地下水道の決戦
「鼠? 鼠ってあの小さい……」
「うん。想像してるので合ってると思うよ。通路を埋め尽くす程の鼠がこっちに向かってきてた。でも……」
「でも、ティアナの眼にも私たちの魔法にも一切反応しなかった」
私の言葉にカガリが追随した。私も合わせて頷く。
そう、これはありえないことだ。私の眼は魔力を感知する。微小な魔力でもそれが何であるかはわからないけど、何かがあることはわかる。
一方のカガリやシーラが使う魔法は魔力以外の、熱などの生命反応を感知する。魔力の有無は関係なく、何か生きているものがあることはわかるのだ。
つまり、私たちに感知できなものはないのだ。
「魔力もない。生きてもない。なんだそれは……」
「人形はどうだ。 それなら条件をクリアできそうだが」
「人形か……もし人形だとしたらどうやって動かしてるのかな? 人形劇みたいに糸で操るには数が多すぎる。魔法だと人形に魔力が宿ってしまうからわかるはず……」
それに前者であるならば痕跡が残るはず。でもそんなものはなかった。
正体を掴もうにも矛盾を抱えてしまっているので、解決の糸口が見えない。
人形でなければ……死体? それこそ魔法でも使わないとそんなことはありえない。
「カガリ、魔力なしで死体を動かす方法とかある?」
「うーん、無理だと思う。前読んだ文献に死者を操る死属性の禁呪があったけど、魔力なしとなるとないなぁ」
とれる対策を全てとった上でのこの状況に私たちは完全に手詰まりだった。いや、咄嗟に逃げただけで、おそらく鼠自体は対処できる。だけどそれだけじゃ、解決にはならないはず。きっと他にも何かある……と思う。
「………」
みんな考え込んでいた。それから無言のまま15分くらい経った時、ようやくシーラが口を開いた。
「なあ、アレン。地下水路の地図を見せてくれないか?」
「ん? ああ、ほら」
シーラは地図を受け取り、なにやら覗き込む。地図上を指差し、動かしながらブツブツと何か呟いている。きっと何か思いついたんだろう。ということで私は大人しく見守ることに。
「カサブランカさんには報告した方がいいかな?」
「まだいいだろう。不確定情報が多すぎる。かえって混乱を生むだけだ。それよりもカガリ、魔力のストックは十分か?」
「うん、定期的に集めてる分が十分に。なくなることはないと思うよ」
戦う準備は万端だ。でも、肝心の敵がわからない。単純に鼠なのか。それとも別の何かが……。
私たちの探知をかいくぐることができるほどの実力者の可能性もあるのかな。それだと私たちだけじゃ対処できなさそう。うーん、さっぱりわかんない。
思いつく限りを考えてみるけど、全然ダメだった。
そんな時、ずっと地図とにらみ合いをしていたシーラが顔をあげた。
「よし、これでどうだ」
地図を覗くと、なにやらたくさん書き込みがされていた。どういう意味だろう。
「何がいるかはわからんが、ティアナの見た鼠が関係しているのは間違いない。おそらく見つかった死体も鼠にやられたんだろうな。そこでだ。まずは鼠を殲滅しよう。この印をつけたところを見てくれ」
彼が指し示した場所は地下水路の中でも比較的広い場所だった。
「ここは全水路がつながる場所だ。一時的に水を貯める場所でもある。ここに鼠たちをおびき寄せるんだ」
「そう上手く誘導されるかな?」
「絶対来る。おそらく水路に入った何かを襲うようになっているはずだ」
自信満々だ。なにを根拠にここまで自信たっぷりなのかはわからないけど、こういう時のシーラはだいたい頼りになる。
「で、おびき寄せてどう退治するんだ?」
「そりゃあ、もちろん。カガリにやってもらうさ」
「……範囲殲滅は確かにカガリが一番得意だな……」
カガリは出番が来て喜んでいるみたいだ。急に笑顔になっている。
「今から詳しい流れを言うからな。特にティアナはしっかり聞けよ」
「一言多いんだよ!」
そうして私たちは再び地下水路に降りて来た。地図に従ってシーラの指示した場所で待機する。4本の水路と繋がっていて、そのいずれも水の流れる音だけ響いていた。
広間の中心に4人でそれぞれの路を注意深く監視する。
「どうだ? なんか聞こえるか?」
耳を澄ましてみても変化はない。流水の音が轟々と鳴っているだけだった。
「全然。ほんとに大丈夫なの?」
「うーん、五分五分だな」
「は!? そんなに低いのにやってるの!」
思わず声を上げてしまった。
「ティアナ、うるさい」
もっと自信あるかと思ってたのに……。やばい、不安だ。一応《観察眼》で見てはいるけど、やっぱり反応ないな。ほんとなんだったんだろう、あの鼠……。
「あーあ、来るなら早く来いよー!」
私は足元に落ちていた石ころを拾い、水路の奥に投げ込む。バシャンと落ちる音がした。
その瞬間、
バシャバシャバシャバシャ!
