病弱彼女(現在進行形)。
期間限定イベント、『修練!輝石争奪戦』。
このイベントでは、他プレイヤーとの対人バトルを通して、イベント限定アイテムの『輝石』を集める。輝石を一定数集めると、初期エリア・アバウンドの平原の空に浮かぶ城……『天空城ポルトヴェネレ』というダンジョンに挑むことが可能となる。
そのダンジョンでは、イベント限定の強力な装備品や武器などを入手することができる他に、課金しなければ手に入らないアイテムなんかもゲットできる。
つまり、出来るだけ早く輝石を集め、出来るだけ早くダンジョンに挑戦することがこのイベントの目的なのである。
そして、現在俺もそのイベントの第一段階、対人戦で輝石を稼いでいる真っ最中。
負けても輝石は減らないが、連勝するともらえる輝石にボーナスが付く。これまで俺は、自分よりレベルが高い相手にも連戦連勝してきた。
ま、コントローラーでロボットを動かしてるヤツと、まんま自分の体を動かしているだけのヤツで喧嘩したとして、よっぽどの火力差がないと負けるわけはない。
……ハズ、なのだが。
「サイコ77マグナム、いっけー!」
敵の女アバターが、いかにもな感じに萌えっぽく、上擦ったような声で叫ぶ。
重火器とはいえ、本当にこれがただの武器攻撃によるものなのか。やれやれ、さすが《《ランキング1位プレイヤー》》の装備、アホみたいにチート級だ。まさかこんな奴とマッチングしてしまうなんて、と、俺は自分の不運と運営を呪う。
敵のプレイヤー名は『魔法少女おぶじ☆遠藤』。こんなアホみたいな名前の奴が大手ネットゲームのランキング1位を独占してるとかマジ世も末。マジまじかるー。
どことなく某宇宙海賊の武器の名前を彷彿とさせるなんちゃらマグナムから放出された数十の光の弾丸が、急角度の弧を描いて全方向から俺を狙い撃ちにする。
バック走しながら跳躍すると、俺が立っていた場所一点に、その弾丸全てが撃ち込まれて爆散するのが眼下に見えた。
それ自体を回避するのは比較的容易だったが、俺は、その裏に隠された敵の真意を、本命の攻撃が来るのを読むことが出来なかった。
「魔弾手ぇーっ!」
相手が若干アウトっぽいスキル名を唱えると、彼女の立っている地面がめくれ上がり、弾丸のような形状に削り取られた小さな岩の礫が、俺をめがけて飛来してくる。当然、空中にいる俺に、これ以上の回避手段はない。
ただでさえHPが半分以上削られているというのに、俺のレベルは36、敵のレベルは244。このレベル差であの弾を全弾喰らったとして、生存確率はどう見積もっても0%以上1%未満。
どうにか対処しないと、負ける――!
追い詰められた脳が急速に回転し始め、瞬間的に俺の思考回路が、1つの対処法を閃いた。
正直自信はなかったが、何もしなければどの道YOU LOSEだ。イチかバチか、俺はそれを実行に移した。
「来てくれ、ジェイペグ!」
「了解っ!久々の出番だよ、ラヴクラフト!」
なんか若干メタいことを言いながら、俺に召喚されて登場した小さな虎のパートナーが、禍々しい影の怪物を召喚する。
その影は空間を捻じ開けて、子供の頃見た『ランプの魔人』のアニメ映画のように烟ってうねり、ぐるぐるとまどろっこしい演出を経て、満を持して姿を表す。憎しみや妬みの念が過ぎると人は鬼になってしまうと言うが、この怪物は皮膚が焼け爛れたようにずり落ちかかっているようなシルエットで、人としても鬼としても不完全。
不気味な姿の従順な使い魔は、影を液体のように広げて俺の前に幕を張った。目には目を、弾幕には影の幕を。
影を貫通した岩の弾丸はしかし、完全に勢いを殺され、回転力を失って空中で運動を停止した。
そして、かつてニュートンが行ったピサの斜塔での加速度実験のように、重さの異なる2つの金属球のように、俺が降下するのと同じ速さで地面へと墜落していった。
だが、相手も動いていた。
ちょうど俺の着地地点に立って、重火器の銃口に白い光を集めている。おそらく、所謂『タメ技』というやつを俺が着地した瞬間に至近距離でブチ込もうと考えているのだろう。
とっさに俺も、この重力と体重全てを乗せた斬撃をブチ込んで迎撃するべく、木刀を振り上げる。
重力と重火器。
刀が振り下ろされ、引き金が引かれ、強大な力と力がぶつかり合う――!
