バカとテストと万年筆
これ1つで人生が決まるわけじゃあるまいし、と言いたくなるくらいに、俺の隣で両手を組んでいる彼女はめちゃくちゃ真剣に祈っていた。
テストが終わってから休日を挟んだ月曜日。
この土日で集計を無理やり終わらせた、と言ったところだろうか。
他の高校ならもう少し集計に時間がかかりそうなものだが、この輪通学園では、テスト結果のランキングはテストが終わった次の日か、遅くても2日後くらいに張り出される。
国語、数学、化学、物理、日本史、世界史、英語。これら7教科の合計点が、順位、名前の横に書かれているという代物だ。
この発表形式のせいで、1教科ずつテストが返される前に平均点が割り出せてしまうので、このシステムを終わらせるためだけに生徒会長に立候補したアホもいたな。同じアホの支持を集めていたが、選挙に出るまでもなく、公約がバカバカしすぎて教師陣に却下されてたが。
それを基準に考えると、今回の場合はけっこう遅めの発表と相成ったわけだが、これは英語の川西が『体調不良』になったらしく、採点者を別の者にチェンジしたりといったことを行っていたため、採点が土曜日に間に合わなかったのが原因だそうだ。
……朝のホームルームで川西の体調不良を聞いたときに、津森さんが一瞬ニヤァっとドス黒い笑みを浮かべたのが気になったが、あれは何だったんだろう。嫌いな先生だったってだけであそこまで悪辣な表情になれるかというのも疑問だが。
まぁとにかく、テストの発表は今日の昼休み中。13時00分だ。
まだ10分も早いというのに、スタンバイしているのは俺と瀬戸さんくらいのものである。周りの『あいつ、あんなに真面目なヤツだっけ?』みたいな奇異な目が痛い。
「……手応えはどうだった?」
このままずっと隣で念じられているのも居心地が悪いので、遠慮がちに話しかけてみる。
瀬戸さんはゆっくり目を開けて組んでいる手の指を解き、笑顔でこちらを向いた。
「はい。『どれも簡単すぎる。走り出したペンは止まらない!』って感じでした」
「お前いつの間にイザナギ召喚できるようになったの」
もしくはオルフェウス。
「国語の現代文の読解も、数学の証明も、全部、暗記系教科を解く時のような……。丸暗記した答えをそのまま書くように、スラスラと解けました」
「あー、それ分かる。なんていうか、アンケートに答えるみたいにスラスラ書けたわ」
「何度もテストしたり宿題でやったりしましたからね。……ていうか、門衛くんの出してた問題、テスト問題より鬼畜じゃなかったですか?」
「……世界を滅ぼす魔王よりもダンジョンで道具屋をやってるヤツの方が強い、っていうのは往々にしてよくあることさ」
言えない。ホントは大学に入ってからしか使わないような解き方も教えてたなんて言えない。
あんまりにも瀬戸さんが出来るから、なんかサディスティックな好奇心が沸いてきてしまったなんて口が裂けても言えない。
言ったら口を裂かれる。
「お、怜斗じゃん」
声に振り向くと、斗月が、思いっきり音漏れしてるイヤホンを耳から外しながら声をかけてきていた。
「ん、なにこの子?もしかしてこの子が噂の委員長キャラ?」
「実在の人物、それも同学年の女子にキャラとか言うな。瀬戸良さんだ」
「多分初めまして。何度も会っているのに伊達メガネのセンスが残念すぎて記憶に残っていない可能性もありますが、初めまして」
「怜斗!お前の教え子、初対面からゴリゴリと人の心抉ってくるんだけど!」
「そうだな、化学物質排出把握管理促進法だな」
「スルーの仕方が高学歴っ!」
斗月と談笑、もとい一方的な言葉の暴力を楽しんでいると、続いて夏矢ちゃんと津森さんが歩いてきた。
2人とも、何故か手にでっかい紙袋をぶら下げている。
「ようアバズレ」
「ごきげんよう粗チン」
「……門衛くん、夏矢ちゃん……。いくら元カレ元カノ同士でも、その挨拶はあんまりだと思うんやけど……。なんていうかこう、PTA的に……」
「どうも、津森さん。テスト結果を見に来たの?」
「あ、そういえば今から発表かぁ。通りがかっただけやけど、せっかくやし見ていこっかな」
「ところで夏矢ちゃん、その紙袋、何が入ってるんだ?生首?」
「あんたの生首だったら良かったわね。残念ながら全然違うわ。貰い物よ」
貰い物?と聞いてちょっと中身を覗き込もうとすると、夏矢ちゃんはさっとそれを背中側に隠した。恥ずかしいというより、苦々しい表情だ。
そのリアクションに、ますます中身が何なのか気になってくる。俺は津森さんの紙袋を見ようとしたが、袋をサッ。津森さんも夏矢ちゃんと同様のリアクション、か。
「いやぁ、見せてあげてもいいんだけど、あげてもいいんだけど…………うーん」
「恥ずかしくはないけど、ちょっとアレやからなぁ……」
「その紙袋のサイズに、そのヒント……。…………はっ!コスプレ衣装!」
「赤のダメガネさん、果敢にアタックしていただきましたが残念、お立ちください」
「児〇清かお前は」
紙袋の中身について好奇心のままに2人を質問攻めにしていると、くるくると巻かれた模造紙をひっさげて、堺田先生が歩いてきた。
どうやら、いよいよ張り出されるようだ。
「はーい、どいてねー。どいてくれないとかち上げてぶっとび【大】しちゃうからねー」
………………?
