氷峰ヨトゥン
アルサーンを出発して5日が経った頃、私たち4人は目的の村にたどり着いた。報酬が出ないとはいえ、最低限の物資はオズさんから支給してもらった。その中にやけに分厚いコートがあるからなにかと思えば……
「寒い!! それにこの吹雪は何なの!?」
視界を塞ぐほどの猛吹雪。そして凍えるような寒さ。さっきから寒くて体の震えが止まらない。吐く息がこれでもかというくらい真っ白だ。そして吹雪で霞むその先に頂上が見えないほどの巨大な山が見える。
「あれが噂の氷峰『ヨトゥン』か……。想像以上の寒さだな。見てみろティアナ、水筒の中身が凍っているぞ」
「アレンは何で喜んでるの……。というかそれやばかったじゃん! ってシーラも雪だるまを作らないの!」
故郷の町では見たことのなかった雪にアレンとカガリは興奮していた。最初の頃は私も一緒になってたけど、寒さと雪が厳しくなるにつれて早く村にたどり着きたい一心で足を進めた。カガリも途中で凍え死にかけて一時は大変なことになったほどだ。
「とりあえず宿に行こう。遊ぶのはそれから。それに依頼の方もここの人に聞かないといけないんだから……」
珍しく童心に帰っている2人を無理やり引き連れて私たちは宿へと向かった。
「カガリは大丈夫?」
「うん……。私も早く行きたい……。もう魔法使う気力もない……」
「ほら。私の手握って。引っ張るから」
私のせいでこんなところに来てるのはわかってるけど……。先行きが不安だ。
「ああ暖かい……。生き返るわ……」
宿の受付を済ませ、部屋に通されると私はすぐに布団に倒れこんだ。心地よさで脱力してしまう。ここまで極寒の中を進んできたからこの暖かさは至福以上の何物でもない。
「雪ってこんなに寒かったんだね……。私あの町で生まれてよかったよ……。最初は魔法でどうにかなると思ってたけど……まさか体力をこんなにも削らされるなんてね……」
カガリも隣のベッドで布団に埋まっていた。もともと体の弱い彼女にはこの寒さはかなり応えたのだろう。かくいう私もまだやらないといけないことがあるとわかっているのにすっかりやる気を削がれてしまった。ベッドに寝転がったまま、カバンの中から依頼書を取り出す。
「『セントアースとノーザンドの両国国境になる氷峰ヨトゥン、この山に現在複数の魔族が巣を作り、近辺の人を襲っている。そこで両国から兵を出して魔族を駆除、巣を破壊する。なおヨトゥンは非常に険しい山であるため、少数兵で行うこと』かー。あんな大きな山を少数で回るなんて無理でしょ……」
「でも、雪山についてはノーザンスの人たちの方が詳しいから頼れば大丈夫じゃないかな」
「そうだけど……向こうはいったい何人来るかな」
セントアースの北に隣接するノーザンスはこれから向かうヨトゥンを境にしており、国土を年中雪と氷で覆われているらしい。そんな環境の中での生活は全く想像つかないけど、雪に慣れてるのであれば大助かりだ。不慣れな地での行動は大変なだけに本当にありがたい。
「うーん、そろそろ行くかぁ。カガリは休んでていいよ。アレンかシーラ連れて行くから。本番の登山はこれからだし、しっかり休んでて」
「そうさせてもらうね……。とりあえず体力だけでも回復させておくから……」
カガリは布団から起き上がり、休む準備を始めた。その様子を見て私も準備をする。しかし……あの2人は大丈夫だろうか。雪に浮かれすぎな気もするけど。普段しっかりしてるだけに不安だ。
「えっと、ここでいいんだよね」
「ああ。ここで依頼を取りまとめているみたいだ。宿の人からは行けばわかると言われたけど」
結局ついてきてくれたのはアレンだった。はしゃいでいるのかと思ったけど、シーラは早速村の人から地図を買って地形の把握をしていた。呆れ半分で向かったのに切り替えが早くて心配損してしまった。まあ困らされるよりかはずっとマシだからいいんだけど。
アレンと2人で依頼の詳細を聞きに村の中でも大きめの建物へと向かった。どうやら酒場らしくアルサーンでいうところのギルドみたいだ。
早速中に入ると、外の寒さに対し、建物の中は熱気に包まれていた。数十人の大人が大きな声で騒いでいる。お酒の匂いと食べ物の匂いが充満していてちょっと苦しい。
「おお、いらっしゃい……っと見ねえ顔だな。他所者か?」
出迎えてくれたのは精強な体をした大男だった。外はあんなにも寒いのに彼はタンクトップ一枚と短パンという季節度外視の格好だった。
そんなむさ苦しい男は私たちを品定めするかのように眺めると、後ろをむき、そしてカウンターの上にドンっと大きなコップを置いた。
「寒そうな面しやがって! よくわかんらんが、とりあえずこれを飲め! 体があったまるぞ!」
中に何かを注いでいく。湯気が立ち上るが、それが一体なんであるかはわからなかった。