ピィィィィィィィィィッ!
……ことはなく。
結局この一戦は、タイムアップで相手の勝利という結果に終わった。
#
手に汗握る攻防に、グッと力を込めていた少女の手から力が抜け、コントローラーが滑り落ちた。
彼女の目に映るゲーム画面に映されたコミカルなフォント文字、『判定勝利!』。
彼女はこの画面を、初めて見た。今まで敗北しかしてこなかったという意味ではなく、今までは、判定などではなく完全ノックアウト、『勝利!』『完全勝利!』という文字しか、彼女は見てこなかった。
落ちたコントローラーを拾おうともせず、久しぶりに感情に揺れた瞳で対戦相手の名前を確認する。
「……もんえい、れいと?」
こんな幼さにも関わらず、様々なオンラインゲームで1位を総ナメしてきた引きこもりゲーム廃人な少女は、あまり国語の成績はよろしくないようだった。
コントローラーを拾い上げて、社長とか重役の座りそうなふかふかした椅子に、ぎゅっともたれかかる。
しかしそれも束の間、相手のプロフィール画面を開いて見た瞬間、また彼女は口を半開きにして固まった。
「……どういうことです…………?」
プレイ歴、僅か約1ヶ月。
レベル36。
こんな低レベルで全然やり込んでいないプレイヤーに、初めて判定まで持ち込まれたというのですか?有り得ない、と首を振り振り、少女は眉根を寄せる。
彼女のプレイ歴もまだ4ヶ月と、オンラインゲーム上ではそこまで大差ない期間差と言えるだろう。だが少女は、オンラインゲームだけではなく色々なジャンルのゲームをやり込み、そしてすぐさまコツを掴む、いわばゲームの天才。
彼女はこれまで、自分より高レベルでプレイ暦も長いプレイヤーを相手に、何度も勝利してきた。完膚なきまでの完勝で、だ。
おそらく彼女のレベルと怜斗のレベルが逆だったとしても、結果は変わらなかっただろう。
制限時間の限りまで相手と戦ったのは久しぶりだ。それになんだか、相手の動きは完全に『操作者』のそれではなかった。
そう、まるで。
ゲームのアバターが、自分の手足の一部となっていて、自由自在に動かしているような……。
「……気になりますね」
とある一軒屋の最奥の部屋。
小学5年生のゲーム廃人・芦野春飛は、言葉とは裏腹にその疑問に興味を失くし、ゲームを終了してベッドに飛び込んだ。
もう夏の入り口だというのに春飛は、しばらく処分していないせいで溜まりに溜まっているゴミの山を視界に入れないように、タオルケットにぎゅっとくるまって、目を瞑った。
#
「お疲れ様。ダサかったわね」
「いやいや、プレイヤーランキング1位を相手に判定勝利まで持ち込んだんじゃから、かなりの善戦、というか快挙じゃよ」
対人戦を終えて、元いたエリアに帰って来ると、出迎えてくれたのは夏矢ちゃんと、そのパートナーのキーピーだった。
ブレイカーの山脈。
アバウンドの平原、エクスプレスの荒野、オーガの縄張りという3つのエリアを攻略した俺たちの、現時点での最高到達エリアだ。
エクスプレスの荒野にはちょっとした洞穴があって、そこで次のエリアに進むためのアイテムを手に入れるというクエストがあった。またオーガの縄張りは、文字通りモンスター『オーガ』が大量に生息している廃村のような場所で、そこでも、村娘がオーガに盗られたアイテムを取り返してくるというクエストがあった。
いずれのクエストも簡単で、戦略とか回避とかを考える必要もなく、適当にスキルとか通常攻撃をしていたら勝ててた、って感じだ。いわゆる連打ゲー。
そんなわけで特筆するような苦戦も面白場面もなく2エリアを攻略した俺たちはブレイカーの山脈というエリアに来て、ちょっと立ち止まってイベントに参加してみているというところだ。
「斗月と津森さんは?」
「2人ともバトル真っ最中よ。依然連勝中」
「ふーん。……お前はやらないのか、対人戦」
俺の質問に、初めて夏矢ちゃんは振り向いた。
「……なに。私がいて居心地が悪いんだったら、あんたがどっか行けばいいでしょ」
「い、いや、そういうつもりで言ったんじゃないって」
「………………」
……なんだろう。微妙に視線の角度が低い夏矢ちゃんに、普段口論をしている時のトゲトゲしさはなく、なんとなく上の空という感じだ。
ふと足を動かしたかと思えば、手近な岩に腰を下ろして、それっきりまた動かない。
「……どうかしたのか?」
もしかして女の子の日か、とか付け加えたら殴られそうなのでやめとく。
その判断が正しかったのか正しくなかったのか、夏矢ちゃんは若干ムスっとして、俺にそっぽを向いて溜息を吐いた。
「…………やっぱり、覚えてないわよね」
「え……」
ちょっと待て。
俺と夏矢ちゃんは別れたはずだろう?それなのになんでこんな、記念日を忘れたダメ男みたいなことを言われてるんだ、俺?