なんだろう。先週の火曜くらいからの先生と比べて、なんかとても元気だ。
そしてその表情に対する3人の安心したような喜色もなんか気になる。こいつらと堺田先生に何かあったのか?
……ま、いっか。それより今はテスト結果だ。
「お、門衛と瀬戸ちゃん。2人とも、今回はやけに熱心に勉強してたらしいじゃない?」
快活に微笑む堺田先生の言葉に、瀬戸さんはぴくっと肩を揺らす。
「先生、知ってたんですか?出来るだけ隠してるつもりだったんだけど……」
「あはは、気付かないワケないわよ。テスト週間の間、2人ともよく寝不足っぽかったじゃない?」
先生の観察眼に、素直に驚く瀬戸さんと俺だった。
……寝不足気味なことはできるだけ周りに悟られないようにしてたつもりだったし、事実、俺と瀬戸さんが一緒に勉強したり、夜遅くまで宿題をしたり問題を作ったりしている事情を知っているサジにしか、眠そうだね、とかの言葉はかけられなかったのだが。
「それで先生、ちょっと心配になっちゃって。えっと、ほら、その。不純異性交遊的な意味で」
「先生、やめてください。こいつ彼氏います」
「そうです先生。こんな人と浮気したくないです」
「う、浮気、ねぇ……」
『……………』
「…………?」
そのワードは今は禁句だというように、揃って微妙な表情で黙り込む、堺田先生と3人。
……こいつら、マジで何があったんだ?いや、野次馬的な好奇心じゃなく、本当にこう、心から心配しちゃう感じで。
微妙な顔のまま逡巡したようにドギマギと視線を動かしていた斗月と津森さんの目が合い、2人はその空気を変えようと、異常なテンションで先生の持っているテスト結果の模造紙を指した。
「せ、先生!とりま、これ発表しちゃいましょうよ!」
「せ、せやで工藤!ワイも、結果、知りたいで工藤!」
とりあえず1つ言えることは、津森さんはこういうノリが絶望的に苦手らしい。
先生も、とりあえずこの話を流してしまいたかったのか「そ、それもそうよね!」などと言って、せっせとポケットからガムテープを取り出して、壁に模造紙の上部を留めた。
「……いよいよですね」
「え、お前今夜初夜なの?」
「テスト結果の発表が終わったら、ぶち殺し締め回し流し潰し蹴り轢き抉り屠り殺し殺し殺しますからね」
初日のテスト直前もそんなこと言ってたな。一言一句違わず言うとはこれまたご丁寧な。……こらそこ、コピペとか言うな。
この記憶力なら、日本史や世界史やらの暗記教科はカタいだろう。
気が付くと周りに、他の生徒たちも集まってきていた。
といっても、俺たちのように自分の点数が気になるワケではなく、友達同士でお互いの点数を見て、けなしたり笑ったり慰めたりするためなんだろうけど。要するに見世物。
瀬戸さんは、また目を瞑って、手を合わせて祈っていた。
先生が、隠し布を捲るマジシャンのように不敵な顔で、テスト結果の模造紙をちょっとずつ、ちょっとずつ広げていく。
どうやら、紙の一番上に書かれている文字は『平成27年度 輪通学園高等学校一学期中間テスト順位表』で、そのすぐ下に順位表が印刷されているようで、堺田先生は、ギリギリその境目で捲るのを止めているみたいだ。味なマネをしおって。
「センセー、もったいぶんなよー!」
「うわぁぁぁ、ちょ、マジ今回ヤベェから!発表しないでっ!?」
「つーかこんなトコで溜めんなよ!昭和のバラエティかよ!」
「歳バレんぞー、先生!」
「おいそこ!誰が行き遅れですって!?あんたら今度の修学旅行で、寝てる時に頭の横に小タル爆弾置いてやりましょうか!?」
「ちょ、先生!出てる!美人女性教師として出ちゃいけない血管が出てる!」
「え?え、あー、あーあー、コホン。それでは発表でーす、ジャカジャン!!」
「鑑定団かよ!そしてやっぱり滲み出る昭和感!」
先生の手元が一気に足元まで下がり、模造紙の全貌が顕になる。
