芦野春飛失踪事件 そのN
「……斗月は?」
「…………」
夏矢ちゃんは黙って、唇をぎゅっと結んで、首を横に振る。
俺はそのまま、目線だけを横にずらした。
それに気付いた津森さんが、元から全然進んでいない食事の手を止めて、夏矢ちゃんと同じように首を振った。
「春飛ちゃんのためとはいえ……まさか、2週間も休むだなんて……」
「…………」
違う。
1週間と6日だ。
あの日から2週間経ってしまったなら……春飛は、もう助けようがないことになってしまうから。そこだけは間違えてはいけないから。
とは、言えなかった。
その救出期限を知っているのは、俺と斗月だけだから。
そしてその情報は、黒幕と直結するから。俺が、黒幕から教えてもらった情報だから。
春飛がこの世界を見捨て、ゲームの世界に籠ってしまった6月9日から、1週間と6日が過ぎた。今日は6月22日、月曜日。
あの日は、深夜まで……もっと言えば、早朝ギリギリまで、何度も春飛と、ガメオベーラと戦った。あの日だけで50回は戦ったように思う。
こっちにはチートがあった。春飛も、現実世界とゲーム世界との間で連絡が取れなくするくらいのチートはできるようだったが、かといって、それも俺がプログラムを書き換えれば打ち消すことができる。
楽勝だった。
だが、何度惨敗しても、春飛は負けを認めはしなかった。
《斗月さんたちが諦めてくれるその『n回目』まで、私は何度でも繰り返します》
こっちが負けている気分だった。
10回目を越えたあたりからは、基本的にノーダメージで倒せるようになってきたというのに。SPやアイテムの消費無く倒せたことも、2回3回あったのというのに。
文字通り、春飛は何度でも繰り返す。
2日目以降は、戦闘はほとんど作業だった。春飛も、もはや真面目に戦う気がないようにすら思える。
日曜日は1日中戦った。1000戦1000勝はとっくに超えていたと思う。
生身の人間が創り出したモンスターとはいえ、ガメオベーラもモンスターであるから、勝つたびに経験値が手に入った。中ボス級の経験値が、1000回手に入った。
昨日、俺たちのレベルは150を超えた。ガメオベーラは適当に魔法とかを使えば一撃で倒せるほどだった。
それでも春飛は、嫌な顔ひとつせずやり直した。ガメオベーラを蘇らせた。
倒しても倒しても、説得しても説得しても、何度俺たちがぶつかっても、春飛はその全てを躱した。
やり直しているのは俺たちの方だった。
斗月はといえば、この1週間と6日間の間、ずっと家に籠っている。
生命を維持するのに必要な水分と栄養だけを補給するために現実世界に戻ってくる以外は、全ての時間を、春飛と戦うために費やしていた。
だから当然、学校には来ていない。今日も。
全ての言動をのらりくらりと躱す春飛でさえも、斗月のその執念に対してだけは、困惑して動揺を隠せずにいるようだった。現実で死にそうになりながら、ゲーム世界でフラフラになりながらも、何度も終わらない戦いをやり直すその執念に。
「……お前らは……普通に学校行ってろ。俺もすぐ行くから」
すぐ行く。
そう、毎回斗月は、次が最後の一回になるようにと願いながら、ガメオベーラを倒し続けている。
……どれだけの回数ガメオベーラを倒そうとも、春飛の考え方自体を変えるきっかけが無ければ、春飛は帰ってこないと。
頭の中では、理解していながら……。
「怜斗、いつまでも隠し通せると思わないでね」
突然、夏矢ちゃんからそんなことを言われた。
今にも胸倉を掴まんとする殺気を、瞳の内に秘めている。
夏矢ちゃんが何のことを話しているのか。当然、俺があの日に知っていることを明かした、数々の情報についてだろう。
何故、ガメオベーラを攻撃しても春飛に危害が及ばないことを知っていたのか。