えーと、6月、6月って言えば……?
付き合いだしてから何ヶ月かなんて覚えてないし、そもそも別れた後で記念日を祝うなんて滑稽な話でもないだろう。だとしたら…。
…………破局記念日?
いやいや、とアホらしい考えに首を振ると、唐突に答えが閃いた。そして夏矢ちゃんと同じように、俺の視線も斜め下を向く。
「……ちひろさんの命日か」
「…………覚えてるっていうのも、それはそれで不快だわ」
世葉ちひろ。
俺たちが中学1年生のとき、つまり4年前にこの世を去った夏矢ちゃんの母親だ。
4年経った今でも治療法や特効薬の開発されていない病に罹って、およそ2年の闘病生活の末に亡くなったと聞いている。
……そして、俺と夏矢ちゃんが付き合ったキッカケでもあり、別れたキッカケでもある。
今度は言葉通り、夏矢ちゃんは顔全体で不快さを表現して見せた。
俺はそれに、何も言い返せず、もっと視線を下に下げることしかできなかった。
「ねぇ……まだ話してくれないの?」
「……………」
中学生だったとき、俺たちは夏矢ちゃんの母親について調べていた。
夏矢ちゃんの父親である世葉圭堂が、ちひろさんの死から1年が経ったというのに、一人娘である夏矢ちゃんがずっと頼み込んでいるのに、お墓の場所を全く教えてくれない。そのことを相談されて、俺は探偵の真似事のように、ちひろさんに関係する所を一緒に色々と嗅ぎまわった。
だけどそんな調査が続いたある日、今まで一緒に調べてきたというのに、俺は夏矢ちゃんにそれを……ちひろさんの謎を追うのをやめるように言った。
その理不尽さに、唐突さに。そして何よりも、母親を想って生前の母親を調べる行為を何故否定されなければならないのか、と、夏矢ちゃんは俺に掴みかかって怒った。俺はそれに対して何も言わなかった。それを無視と捉えて、夏矢ちゃんはさらに泣いた。
そして、交際は破局した。
……破局したあとも、斗月の手回しもあって、友達的な関係にまで戻ることはできた。その間、俺が何故そんなことをしたのかという理由を、夏矢ちゃんはずっと聞いてきた。
この秘密は、本人に伝えるべきなのか、そうでないのか。
何度考えても答えは出ないまま、結局無難な『約束を守る』という選択肢を取って。
俺はこの2年間を、後悔と自虐のループの中で過ごした。
「……ごめん、まだ、無理だ」
「………………………………あっそ」
斗月と津森さんが対人バトルから戻ってくるまで、俺は、感情の一切を殺して俯いているだけだった。
#
6月4日の木曜日。窓の外を覗いてみると、鬱陶しくない梅雨、って感じ。霧雨気味の小雨だ。
土曜日の午前中まで授業がある我々私立高校生にとっては、水曜日より木曜日の方が一週間の折り返し地点だという印象があったりする。俺だけかもしれないけど。
本来はただ何事もなく、消化試合のように気怠く時間を右から左に受け流すだけの、ただの平日。
昨日の夜に長時間ネトゲをしたせいか、なんとなく眠くて駄弁る気にもなれず突っ伏していると、担任の堺田先生が教室に入ってきた。珍しく、きちんとしたスーツ姿だ。
「今日は、このクラスの新しい仲間……転校生ちゃんを紹介しまーす!」
大袈裟な表現でもないだろう。まさに教室中が『揺れた』。
俺も多少なりとも驚く。この6月という微妙な時期に転校生?ありえない話ではないのだろうが、ありふれた話でもない。
しかしアホのクラスメートどもが騒いでいる理由はそこではないようだ。
「転校生『ちゃん』!?」
「女子か!女子なのか!女子なんだな!!」
「この時期に転校してくるとは!幼稚園の時に結婚の約束を交わしたマヤちゃんに違いない!」
「あぁん!?んなわけねーだろダボ!俺の運命の相手だよ!」
