芦野春飛失踪事件・解決
透明な壁の中で、相棒が、怜斗が、目を見開いたまま、何度もナイフに刺されながらも、全く動かなくなる。
連日の春飛の説得で尽きていた気力が、危機感によって呼び戻され、気付けば俺は腹の底から叫んでいた。
「怜斗ッ!!」
「嘘……や……」
「どれだけダメージ受けても死なないって言ってたじゃない! 起きなさいよぉぉっ!」
壁の中では、相変わらず、黒いオーラを纏った春飛が怜斗の体にナイフを突き立てて喜悦に浸っている。
何度もヨーヨーで壁を叩くが、壁の中に入ることは愚か、壁を壊すことも、傷ひとつつけることはできない。
……声は通じるんだよな。壁の中の春飛に、怜斗をそれ以上傷付けることをやめるように呼びかける。
「春飛、やめやがれ! お前、ホントにそんなことしたいと思ってんのか!?」
《可哀想可哀想ッ!! アハハハハッ!!》
「自分が可哀想って思われたくないって、それだけなんだろ!? こんなことしたいって、本心で思ってるワケじゃねぇだろうが!?」
《キャハハハハッ、ハ、ハハハハハハ、キャッハハハハハハハハハハハハハ!!》
「……何ですか、これ……」
「春飛!?」
完全に黒い影と化してしまった春飛から、正常な春飛が分離して、怯えて後ずさった。
影春飛は、ナイフ連打をやめて春飛を一瞥すると、口の端だけを歪めて笑った。
《何ですか、って? これがワタシの、あなたの、やりたいことじゃないですか……》
「違います、こんなの……こんなこと思ってない……!」
《『あんな親、いつか殺してやる』》
「っ……!?」
悲痛な顔を浮かべ、頭を抱えて蹲った春飛に、影春飛がゆっくりと歩いて距離を詰める。
《『私のことを嘲笑う奴ら、ゲームみたいにナイフで滅多刺しにして殺してやる』。
『みんな殺したい』。
『幸せなガキとか死ねばいい』》
「やめて……そんなこと言ってない……」
《いいえ言いました。全部ワタシの、あなたの、口にした言葉です》
「助けて! 誰か……誰かぁぁ……」
《知ってるくせに。誰も助けに来ませんよ》
ナイフを撫でながら、影春飛は怯えて泣く春飛に向かって歩みを進めてゆく。
俺は焦って、周囲を見渡した。俺と同じように壁を撃ち続ける世葉の姿があるだけで、この状況を打開できる手段は見当たらない。
何か……何かねぇのか、春飛を助ける方法……!!
《親にも見放され、周りの人たちには憐れみの目を向けられ遠巻きにされ。今まであなたを助けた人なんかいない》
「あ……あぁ…………っ」
《あなたは誰からも助けてもらえない。だからゲームの世界で1人で生きようとしたのに……それすら放棄したあなたには、もうどこにも居場所はない》
「う、うぅ……うあああああぁぁん!!」
《孤独に死んでください》
「させるかよッ!!」
倒れている怜斗が、叫んで影春飛の気を引きながらメリー電話のボタンを押したのを見て、俺は思い切り壁の中へ飛び込んだ。
チートが解除され、壁が消滅する。
俺は影春飛に向かって魔法攻撃を撃ちながら走り込む。
《何をっ……!?》
「春飛に触んじゃねぇぇッ!!」
《ぐっ!!》
魔法の防御に手間取っていた影春飛の隙をついて、思い切りヨーヨーで吹っ飛ばし攻撃をぶち当てる。
体勢を崩さないまでも、数メートル後ずさった隙をついて、動けないままでいる春飛を抱きかかえる。
「世葉、津森! 影の方任せんぞ!」
「分かってるわよ!」
「早く安全な場所に!」
部屋の端へと走りながら、俺の腕の中で丸くなってすすり泣く春飛に、精一杯の笑顔を見せる。
