『炎獄』のグレン
光が奔る。しかしそれは光ではなく、炎だった。そうそれは白い炎。目の前に迫ってきていた。
「―――!!?」
絶好のチャンス故に攻撃の手をギリギリまで止めることができなかった。その結果、私は白い炎に呑まれた。それでも避けようと全力を尽くした。その結果、直撃だけは避けることができた。
「くっ……あ、ああああぁぁ!」
炎を喰らった左半身が熱い。地面にのたうち回り、体を抑える。
「ティアナ!?」
みんなが駆け寄ってきた。
「ティアナしっかりして……! 《神ノ息吹》!」
カガリが光属性の魔法で治癒してくれる。二人は私を支え、必死に声をかけてくれる。でも大丈夫。意識はある。それに痛みも引いてきた。
「何……これ……?」
炎が消え、私の体の容態を見ようとしたカガリが言葉を失った。血の気の引いた顔で口を抑えている。
その様子に釣られて私は自分の体を見た。
「………」
そして目を疑った。
「どういうことだ、これ」
あの炎を浴びて私の体には火傷の跡が一切なかった。でも、その代りに私の左腕が服を含めて真っ白になっていた。
シーラが恐る恐る触る。しかし私には触られた感触がない。そしてシーラは手を離す。彼の手には白い粉が付いていた。
「これは……灰だ」
「灰?」
「ああ、ティアナの腕は灰になってやがる……」
全員が言葉を失う。想像を絶する現象に何も言えないのだ。
「完全に当たったと思っていたのだが……。まさかその程度で済んだとはな」
声の方へ振り向く。
「――『どちらかが生き残るまで逃げることができない。閉じよ、炎檻の呪い』」
グレンはそう呟いた。その瞬間、部屋を囲うように白い炎が吹き出てきた。まるで私たちを逃がさないかのように広がる炎は明るく私たちを照らしていた。
「これぞ、我の奥の手『炎呪』だ」
グレンが姿を現す。私の最後の一撃が功を奏したようで彼もまた大けがを負っていた。すでにカガリによってつけられた左腕の傷、そして今私に斬られた傷は彼の鎧をも斬り、右肩から斜めに広がっていた。
「この身を賭しての一撃。しかしお主は躱してみせたか。……とはいえ、その様子だと時間の問題かもしれんが」
「……どういうこと?」
「なに、我のこの『炎呪』はただの炎ではない。触れたものを灰に帰す滅びの炎なのだ。一度触れてしまえば最後、その全てを灰にするまで決して消えることはない。どんな魔法でもそれを解くことはできん。お主の体は灰となるのを待つだけとなったのだ」
そしてグレンの体に白い炎が纏わりつく。
「どうやら炎魔法への耐性が高いようだな。炎の侵攻が僅かに遅い」
一歩、グレンが歩みを進める。敵もまた大きな傷を負っているというのにその気迫に衰えは感じさせない。
そして私を守る様にみんなが立ちふさがる。
「ティアナは下がってろ!」
「でもっ!」
「その体じゃまともに戦えないだろ。お前はその灰を止めることに専念するんだ。時間は俺たちが稼ぐ。カガリと協力して食い止めろ。それが終ったら戻ってこい。いいな!」
私の答えを聞く前に二人はグレンに向かっていった。
残ったカガリは私の横にしゃがみこみ、炎属性への加護の魔法をかけてくれる。
「《炎羅》。……これで少しは侵攻を抑えられるはず……。でも私、解呪方法なんて知らない。それに最上位の治癒の魔法も知らない……。どうしよう……。このままじゃティアナが死んじゃう!」
今にも泣きそうなカガリ。必死にいろんな魔法をかけようとするけど、どれも効果を成さなかった。
「カガリストップ。魔力の無駄になるからそれ以上はしなくていいよ」
「で、でも!」
「おかげで熱さや痛みはなくなったから。ちょっと感覚がないけど、動ける。ありがとね」
私は右手でカガリの頭を撫でながら立ち上がった。そして彼女から手を放し、そのまま刀を握る。どうやら運よく炎を受けずにいたみたいでまだ無事だった。
それから敵の方を見る。アレンとシーラ二人が抑えているけど、白い炎を警戒してかうまく動けていない。そこを押されていて、旗色はかなり悪い。
「どうするの? このまま行ってもあの炎で敵に近づけない……。武器が灰になったら私たち生身じゃ、あれに勝てないよ!」
