常に臨戦態勢を取っていた。
しかし、そのような心配も杞憂に終わった。彼らは一度も魔物や野党に遭遇することなく下山することができた。クロードの道案内のおかげもあり、登山時よりもはるかに速いペースで降りられた。
「よし、あとはこれをタントさんのところに持っていけば依頼は終わりだね」
クロードの言葉に一同はほっと息をついた。日数にしておよそ二日。しかし、その中身はあまりにも濃密なものだった。
「私が届けておくから君たちは先に宿で休むといい。急ピッチな下山で疲れているはずだ。後のことは任せてくれ」
彼女の提案にアレンたちは頷く。どうやらかなり限界のようだった。「ありがとうございます。それではお願いします」と言って、宿に向かおうとする。
「あ、私はついていきます」
そう言ったのはティアナだった。
「私はみんなと比べてそんなに消耗していないので。それにクロードさんだけにお任せするのは申し訳ないですから」
「はは、もしかして私が報酬を多くとるとでも思ったのかい? そんなことしないよ」
「いえ、そういうわけでは……」
ティアナが言葉に詰まる。アレンたちが口を挟もうとしたが、その前にクロードが乾いた笑いをこぼした。
「冗談……冗談だよ。だからそんな悲しそうな顔をしないでよ。まるで私が泣かせたみたいじゃないか。それじゃ、ティアナちゃん、行こうか。あんまり遅くなると今度は彼らに捕まって酒を飲まされかねない」
ひとしきり笑い終えると、クロードはティアナを連れて酒場へと向かう。アレンたちは二人を見送ると宿へ戻っていく。その道中、アレンはティアナの行動に心の中で感謝をした。
今回の依頼、自分たちはあくまで労役によるものだから報酬の事は何も心配していなかった。しかし、いつもと違い、セントアース国とノーザンス国それぞれから人員を出して行う依頼だ。だから報告の時にノーザンス国のクロードさんだけしかいないと実際どう思われるかはともかくあまり心証はよくないだろう。せめて誰か一人でも行けば……。彼女がその意図を汲んだゆえの行動かはわからないが、あの申し出は本当に助かった。
「強くならないとなぁ……」
誰に言うわけでもなく、アレンは呟く。降り積もる雪に彼の声は消えていく。慣れたはずの雪道は、初めて来たときよりもずっと重く感じた。
「おお、クロードさんに嬢ちゃん! 戻ってきたか」
酒場に入り出迎えてくれたのはティアナが初めてここを訪れた時に声をかけてくれた男だった。
「ただいま、マスター。って、飲み物はまだいいよ。それよりもタントさんは?」
「奥で仕事してるよ。まだ飲んじゃいないから、ほれ行った行った!」
店主がカウンターの奥を指さす。その先には他の客に紛れてテーブルに書類を広げ、何か書いているタントがいた。
「おーい、タントの旦那! 帰ってきたぞ!」
大声で呼ばれ、タントは店の入り口の方を見た。それからティアナとクロードの姿を確認すると、嬉しそうに立ち上がった。
「戻ってきたのか。お疲れ様。さ、こっちに来てくれ」
招かれるまま二人はタントがいたテーブルに着く。その間に彼は書類をひとまとめに固めると、それを床に捨て置いた。
「えっと……」
「ああ気にしないでくれ。ちゃんと考えておいてるから問題ない。それよりも、だ。報告を聞かせてくれないか」
随分と慌ただしいな、とティアナは不思議に思いつつも、カバンの中から青色の珠を取り出した。
「ある程度の魔物は私たちやクロードさんで倒しました。それからこれも……」
山で出会ったアイザとイシュラ。二人の獄王のことは伏せながらここ二日の成果を話す。ティアナの説明にクロードは特に口を挟むことなく、最後まで黙っていた。
「そうかそうか。いやー本当に助かった。これでこの町もしばらくは安泰だ。さすが両国から選ばれた人たちだ」
ティアナから青い珠を受け取ると、タントはそれを丁寧にテーブルのわきに置いていた布にくるんだ。
「ところでそれ、何に使うのですか? 初めは魔物を巣を含めて全て討伐するって聞いていたのですが……」
「そういえば君たちに四人には何も説明していなかったね。うん、どうせ今日は無理だから、ちょうどいい。明日の朝、町の広間に来てくれ」
「ええと、わかりました」
「それから報酬だけど、君たちではなく、両国に払う予定だから戻ってから受け取ってくれ」
「はいはい。いつも通りね」
クロードは話が落ち着いたと見るや、「じゃあ私はそろそろ宿に戻らせてもらいますか」と席を立つ。
「おや、今日は飲んでいかないのですか?」
「私はあなたたちみたいな飲兵衛じゃないよ。さすがに今日は疲れたわ。それじゃ、また明日」
帰ろうとするクロードを周りが引き留めようとするが、彼女はそれを適当にあしらって酒場を出る。
「あ、えっと、私も失礼します。すみません」