「大丈夫だ、春飛」
「……斗月さん、わたしっ……」
「ガキは間違えるもんさ。気にしなくていい。あと……」
部屋の隅に春飛を下ろし、頭をポンポンと撫でる。
あの夜、倒れていた春飛を助けたときに、「一緒に暮らそう」だなんて言葉が口をついて出た理由。今まで自分でも分からなかったけど……今この瞬間、形になった。
久しぶりに、ちゃんと春飛に頼ってもらえて、この13日間の疲れが全部吹き飛んだ。微笑みを浮かべて、俺は春飛のヒーローになるため立ち上がる。
「俺を、お前を助ける人間ってヤツにならせてくれ」
これが最後の戦いだ。
あの影を倒して、春飛を救い出したら、思いっきり眠ろう。そんな間抜けな決意を抱く自分を笑いながら、俺はヨーヨーの持ち手を握り直した。
#
「ったく……無茶なことばっかして! ホントムカつく、一回死ねば!?」
「いま俺、10回くらい死んだ気分だけどな」
夏矢ちゃんに回復してもらい、立ち上がる。
ナイフで刺されて麻痺していた感覚も、やっとこの手に戻ってきた。手始めに木刀を一振りして、飛んできた『魔弾手』を弾く。
再集結した4人で、影春飛の前に並ぶ。いずれも臨戦態勢だ。
《…………ゲームの世界でもうまくいかないなんて、最悪です。鬱です。ああ可哀想、可哀想、ワタシって、あなたって、とぉぉっても可哀想ッ!!》
「おい。可哀想だと思われたくないんじゃなかったのか? なに自分で可哀想とか言ってるんだよ」
《アッハハハハハ!! 可哀想、可哀想ですっ!!》
「……聞いてないわよコレ」
「本物の春飛ちゃんを好き勝手するのもここまでや。偽物には消えてもらうで」
「正直、眠すぎて限界なんだよ。とっとと死にな!」
斗月が特級熱魔法の『ザ・サン』を発動し、やたらと派手なエフェクトを伴った小さな太陽が、影春飛に向かって落とされる。
9999ダメージ。
《あぁああああああああぁぁぁああぁあぁッ!!》
「……事件解決、お疲れ」
悲鳴をあげて、影春飛がドロドロに溶ける。飛び散らかされた黒いスライムのような、影春飛の残骸だけがそこに残った。
長い戦いが終わったことに安堵し、俺は木刀を払うと、自分の鞘に納めながら、影春飛がドロップした金を回収しようと死骸に近付く。津森さんと夏矢ちゃんも、それぞれ溜め息を吐いたり拳銃の手入れをしたりしながら近寄ってくる。
その時だ。
《…………『LOAD』》
「!?」
残骸から声がして、一瞬のうちに影春飛が蘇った。
まるで、そう。
ゲームのセーブデータを、ロードしたように。
《チートスキル『逆行のセーブ&ロード』です。そして……》
「危ねぇ、離れろッ!」
しかし、俺の大声の警告は手遅れだった。
《『拒絶のプラネタリウム』!!》
影春飛から離れた場所にいた斗月と春飛を残し、俺たちは全員、そのチートスキルに飲み込まれ……『前の状態に戻された』。
どんどんと縮んでいく体に悲鳴を上げているうちに、俺たちは完全に子供化してしまった。
#
「怜斗!? 世葉と津森もかよ、おいッ!?」
影春飛の足元で、怜斗たち3人と思しき子供が喚く。
ごめん、とか、どうにかして、とか、意味のある言葉を言っているから、たぶん意識はあるんだろうけど……戦闘能力は皆無だろう。
復活した影春飛は、子供たちを見下して肩を震わせると、今までで一番の高笑いを、この部屋に大きく響かせた。
《キャハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!