カガリの言う事はもっともだ。さっきまでのようにやっても最早何の意味もなさない。だから私は見る。《解析眼》ならば……。きっと何かわかるはず。
《解析眼》はグレンの魔力を取り囲むようにグレンとは似て異なる魔力の層を映す。それは決して強大な魔力ではないけど、異質な気配を漂わせていた。教えてくれるのはそれだけだった。
「ねえカガリ。攻撃魔法って術者本人にダメージを与えられるの?」
「えっ?」
「例えばカガリが敵に向けた魔法をそのまま跳ね返されたらカガリはその魔法を受けるんだよね?」
「そう、だけど? そもそも術者だけに影響を与えない魔法なんてないよ。……ってもしかして!」
カガリは私の意図に気づいたみたいだ。
「でもそれってまだ成功したことないんじゃ……」
「うん。理論だけはわかってるけど、何度練習してもうまくできなかった。だけどさ、これがあれば……」
そう言って私はポケットからある物を取り出した。
「それは……魔石? なんで持ってるの?」
「ここに来る前、休んでた時にシーラがくすねてたのをくれたんだ。実を言うと自分用の魔力のストック、もう切れちゃってさ。それに魔石は魔法の補助として使われもするんでしょ? だとしたらいけるかもしれない」
「確かにそうだけど……。絶対に成功するって言い切れるの?」
「ううん。無理。でも、やらないとこのまま私燃え尽きちゃうもん。それならやるよ」
「…………」
カガリはまだ何か言いたげだった。でも何も言わない。私の意思を曲げられないってわかってるからだ。
「それじゃ、行ってくるから」
最後にそれだけ告げて私は敵へと向かった。
刀を握り、アレンとシーラを攻める敵へ一直線に駆けていく。互いの間に割り込むように飛び込み、《解析眼》を頼りに炎に覆われていない隙間を縫って刀で斬りかかる。
「臆せず来るか!」
身を退き、躱される。私も一旦下がり睨みあうように向い合った。
「おい、ティアナ……!」
「大丈夫。ちゃんと考えがあるから」
アレンの声を遮る。言いたいことはわかってる。ちらりと左腕を見る。まだ真っ白だ。心なしかさっきよりも白い範囲が広がっているような気もする。
私はそれ以上は何も言わずにまた距離を詰める。向こうも私に合わせて動き出す。そんな私の真横を乾いた音と共に何かが過ぎていく。それに気づいた敵は右に体をずらして躱す。そしてそれは白い炎を掠め、地面に落ちる前に灰となっていった。シーラの援護射撃。今や飛び道具などほとんど攻撃の意味を成さなくなってしまった。それでも彼は撃った。その意図を私は理解していた。
一分の隙もない体勢を少しでも動かせば隙が生まれる。私はそこを狙う。左脇腹、炎のない場所へ一太刀入れる。しかしさすがは獄王、反撃をすぐにしてきた。右拳が飛んでくる。完璧なカウンター。だけど、《解析眼》の前では効果は薄い。私は体勢を一気に低くして、そのまま敵の横を滑るように抜けていった。それからすぐに敵の方へ向き直り立ち上がる。
相手は私の方を向かず、全員が視界に入る様に体を半身にした。
「《水双弾》!」
誰がどう動くか、その僅かな膠着状態の中でカガリの声が響く。空中に大小二つの水の弾がかなりの速さでグレンに襲い掛かった。迎え撃つように白い炎が水の弾が広がる。
水の弾が炎に当たろうとしたその時、ひょいと、壁を超えるように水の弾は軌道を変えた。炎を置き去りにそのままグレンへと進んでいく。
「破ぁ!」
だけど、グレンはそれを避けようとはせず、手刀で叩き落とした。脆くなった石を砕くかのように容易くやってのけた。
「そこだ!」
「ふん!」
防御に炎を使い、両手はカガリの魔法の対処に使った。身を守る術をすでに使い切った相手に次はアレンが攻撃を仕掛ける。タイミングは相手がカガリの魔法を叩き割る寸前、その時にはすでに接敵を終え、剣を叩き込んだ。
「ぐあっ……!」
剣は敵の体を斬る。だけど、ほぼ同タイミングで蹴りがアレンの横腹に突き刺さっていた。その勢いのままアレンは飛ばされる。数メートル先でようやく受け身を取り、体勢を立て直した。そして起き上るや否や持っていた剣を敵に向けて思いっきり投げた。
その一連の流れを私は駆けながら見る。そしてアレンが剣を投げたのに合わせて一気に加速した。