やっと発表されたというのにまだ目を閉じて祈っている瀬戸さんよりも一足先に、俺はその結果を知る。
「…………え」
みんなが自分の名前を探して、見つけて、どんちゃん騒ぎを起こしている中、俺はその最上部、1位とその下を見て、眉を潜めた。
……これは…………。
…………。
………………学年一位を求めていた彼女にとって、この結果は……。
……どうなんだ?
とりあえず、本人に確認してもらうとしよう。
「……瀬戸さん、いつまで目ぇ瞑ってるんだ。自分の目で確認しろ」
「…………は、はい」
彼女は目を開いて、その結果を目にして。
「……っ!…………って、え?」
一瞬、うちひしがれたように落胆の表情を浮かべたが、その下の順位を見て、すぐに首を傾げた。
………………。
2人、じっと黙る中。
隣の斗月たちが、興奮の面持ちで鼻息荒くこちらを向いた。
「ちょ、え!?はっ!?」
「か、門衛くん、瀬戸さん……!」
「す……すご…………」
『……………………………………………』
……えっと。
素直に喜んでおくべきなんだろうか。
後ろの、よく知らない他クラスのヤツが、ギャーギャーと騒ぎ立てた。
「すっげー!門衛と瀬戸ってヤツら両方、7教科700点満点で1位タイだぜ!?」
#
「…………なんでしょう、このモヤモヤ感」
「……うん」
放課後の教室。
俺は、なんとなく瀬戸さんと話をしないまま帰るのがモヤモヤしたので、授業が終わってぽけーっと放心している瀬戸さんの前の椅子に座った。
瀬戸さんはいつかのように眼鏡を外して、物憂げに、机の上に置いたそれの曲線的なフォルムを、指でそっとなぞっている。
「私、当初の目的である『学年1位』は達成できました」
「……うん」
「でも、なんでしょうこれ。なんでしょう、この不完全燃焼感」
「……うん」
「テスト前にあなたに宣戦布告した私が馬鹿みたいじゃないですか。なんで気合入れて1位なんか取るんですか。空気読めないんですか。空気嫁ですか」
「どっちかって言うとダッチ〇イフ。ていうか、瀬戸さんが『あなたも本気でテストに望んでくださいね』とか言ったんじゃねーか」
「それはそれ、これはこれです」
「どれだよ」
「あーもう!私の宣戦布告返してください!」
「初めて聞いたわそんな要求の仕方」
ひとしきり腕を振って1人で勝手に盛り上がると、瀬戸さんはまた、机の上にぐでっと倒れ伏せた。
……こいつも、初めてマトモに話した時からは、だいぶ印象変わったよな。
「そういえば、瀬戸さんって結局下ネタ大丈夫なの?」
「……あなたと話している時にいちいち下ネタに反応なんかしてたらキリがないですからね」
眼鏡をいじる指の動きを速くして、拗ねたように俯いてそっぽを向いてしまった。
そう。こんな表情の変化を見せるような感情に富んだ人間ではないと、勝手にこいつのキャラ付けを自分の中でしてしまっていた。
それが本当は、笑ったり怒ったり、若干サドの素質があったり。
そんな『明確な名前のある感情』以外にも、妹にも嫉妬してしまったり、それを自己嫌悪してしまったり、さらにそれを隠したり、それを遠い昔のどうにもならないことみたいに語ったり、さらに、それを全て再認識して、前に進もうと決意を固めたり。
微細な感情を振り回したり、或いはそれに振り回されたりと、ころころと色々な表情を見せてくれる、純粋で、複雑な――
とにかく。
俺が思っていたより、普通の女の子だった。
「……ま、でも素直に喜んでいいんじゃないか?700点満点なんてそうそう取れるモンじゃないだろ。瀬戸さんの今回の努力の結果だよ」
「…………あなたの10倍も20倍も勉強に時間を使ったつもりなのですが。それであなたと同じ点数だったわけなのですが。これはどういうことなのでしょうか」
「運がよかっただけですよ入須先輩」
「どこの省エネ主義者ですかあなたは」