何故、仲間の与り知らぬところで、1人でチートを使えるようになっているのか。
その2つの何故の答えは、当然、俺が黒幕と接触したからなのだが……そんなことを言えるわけがない。それは言えないのだ。
「門衛くん。春飛ちゃんが2週間も閉じこもってる、こんな状況でもまだ隠さんとあかんくらい、その秘密は大事なものなん?」
「……ああ、大事さ」
「子供っぽい質問やけど、どのくらい大事?」
「命がかかってる」
……もちろん、それは春飛も同じなのだが。
今日の最終期限で、春飛を現実へ連れ帰って来なければ……春飛は、ほとんど生物的に『死ぬ』。春飛自身はゲームの世界で生き続けているつもりでも、それは死亡と同義である。
肉体データが消え、再生不可能になって、完全に電脳生物となってしまうのだ。元からトゥエルブスターオンラインのキャラクターであったことになってしまう。
それだけは、避けねばならなかった。
だけど、黒幕との事情は……絶対に、言えない。
「……今日こそ春飛を助ける」
「それ言うのも何回目かしらね」
「夏矢ちゃん……」
「怜斗。何を怖がってるのか知らないけれど……これで春飛ちゃんが取り返しのつかないことになったら、一生許さない」
仲間内に生まれた不和から、そして中学時代から連なる不和の連鎖から目を逸らすように、俺は席を立った。
こちらを睨む夏矢ちゃんと、心配そうに俺たちの顔を交互に見る津森さんに、俺は内心でだけ謝った。色々なことを隠している今の俺が、声に出して謝ったところで、何も響かないと思った。
久しぶりに、チャイムが鳴る前に食堂を出たから、空がよく見える渡り廊下を使って帰ることにする。ここにはよく、日々が来ると知っていた。
案の定、日々は空を見ていた。
手すりにもたれ、空に向かって手を伸ばしているだけで危なっかしい。彼女は俺に気付くと、控えめな笑みを浮かべて、俺の顔を覗き込んできた。
「やあ。……なんだか最近、大変そうだね」
「そう見えるか」
「まーね、小学校からの付き合いだし。それに、いつもの怜斗くんなら、『そう見えるか』なんてカワイイこと言わずに、オタクっぽい憎まれ口の1つでも返してくれたんじゃないかな?」
「…………日々は、さ」
「うん?」
「誰かに隠し事してて、辛いって思ったこと、あるか?」
彼女の隣で泣きそうになる自分を、情けなく思った。頬杖をつくフリをして、日々から顔を隠す。
日々の頭が揺れるのが、腕の隙間から見えた。
「隠し事してる俺が悪いんだけどさ。でも、その秘密をバラしてしまうと、今度は他の人のことを裏切ることになるんだよ。……板挟み、っつーか」
「まぁ分からないでもないかな。私も、仲のいい友達に、ついに転校するまで病気のことを隠してたときは、どうしようもなく胸が痛くなったよ」
「…………」
「でもさ」
流れを断ち切るような、不自然に明るい声だった。
「正直に全部言うのだけが優しさだけじゃないよ、きっと」
「優しさ……か」
「そう。怜斗くんの事情はよく分からないけれど、何かを隠すことで、他の人が少しでも助かっているのなら、それもきっと優しさだよ」
「………………」
「知っていること全部をぶちまけたら……きっと、すぐに人間関係なんて壊れちゃうんじゃないかな。なにも悪意があって隠してるワケじゃないんだからさ、胸張って、気に病まないでいようよ」
胸を張って……か。
すっかり黙りこくってしまった俺に、「そろそろチャイム鳴るよ」とだけ言って、日々は教室へ戻って行った。声を出したら涙が零れそうで、返事ができなかった。
今度、ありがとうくらい言わないとな。
情けない自分を笑って、だけど胸を張って。俺は、チャイムと共に教室に戻ると、授業そっちのけで春飛を説得する方法について考え始めた。
#
斗月の家に集合した俺たちを出迎えたのは、二垣さんと三好さんだった。