可哀想、可哀想可哀想かっわいそぉぉ……❤︎ みんな私より可哀想になっちゃいましたね! キャハハハハハハッ!!》
「そ、そんな!」
「……大丈夫だ、春飛」
またかよ……こんなヘロヘロの俺一人でどうしろっていうんだ。
そんな弱音を、守ると決めた春飛の前で言うわけにはいかない。俺は深呼吸して覚悟を決めると、影春飛に言葉を飛ばした。
「普通に魔法とかで殺しても、また『LOAD』とか言って復活するんだよな」
《キャハハッ、察しがいいですね!》
「はは。……察しが悪ぃから、お前みたいなモン出しちまってるんじゃねーか」
「……斗月さん」
津森のときのことを思い出せ。
あのとき……怜斗にあとから聞いた話では、たしか、怜斗が津森の心を揺さぶると、蝿にも変化が生じて、それで突破口が開けたとか言ってたっけ。
このままじゃ、また無限ループだ。俺の演説力で春飛の心を動かせるかどうか不安だが、やるしかない。
俺の背中に隠れている春飛の頭を撫でて、どちらの春飛に対しても語りかける。
「……親に捨てられたとか、周りから可哀想な目で見られてるとかさ。お前ら、散々不幸自慢聞かせてくれたな」
「えっ……」
《そうです。ワタシは、春飛ちゃんは可哀想ですから……》
「俺も、不幸自慢にはけっこう自信があんだよ」
思い出すたび、どす黒い気持ちになるけど。
春飛は俺を信じて、過去を曝け出してくれた。遅くなってしまったが、俺もそれに対して、自分の過去を明かさなければ。
「俺は昔、田舎に住んでた。昔つっても、中学2年までな。パチンコとかやべー仕事とかばっかりして、母親に一回、愛想つかして逃げられるような父親との暮らしだったけれど、幸せだった。
永未っていう、幼馴染がいたからだ」
《へー。エロゲの主人公みたいですね》
「18禁ゲームはするなっつったろ? ……まぁいいや」
まぶたを閉じる。あの日の永未の泣き顔が、まだ忘れられない。
「ある日、俺の父親は……永未の父親を殺して捕まった」
「…………えっ」
《………………》
「そのあと、芋づる式に出るわ出るわ。あのクズ、今まで3人殺してて、永未の親父さんは4人目だったんだ。
オカンが、どうにか俺を守ってくれて、警察でいろいろバタバタしてたけど俺は早々に元の暮らしに戻れた。俺は殺人鬼の子供として、嫌われるでもなく、ただ遠巻きに『可哀想』と言われた。
永未の親父さんは、田舎に出来たデパートの店長で、元から小さな店で商売していた人たちに嫌われてたから、『因果応報』とまで言われた。当然、永未の耳にもそれは届いてただろうな」
伊達眼鏡を外し、ゆっくりと閉じて、そのままポケットにしまう。どうせゲームなんだし、雑に扱っても壊れることはないだろう。
歯を食いしばって、小さく息を整えてから。続きを話す。
「そんな100%被害者の永未が、みんなから『可哀想』がられて自暴自棄になってた俺に、手を差し伸べてくれた。なのに俺は、それすら信じられなくて、ひでぇこと言って……」
《…………》
「殺人鬼の苗字、『春原』を捨てて、こっちに移ってきた。オカンが新しくくれた、霧の中で小さな希望を見つけられるように、って意味の『希霧』が、新しい俺の苗字になった。
田舎でのことは全部忘れたフリして、怜斗たちと遊びまわったよ。人殺しの親父のことも、俺を逃がした後に疲れ切って入院しちまったオカンのことも、何もかも忘れたフリしてな」
だけど。
俺はひとつ深呼吸を入れて覚悟を決めると、春飛の手を取り、影春飛に向かって歩く。そのまま、もう片方の手で彼女の手を握る。
春飛と影春飛……いや、もうひとりの春飛は、どちらも泣きそうな顔で、俺の目を見上げている。
「だけどさ」
《………………》
「………………」
「あの日、路上に倒れてたお前を見て、そして、お前が言ってくれた過去を聞いて、放っとけなかったのは。初対面の女子小学生に、一緒に暮らさないかなんて言葉が出たのは……。
未だに忘れられてないってことなんだろうな。春原斗月を、お前らに重ねちゃってたってことだろう」
手を放し、2人の頭を乱暴に撫でる。
いつものようにポンポンと撫でるのもいいけれど、こうやって髪をクシャクシャにしてやって、目を瞑って慌てる2人を見るのも、可愛くて面白くていい。
「どうだ? 俺のこと、可哀想って思ったか?」
《…………ワタシよりも》
「…………可哀想って……正直、思いました」
鼻で笑ってやる。
そして、2人の肩を持ち、2人いっぺんに……陰も陽も、春飛のすべてを、抱きしめる。
「バーカ。可哀想なのはお前らだ。
そりゃ、親父が捕まった時なんかは、お前らより酷い状態になってたけどさ。俺はもう、自分のこと可哀想なんて思っちゃいねぇ」
「……なんで、そんな」
《なんでそんなに強くなれるの!?》
「…………」
《だって! ……ラクじゃない!
自分は可哀想だって、周りより条件が悪かった、初期手札がサイアクだったって思った方が! 最初から勝てない負けイベントだったって思う方が…………!》
もうひとりの春飛が流した涙が、彼女の影を洗い流す。全身を陰に包まれていた彼女は、その身から影を消して、春飛と瓜二つの姿を露にした。
春飛が、もうひとりの自分の言葉を引き継ぐ。
「自分は最初から人生詰んでるって思う方が、傷付かなくて済むじゃないですか!
