勝者と敗者
「…………」
《筐ノ世界》が壊れた。すぐにわかった。そして立てなくなるほどの疲労感が襲ってきた。
「ティアナ!?」
ふらっとそのままアレンに寄りかかるように倒れた。ああ、もう無理だ。動けない。
「大丈夫か……? って、お前、腕!」
「えっ……?」
アレンに言われ、ゆっくりと視線を移した。
「あっ」
先ほどまで灰となっていた私の左半身はいつの間にか元に戻っていた。感覚も戻ってきている。ということは……。
「見事……なり」
爆発が起きた先、そこにはグレンが立っていた。しかし、その姿は先ほどまでとは違う。彼の体のほとんどは白い炎を受けた私のように白くなっていた。
「どういう……こと?」
もはや自分一人で立つことができない私はアレンに支えられながらグレンの前まで歩く。状況を察したシーラもカガリをおぶってきた。
「ティアナ、お主の最後の魔法、あれは反転の魔法であろう? 結局我が破りはしたが、我の炎、あれは見事に撃ち返したのだ」
ああ、やっぱり……。《筐ノ世界》が砕けたのはグレンが破ったからだった。あっちの方が強かったんだ。
「我の炎呪はまさしく呪い。術者の我といえども逃れえぬことはできぬ。それゆえお主の反転に負けた我が炎は我に降りかかった。つまりはそういうことだ」
「それって……」
「情けないことに我はこの呪いに対抗する術を持ち合わせておらぬ。あとはこの身が朽ちるのを待つだけとなったのだ」
私の目論見は成功した。相手の魔法を撃ち返し、逆にそれで倒す。《解析眼》で見た時、なぜかグレンと白い炎は離れていたからまさかと思っていたけど……。
「呪いも反転したことでお主の呪いも解けた。他の者はそうはいかなかったがな」
……それって私以外のみんながもし炎に当たってたら……。考えるだけでゾッとする。というか、あの時は何としてでも勝つことばかりで、後のこと何も考えてなかった。
「口惜しいが、お主らの勝ちだ。約束通り人間界へ帰そう。もう少しすればヤコノエが来るからあやつを頼るがよい」
「私たちの勝ち……でいいの?」
彼はあっさりと自らの負けを認めた。確かにこのまま彼は灰となっていくだろう。だけど、まだ動けるはず。それに私たちは最早戦う力がない。応援だって呼べば抵抗することはできない。
「仲間は呼ばないのか? あんたの仇討ちだって俺らに襲い掛かってこないとは限らないけどよ」
私が思っていたことをシーラが言ってくれた。
「そんな無粋なことはせん」
だけどグレンは苦笑した。
「我は常々仲間たちに言っておる。『決して我の仇討ちをするな』とな。戦って死ぬ。それは武士たる我にとって最も望む死に方なのだ。そう、我が望む死。ゆえに部下であろうと友であろうとそれを汚されるのだけは許せぬのだ」
「………」
彼の言葉に私たちは黙り込む。始めにあった時からそうだけど、この男はどこまでも裏表がない。おそらく今の言葉に嘘偽りはないだろう。
だけど……だけど……私には納得がいかなかった。
「私は……勝ったとは思わない」
「ティアナ?」
アレン達が驚く。それはグレンも同じだった。
「ほう……いいのか? 我に勝ったら帰すという約束のはずだったが……」
それはそうだけど……。でもここで言わなかったら後悔する。
「だって、おまえは私の《筐ノ世界》を壊した。私とおまえの力比べはあんたの方が上だった。あのままだったら私の方が負けてた……」
「おいティアナ! それ以上はよせ! 実際あいつはもう死ぬ。だけど俺たちは生きてる。それだけで勝ちだろ。生きてりゃ勝ちだろ!」
「わかってるよシーラ! でも、このまま勝ちを認めたら私、これ以上強くなれない気がするの。生死だけじゃ決められないものがある、と思うの」
ごめん、と最後に謝る。みんなを危ない目に遭わせるかもしれない。それでもたぶん、いや間違いなくこの敵は応えてくれるはず。