すでに敵は剣への迎撃の用意を済ませている。妨害するようにシーラは銃を撃つも白い炎によってすべて阻まれていた。カガリもまた次の魔法を撃とうとしている。
そして白い炎の一部がアレンの剣を消そうとグレンの前に壁を作ろうとしていた。このままいけば届かない。だから私はまずは投げた剣の方へ向かっていた。
「っとりゃあ!」
飛んでいく剣に合わせて私は跳んだ。そのまま足を振りかぶり、剣の柄を蹴り飛ばした。
「――っ!?」
急加速する剣。炎が壁を作る前に敵の元へと届いた。虚をつかれたグレンはすぐに体を反らして躱した。さすがというしかない。だけど、まだ終わりじゃない。剣を蹴り、地面に着地した後、私はすぐに剣の後に続いて行き、回避行動を取ったグレンの背後から一気に斬りつけた。
私の一閃は彼の背中を斬った。だけど、
「甘いぞ!」
「え、はっ?」
グレンは投げられたアレンの剣の柄を握っていた。そしてそのまま体を反らした状態から元に戻す勢いに乗せて剣を振り下ろしてきた。
「ぐっ………きゃあっ!?」
咄嗟に刀で受け止める。受け止めはしたが、勢いのついた一撃を止めることはできず、私はそのまま吹き飛ばされた。地面に2回ほど打ち付けられ、その後ようやく体勢を立て直した。口の中が鉄くさい。切れてるみたいだ。ペッと唾を吐くと、赤い塊が出てくる。
「どうした? このままでは我を倒す前にお主が燃え尽きるぞ?」
アレンの剣はいつの間にか白い炎に包まれており、やがて灰となって消えてしまった。幾度か攻撃を当てることはできた。でも、決定打にはならなかった。
「そろそろ限界、か。久しぶりの強敵は楽しかったが、これで終わりだ」
グレンは右腕を振り上げた。そしてそのまま地面に打ち付ける。
「!?」
たったそれだけで地面が割れた。その範囲は離れている私たちのところまで届く。さらに衝撃は部屋全体に伝わり、天井も崩壊を始めた。瓦礫が落ちてくる。慌てて躱したところで気づいた。敵の姿がない。
「きゃああ!?」
カガリの悲鳴。崩落の音ではっきりとはわからなかったけど、何かが壁にぶつかる音がした。
「カガリ!」
私はすぐにカガリの元へ走った。そして壁にもたれるようにして倒れているカガリを見つけた。彼女は血を吐きながら咳き込み、ぐったりとしていた。意識も朦朧としているようだ。
「しっかりして!」
肩を揺するが呻き声をもらすだけで、気を失いかけている。焦点の合わない瞳をなんとかこちらに向けようとしてはいるが、うまくできていなかった。
「みんな大丈夫か!」
別の場所でシーラの声がした。さらにアレンが私たちを見つけ、来てくれた。
「二人とも大……カガリ!?」
「まだ生きてる。でも、かなり危ない。たぶん、敵に狙われたんだ」
「奴は今どこだ……?」
「たぶん、シーラと戦ってる。加勢しないと」
敵の白い炎はまだ健在だ。敵本体と同時に警戒しないといけない。さすがのシーラでもそれは危ない。
「アレンはカガリを守ってあげて」
「あ、おい!」
《解析眼》を頼りにシーラの元へ急ぐ、崩れた地面と上からの落石のせいでまっすぐに進めない。視界も悪い。
「いた!」
シーラは無事だった。炎に当たらないよう距離を保ちながらひたすら回避に専念している。とはいえかなり分が悪い。私は落ちている瓦礫の破片を拾うと敵に向かって投げた。敵は見ることなく手で弾く。
「シーラ!」
一瞬とはいえ片手を使えない、その隙をついて数発銃を撃った。至近距離からの銃弾はやはり炎の前に防がれた。だけど攻撃の手は完全に止まった。シーラは敵の横を掻い潜って私のところまで来た。
「ありがとよ。あのままじゃお前とお揃いになっちまうとこだったよ」
「こんな時でもそんなこと言わないでよ……。それよりも下がるよ。こんな状態じゃ、ばらけた方が危ない」
「そうだな。視界も足場も悪くてやってられねえよ」
お互いに頷き、アレン達の所へ戻る。カガリは意識ははっきりしてきたみたいだけど、動けないみたいだ。
そして私たちの前にグレンが現れた。崩れゆく部屋の中で再び正対した。おそらくこの戦いはもう決着がつく。私の体を蝕む灰は首元まで届いていた。左腕を動かすのが少しぎこちなくなってきた。