激しい水音が鳴り響く。それは段々と大きくなり、こちらに近づいてきていることがすぐにわかった。
「おっとこれは……!?」
この音はさっき聞いた。水が濁流のように流れる音、間違いない。
「来るぞ」
「うん……! 《炎王ノ巨手》!」
カガリが魔法を唱える。すぐに私たちを囲うように炎の膜が現れた。すぐそばに炎があるというのに熱くない。カガリの調整のおかげだろう。
水音はさらに激しさを増し、そして四方から黒い塊が飛び出してきた。
「カガリ次だ!」
「《不蝕浄土》」
炎の膜の外に何か黒いモヤがフワフワと浮かび始めた。私たちをさらに囲うように集まっていく。 そして塊が私たちに飛びかかってきた。近づいて見ればはっきりわかる。それは大量の鼠だった。しかし、その前に黒いモヤがその行く手を阻んだ。
途端、大きな爆音が水路内に響き渡る。音が響きやすい構造上、その轟音は思わず耳を塞いでしまうほどであった。さらに視界は炎の赤と煙の黒に染まった。私たちの周りで次々と爆発が起き、塊は炎の中に飲まれていっている。それでも塊から抜け出し炎を逃れるものがいた。それは私たちの方に襲いかかろうとその体躯に見合った身軽さで爆発の中を掻い潜った。しかし、そんな彼らもカガリが張った炎の膜に触れ、その体を燃やしていく。
「えげつないな……」
カガリのお陰で私たちは無事だけど、外は凄惨な状況だった。鼠たちは地面に落ちていき、水の中に沈んでいく。しかしこれはまだいい方だ。完全に黒炭になってしまったものもいる。ちょっと見るのがキツくなるくらい……。
「というかどんだけいるんだよ……。爆発全然止まないぞ」
「これだけの数を一体どこに潜ませてたんだ?」
うーん、さっきから私たち以外の魔力が全然見えない。ほんとこの鼠なんなんだろう。生物なのかな?
