アンハッピーシンセサイザ
堺田先生結婚!堺田先生結婚!
そのニュースは7時限目が終わってすぐ他のクラスにも伝わり、その数分後には学校全体にそのニュースが流れた。
祭りである。普段無気力な輪通の生徒たちが、ここまで熱狂してひとつの出来事に大盛り上がりするというのは、なかなかないことだ。堺田先生はあっという間に生徒たちに囲まれ、ちょっとした記者会見が開かれている。
2年1組の前の廊下だけ、早めの文化祭状態。他学年他クラス、さらには他の先生や掃除で通っていた用務員のおばちゃんさえ野次馬と化し、中心の堺田先生はひきつった苦笑いを浮かべるばかり。
かくいう俺も、かなり衝撃を受けた。野次馬のバリケードが張られててもはや教室の外に出ることも難しそうだ。本当は俺も質問しまくりたいのだが、大人しく教室の中でサジと話す道を選んだ。
「まさか、あの堺田先生が結婚するなんてな……」
「言ったろ?僕、あの2人は近いうちにくっつくかもなって」
「やっぱり相手は新橋先生?」
「でしょうよ。うへえー、モ○ハンやってるだけかと思ったら、ちゃっかり結婚相手をハンティングしてたなんてねー」
「……オヤジくせーぞ、サジ」
日々と瀬戸さんが、こっちに来た。どうやら彼女らも同じく、教室から出るに出れない組のようだ。
「あんな人ごみに押しつぶされたら死んじゃうよ」
「……自虐ネタにはもうツッコまんぞ」
「でも気になりますよね、堺田先生の相手って誰なんでしょう」
「お?瀬戸さん、意外とそういう話好きなの?」
「まぁ、人並みには。……ていうか、彼氏が全然ロマンチックなことをしてくれないから、恋愛モノに飢えてるだけかもしれませんが」
「良!?陰口なら陰で言ってくれるかなぁ!?」
サジと瀬戸さんも倦怠期か……。
「ずっと気になってたんだけど、2人ってなんで付き合いだしたの?」
「……匙浪くんの方から、ロクな面識もないのにいきなり告白してきたんで、何度も断り続けてたんですけど……あるとき、不良に絡まれてるのを助けてもらって、カッコいいなと思ってOKしました」
「へぇー。サジ、かっこいいとこあるじゃねーの」
「おうよ!……まぁ、良逃がしてボッコボコにされただけなんだけど」
「……ありありと目に浮かぶな、その光景」
「いえ、でも、めちゃくちゃに蹴り倒されながらも私を守ってくれた姿は、一番カッコよかったですよ」
「お、おお!?当然だ!?こ、これからも守ってやるからな!?」
「……ふふ、じゃあ、お願いしますね」
「こんなとこでノロケられても困るんですけど……」
と、ここで日々が俺の肩をちょんちょん突く。
「ていうか怜斗くん、まだ彼女いないの?」
「なんだその悪意ある言い方!お前だってそういう相手いないくせに!」
「私は入院生活してたからだし?フツーの学生生活送ってればめちゃ○テ委員長だったし?」
「残念だがお前が入院してる間にめ○ゃモテ委員長は終わった」
「知ってるよそのぐらい。いつも病床で『ちゃ○』読んでたし」
「……まだ仮面ラ○ダー見てる俺が言うのもなんだけど、高校生なんだし、そろそろちゃ○は卒業した方がいいんじゃないか」
「いつまでも少女の心を持ち続けたいものだよねぇ」
「少女どころか幼女だと思うんだけど」
と、行数稼ぎ……否、人混みがひけてくるまでの暇つぶしに雑談していたのだが、一向に廊下の外の騒ぎは収まる気配がない。
それどころか、徐々に野次馬が増えて、堺田先生を囲む輪がどんどんと膨れ上がっている有様だ。朝礼よりも集まりがいいんじゃなかろうか。
「祭りだし、ちょっと見に行ってみるか……」
教室の廊下側の窓を開けると、数人の後頭部の奥に、苦笑いする堺田先生のご尊顔が比較的ちゃんと見られた。
先生を囲む生徒たちの顔も一通り見渡せるし、丁度いいアリーナ席ってとこか。
と、視界の奥で誰かが、「はいはーい!」と元気に手を挙げた。
……夏矢ちゃんだ。
「結婚のお相手は誰なんですかー!?」
「し、知ってるくせに!」
なに?
