芦野春飛失踪事件 その6
怜斗の指示は的確で、弱点属性である冷属性攻撃さえ使えば、ガメオベーラの動きを封じ込めることができるようだ。
俺も、少々危険かもしれないとは思いつつも、接近してヨーヨーで殴る。
アイシズリッドによって生まれる無防備時間を使えば、ただの通常攻撃でもそれなりのダメージを通すことができた。
《ナメないでくださいッ!》
「おおっと……!」
《『拒絶のプラネタリウム』!!》
ガメオベーラは大きいアクションで俺を振り払うと、その肌の色と同じ黒い結界を纏って俺たちを遠ざけ始めた。
触れると何か良くないことが起こりそうな……あの蝿の時で言うなら、触れると即死というチートスキル、『絶望の血潮』のような真っ黒さ。若干トラウマが刺激されて、身震いしながら後ずさった。
ガメオベーラが広げた結界に、プラネタリウムの名の通り、輝く星々が映し出される。
「言うまでもないとは思うが、チートスキルだ……。効果は受けるまで分からん、直撃だけは避けろ」
「そうは言っても、あれに触れない攻撃手段なんて、世葉の銃と津森の全体魔法くらいだろ……!」
世葉が、離れた場所から2発、ガメオベーラに向かって銃弾を放つ。
現在世葉が使用しているこの『エンシスハイム』という銃弾、ゲームなどのフィクション作品には珍しく、発射の際にちゃんと薬莢の中身だけが飛び出すようになっている。
もともと銃弾とは、セットするときこそアニメとかでよく見るあの形なのだが、発射する時には外側の薬莢と呼ばれる外殻が外れ、銃弾の中身だけが飛び出すようになっている。怜斗がこないだやってたダン〇ンロンパでは、まぁデザイン重視だから仕方ないのかもしれないけれど、薬莢ごと飛んでいたな。
ともかく、世葉の発射した弾丸は、発射の際に薬莢が捨てられ、中身だけが飛んで行ったのだが。
『拒絶のプラネタリウム』に触れた瞬間、その弾丸は一瞬そこで停止し、再び薬莢に包まれたのだ。
「は!?」
発射された瞬間に銃身から排出された薬莢。
拒絶のプラネタリウムに銃弾が触れた瞬間、銃弾は再び、薬莢を身に纏った。
そして、また動き出し、薬莢を纏った鈍い回転のまま進み、ガメオベーラの右腕に弾かれた。
「どうなってやがる!? 世葉、薬莢は!?」
「足元に落ちたままよ! 何が起こってるの……?」
《あはははっ! 可哀想、可哀想です! 私よりも可哀想なものができました!》
ガメオベーラは、手を叩いて喜ぶ。おそらく、中にいる春飛も。
可哀想……とは、タイミング的に、あの銃弾のことを言ったのだろうか? 薬莢に再び包まれたというだけで、特に可哀想とは感じないけど……。
何なんだ、あのスキルの効果は?
撃った攻撃が跳ね返ってくる、とかではなさそうだ。試しに、魔法を撃ってみることにする。
「ボイルリング」
炎の輪は、ガメオベーラに向かって飛んでいくが、拒絶のプラネタリウムと交わった瞬間、消滅した。
「くっそ! どうなってんだよ!」
「……弾丸は薬莢が戻って、ボイルリングは消えた……」
「なんで、弾丸は消えなかったの?」
世葉の疑問に、津森は考え込む。拒絶のプラネタリウムを睨んだまま、口元を抑えて。
ふと、津森の目が見開かれたと思えば、津森はアイテムからウォッキを取り出し、瓶の中身を飲み干した。
「お、お前何やってんだ!?」
「私の考えが正しいんやったら……!」
津森は警戒しながら、できるだけプラネタリウムに近付くと、空き瓶を、ゆっくりと転がした。
プラネタリウムに触れた瞬間、ウォッキの空き瓶は……
中身の液体を取り戻した。
「これ……!」
「……このプラネタリウムに触れると、《《前の状態に戻される》》んやな」
「そっか……だから弾丸は外れた薬莢をまた身に着けて、ボイルリングは発射される前のゼロに戻って、ウォッキは中身を取り戻した……ってことね」
では、人間がこれに触れたら?
タイムリープ? 幼児化? はたまた、得体の知れない、『人間の前の状態』に戻される……?
俺は身震いし、叫んだ。
「怖えええええええええええええ!!」
《いいリアクションですね! きゃははっ、可哀想可哀想。もっと怯えた姿を見せてください!》
「い、いやいやいや! 人間の前の状態って何よ!? 胎児!?」
《果たしてどうなんでしょうかね? 概念としての人間の前の段階なんでしょうか、それとも歴史的に遡って猿人類?》
「お前にも分かんねーのかよ!」
《ま、私が確認したのは、『触れたものを前の状態に戻す』というだけですからね。てゆーか……》
ガメオベーラは、クラウチングスタートのような体勢になる。
赤ちゃんがクラウチングスタートを切るとはシュールな光景になりそうだが、そんな冗談を言っている場合ではなかった。
クラウチングスタートは何のために? 当然、走るためだよな。
何のために走るのか?
どう考えても、俺に向かって、体当たり的にプラネタリウムに触らせるつもりだ。
《ダァァブゥゥゥゥゥ!!》
「ぎゃぁぁあああぁああぁぁああ!! こっち来んなぁぁあぁあ!!」
「うひゃあああああ!」
「怜斗何やってんのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
あっ、あのバカ!