「安心しろ。酒じゃない。ほら、そこでつっ立てても邪魔だ。座った座った」
男の勢いに押されるまま私たちはカウンターに座った。それから目の前に置かれたコップを覗き込む。匂いから蜂蜜らしきものを感じる。私は恐る恐る手に取り、口をつけた。
「……おいしい! それに……」
口の中に蜂蜜と卵の香りが広がった。飲み込むと体の芯からあったまってくる。不思議な感覚だ。
「あったかい」
「おうよ、うちの自慢のハニーエッグジュースだ。これ飲んでりゃ俺みたいな格好してても十分やってける。ほれ、おかわりが欲しけりゃ言うんだぞ」
男は大声で笑いながら、別の客の方へと言った。
「どうしよっか」
私たちが言う前に勝手に座らされた。観光ではなく人に会うために来たので、こうもゆったりとしているわけにはいかないのだが……。
「いきなりで驚いただろう? ここのマスターは誰に対してもあんな感じだから気を悪くしないでくれ」
戸惑う私たちのもとに新たに人が訪ねてきた。今度は見た目優しげな好青年といった感じの風貌だ。私たちよりは随分年上ではありそうだけど、誰なんだろ……。
青年は暖かそうなコートを羽織り、手には酒だろうか、鼻にささるようなきついにおいのする飲み物を持っていた。
「えーっと……あなたは?」
「ああ、俺はタント。この町の組合長さ。君たちはセントアースから来た子たちだろう? 待ってたよ」
「組合長……。ギルド長みたいなものかな」
「だろうね。……初めまして。僕はアレン。こちらはティアナ。あなたのおっしゃる通り、僕らはセントアースから依頼を受けて来ました。ほかにもあと二人、今は宿で休んでいます。よろしくお願いします」
アレンは立ち上がり、タントさんという方の前まで行く。それから右手をだし、握手を交わした。こういう時、アレンはすぐに動いてくれるから助かるなぁ。
「お、なかなかに礼儀正しい子たちだね。じゃあ君たちは4人で来たんだね。もっと来るかと思っただけに意外だな」
「そうなんですか?」
「俺の見立てでは一個中隊ぐらい来てもいいかなって考えてた。君たちに言うのもなんだが、君らの国ってかなり安全志向だからさ。昔、こういう依頼をした時もだいぶ大がかりだったのさ」
そうだったんだ。でもたぶんそれってギルドができる以前なんだろうな……。こういうのは騎士団じゃなくてギルドに回ってきそうだし。 そもそも依頼でも少数でって書いてあったしなぁ。
「ノーザンスからももうすぐ来るはずだから。今日はのんびり旅の疲れを癒してくれ。その人数だし、飯代くらいは組合で賄うさ。仕事以外の時は観光してもいいぞ。ここはいい湯町でもあるからな」
やった。ごはん代は相手もちみたいだ。今回は報酬が出ないから本当に助かるなぁ。……ちゃんと節度は守るよ! ――ところで
「湯町?」
「おや。湯町を知らないのか。セントアースにはないから仕方ないか。うーん、口で説明するより直接見てもらったほうがわかりやすいかもしれないな。よし、今晩夕食の後に案内しよう。できたらまたここに来てくれ」
一体何なのだろうか……。すごく気になる。
「至れり尽くせりでありがとうございます」
「いやいや、その分依頼はきっちりこなしてもらうからさ。こちらこそよろしくな」
彼の言葉に呼応するように後ろのテーブルに座っている人たちがジョッキを掲げる。
「若え坊主たち、頼んだぞ!」
「俺らは樹を切れても武器は握ったことはないからな」
「期待してっぞ!」
ゲラゲラと笑い声をあげ、男たちはジョッキを傾けていく。
「ははは、すまないね。みんな仕事ができなくて昼間っから飲んでばっかなんだ。悪気があるわけじゃないから許してやってくれ」
仕事ができないって、今回の依頼と関係があるのかな。魔族の討伐だけは聞いてたけど、ほかにも事情があるのかもしれないな。とはいえ、あとで話してくれるみたいだし、今気にする必要はないかな。
「ティアナ、ひとまず宿に戻ろうか。夜にもう一度行こう」
アレンもこう言ってるし、とりあえず行きますか、
夜、今度はシーラとカガリもつれて、ギルドのほうへ向かった。ここでは組合だったか。
「いらっしゃ……って昼の坊主たちか。おーい、タントの旦那。お客さんだぞ」
私たちに気づいた店主がタントさんを呼んでくれる。店の中はすでにお客さんでにぎわっていた。
「おー、こっちこっち」
店の奥でタントさんが手を振る。そちらのほうに向かうとすでに机の上には料理が並べられていた。そして何やら知らない人が同席していた。
「そっちの二人が残りの連れかい? なら挨拶をしないとね。俺はタント。この町の組合長をやってる」
「俺はシーラです。こっちは妹のカガリです」
「よ、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく頼むよ」