もう賭けるしかない。私は大きく息を吐くと、皆を背に、彼の前に立った。
「ねえ、一つ聞いてもいいかな?」
私はグレンへ声をかけた。
「ふむ、なんだ?」
すんなり返事が来た。時間のない身としてはありがたい。
「おまえ以外の獄王もこんなすごい力持ってるの?」
彼は『炎獄』と名乗った。だけど、ウィーネさんの話では他にもいるとのこと。その一人一人は果たしてどんな力を持っているのか……。
「我もあまり詳しくはないが、我らの呪はかなり個人差があるぞ。……しかし、なぜそんなことを聞く?」
「そりゃ、もし戦うことになったら参考にするために決まってるでしょ!」
「………それは本気で言っているのか?」
相手の本気で驚いた声。この戦いが始まって初めてのものだった。
「もちろん。そうじゃなきゃこんなこと聞かないよ」
「ハハハハハハ!! 既に満身創痍の身であり、さらにこの炎呪を受け、残り幾許もない命の身にも拘わらず、お主は未来を見ておるのか。我に勝つ未来を!」
面白い! 敵はそう叫んだ。そして今までにない笑みを浮べ、胸の前で拳を撃った。その動作に合わせて彼の魔力が増幅する。白い炎は彼を包むようにその勢いを増し、そうして大きな火球を創り上げた。頭上に燦然と輝く白き炎。少しでも触れればこの左腕のようになってしまうだろう。
「お主のその自信、まだ我に対抗する術を持っているということであろう。ならば来い! お主の全力、我がしかと受け止めてやる。その上で我が撃ち破ってみせよう!」
私はポケットから魔石を取り出す。そしてそれを強く握りしめる。魔力が流れ込み、気持ちも落ち着いていく。大きく深呼吸をし、白炎の前に立つ。刀は鞘に収めている。もう必要ない。必要なのは臆せぬ勇気と私の努力。
「覚悟!」
私は走った。相手もまた火球を私に向けて放つ。その上で自らも私に向かって駆ける。
右手を前に掲げ、魔力を高め、そして叫んだ。
「―――ぁああああ! 《筐ノ世界》!!」
瞬間、グレンを囲うように透明な壁が現れた。だけどどちらも止まらない。先に火球が壁に衝突した。衝撃が体全体に伝わる。腰を落とし、踏ん張る。少しでも加減を間違えると魔法が破れ、火球に飲まれてしまうだろう。それは私だけじゃなくて後ろのみんなも……。
「あ、ああああぁぁぁ! 弾けぇーーー!」
あらゆるものを反射させる壁を作る《筐ノ世界》。しかもその範囲を指定でき、適当に反射させることも精密に反射させることもできる。それ故に多大な魔力と力加減が必要となる。あの空属性について書かれた本にも扱いが難しいものの一つとして挙げられていた。
そして今、バチバチと音を立てながら火球と《筐ノ世界》がぶつかり合う。さらにそこへグレンが渾身の一撃をぶつける。
「くうぅぅぅ―――! 負けるかぁ!」
重い衝撃が全身を駆け巡る。でも、相手も殴る度に自分にダメージが返ってきているはずだ。こうなったら我慢比べだ。最後まで立っていた方の勝ちだ。
「ハ、ハハハハ! 面白い! 我と我慢比べと来たか……。受けて立つぞ。たとえこの拳が砕けようとも、この身が果てようとも我は負けぬ。打ち砕いてやろう!」
攻撃の勢いが増す。抑える力を強める。腕が切れ、血が飛び散る。圧されるように体が後ろに下がる。このままじゃやばい。左手に握っていた魔石からの力が弱まっていくのがわかる。
「――――あぁっ!」
魔石が砕けた。一気に圧が増した。魔力を制御できない。
嫌だ……。負けたくない! 絶対に勝つ! 勝ってみんなと帰るんだ……!
血を吐き出す。目の焦点が合わなくなってきた。
それでも……。それでもやめるわけにはいかない。
「えっ……?」
不意に肩に何かが触れた。ふっと見ると、アレンが立っていた。
「しっかりしろ!」
こっちはきつい思いをしてるというのにかける言葉はそういうのか……。手厳しいな。でも、下手な慰めよりはよっぽどいいかも。私負けず嫌いだからなー。
「……ありがと」
もう一度力を込める。最後の力を振り絞った。そして強い衝撃がぶつかる。
「あああああぁぁぁぁぁ!」
衝突し合うグレン、火球そして私の魔法。それはついに大きな輝きを放ち、そして
爆ぜた。