ティアナはクロードのあとを追って外に出た。明らかに子供であるティアナに対しては誰も引き留める気はないようで、「また明日誘うか」「今日はヤケ酒じゃ!」とまた一段と騒がしくなっていった。
「はぁ……はぁ……待って、待ってください」
クロードの歩くスピードはティアナよりも速く、外に出た時はだいぶ距離が開いていた。少し小走りで追いかけ、ようやくクロードを呼び止めた。彼女はティアナの声に気づくと、振り返った。
「どうしたのかな? 何か急ぎの用事?」
「あの、その……え、えっと、あ、あ……ありがとうございました」
ティアナは頭を下げた。
「お礼!? ティアナちゃん、どういうことかい?」
お礼を言われるのはクロードにとって想定外のようで、彼女らしからぬ驚いた声を上げた。
「だって……あの時、クロードさんのおかげでアレンたちは助かったんです。だからどうしてもお礼が言いたくて。本当なら私が動かなきゃいけなかったのに……。それにそのあとも……」
段々と声色が弱くなる。それはまるで自分に言い聞かせているようにも思えた。自分が戦いから目覚めた後、やけに機嫌悪そうにしていたがそれはもしかしてーー
「ティアナちゃん、君って自分ができることは絶対しないといけないと思っちゃうタイプだね」
「え?」
「いや、君に限らずだ。時に顕著なのが君とカガリちゃんと言ったところか。君たちは協力しているように見えてその実、個人プレイしかしていない。だから自分がやれることは必ずする。できないと重荷として残ってしまう」
「………」
ティアナは息を飲む。
「君にとってあの時仲間をかばうのは自分の役目だった。だから今お礼を言ったんだね」
クロードはティアナに歩み寄り、彼女の顔を見つめる。
「ふむふむ……。若さゆえの思い上がりかなと思ったけど、本気でそう考えていたのか」
わずかに目を細め、のぞき込む。猛獣に品定めされている獲物のような気分がして、ティアナは思わず睨み返してしまった。
その反応にクロードは驚き、笑ってしまった。二,三歩下がりながら腹を抱えて息が漏れるような音を出して笑い続けている。
「ティアナちゃん……。君はほんとうに、ははは!」
「な、なんで笑うんですか!」
クロードが必死に笑いを堪えようとしている姿にティアナは抗議した。
「すまないすまない。いやー君は本当に面白い子だ。初めて見た時からそんな気はしていたけど、まさかここまでとはねぇ」
ある程度治まったとはいえ、涙を浮かべるほど笑っていたクロードはまだ少し呼吸を整えられていなかった。
「気を悪くしないでくれ。別に責めているわけでも馬鹿にしているわけでもないんだ」
「笑ってる時点で馬鹿にしてますよね!? その言い訳は無理がありますよ!」
「それもそうか。これは失敬失敬」
「クロードさん!」
それから五分もしないうちにクロードは落ち着いた。ティアナの機嫌はまだ悪いが、さほど怒っているわけではなかった。二人は宿の方面へゆっくりと歩いている。
「すまないね。君みたいな子を見ると知り合いを思い出してさ。年下だからよくからかって遊んでいたんだよ。ああ、君をからかうつもりはないよ」
ティアナの視線がクロードに刺さる。それを無視してクロードは続けた。
「あの子も君みたいに自分の使命を固く持っていた。あれは子供ゆえの強がりなところではあったのだけど、そのせいで一度潰れかけたことがあるんだよ。自分が勝手に作った重圧に自分が押しつぶされるのさ」
「………」
「君が同じとも、そうはならないとも言い切れない。だけどせめて笑ってしまった詫びとしてアドバイスをしてあげよう」
「……どうしてそこまでしてくれるのですか?」
「まあちょっとした先輩からの餞別ってこと。ありがたく受取りたまえ」
したり顔で胸を張るクロードを見て、ティアナは気づいた。
この人はオズさんにとても似ているんだ。だから妙に気に食わないのだと。
「『嫌になったら逃げればいい』。何だってそうだ。全てに立ち向かう必要はない。逃げることは別に悪いことじゃないのさ」
ティアナの方を向き、笑顔を浮かべる。
「その顔、知り合いを思い出してなんだか腹立たしくなってきますね」
「えー……。そのイライラはちょっと理不尽だな」
「でも、ありがとうございます。ちょっとだけ気が楽になりました」
クロードはティアナの表情を見て、おや、と感心した。自分は軽い気持ちでアドバイスをしたつもりだったが、どうやら彼女には結構効いたみたいだ。
まだ年端もいかない子供にもかかわらず随分と自分を冷静に見れている。これは将来が楽しみだ。
「私はここで。お疲れ様でした」
気づけばティアナたちが寝泊まりしている宿についていた。彼女はクロードにお辞儀をすると、そのまま宿の中へと入っていく。
「お疲れ。ゆっくりおやすみ」
クロードは軽く手を振り、彼女もまた自分の宿へと戻っていった。