「ヤらなくていい娘とはヤらない、ヤるべき娘とは手短に、だ」
「最低の変換ミスどうもありがとうございます、死んでください。米澤先生に焼き土下座しながら死んでください」
「2期と続刊いつまでも待ってる」
「知りませんよ。…………はぁ……。これ、胸張って言えないよなぁ……」
まったくもう、とため息を吐いて、また机に突っ伏そうとする瀬戸さん。ちょっと魔が差した俺は、その額の落ちていく進路上に、三角定規の30度の部分を置いてやった。
ぐさっ。
某トラップ誘導ゲームで三角木馬が発動したときの効果音が脳内再生される。
「いったぁぁぁ!!」
瀬戸さんがでこを押さえて立ち上がる。
「門衛くん!あなた本っ当に……!!」
「お前の求めてた結果は『学年1位』であって、『俺より上の順位』じゃないだろ?」
「う…………」
「だったらいいじゃねーか。仮に俺が2位でお前がダントツ1位だったとして、お前の家族に『私、門衛怜斗くんに勝ったんだよ』なんて報告するのか?」
「いえ……」
俺は小さく溜息を吐きながら、定規の先で、ぽんぽんと弱く彼女の頭を叩く。艶やかな黒髪が、それに合わせてファサファサと揺れる。
……なんだか俺、説教してるみたいだな。
やめだやめだ、別に口喧しい教師になりたいわけじゃねーんだから。
「要するに、大事なのは学年1位になるためにすごい努力をしたってことだから、それを誇ればいいんだよ。こういうのって、誰かに勝とうとかそんなんじゃなく、自分の頑張りの問題だろ?」
「……そう、ですね」
「はいはい、じゃ、この話終わり」
俺は何を偉そうに語っているのか。
妙に小っ恥ずかしくなって、俺は無理矢理に話を打ち切って、彼女に背を向けて机の上に顔を伏せた。
「……ふふっ、やっぱり、あなたが家庭教師になってくれて、よかったです」
彼女の声は、本当に幸せそうに弾んでいる。俺は余計に、振り返って彼女の顔を見ることが出来なくなった。
「この2週間ほどの間、勉強だけじゃなくて、色々なことを教えてもらいました」
「……お前らしくないな。褒めても何も出ないぞ、出るのは白い液だけだ」
と言いつつ、紅くなった顔を隠せない俺を見て、瀬戸さんがクスクスと笑う。
「言ってるセリフが下ネタじゃなければ、もうちょっとは可愛げがあるんですけどね」
「……………………」
普段なら『なんで白い液っていうワードが下ネタって分かったのかなぁ〜?』なんてゲス顔で返していたところなのだろうが…。
というか、そんな直接的な感謝の言葉を、よく臆面もせずに、誤魔化しもせずに言えるものだ。
しばらく待っても無言の俺に、また少し笑って、瀬戸さんは椅子から立ち上がる。
「じゃあ、私……家族と、会ってきます」
どこかにもたれたりもせず、自分の二本の足で立つ。
瀬戸さんは、初めに『学年1位を取れるような学力がなければ家族とは認めてもらえない』、と言っていた。自分が賢くなって、一番になって、その力だけを拠り所にして、家族との摩擦やすれ違いを解消しようとしていた。
でも、今の彼女はちゃんと、自分で立っていた。
「……なんだろうな。なんか、置いて行かれた気分だよ」
「門衛くんに教えてもらったことですよ?私は追いつきこそすれ、追い越すのなんかはまだまだです」
「ホント、つくづくクソ真面目だな」
「クソ不真面目なあなたに言われたくはないですが……そうですね。クソ真面目はクソ真面目らしく、最後にけじめをつけさせてもらいます」
俺が伏している机の上に、一本の万年筆が置かれる。
軸、キャップ共に黒一色で、接合部と意匠に金色をあしらったデザインの一品。素人目に見ても、いち学生が使うにしてはいささか贅沢すぎる逸品だろう。
少し驚いて顔を上げると、瀬戸さんが、少し照れたような顔で見下ろしていた。
「……えっと、大事に、してくださいね」