「………。承知した」
グレンが頷いた。そして一歩一歩ゆっくりと
こちらに向かって歩いてきた。
「ちっ!」
シーラが銃を、アレンは盾を構える。だけど私はアレンの手を引いて止めた。大丈夫だ、って首を振った。
彼は私とアレンの前に立った。
「ああ、口惜しい。これほどまでの好敵手と二度と戦えぬことが何よりも口惜しい……」
「………」
「お主の気持ちよくわかった。だが我が負けを認めた以上、それは覆さぬ。約束は必ず果たす。それだけは我も譲れぬ」
「………わかった」
それでも彼は自らの意志を曲げるつもりはないみたいだ。敵としてあまりにも潔い。
「納得できぬようだな。できれば再戦をとも思ったが、それはもはや叶わぬ身。……そうだな……ではこうしよう! 我とお主ら4人の戦いは確かにお主らの勝ちだ。だが、我とティアナ、お主との戦いは我の勝ち。これでどうだ?」
「……ダメだ、気が抜けちまった。こいつティアナと同類だよ」
シーラは構えていた銃を下ろし、私の頭を軽く叩いた。
「おい、答えてやれ」
「え、あ、うん」
私はグレンと改めて向き合い、そして右手を出した。
「……ありがとう。私ももっと強くなって戦いたかった」
「そうだな。我からもお主らに礼を言いたい。最期にこれほどまでの敵と戦えたのは至上の喜びだ」
彼もまた白くなった右手を差し出し、互いに握手を交わした。私よりもずっと大きい手は強く握ると崩れ落ちてしまいそうだった。
「ふむ、もうすぐヤコノエが来る。最後にお主らに一つだけ伝えておこう」
急に真剣な顔つきになった。戦っていた時のあの雰囲気。おそらく『獄王』としての風格だろう。
「我が敗れたことはすぐに魔界中に広まる。他の『獄王』たちにもだ。仇討ちなどはせんとは思うが、目を付けられることは間違いないだろう。あやつらの中には我と違い、人間に容赦をせん者もいる。相見える時は油断などするな。我に勝ったのだからあやつらにも勝て」
「仲間に勝てとかいいのかそんなこと言って……」
「ハハハハ! 我が好き勝手言っているだけだ。あやつらがどう思ってるかなどは知らん。……おっと、きたようだ」
グレンが右の方を見ると、私たちが最初に出会った鬼、ヤコノエさんが瓦礫の中をかき分けながらやってきた。
「ヤコノエ、約束通りこやつらを人間界に送ってくれ。我の権限をお主に譲る」
「わかりました」
ヤコノエさんが右手を掲げる。するとその先に大きな渦が起きた。全ての原因となった『異幻の穴』だ。
「ここを通れば、人間界に戻れます。場所は……あなた方が迷い込んだ場所になっているはずです」
「うむ。ではさらばだ人間たちよ。我に勝ったのだ。簡単にくたばってくれるなよ」
私はアレンに支えられたまま渦の前に立つ。またここを通るのか、と不安になるけどここはもう彼らを信じるしかない。他のみんなも覚悟を決めているようだ。
「死ぬかと思ったし、もう二度とこんな目に遭うのはごめんだよ」
いろいろあったけど思うのはやっぱりこんなことだ。それに相手は魔族。私たちの敵なのだ。だからこれ以上は言わない。
それはみんなも思っているはずだ。だから何も言わなかった。そしてそのまま渦の中に灰いる。視界が一気に真っ暗になった。
4人が渦の中に入ったあと、渦は消えた。瓦礫だらけの部屋に残ったのはグレンとヤコノエだけだった。
「お主には面倒をかけるな」
もう体のほとんどが灰となっていた。それでも立ち続けることができるのは彼の実力ゆえだろう。
「別に面倒とは思っていません。それよりもよかったのですか?」
「ん? あやつらを帰したことか? それは約束だから仕方ないだ――」
「魔王様たちを置いて先に逝かれることですよ」
「――………」
ヤコノエの言葉にグレンは黙った。彼女の言葉に怒りの感情はなかった。だけど、グレンには彼女が感情的になっていることがわかった。