「運命の相手とか言っといてもし男子やったらどうするつもりなんやろ……」
「つーか女子の転校生ってだけで騒ぐなよなお前ら。まぁ?僕と違って彼女がいないお前らがはやる気持ちも分からんでもないが……」
「てめーは黙ってろサジ!漬け殺されてーのか!?」
「漬け殺すって何!?」
「いけお前らァァァ!!袋叩きだァァァァァァァァァァ!!」
「えっ、何この流れっ!?ひぃっ、ちょ、バール持ってるヤツ誰!?なんで学校に備中ぐわ持ってきてるんだよお前も!って、マジ、アアアアアアアアアアアアアア!!漬け殺されるゥゥゥゥゥ!!」
転校生の顔を見ないまま逝くなんて、サジのやつも無粋なものだ。南無阿弥。
相変わらず女子とか下ネタとかの話題になると収集がつかなくなる男子連中を全くお構いなしに、先生が扉の先にいるだろう転校生に向かって、「入っていいわよ」と手招きする。
その声に帰ってくる声はなく、騒ぎも収まって、クラスに沈黙が降りる。
「…………?あれ、どうしたのかしら……。うるさくて聞こえなかったかな?」
とっとっ、と小走りで先生がドアを開けに行く。
ガラララララ、と、ゆっくりとドアがスライドされて、それを好機だと乗じるように、少女がゆっくり……と言うよりはぐったりと、教室に入室してくる。
『…………………………』
染めているというよりはもともと色素が薄いという感じの、白寄りのグレーっぽい色の髪を鎖骨あたりまで伸ばしている。ああいうのってボブというのだろうか?あとなぜか、もう6月だというのに長袖のセーターを着用している。萌え袖。
…………ん?
ていうか、なんかこの子に見覚えがあるような……。
「ちょ、だ、大丈夫?なんかすごいしんどそうだけど……」
「……へ……平気、です……」
肩を貸そうとする先生に微笑みかけて、転校生の少女はフラフラしながらも自分の足で、教卓の前まで進み出た。
教卓に手をつくとそのまま、どっと手に体重をかけるようにもたれる。……教室の端のドアから教室の中央の教卓までという5メートルにも満たない距離を歩くだけでえげつなく咳き込んでるように見えるのは、俺の気のせいだろうか。
みんなが戸惑いに顔を見合わせる中、転校生の少女は、殺人事件の被害者が最後の力を振り絞るように顔をあげて、俺たち新しいクラスメートにその笑顔を見せて――、
自己紹介をした。
「ゲホッ…………ふ、冬目日々《ふゆめ ひび》です……。よろしく……おね……」
よろしくおね。
そこまで言って。志半ばで。
ぱたん。
『あ』
発泡スチロールでできた等身大のパネルが風に煽られて倒れるように。そんな軽い音を立てて、日々はその場に倒れた。
静寂に包まれていたクラスの面々が、一斉に椅子から立ち上がる。
『転校初日から気絶したぁぁぁぁぁぁ!?』
#
「やっぱり日々だったか……。懐かしいけど、しばらく見ない間に気絶芸を覚えてるなんてな」
「……自己紹介に一発芸は外せないからね」
俺の皮肉に、日々は苦笑いしながら冗談で返してきた。
朝のHRで気絶した日々だったが、保健室で休めばすぐに回復したようで、昼休みの今は俺と瀬戸さんとサジと、4人で一緒にメシを食っている。いつものように食堂で斗月たちと一緒に食ってもよかったのだが、せっかく久々に再会したということで、日々と机を囲むことを選ぶ。
背中で感じる男子たちの目が怖いが、まぁ、童貞の嫉妬乙ってやつだ。お前も童貞だろ、とかそういう下衆なツッコミはNG。
「うーん……いわゆる幼馴染ってやつですか?」
「なんか二人の距離感がよく分からないんだよね」
瀬戸さんとサジのカップルが尋ねる。
俺から言わせてもらえば、いつの間に付き合いだしたのかとか普段どんな感じで会ったりしてるのかとか、お前らの距離感こそを問いただしたい。