夏矢ちゃんが堺田先生の結婚相手を知ってるだと!?
「どーいうことだ、なんで夏矢ちゃんが知ってんだよ!?」
「あ、クソザコ怜斗さんチーッス」
「誰がクソザコナメクジだアバズレェ!!」
「いやナメクジは言ってないし」
「え、世葉さん、堺田先生の結婚相手知ってんの?」
「教えて教えてー!」
「えっへへー、どーしよっかなー。話しちゃっていいですか堺田先生?」
「い、いいわけないでしょ!向こうにも迷惑がかかるし……!」
野次馬たちが活気づいてきた。
いよいよ記者会見の様相が整ってきたという感じか、生徒たちが各々手を挙げ、俺が先だ私が先だと、質問の機会が与えられるのを待っている。
……ていうか、何気に津森さんも斗月もいるじゃねーか。ほんとうちのパーティはこういうお祭りごと好きだな。俺も人のこと言えねーけど。
「先生先生、プロポーズはどこでされたんですか!?」
「……か、観覧車のてっぺんで……」
「あ、律儀に答えてくれるんだ」
「出産はいつになりますかー!?」
「ノーコメント!まだ籍入れてないのに変な質問しないでよもう!」
「お相手ってどんな人!?センセーのタイプにぴったし!?」
「ええ、硬派な感じで、心強くて……って、何言わせんの!!」
「ええ!?自分からノロケといてそれはないっしょ!?」
「あの遊園地デートのあと、どこか行ったんですか!?」
「津森ちゃんまで!あなたも知ってるのにわざとそんなこと聞かないでよ!?」
「うっそ!?津森さんも事情知ってんの!?」
「ちなみに希霧くんも知ってるで」
「ええ!?誅罰隊で知らないの俺だけ!?」
なんということだ……これが情報格差!
「センセイ、もうぶっちゃけていいんじゃないんですかー!?」
「そうっすよ!」
「気になる気になる!教えてよ先生!」
「だ、だから……言えないって言ってるのにぃ……」
「顔赤くなってる!先生カワイイー!」
「も、もはやイジメの様相を呈してきてないか、これ……?」
「記者会見はすでに『拷問』に変わっているんだぜ」
「た、たすけてー!!もうたすけてー!!」
「おいお前ら、こんな往来のど真ん中で何やって……」
と、新橋先生が、堺田先生の助けを呼ぶ声に颯爽と現れた……のならロマンチックだったのだろうが、ただ偶然通りかかっただけっぽい。
野次馬に囲まれた中心にいる堺田先生と目が合うなり、顔を赤くして固まった。
にわかに野次馬がざわつき始める。
「え、何!?まさか結婚相手って……!?」
「いやいやないだろ、あのカタブツな新橋先生だぜ?」
「でも、こないだ一緒に楽しそうにモン○ンしてんの見たよ?」
「マジかよ……!さすがに新橋先生はノーマークだって!」
「僕、ゼッタイ川西先生だと思ってたんだけどねー」
「川西、なんか知らんけど今学校来てねーじゃん。産休でもあるまいしこれから結婚して家庭を築こうってときに、シゴト休むかよ?」
「カワニシとかどーでもいいじゃんよ!ガチで新橋先生なん?」
「て、ていうか、あんなカオの新橋先生初めて見たわ……」
やたらめったら汗をかいて目を泳がせてあたふたする新橋先生。たしかに、こんなに感情を表に出している先生を見るのは珍しい。
注目の目が堺田先生から新橋先生に移動してゆく。
とは言っても、やはり新橋先生を取り囲んで質問攻めにするなどという恐れ多いことをする奴はいないようだが。
「え、えーと、ごめんなさい、新橋さん…………いや、隆也さん」
…………え、隆也さんって誰?