「…………おう」
「それと……再三になりますが、本当にご指導ありがとうございました」
それだけ言って、瀬戸さんは逃げるように教室から出て行った。
………………。
高級万年筆、か。
……この十数日で、瀬戸さんの色々な面を知った。
その中には、不必要なものや、俺が立ち入るべきではなかったものもあるのかもしれないけど、でも、自己満足かもしれないけど、少なくとも俺は、知れてよかったと思う。家族のあり方とか、自分を支える自信についても、色々と考えさせられた。
もし、人と人との間に、形ある絆というものがあるのだとしたら。
俺と瀬戸さんとの間には、『教えられる者』という確かな絆が築けたと、自信を持って言えるだろう。
と、そんなことを思っていた時だった。
突然、ポケットの中の『鍵』が、発光しだした。
「…………えっ?」
取り出して、目の前に持ってくると、それは脳に、強烈に言葉を流し込んできた。
《現実の人間的成長は、電脳のあなたを強くする…。》
《ゲーム内での精神力と経験値のボーナス値が増えた!》
《特別技能・『ラーニング』を習得した!》
「………………」
瀬戸さんとの思い出が汚されたようで、けっこう不愉快だ。
くそ、俺の生活はこんなにまでネトゲに侵略されてきているというのか……。条件を満たすと、ゲーム内でスキルが覚えられるというシステムなのか?
「……俺も麻雀部行くか」
くそ……事件なんてなければ、こんな鍵、ソッコーで捨ててしまいたい気分だ。
半ばヤケクソになりながら、鞄に荷物を詰め込んで、俺は教室を出た。
#
今日は全体的に初期の手牌がよかったがツモが割と死んでたな。ていうか、どうせ揃わないだろうとタカをくくって発を捨ててたのは早計で未熟だろう。そんな感じの自己分析と批評をしていると、あっという間に家に着いた。
玄関ドアを開ける。
「ただいまー」
「おかえりィィィィィィィャァァァ!!」
……玄関開けたらキ○ガイ従妹。
サ○ウのごはんのがまだマシだ。
日本舞踊とロックダンスとジャズヒップホップをぐっちゃぐちゃに混ぜて70等分したみたいなデタラメな舞を踊りながら、盟音が廊下を走ってくる。
そして2メートル手前で華麗に飛んだ。トリプルアクセルもダブルトゥループもない、鮮やかな普通のジャンプだ。
そして着地。
「おぼぅあっ」
失敗。
最初に床に着いた左足を、そこにバナナが落ちていたとしてもこんなに上手くは滑れないだろうってくらいにツルーンと滑らせて、大の字にコケる盟音。
従兄1人出迎えるだけでボケが多いヤツだ。
しかしまぁ、見ての通り風邪は完治したみたいだ。つーか、治したそばから骨折とかされると困るんだけど。
「おかえり兄貴!私にする?私にする?それともラ○ウ?」
「なんでお前と世紀末覇者しか選択肢がないんだ」
「ラオ○だね!私なんかより○オウの方が大切なのね!」
「え、何!?俺、ラ○ウとお前で二股掛けてんの!?世界観分かんないんだけど!」
もはや付き合いきれないボケを放置して、廊下をスタスタと歩いていく。盟音も、俺の鞄を持ってトテトテとついてくる。
ダイニングの壁掛け時計に表された時間は、今から米を研いで炊くには少し遅い時間。
「うわ、もう6時半かよ、ミスったな……。今から手の込んだ飯を作ってたら遅くなっちまうな、今日は冷凍にするか……」
「フゥーハハハ!現代の若者、すぐ物事を諦める!馬鹿!軟弱!もやし!」
「年下のお前に現代の若者呼ばわりされる筋合いはない」
冷静かつ無気力にツッコむと、盟音は勝手に先走って、ダイニングへと入っていってしまった。
といっても、ほんの数メートル走っただけですごい差がつくほど門衛家の廊下が長いわけはなく、盟音が入っていったほんの3秒後、俺はダイニングへと足を踏み入れた。
瞬間、鶏の香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