「シーラ、何かいる?」
私が聞くと、すぐに探知の魔法を使ってくれる。だけど、肩をすくめただけだった。目の前にある炎のせいでうまく探知できないみたいだ。収まるまで一旦待つしかないみたい。
やっぱりわからない。この鼠の正体、元凶となるものが。
もし、仮に探知魔法に一切かからない術を持った存在がいるなら。それって相当厄介だよね……。
襲われてから10分くらい経って、ようやく爆発が収まった。炎も煙も消え、視界がクリアになった。
「そろそろいいかな?」
カガリは魔法を解除した。
周囲を見渡すと、地面には黒ずみになったり、熱で力尽きている鼠が数えきれない程水の中に沈んでいた。そのあまりの多さに水面から溢れかえっている。
「ひとまず鼠はこれで終わりだな」
死体を足で除けながら、シーラは水からでた。改めて探知魔法を使っているみたいだけど、表情から結果は芳しくなさそうだ。かくいう私の眼にも反応はない。
何か聞こえないか耳を澄ますが、やっぱり何も聞こえない。
「つーかよ」
まだ形の残っている死体を拾い上げ、またすぐにぽいっと投げ捨てた。
「こんだけ数がいるのに何も反応しないって、ならこいつらは何なんだ?」
「ただの鼠……とは違うのか?」
「見た目じゃ、本物と何も変わらない。ただ、探知に一切引っかからないんだよ。目の前にしてもだ。普通なら酔いそうなくらい反応が出てもおかしくないんだがな」
そういえば、人形とかの線も考えてたな。まあ、糸なんかがあればとっくに燃え尽きてるだろうけどね……。
鼠は撃退したのに、結局何もわからずじまいだ。これで解決……なのかな。
「何だか消化不良だなー。カガリが派手に燃やして終わりかー」
「これですめばいいんだから余計なこと言わないの。何もないに越したことはないんだから」
まあそうだけどさ……。
「それじゃあ、カサブランカさんに報告しようか。解決かどうかはわからないけど一応危険は排除したって」
「んー。いつもみたいに敵をぶっ飛ばして終わり!じゃねえからなんかしまらねえなぁ。ティアナに賛同するわけじゃないが、モヤっとするぜ」
アレンとシーラは早々に出口に向かおうとしていた。不燃感は2人とも同じみたいだ。やっぱり何か引っかかるんだよなぁ。
悩んでも仕方ないというのはわかっているけど、つい考えてしまう。一度気になると止まらない。カガリみたいだ。
長年一緒にいたせいで影響を受けたのかな、とつい一人でに笑ってしまった。
「どうしたの、ティアナ。変な顔して」
「ううん。なんでも」
怪訝そうな顔でカガリに心配されたけど、悪いことじゃないから大丈夫。
「そう、なら私たちも行こっか。正直、ここちょっと臭いから……」
確かに近くを下水が流れてるから臭いんだよね。耐えられないほどじゃないけど、だからといってずっと我慢できるわけでもない。
私もカガリに続いて行く。その時だった。
「……あれ?」
「ティアナ? さっきから変だよ?」
「ああ、うん。今ね、なんか魔力が見えたの」
一瞬だけど、魔力の動きが見えた。わずかに、一瞬だけ光る雷みたいな感じ。決して大きくはないけど、私の目をそれを逃さなかった。
そしてそれは嫌な予感に繋がった。多分放っておけない。というか私たちを狙っている。直感だけどそんな気がした。
「カガリ、探知じゃなくて耳の方、強化して!」
探知魔法はもう効かない。だから自力で見つけるしかない。こんな入り組んだところでは目は意味がない。だから耳だ。水の音を聞くのが一番だ。
「わ、わかった! 《大地の耳》」
私の態度から察したカガリはすぐに対応してくれた。そして異変に気付いた。
「兄さん! アレンくん! そっちから何かきてる」
叫んだ。すでに出口に近づいていた2人はカガリの声の具合から何か危険が迫っていると察し、警戒態勢へと移った。一番近い水路から離れ、武器を取った。
私は先ほどの魔力を追いかけるけど既に消えており、そもそもどこからなのかもさっぱりだった。カガリの方は違うみたいで、なにかの音を必死に聞き分けている。
「おい、どうしたってんだ? まだ何かいるのか?」
「待って! ………兄さん、そこの水路! 速い何かが来る!」
そうカガリが言ったと同時に水の中を進む激しい音がした。先程鼠とは勢いが違う。水路の中央にいた私にはそれがはっきりと見えた。音からして4足歩行。一体かな…?