ていうか、『新橋さん』って……こないだは『新橋先生』って呼んでたような。
その言葉が燃料となって、聴衆たちのざわめきはいっそう喧しさを増す。
「隆也……?だれ?」
「バカ、新橋先生の下の名前だろーが!!」
「え……えええええええええええええええええええ!!」
「堺田先生、新橋先生のこと、下の名前で呼んだってこと!?」
「ヒューッ!!」
「やりますねぇ!」
「う、うわ、マジだったー!?」
ざわめく取り巻きたちの輪を割って、堺田先生は新橋先生の元へと一直線に歩いていき、隣に立つ。
そして、慌てふためく新橋先生に勝手に腕を組ませて、にこやかに開き直った。
「はい!私、堺田奈央子は、隣の新橋隆也さんと、結婚します!」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
堂々とした交際宣言……いや、それすら吹っ飛ばした婚約宣言に、聴衆はざわめくのをやめ、ただただ興奮のままに叫びだした。
新橋先生は肩をビクっと震わせて驚き、堺田先生に何か言っている。
「な、奈央子……いや、堺田先生!学校にいるときはお互い先生同士でって言ったじゃないですか!?」
「でも、こうなっちゃったら仕方ないでしょう?」
「そ、それにしたって……」
「ラークスパーの花言葉は『自由気ままな暮らし』……だったよね?」
「う、うぬぬ……」
「大丈夫ですって。ほら、見て」
新橋先生は、俺たち野次馬の方を向いた。
誰も彼も笑って、叫んで、拍手して、喜んでいる。教師同士の恋愛に偏見の目を向けて蔑む者など、一人だっていない。
やる気のない先生も、いつも真面目で厳格な先生も、学校のことには首をつっこみたがらない清掃員さんも。口元に微笑みをたたえて、新たなカップルの誕生を、素直に祝福していた。
いつしか俺も、隣に立っていた夏矢ちゃんたちと一緒に手を叩いていた。
「生徒も先生も……みんな、祝ってくれてる」
「…………みんな……」
「どうせいつかバレるんですから。どうせなら、早いうちに自分から言って、結婚式にもみんな呼んで、盛大にやりましょう!」
「け、結婚式に学校のみんな呼ぶのは……無理じゃねぇかな……」
「扡炉裏闇の人たちも呼びましょう!」
「け、結婚式に暴走族大挙させるのは……無理じゃねぇかな……」
なごやかな夫婦の会話を邪魔するものでもないだろう。スピード〇ゴンはクールに去るぜ……ともいかないのが輪通学園の野次馬共であり、みんな新橋先生と堺田先生が一言発するたびにヒューヒュー言う始末だ。
ここは小学校か何かか。
「て、ていうか、いつまで野次馬してんだお前ら!先生方まで!」
「若いっていいですなぁ」
「ムカシを思い出しますなぁ」
「奈央子、帰るぞ!もう付き合いきれん!」
「ええー?もっとみんなの前でノロケたいなーなんて」
「かっ、勘弁してくれ!ほらっ、行くぞ!」
「わー、照れてるフリしてナチュラルに手ぇ握ってますよ部長!?」
「写真には撮った。明日に間に合うよう、急ピッチで新聞作るよ」
「新聞部すげぇ!」
「マスゴミの鑑って呼ばれるだけはあるな……!」
「うぅ……明日から学校行きづれぇ……」
そんな悲愴溢れたセリフを残して、新橋先生は堺田先生を連れて帰っていってしまった。
残された生徒たちは、妄想やノロケやいつも通りの『俺にはなんでカノジョができねーんだ!』や……とにかく、当人たちがいなくなってもまだまだ各々祭りを続けているようだ。
「俺らも帰るか……」
「じゃ、今夜トゥエスタで!」
「あいよ。9時頃ラ〇ンで召集かけるから、よろしくな」
俺たちも帰ることにする。
「怜斗くん!私と瀬戸さん、帰りにゲーム屋寄るんだけど、何かオススメ紹介してくれない?」
「瀬戸さんがゲーム?珍しいな」
「ええ、妹が今まで貯めてたお年玉を使って、プ〇ステ4買ったから、何か一緒にできるゲームとかあればいいなって思ってね」
「なるほどな。一緒にできるゲームってなると……マ〇クラとかバ〇オとかかな?俺もゲーム見たいしついてくよ」
「ありがとうございます。あ、匙浪くんも一緒に行きますか?」