「そうだな……オルガあたりは怒るだろう。だが、あやつらには前々から言っておった。だから悔いはない。ただ、そうだな……」
彼は一度言葉を止めた。何か考え事をし、そして再び続けた。
「お主には我のことを報告に行ってもらうから、これを伝えてもらえぬか?」
そう言ってヤコノエに言葉を託す。
「わかりました」
その言葉にヤコノエはただ頷いた。
「頼むぞ。あと、そうだ。ヤコノエよ、『炎獄』の名を継ぐか?」
「お断りします」
即答だった。
「わかってたが、そこまではっきりと言うか……。まあよい、あやつらへの報告を済ませたらお主は自分の好きにするがいい」
それからグレンは胡坐をかいた。その動作で少し体が崩れかける。
「では先に逝くぞ。うむ、あの4人には心残りを与えられたが、それでも悔いはない。ああ満足いく人生だったよ」
静かに目を閉じる。思い返すは自らの歩んだ日々。鬼として生まれ、強者を求め続けた。そして魔王の友となり『獄王』の名をもらった。それからは人間と戦い続けたがあの大戦では自分の望まぬことばかりだった。それからは静かに生きていた。そして今、偶然出会った人間に自分は敗れた。
「………」
ああ、楽しかった。
最後にグレンは友の姿を思い浮かべながら、そう思った。
そして彼の体全身が灰となり、静かに崩れていった。
初めて『異幻の穴』に入ったようなあの嫌な感覚に襲われると思ったけど、視界が真っ暗になったのは一瞬だった。気づくと、洞窟の中にいた。隣にはアレンがいる。後ろにはシーラとカガリがいた。
「みんな無事みたいだな」
「生きてはいるな。少なくとも体はボロボロで辛いぜ」
「うん……生きてる」
みんな無事に生きている。私もまともに動けないけど……生きてる。
「さて、と。問題はどうやって帰るかだな」
「今まともに戦えるのは俺だけか? アレンは剣壊れちまってるし」
「守りだけならできるぞ」
「そうだ、カガリ。探知魔法は使えるか?」
「……そのくらい、なら」
そう言ってカガリはしばらく黙り込む。一分くらいすると少し明るい声で話し始めた。
「この辺りには魔族、いないみたい。急いで抜ければ出くわさずに済むかも」
「マジか! それならアレン、お前はティアナをおぶってくれ。二人で抜けるぞ」
「わかった。……ティアナ、ほら」
アレンがしゃがみこむ。いつもなら抵抗したくなるけど、今の私にはもうそんな気は残っていない。大人しくアレンの背中に乗る。
「しっかり掴んでろよ」
二人は洞窟内を走る。カガリがナビゲートしながら二人を導く。私は黙ってアレンにしがみついていた。
「………」
本当に魔族に出くわさない。三十分もすれば洞窟の入り口に辿り着いていた。
「久しぶりの外だ……」
とは言ったものの外は夜だった。火山のふもとなので暑いが。
「どこか休めるところを探そう。そこで一晩過ごして、それから帰ろう」
「そうだな。近くの街もこの状態で歩ける距離じゃないからな」
それからシーラが手際よく休める場所を見つけ、そこで夜を明かすことにした。本来なら交代で見張りをするのだけど、私とカガリはとてもではないが、そんなことができるほどの余力はなかったので、アレンとシーラ二人が交互に見張りをすることになった。
「二人とも、ごめんね」
「ああ? んなこと気にすんな。お前はとっとと寝ろ! それにその手、折れてんだろ? そんな奴に無茶させられっかよ。固定させるもん作っとくからお前は大人しくしてろ。カガリもだ」
シーラにどやされて私は大人しく横になった。そういえば、戦い終わってようやく一息つけたのかも。ああ、ダメだ眠い。私はもう何も言うことができずにそのまま眠りに落ちたのだった。
最後にあと一話、後日談を入れて第2章は終幕となります。ほぼ1年……。しかし物語はまだまだ序盤。先が思いやられます……。