「カガリ!」
私はカガリとそれの間に入り、襲いかかってくるそれを刀でいなした。黒い影のような大きな生物。私が防いだのはおそらく鋭い爪。私たちなんか簡単に裂けそうなものだった。
空中で回転し、着地したそれは大きく体を震わせると、
アオォォォォォォン
空気を震わす大音量で鳴いた。それは黒い狼だった。でも、私の知ってる狼よりもふた回りは大きい。しかもなんだか目が血走ってる。私たちをいまにも襲いそうだ。
と思っていたら、本当に来た。わずかに体を縮こまらせると一気にスピードを上げて飛びかかってきた。速い。ほとんど音もない狩人の動きだ。
「よっ、と!」
一直線に迫る狼に私は突っ込んだ。魔力が見えない以上、《解析眼》は効果がない。自分の感覚を信じるしかない。普段とは勝手が違うけど、このくらいなら問題ない。
「そんなのもう何回も見てきたよ!」
狼の体に潜り込み、刀を振り上げる。危機を察した狼はすぐに飛び退く。驚くべき反応速度。おまけに退く時に後ろ足で私を蹴ろうとしていた。後ろに飛び、私もそれを躱す。
狼の飛び退きは水路の天井まで達していた。一瞬、4足全てで着地するとすぐに離れ、私めがけて大きな爪を振り下ろす。
「その程度……!」
動きが単調すぎてわかりやすい。野性味のない行動だ。一歩下がり、余裕で躱した。そして刀で右の前足を斬った。
「思ったより毛皮厚いんだな」
腕ごと斬るつもりが思ったより斬れなかった。体がデカイだけあって毛皮も随分厚かった。
……さて、さっきの謎の魔力に新たな敵。すでにこの狼と私は対峙している。となると……
「アレン! シーラ! これが出て来た水路行って! その先に何かいると思うから」
2人に指示を飛ばす。
「大丈夫なのか?」
アレンが返してきた。心配性なやつだ。
「このくらいなら私だけでなんとかできる。あと、シーラ! 追うなら探知じゃなくて耳を強化して! 水音で追うの」
「おうわかった」
すぐに返事がくる。さすがシーラ、状況理解が速くて助かるよ。さて、あとは
「カガリも2人についていって。この敵、図体がでかいだけでそこら辺の野生と大してちがいないみたいだからさ。一人でも大丈夫」
「…………わかった」
すぐに返事をしないあたりカガリらしい。でも、私のことちゃんと信用してくれたみたい。怯む狼の横を素早く通り抜けて二人の方へと向かった。一瞬、カガリを狙おうとしたが、私が動こうとしたのを察知したのかカガリを追うのをやめてまた私の方を見た。
「おや賢い。少しでもカガリに手を出そうものなら首を落とすつもりだったんだけどね」
刀を振るい、そして構える。すでに3人は合流し水路の奥へと走って行った。
「君に言葉が通じるとは思わないけど、私が残ったのは強がりでもなんでもないから。今の私は病み上がりで最高に調子がいいの。だから……」
狙うは短期決着。体の動きは十全。いきますか。
「すぐに終わらせるよ!」
「ティアナ、大丈夫かな……」
彼女を置いて先に進む3人。カガリは後方をしきりに気にしていた。
「あいつのことなら大丈夫だろう。半年前のあれでその辺りの判断はできるようになってるはずだ」
「やばいと思ったらお前を残してるさ。わざわざこっちに来させたってことはそれだけ余裕ってことなんだよ」
「……油断しなきゃいいけど」
「……相変わらず心配性だな。それよりもこっちの心配をしろ。結局何がいるか全然わかんないだからよ」
シーラは《大地の耳》で聴力を強化していた。音がしないように自分たちは水から出ている。後方で音がするのはティアナだろう。自分たちは前を注意する。わずかな音も聞き漏らさないように。
無言のまま進んでいく。分かれ道だとしても地図はシーラの頭の中に入っている。同じ道を進むことなく水路を巡っていく。
しかし、何も見つからない。
「地上に逃げたか?」
「敵が人間ならそうするだろう。そうじゃない、別の可能性もある。まずはそれを潰すのが先だ」
「いいの、もし地上に逃げてたら……」
確かにその場合は捕まえようがない。相手の人相も知らないのだ。手配書を出すこともできない。街の中に入り込まれたらもはや探すことは不可能だ。