2人とも、どうにか警察側に掛け合って、封鎖されている状態の斗月の家に、俺たちが入ることを許可してくれている。また、栄養補給のために現実世界に戻ってくる斗月のために、食事を用意するなどの世話をしてくれているようだ。
「……お前の話では、今日がラストチャンスらしいな」
「…………はい」
「絶対に連れて帰ってくれ、お願いだ」
……当然だ。
春飛を死なせるわけにはいかない。現実に絶望したまま、二度とこっちに戻ってこれなくなるなんて、そんなことにはさせない。
俺たちは、この13日間毎日したように、春飛の部屋のパソコンの前に立ち、ゲームにログインした。
#
天空城ポルトヴェネレの屋上には、うつ伏せに倒れた斗月と、生身のままそれを見下ろす春飛だけがいた。
俺たちに気付いた春飛は、チッと舌打ちし、すぐにガメオベーラを出現させると、ノイズのかかった声で無気力に言う。
《凝りませんね……斗月さんほどじゃないですけど》
「希霧くんっ!」
津森さんが、倒れている斗月に駆け寄る。
意識を失っているのではなく、ただ戦闘不能になっているようだ。夏矢ちゃんが新月の十字架を与え、津森さんが回復魔法を施すと、斗月は満身創痍ながらもなんとか立ち上がった。
足元はフラフラしているし、目の焦点も合っていない。顔色も悪い。
それでも斗月は、「ありがとな」と笑って、ガメオベーラの方を見上げた。
「…………春飛、頼むよ、なぁ……戻ってきてくれ」
《……っ。どうして、どうしてあなたは……!》
「俺のことが嫌いでもいいからさ……頼むよ……」
《う…………うああああああああああああっ!!》
涙声の咆哮。ガメオベーラの巨躯が、斗月を襲う。
「危ない!」
しかし、夏矢ちゃんがアイシズリッドを当てると、ガメオベーラは逆方向へ吹っ飛んでいった。レベル150を越えた夏矢ちゃんの魔法は、弱点を突けば、巨大ボスをも吹き飛ばす。
一撃でガメオベーラの殻は崩れ去り、中に入っていた春飛が立ち上がる。
何度目だろう。この虚しい決着は。
春飛は、あははは、と可愛らしく笑った。
「何万回やっても同じですよ。もう諦めてください」
「何億回言われても諦められないわよ!」
「なぁ、春飛ちゃん、お願い……また戻ってきてもいいから、今日、一回だけ、現実に戻ってきて……!」
「何兆回言われても分からないみたいですね。私にとっては、こっちが現実です」
ガメオベーラの出現。春飛がそれに包まれる。
未だに、春飛を説得するいいアイデアは思いついていなかった。
だけど……《《キーワード》》だけは、分かっている。
「春飛。お前、やたらと『可哀想』って言葉にこだわるよな」
《…………ええ。そう思われたくないがために、私は現実を捨てたんですから》
「可哀想だと思われたくないって気持ちは分かる。みんなにそれを言われて、全部が嫌になるって気持ちも。そして、自分よりも可哀想な存在が欲しいって気持ちもな」
「怜斗……?」
《……何が言いたいんですか》
「俺がお前よりも可哀想なヤツになってやる」
メリー電話を取り出して、電話を掛ける。現実世界の俺のスマホと繋がった。
電話の向こう、斗月の部屋で待機している二垣さんに、一言だけ言う。
「やってください」
《…………分かった。死ぬんじゃねぇぞ》
何やっても死なねぇんだって、これはゲームなんだから。
そんな言葉を自嘲的な笑いの中に閉じ込めて、俺は通話終了のボタンを押した。切り際に、タンッ、と強くエンターキーを叩く音が聞こえて。
「な……壁が!?」
「怜斗ッ!」
4枚の壁が出現し、俺と春飛だけが小さな正方形の中に閉じ込められる。
壁の外側にいる斗月たちの声を、努めて無視し、俺は春飛と相対した。
意味を理解したらしく、悪どい笑みを浮かべる春飛に、同じように挑発的な笑みを浮かべて返す。