日々が口元に手を当てながら、のんびりと昔を思い出して語る。
「んー、幼馴染、っていうのとはちょっと違うかな。怜斗くんとは、小学校の頃によく話してたって感じなの。その後私の病気がちょっと酷くなって、転校しちゃって……それ以来だからねぇ」
「毎朝勝手に窓から入ってきて起こしてくれるとか、そういうギャルゲ的な幼馴染じゃないってことさ」
「昔は怜斗くんも、こんなにオタクオタクしてなかったのにね」
「そうか?そうでもないだろ、小学校低学年の時から『アトラン〇スの謎』とかやってクソゲークソゲー言ってるようなガキだったぞ」
「……その光景が容易に目に浮かびますね」
「オタクっていうか廃ゲーマーだね」
しばらく俺や日々のうろ覚えな小学生時代の話などで盛り上がる。
会話の中で瀬戸さんが、ちょっと聞きにくそうに日々に質問する。
「ねぇ、冬目さん」
「ん?なに?」
「いや……あんまりこういう時にする話じゃないかもしれないんですけど……」
「何だ?下ネタかうぎゃああああああああああああ!!」
寸分の狂いもなく、俺の僅かに突き出た顎骨を捕捉し蹴りつけた瀬戸さんの御御足は、そのまま右斜め43.8度、理想値との誤差-1.2度という黄金角度でそのまま弧を描き、えぐり抜けた。この間僅かに2秒弱。
教室の後ろの壁へと吹き飛ばされた俺を差し置いて会話は続く。
「コホン。……朝のホームルームの時にも、一度卒倒してたでしょ?一体どんな病気なの?」
「…………あー……」
その質問を聞いて、日々はあからさまに答えにくそうな、困った顔で頬を掻いた。
気まずそうな雰囲気を感じ取ってか、質問者である瀬戸さんは慌てて質問を取り消す。
「あ、いや……いいの。ごめんね!別にそんな無理に聞き出したかったワケじゃなくて……。私、委員長だから。何か体質的な問題で困ったことがあったら、いつでも言って?」
「うん、ありがとう。……いや、ちょっと返事に困っただけ。別に全然、何でも聞いてくれていいよ」
吹き飛ばされた俺が席に戻ってきたのを好機としてか、日々は頷いて、どこから話せばいいのかなとその話を…彼女の『抱えていた病』についての話を始めた。
「ちょうど3ヶ月くらい前まで、重い感じの病気にかかってたの。あんまり病名は言いたくないんだけど……とりあえず、何年も病室のベッドから動けない、命に関わるような病気……って考えてくれればいいかな。その病気が3か月前、やっと完治してくれた。しかもその3ヶ月後、色んな手続きを踏んで、私は晴れて普通の高校生活を送る手続きを済ませることができたの」
そう語る彼女の顔が笑顔だったから俺も笑ったが、内心では、心が締め付けられるようだった。
何年も病室のベッドから動けない病気?
命に関わるような病気?
何だよそれ……。
小学校の時に突然転校するまでは、全くそんな兆候は見られなかった。あれから俺の中の日々との記憶が薄れてゆくほどの長い時間、彼女はどこで、どんな苦しみを味わっていたのだろう?
そしてそれを気にも留めず毎日を過ごしていた俺は……。
「……なぁ日々、俺……」
キーンコーンカーンコーン。
……何度目だろう。俺が何か喋りだそうとしたらチャイムが鳴るというのは。
「ん?呼んだ?」
「……呼んでみただけ」
そして何度目だろう。
それを、チャンスを失ったと捉えるのではなく、勇気を出さなくて済んだと捉えてホッとしたのは。
……いつまで経っても、成長していない。
「呼んでみただけって……。ふふ、怜斗くん、小学生に戻ったの?」
幼稚さを笑われた。
6月4日の木曜日。
世葉ちひろの命日の翌日、冬目日々の登校初日。
そして、俺たちと一人の少女の、邂逅の物語。その1ページ目が、ここから動き出した。