だが、シーラには確信があった。
「俺が思うに敵はまだこの水路内にいる。おそらくどこかに隠れているはずだ」
「なんでそう言い切れる?」
「勘だ、って言いたいところだが、仕掛けといんだよ。罠をさ」
シーラは一度止まり、ちょうど真上にある出口を指差した。
「全部の入り口に開いたら作動する罠を仕掛けてたんだ。地下から外に出た時に作動するやつをな。だが、さっきからどれも作動した形跡がない。だったらまだ中にいるはずだ」
「いつの間にそんなものを……」
こめかみをトントンと人差し指で叩き、笑った。
それからまた水路の中を巡る。カガリとシーラの二人体制で探しているが、未だになんの痕跡も見つからない。
唯一、アレンだけはただついていくことしかできなかった。もちろん周囲を注意深く見ていくが、所詮は人間の感覚。頼りにならない。
まあ自分は戦闘が領分だから……。と自分の中で納得づけるが、やはりこのままではお荷物気分が拭いきれない。
「んん? ちょっと二人待ってくれ」
異変に気付いたのはそんなことを思っていた頃だった。何か違和感を覚えた。
「どうした? 何か見つけたか?」
二人も足を止め、自分のところへ来た。この違和感に気付いたのは自分だけのようだった。
「ここ見てくれないか?」
アレンが指差すその先はただの壁だった。少なくともカガリとシーラにはそう見えていた。
「ここがどうしたの? 何もないけど」
「え、扉があるけど……」
アレンには不自然に備え付けられている扉が見えていた。明らかに不似合いでとってつけられたのようなものだった。
「はあ? 何言ってんだよ。ただの壁じゃねえか……疲れてんのか?」
「いや、体調は万全だよ。ただ、なんだろうこの違和感。扉の割に少し歪んでいるような……」
シーラはアレンの言った場所を手で触る。しかし、彼にはただの壁にしか感じられないようだった。
「なあアレン。その扉ってやつ見えるなら開けられるか? 俺にはさっぱりだ」
「わかった」
シーラに言われ、アレンはドアノブに手をかけた。ちゃんと触れる。他の二人にはどういう風に見えているだろうか。それから捻る。鍵はかかっていない。そのまま手前に引いた。ドアの先には道が続いていた。
「……マジか」
「え……」
二人が驚きの声を漏らした。ようやく見ることができたみたいだ。
「な、言っただろ?」
「どういうことだ? なんでアレンにだけ……」
「……そういうことか」
カガリだけが驚きからすぐに得心したように一人頷いた。
「わかったのか?」
「うん。でも、とりあえず先に進もうよ。移動しながら話すから」
道はただの一本道だった。罠のひとつもない。いや、あの扉が最初で最後の罠だったのかもしれない。
「で、これはどういうことなんだ?」
扉を見つけたアレン自身さえも何故自分だけが見えたのかはわからないでいた。
「あくまでも推測だけど、これは『魔力阻害』だと思う。魔力を持つ人だけに作用する一種の幻覚作用みたいなものかな」
「なんだそれ……。そんな魔法まであるのか」
「ううん。私がこれ知ったの研究論文でなの。実現したらとんでもないことになるって書いてあった」
「つまり架空のものってことか?」
「私はそう思ってた。でも、今のはそうじゃないと説明できない。アレン君には見えて私たちには見えないなんて……。『魔力』以外に考えられないから」
アレンには魔力がない。簡単に言えば魔法が使えない。
「魔力がないからこの『魔力阻害』が効かなかったってことか?」
「うん。たぶんランドルフさんも同じだと思うよ。それで……」
カガリは説明を続けた。この道は思ったよりも長い。まだ話しても大丈夫なくらい余裕はある。
「私たちがずっと探知できなかったのってこれが原因だったと思う」
「つまり、魔法で探すからダメだったのか。それでティアナは……」
「流石にティアナはわかってなかったと思うよ。あれこそ勘だよ。それにティアナが見た魔力ってたぶんさっきの扉を隠すために魔法を使ったからだと思う。普段は自分すらも『魔力阻害』で身を隠していて、たまたま解除したところをティアナに見られたんじゃないかな」