「カノジョと一緒にゲーム屋行きたいのは山々なんだけどさ……」
サジは笑顔を引きつらせて言った。
「……このロープ、解いてもらえる?」
………………………………。
「さ、行こうかゲーム屋」
「ちょっと待てェェェェェェ!!なんで授業中に居眠りしただけで椅子に縛り付けられなきゃいけないんだァァァァァァァァァァァァァ!!」
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「ごめんね怜斗くん、わざわざ病院まで送ってもらっちゃって……」
瀬戸さんと日々と一緒にゲーム屋に寄った帰り道、俺は、今日は定期検査があるという日々を、世葉国際総合病院まで送り届けることにした。
「途中で倒れて死なれちゃ、かなわないからな」
「そうだね、絶対死んじゃう自信あるもん」
「……意地悪のつもりで言ったんだけどな」
「小学校のときからけっこう意地悪だったよねー、怜斗くん」
「そうか?」
「そうだよー」
ううむ……俺は小学校時代のことをほとんど朧げにしか覚えてないので、そう言われたらそうかもしれない。
ふと見上げた空は、気味が悪いほどの灰色で、病院まで日々を送る間に雨が降らないでいてくれたことに感謝する。2人とも傘を持ってきてないし、さっきの話じゃないが、日々をずぶ濡れにして風邪でもひかせるわけにはいかないからな。
……6月、梅雨の時期か。
俺は病院の看板を見上げる。世葉国際総合病院。
ちひろさんは……この雨の季節に。そして、その夫である圭堂さんと、娘の夏矢ちゃんも、ひどく落ち込んで…………。
「おっと、久しい顔だね」
「………………圭堂……さん」
自動ドアが開いて、白衣姿の圭堂さん……この病院の院長を務める、夏矢ちゃんのお父さん、世葉圭堂さんが外に出てきた。
「冬目さんも一緒か……そういえば同じ高校だったね。冬目さんは学校に馴染めているかな?」
「ええ、もう友達が何人もいますよ。病院で呼んでためちゃ〇テ委員長のおかげじゃないですかね」
「ナースさんに無理言って、単行本買ってきてもらったんですよね」
「ははは、それはよかったよ。体調が芳しくないようなら急いで検査に移ろうと思ってたんだけど……うん、この様子じゃ大丈夫そうだね。体調も、生活も」
圭堂さんは、その年にしては早すぎる白髪7割の頭をポンポンと叩いて笑った。
……いつもはこんなふうに笑ってみせてくれるけど、心なしか、以前に会ったときよりも白髪が増えている気がする。
「ああ、時に怜斗くん。うちの夏矢が、最近妙に精神患者の様子とかを聞きたがるんだけど、何か知らないかい?」
「い、いえ、特には。父親と同じ道を歩くことにしたのでは?」
「それならとても嬉しいんだけどね……もし危ないことに首を突っ込んでいるようなら、君の方からも言っておいてくれよ」
「はははは……夏矢ちゃんに限って、そんなことないと思いますけど……」
「そう?過保護気味なのかなぁ、やっぱし」
愛想笑いを浮かべる。
やっぱりどうにも……自然に笑えない。
「じゃ、早いとこ検査始めてもらおうか、冬目さん」
「分かりました。じゃあね、怜斗くん!」
「ああ……また明日な」
愛想笑いを貼り付けたまま、病院の中に入っていく2人を見送り……俺は、小さく溜息を吐いた。
曇天が鬱陶しかった。
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二垣は、静かに煙草をふかしていた。
三好と二垣しかいない第3会議室には、吸殻が救いようのないくらいうず高く積まれた灰皿と、むせるような紫煙だけがあった。
「……芦野春飛の所在は?」
「確認が取れたよ。何故か、俺たちのよく知ってる人の家に住んでるみたいだね」
「分かった、じゃあすぐに行こう」
小学生から何らかの手がかりが掴めることを祈るハメになるなんて……。
愚痴を零しながら、二垣と三好は停めておいたワンボックスに乗り込んだ。
6月9日、午後5時を回った頃。
物語は、再び大きな局面を迎えようとしていた。