世葉の迂闊な叫び声を聞いて、ガメオベーラの動きが止まる。
《ん? 怜斗……さん…………?》
「あ、あーあーっ! 冷凍ピザ食いてぇなーッ!!」
「そ、そーやなーっ! 安くて薄い冷凍のピザにかけるチーズをふんだんに振りまいてオーブンレンジでチンして食べたいなーッ!!」
「めっちゃ美味そう何それ! 今度やってみよ!」
《そういえばさっきから見なかった……! クソッ、迂闊でした!》
「もう完全に気付かれてんじゃねーか! どうしてくれんだ世葉ォ!」
「ご、ごめん! マジでごめん!」
《今更気付いても遅ぇ!》
《!?》
怜斗の声がポルトヴェネレ城に響いた瞬間、俺たちの立っている床にプログラムコードが映し出され、ガメオベーラを包み込んでいた拒絶のプラネタリウムが、弾け飛ぶように消えた。
さらに、プログラムコードが鎖を形作って、ガメオベーラを地面に押さえつける。
《オギャアアアアアアアアアアアアアアア!!》
《クッ……卑怯者ぉぉぉぉぉッ!!》
さらにさらに、俺たちの全ステータスが大幅にアップし、ガメオベーラの全ステータスが大幅にダウンする。
チート効果、ハンパねぇ……! ホントにこれで『レベル1』かよ!?
「よっしゃ、畳むぞお前ら!」
「畳んでいいの? 春飛ちゃんは……」
《むしろ畳んでやらないと危険だ。あんな化物の皮はな》
春飛が身に纏う、全てを拒絶する化物の皮、ガメオベーラ。
怜斗に言わせれば、いくらガメオベーラを殴ったところで、春飛が傷付くことは一切ないらしい。春飛を傷付けてガメオベーラが影響を受けることはあっても。
同化しているように見えて、操っているように見えて、ガメオベーラと春飛の間には凄まじい距離があるのだと。怜斗は専門家ぶるように、あえて専門家ぶることで何かを隠すように、言ったのだった。
「や、やっちゃうで!」
津森が、思いっきり手を前に振って、冷魔法の連弾をガメオベーラに叩きこむ。
どうせ相手は動けない。俺と世葉はガメオベーラに近付いて、それぞれいつものようにヨーヨー連打と魔法と銃撃を行った。
凶悪なまでのデバフとバフで、1発あたりのダメージ量はとんでもないことになっており、ガメオベーラを倒し切るまで10秒も必要としなかった。
《オンギャァアアァァアアァァア…………》
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ガメオベーラが消失して、そこに残ったのは、春飛だけだった。
いや……津森の中にまだ蝿が残っているように、まだ春飛の中には、ガメオベーラが存在するのだろうけれど。
崩れ落ちて呻く春飛に、俺は手を差し伸べる。
「ぐっ……うぅぅぅぅうううぅう……!!」
「春飛、帰ろう」
「斗月さんっ……!!」
だが、返ってくるのは、未だ敵意に満ちた視線だけだった。
差し伸べた手はまたも払いのけられる。
「春飛ちゃん、どうして……?」
「どうしてもこうしても無いですよ! 私が洗脳されてあんなことを言ってるとでも思ってたんですか!? 全部本心に決まってるじゃないですか!」
「本、心……?」
それが本心だ、人間が信じられなくてゲームの世界に住みたいと願ったのは本心だと。
それは、そうだ。
津森の時も、蝿は消えはしなかった。おそらく今もまだ、津森の胸の中で燻り続けているのだろう。蝿は、津森の抱える歪んだ欲望を具現化した存在だと言っていた、歪んだ欲望がそうそう簡単に消えるはずがない。
だから、春飛のガメオベーラも、本心だ。歪んだ欲望だ。
だから消えない。
「放っておいてください、私はこの世界で生きます」
「いい加減にしろ、春飛!」
「斗月、抑えて……」
「いい加減にしてほしいのはこっちですよ……どれだけ否定されたって、この世界で生きたいという私の願望は、欲望は、消えません」
誰の手も借りずにゆっくりと立ち上がった春飛は、顔の前で1回、こちらに手の甲を見せる形で手を振った。
遠近法。小さな手がギリギリ顔を覆い隠した瞬間。
春飛の顔に、また黒い仮面が張り付いた。
「なっ……!?」
「嘘……やん……」
「どういうこと!? ガメオベーラは倒したハズじゃ……」
仮面は膨れ上がる。春飛を巻き込んで膨れ上がる。
「敵をボコボコにして倒せばそいつが改心するなんて……そんなご都合主義、ゲームの中だけですよ。まぁ、ここは斗月さんたちにとってはゲームの世界だから、それで合ってるのかもしれませんが……。
生憎、私にとってはこっちが現実だ」
春飛が笑う。
その年にして、全てを分かってしまったように。分かったつもりになっているだけなのだろうけど、だけどその笑顔は、確信めいていた。
本気で、世界を、人間を理解しきった気でいた。この、芦野春飛は。
《どうしたんだよ? お前ら、なんで戻ってこない?》
「見りゃわかるでしょ!」
「無駄です……怜斗さんの声はこっちには届いてますが、みなさんの声は、映像は、向こうに届きません》
喋りながら、どんどん春飛の声はノイズに蝕まれていく。
膨張する暗闇が春飛を完全に飲み込み切った瞬間、ガメオベーラは、再び俺たちの前にその姿を示した。
《キャハハ! ダブッ、ダァァァアアァアブゥゥゥウウウウゥゥウ!!》
パワーアップも何もなく、ただただ、2度目だった。
俺は、考えのない頭で悟った。
春飛は――
《さぁ、n回目のうちの2回目を始めましょう》
春飛は、自分の求める結末まで、何度でも繰り返すつもりなのだと。
まるで、そう。
あいつの好きな、アドベンチャーゲームをやるみたいに。