こちらからすれば運がいいけど、向こうからしたら不運だったろうな。というよりもまさか気づかれるとは思わなかったのだろう。
「これだけ説明がつけばおそらくその『魔力阻害』ってやつで間違いなさそうだな。そいつさえ片付ければOKってことか」
説明しているうちに先が見えた。アレンとシーラは武器を抜き、カガリも魔法を使う準備をした。そして長い一本道は終わった。
「な……なぜここが……バレたのだ?」
奥は大きな広間となっていた。さらにその奥には扉が制御室と書いてあったのでこの水路の管理をするところだろう。そしてその手前に驚きの表情でこちらを見ているものがいた。
痩せこけた体に白衣を着ている。人間ともそうでないとも言える生きているのが不思議なくらいの痩身の男。その顔は驚きと恐怖で満ちていた。
「お前が動物たちをけしかけたやつか……。ようやく会えたぜ」
気づいたらとなりにシーラがいなかった。すでに反対側に回り込んでいた。部屋に入るのを防ぐためだろう。
「な、何者だ! ここは私の研究所。私の城だ! 勝手に入ってくるんじゃない!」
わずかに平静を取り戻した男が叫んだ。言っていることは強いが、その見た目のせいで覇気を全く感じられない。
「水路に放った鼠に狼。あなたの仕業ですよね」
アレンは少し優しい言葉遣いで問う。もちろん武器は抜いたままだった。
「それがなんだというんだ? 自分の領地に飼っている生き物を放って何が悪い」
「おっさん、なんか勘違いしてるけど、ここはあんたの持ち物じゃない。この街のものだ。そしてな、あんたのせいで人が死んだ。それだけでアウトだ。何のためにここにいるかは知らねえが、大人しくお縄についてくれないかな」
しかし男は頑なにここは自分のものだと叫ぶ。まるで狂っているかのように。
「我が神聖なる場所を侵す者め……。ただでは済まさぬぞ!」
だんだんと怒り狂い始める男。彼は懐から小瓶を取り出すと、蓋を開け一気に飲み干した。
「ちょっと待って、先に事情を聞かせーー」
「ふふふふ……見せてやろう。我が研究成果。魔力に縋る人間どもを滅ぼすために作った最高傑作を!」
アレンの言葉を無視して、今度は高笑いし始めた。完全に情緒が不安定だ。さらに異変は男の体にも起こり始めた。痩身の体は膨れ上がり、まるで怪物のような大きさにまでなった。身体中に血管が浮き出、さながら小さい鬼のようだ。
「フハハハハ! この体は魔力を破る。さらにこのパワーの前に盾など無意味! まさに無敵! 我はベーレゲン! 天才科学者ベーレゲンだ!」
一人で勝手に興奮し始めた。名前はベーレゲンというらしい。
「アレン君知ってる?」
「知らないな。少なくとも人ではなさそうだ。まったく……人の話を聞かずに勝手に暴走し始めて……」
二人の会話にベーレゲンが反応した。
「人だと? そんな矮小なものと一緒にするな! 私は魔人! 人など虫けら同然よ!」
魔人といった。おそらく魔族の一種だろう。
そう考えているとついに敵が動き出した。拳を構え、アレンとカガリに対して振りかざした。巨大化したせいか鈍重な動きだった。2人は軽々とかわす。
「完全に会話が通じない。ひとまず抑えるしかないか……」
「そうみたいだね。……《瀑水》」
カガリは水の爆弾をベーレゲンに向けて放った。まっすぐ飛んでくるそれに彼は回避行動をとらない。そして水は彼の体にあたる直前に消えた。
「えっ?」
突然の出来事に驚くカガリ。そんな彼女の驚きに気付いてかベーレゲンは再び高笑いをした。
「フハハハハ! この私に魔法など効くものか! 私が生み出した『魔力阻害』の体。魔力を自動で感知して無効化にする。これで私に魔法が通じることはない! さあ大人しく死ぬがよい」
再びその大きな拳を振り下ろした。しかし動きが鈍すぎて2人に当たることはなかった。
「うーん。やっぱり私、ティアナの方に行ってればよかったかなぁ。この感じじゃお荷物だね」
「みたいだな。たぶん俺たちに補助をかけてもある程度近づけば解除されてしまうだろう。となるとカガリは巻き込まれないように隠れてくれ」