匂いの正体はすぐに分かった。盟音が誇らしげに胸を張って腕を広げている横、テーブルの上のプレートに堂々と鎮座しているのは、紛れもない、どでかいローストチキンだった。
「……盟音さん。クリスマスはあと7ヶ月先ですよ」
「絶対おいしいよ!もしおいしくなかったら木の下に埋めてもらっても構わないよ!」
「言葉のキャッチボールをしてください盟音さん」
大体どうするんだこんなでっかい肉の塊。海賊王になる男の宴に出てくるようなサイズだぞ。ていうかどこで売ってるんだ。
頭がクラクラしてきた……。
……とりあえず俺は従兄として、家の金を勝手にこんなことに使ったことを叱るべきなんだろうか。多分これけっこう高いだろうし。
「私からのお礼だよ、この家に来るとき持ってきた貯金で買ってみたんだ!看病してくれた代わりに、これから何日かはご飯の支度とかは任せてくれていいからね!兄貴っ!」
盟音が何を言っているのか、一瞬理解に苦しんだが。
すぐに、俺は嫌な顔になった。
家族に看病してもらったことに対して、こんな形で『お礼』をしなければならないという考えを持っている彼女が、心配で、そして、彼女がこれまでどんな暮らしをしてきたのか考えて、とてもとても、嫌な顔になってしまった。
自分のお小遣いから買ったんだ。自分の財布から出したんだ。炊事や家事が全然できない盟音なりに、一生懸命考えてくれたんだろう。それで、調理する必要がないものを――。
なんだよ。
お前、まだ中学生じゃないか。
気を遣うなよ。
……お礼だなんて、言うなよ。
「ごめんね、私が風邪ひいたせいで、余計なお金使わせちゃって。でもそのぶん、私が食費を浮かせて、迷惑かけないようにするから……」
「もういい」
気が付いたら、俺は、盟音を強く、強く抱きしめていた。
腕の中で、俺に全然似ていない、色素の薄い栗毛が揺れる。
「…………お兄ちゃん?」
「お礼なんていいんだよ、馬鹿!家族が助け合うのは、普通のことなんだよ……!」
そこで、言葉が詰まった。
抱き抱えた盟音が、肩を震わせ始めたのが伝わってくる。
その背中を撫でながら、続ける。
「盟音。俺がお前を看病したのに理由なんかないし、見返りへの期待なんかないんだ。もう俺はお前の家族なんだ…………『代わりに』なんて使わないでくれ。等価交換みたいな言い方、しないでくれ」
「…………う、ん」
嗚咽が漏れるのを必死に我慢しているような、吃音。
「……良かれと思ってやったってことは分かってるけど、もう、こんなことはしないでくれ。……看病してくれた代わりに食費を出すなんて、他人みたいなこと……絶対、言わないでくれ」
大声を上げて、胸の中の盟音が泣く。
自分の間違いに気付いて泣いたのか、何かを思い出して泣いたのか。
俺には、分からない。分かろうとしたいけど、聞けない。
数分、すごい勢いで泣いて、盟音は、顔を上げて、俺に顔を見せてくれた。
笑顔だった。
「……買ってきちゃったものはしょうがないし。……お腹すいたし、食べよう?兄……ううん、お兄ちゃん」
………………。
斗月。
やっぱり俺はイトコンなのかもしれない。
「……そうだな。せっかくだし、コーラ飲みながら、昨日借りてきた『テッ〇2』見ながら食うか」
盟音から俺の顔が見れないように、やや乱暴気味に、まだまだ低い頭を撫で繰り回す。
その雑な撫で方に髪をくしゃくしゃにされながら、でも心なしかまんざらでもなさそうに、盟音が子供みたいに喜ぶ。
「マジで!?〇ッド2!?やったぁぁぁぁぁ!!ついにあの〇ーラ様吸引器が拝める!」
「……女子中学生なんだから、もっと、さぁ……」
およそ5月とは思えないような、陽気なテンションで。
悲しい気分から必死で逃げるように、門衛家にはその日、朝までひたすら騒ぎ明かす2人の姿があった。