それからタントさんはテーブルを挟んで向かいに座っている女性のほうを向き、軽く手で促した。
「揃ったことだし、彼女にも自己紹介をしてもらおうか。では、よろしく」
そう言われた女性はゆっくり立ち上がった。オズさんほどではないが、ランドルフさんくらいはありそうなほどに高い身長。防寒対策のためにコートを着ているのにも関わらずほっそりとした体形を見せている。見た目は私たちとオズさんたちの間くらいだろうか。結構若い。
「はじめまして、セントアースから来た子たち。私はクロード。ノーザンスから来たのは私一人だけどよろしくね」
美人で大人しそうという印象だったが、随分と明るい人だった。というかそれよりも、
「一人なんですか?」
「ええ。うちはこの時期、人手不足でね。仕方ないから私一人になったのよ。あ、でもがっかりしないでね」
クロードさんは大変そうに苦笑いをするが、その表情が一瞬だけ凍り付いた。
「私、君たちよりも強いから」
そうして最後にまた笑ったが、それは単なる笑顔ではなく、圧倒的な自信からくる不敵な笑みだった。
「相変わらずクロードさんは自信家だな。そう言って、前に一度負けたじゃないか」
「ああ、あれはね。あの人は色々規格外すぎたから。私に勝てる人なんてその人入れてまだ二人しか知らないわ」
一体どのくらい強いのだろう。正直ちょっと気になる。……ううん、だめ。今は依頼のほうに集中しないと。
「えーっと、タントさんにクロードさん、俺たちはまだ依頼のことについて、ざっくりとしか聞いてなくてあまり詳しくはわからないので説明をお願いしてもいいですか?」
アレンがおそるおそる尋ねた。そういえば夜話すって言ってたな。
「おお忘れてた。よし、食べながらでも話すとするか」
「で、今回セントアースとノーザンス、2つの国に依頼したのはこの町が両国の国境にあるってのももちろんだけど、それぞれにお願いしたことがあるからだ」
「それぞれにってことは別行動するの?」
「いや、基本的には一緒に行動をお願いする。ノーザンス、クロードさんには雪道の経路探索をお願いしたい」
経路探索? 一体何のことだろう。
「なるほど。確かにそれは私たちノーザンスの人間じゃないと無理ね。で、この子たちには?」
「ああ、アレン君たちにはあるものを探してきてほしいんだ」
「あるもの、ですか」
探しものか……。でもそんなわざわざ私たちに何をさがさせるのかなぁ。
「その前に依頼のことについて詳しく説明しよう」
今回の依頼内容をまとめると、事前に聞いていた通り、山に住み着いた魔族を追い払うといったものだった。
どのくらいの数がいるかわからないが、どうやら敵魔族の中に首魁がいるらしくそれを倒せば、ほかの魔族も逃げていくだろうとのことだった。(今知ったが、野良の魔族はそういう習性をもっているらしい) 巣を潰すだけではダメなようだ。
で、私たちに探してほしいものは『青い宝玉』とのこと。魔族が持ってる可能性が高いが、雪に埋まっている可能性もある。4人で大変かもしれないが、手分けして探してほしいそうだ。
「何か質問はあるかな?」
「私は大丈夫よ。そちらのみなさんは?」
「俺たちも大丈夫です」
うんうんと頷いて同調する。
「よし、みんなにはぜひ早い解決をお願いするよ。でないと俺たちも仕事ができないからな」
笑うタントさん。でもそれってあんまり笑いごとじゃない気が……。
「改めてよろしくね、小さな冒険者さんたち」
クロードさんは優しそうに声をかけてくれる。それにみんなも応えている。でもなんだか私はもやっとしてならない。初対面の人に失礼かもしれないけど、クロードさんの優しい笑顔が無性に気に食わない。
「ティアナ? どうしたんだ」
黙り込む私にアレンが心配そうにしている。それからしばらく考え、クロードさんをもう一度見てわかった。このもやもやの正体が。
「ごめんなさい。えっと、よろしくお願いします」
私はクロードさんに握手を求める。向こうもすんなりと手を出し、握ってくれた。
「―――!」
クロードさんはわずかに顔を強張らせた。そしてすぐに楽しそうに笑い、握り返した。
「ふふ、楽しくなりそうね」
今までと打って変わってまるでこれが本心からの笑みのように思えた。
「それじゃ、食事の続きをしながら軽く打ち合わせでもしましょうか。おかわりいるならどんどん注文しなよ。君らは食べ盛りなんだから」
言葉通り、私たちはその後、これからのことについて話し合った。特に雪山での戦いの経験のない私たちにとって第一にやらないといけないのはこの環境に慣れること。明日、クロードさんから軽くレクチャーを受けて、2日後には山に入るよう決めて、私たちは夜を楽しく過ごした。