アレンはカガリを退かせ、前に立つ。魔法が使えないかもしれないが、この程度自分だけでどうとでもなるだろう。
そう思っていた時だった。
パリンっと何かが割れる音がした。音の出所は敵。見ると、彼の体に何かが当たり、それが割れたようだった。
「なんだ……?」
ベーレゲンは振り返る。彼の目にはなにかを投げた動作を終えたシーラがいた。彼はこちらをあざ笑うかのような表情をしており、先ほどまで構えていた武器もすでに仕舞われていた。
そして自分の体を見る。何かが当たった感触がしたが、それはこの頑丈な体によって傷一つ負わせることはできなかった。ただの悪あがきなのか。そう思うと無性に腹が立ってきた。
「貴様……何がしたいんだ?」
「なあに、すぐにわかるさ」
敵の言葉。その意味がすぐにわかった。
ベーレゲンの視界が揺らぐ。立っていられないほどに体が揺らぎ、膝から崩れ落ちる。両手を地面につけ、なんとか体を支える。動悸が激しく、呼吸も荒い。
「な、なんだこれは……」
自らの体に起きた異常。しかし自分に魔法は効かない。では一体何をされたというのか……。
「リリアグラスのエキスに竜紋蝶の鱗粉。それを混ぜ合わせて二晩寝かせる。あんたも科学者っていうならわかるだろ?」
「それは……自然界で最も強力な……脳神経に異常をきたす猛毒……。なぜそれを……」
「そりゃあ、常に常備してるからだよ。戦いってのは魔法や武器だけじゃねえ。こういうのだって立派な戦法だよ。特にあんたみたいに魔法が効かないだけで調子に乗ってる奴にはうってつけだ。避けてくれねえからな」
第一だ、と敵は続けた。しかし視界はもはや霞み、姿をまともに視認することもできない。
「真面目に戦うわけないだろ。そんなめんどうなこと、ティアナだけで十分だ。そういうわけだから、な」
ガチャリ、と銃を突きつけられる。
「ま、待て! いきなり襲って悪かった! ちゃんと話すから。ここでやっていーー」
「別にもういいから」
彼の言葉が最後まで続かなかった。パンパン、と銃声が鳴る。それからしてベーレゲンは地面に倒れ伏した。その頭からは血を流し、口からは血の色をした泡を吹いていた。
「シーラ……」
一瞬で敵を片付けた親友にアレンはなんとも言えない気持ちでいた。
「アレン、カガリ。あいつには内緒だぞ。このやり方あいつが嫌うから滅多にしないんだよ。本当はこういうのが一番手っ取り早いんだけどな。あとでご機嫌取る方がよっぽど大変だからさ」
はにかむようにシーラは笑った。それから、死体を一瞥することなく、奥の管理室に向かう。
「さっき少しのぞいたんだが、色々見つかった。悪いがカガリ手伝ってくれ」
「……え、あ……うん」
カガリは兄に大人しくついていく。奥の部屋は管理室となっておきながらさながら研究施設のようだった。散乱し山積みとなった紙束に薬品の数々。おそらく彼はここで研究していたのだろう。
「『魔力阻害』についての資料があったら集めてくれ、残りはギルドに報告して任せよう」
紙束を崩しながら目的のものを探す。時間がかかるとも思われたが、意外にもそれはすぐに見つかった。
「よし、これで解決。あとはティアナを拾って帰るか」
「そういえば遅いね。片付けたら私たちの魔力を追ってきそうなのに……」
「いや、待てよ……」
シーラは嫌な予感がした。自分たちはこの場所を見つけることができなかった。魔力のないアレンだけが見つけることができた。そしてティアナは他の誰よりも魔力をあてにする。もし、この部屋そのものの隠蔽がまだ残っているなら……。
「みんなどこー!? 全然魔力が見えないんだけど!」
私は水路内をひたすら走っていた。あのあと狼は4体にまで増えたせいで片付けるのに時間がかかってしまった。それから3人を探すにも魔力が全く見えない。何かあったのか不安になるけど、水路中隈なく探しても全く見つからない。
「はあ、もう! 何か痕跡くらい残せよ! 馬鹿シーラ!」
悲痛な叫びが水路内をただ木霊していった。
「せめて無事か教えてよーー!」