……それを、斗月さんが私を外に出したりなんかするから……! 今までなんともなかった、他の親子を見るだけで、惨めになって! 思い知らされてっ!」
「《自分が可哀想なヤツだって思っておけば、何も望まなくて済むのに!!》」
声が揃う。
表の春飛も、裏の春飛も同じことを言うってことは……やっと引き出せた、これが彼女の本心で、本質なのだろう。
「そのまま死ぬのかお前ら!?」
だからこそ……叱ってやらないと。
俺は、春飛を守るって決めたんだから……間違ったことは、正してやらないと。
「そんな卑屈な考え持って、この先70年80年って生きるのか!? 自分は可哀想だから、可哀想だからって、不幸自慢ぶら下げて、ちょっと頑張って手ェ伸ばせば掴める幸せも諦めて!?
本当に自分が可哀想だと思うなら死ね!
何も欲しいものが、やりてぇことが無ェなら死ね!」
「《…………》」
「《死ねない》」
そうだ。
「《……死ねない!》」
そうだ。思い出せ。
お前には、欲しいものも、やりたいこともあっただろ?
「《ペル〇ナ6がやりたい! スプラ〇ゥーン3がやりたい! ド〇クエ12がやりたい! ファイ〇ルファンタジー16がやりたい!!》」
「そんだけか!? 俺がどんなゲームでも何本でも買ってやるっつってもか!?」
「《テイ〇ズも……ス〇ロボもフェ〇トも龍が〇くも!!
出るか分からないけれど、ダン〇ンロンパだって、いけにえと雪のセ〇ナだって、アンダー〇ールだって、まだまだ次回作があるならやりたい!!》」
「ゲームだけか? お前らの死ねない理由、生きたい理由は!」
「……私を捨てた」
《最低なクソ親ども》
「それだけじゃない」
《そんな横暴許した裁判》
「めんどくさそうにタライ回しにした親戚」
《私のことを可哀想だとか言った奴ら》
「《……全員、見返してやる!!》」
春飛が、1つになる。
自分の欲望を受け入れて、『決意《Determination》』を抱いた。
しかし、これだけでは黒幕さんは終わらせてくれないようだ。春飛が影を受け入れたというのに、部屋の中央に、再びガメオベーラが出現する。
《前になんか進ませませんよ……決意なんか抱かせない。あなたはここで、このゲーム世界で、永遠に自分を可哀想がり続けるんですよォォッ!!
何度倒されても、決意《LOAD》するこの力で!! キャハハハハハハッ!!》
「チッ、今の状態の俺一人じゃ……」
「やれます」
「春飛?」
春飛は、子供になった怜斗のそばに落ちていたメリー電話を拾うと、まるで最初から自分の所有物であるかのように、それを軽やかに操作する。
悪役のように、春飛はいやに口角を釣り上げてニヤリと笑う。それはまるで、影を帯びたもうひとりの春飛のようだった。
「チート使いにも負けないために、チートの破り方は心得てあるんですよ。ふふ、随分安いプログラムですね!」
可愛らしい指が送信ボタンを押下した瞬間、ガメオベーラの体を虹色の槍が貫き、『LOAD』という文字がひび割れて消滅した。
《……ッ!? なにが起きて……!!》
「あなたのチートを全て無効化しました。どうぞ、LOADなんかする暇なく死んでください」
《こ、こんな……! ガキごときに、チートプログラムが……ッ!!》
「斗月さん! 敵の能力全部下げときました、トドメ刺しちゃってください!」
「ありがとよ!」
ヨーヨーをくるくる回して、春飛とお揃いの悪どい笑みを浮かべて、ガメオベーラに近付く。
《ヒッ…………ヒィィ!!》
「……どんなに今が『可哀想』でもよ。幸せな未来を描いて、それに向かって近付くことはできるんだ。前さえ向いてればな」
渾身の力でブン回す。
もう迷ったりしない。逃げないし、やりたいようにやってやる。
「お前いると前見えねーからさ。……ちょっと死んどいてくれや」
《ウガァアアアアアアァァアアァァァアアアア!!》
正真正銘、何千何百回繰り返したか分からねぇタイクツな戦闘が、ようやく終わった。
こんな俺でも、救えたんだ。
振り向いて、春飛とその喜びを分かち合おうと微笑んだ瞬間……なんか、頭の上で糸が切れたような感覚がして、俺の目の前が真っ暗になった。