「チートを使って、俺とお前だけの、1対1の空間を作った……さらに、俺には最大限の弱体化と、どれだけのダメージや痛みを受けても死なない効果を付けてある」
「……可哀想な怜斗さんを、好きなだけいたぶれるってことですね」
「俺と最高な時間を過ごす気はないか?」
「ふふふ。アンダー〇ールはGルートこそ至高ですよ……ね!!」
生身のまま、春飛は俺の腹部を殴った。
腹の奥へ届き、さらにその衝撃は、じわじわと足の先へ、頭の天辺へ、不快感へと形を変えて届いてゆく。明らかに小学5年生の女子の力じゃない……これは明らかに、ゲーム的補正が大きく入っている。
春飛の姿が大きく歪む。数秒ごとに影を帯びて、点滅しているかのように。
「『魔弾手』! 『中級召喚術』! 『マルド・ギール』!」
足元に飛んできた魔法の弾丸を大ジャンプで躱すと、その上空にゴーラルを召喚される。ゴーラルのハンマーで殴られ、思いっきり地面に叩きつけられる。
殺気を感じ、受け身を取ってすぐに着地地点から離れる。振り向くと、さっき俺が落下した場所には青い槍が深々と刺さっていた。
……逃げ回ることしかできない『可哀想』な俺を、春飛は満面に喜色をたたえて追撃する。丸腰だったはずの彼女は、いつの間にか赤黒いナイフのようなものを右手に握りしめていた。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇぇぇぇっ!!」
「ちょっ……死なねぇにしてもさすがにそれ刺されるのは痛いって!」
「あっははははははは!! MERCYなんてないんですよ!!」
こっちに向かって走りながらナイフを振り回す春飛に向き合い、どうにかバック走で逃げながら斬撃を躱す。
否。
「しねっ」
「っ…………」
最大限まで弱体化されている今の俺に、そう何発も躱せるはずがなく、4秒と持たないうちに、春飛の突き出したナイフが俺の腹部を貫いた。
視界の明暗が反転する。
写真のネガのような景色の中、自分の腹に刺さったナイフを視認した途端に、麻痺していた痛覚が動き出す。
「痛いいいいいいいいいいいい!!」
腹からナイフが引き抜かれ、俺は地面に倒れ伏せる。
……大丈夫。これはゲーム。死なない、これはゲームなんだから死ぬわけない、死なない、死なない……!!
全身から吹き出す汗といくら吸って吐いても収まらない過呼吸を、そう言い聞かせてなんとか落ち着かせる。
四つん這いの状態で辛うじて上を見上げると、春飛はまたナイフを振りかぶっていた。
「可哀想……………………❤︎」
頭。
ナイフ。
…………刺さる。
「ああああぁぁああぁぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁぁぁあああぁあッ!!」
頭蓋を突き破り脳に突き刺さるナイフ。
血は出ないし傷も残らない。だけど痛みだけは本物だ。
頭から亀裂が走って四肢がビリビリに引き裂かれるような、とてつもない痛みの中で、自分の存在が遠ざかっていく感じがした。痛くて悶絶する自分と、それを遠目で見ている自分とに分裂したような。
刺された部分を抑えてのたうち回った末、辛うじて目を開けたそこに、さっきよりも一層笑みを深くした春飛が迫ってきていた。
「可哀想、可哀想!! アッハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
立ち上がれない俺に、春飛は何度もナイフを振り下ろす。
……あまりに現実離れした痛覚に、ついに俺はどこかがイカレたらしく、意識はあるのに、何も聞こえなくて、何も痛くなくて、何も見えなくなってしまった。
「………………かっわいそ❤︎」
『死ぬ』に、最も近い状態に。