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放課後ロルプライズ!  作者: 場違い
3章・絡み合う日常と電脳世界
43/73

その無骨な手に馬鹿力を

「突然ですけど、浮気って最低ですよね」


 突然というより、不愉快だろうなと思った。


 3日目のテストが終わったあとの、俺以外の生徒が帰ってしまった教室。教室の掲示板を張り替えるために教室に来た新橋先生を呼び止めたのは、世葉のオブラートもクソもない言葉だった。

 世葉に続いて、慌てたように足をばたつかせながら、津森も入室してくる。雰囲気的に、世葉を追いかけてきたのだろうか。

 当然、新橋先生は唖然とした表情をしたあとに、本気でイラついたような、凄みのある表情になった。

 その怒りのこもった視線を、世葉は真っ向から睨み返す。


「……世葉。お前と津森に協力してもらって感謝はしてる。だけどな、もう終わったんだよ。これ以上、何もしないでくれ」

「終わった、って、誰が決めたんですか?」


 心なしか、世葉も怒っているように見えた。それも、目の前の新橋先生に対してではなく、そこにはいない誰か悪い奴に。

 俺は伊達眼鏡を押し上げて、半目でその『予想通りの光景』を眺めた。

 2人の険悪な様子に慌てている津森の、助けを求めるような視線に、俺は知らねーよとばかりの下卑た笑みを返す。


「終わったのは終わったんだ。無闇に続けたら、俺だけじゃない、堺田先生だって傷付く」


 ぴくっ、と世葉の肩が動く。

 怒ると表情がなくなっていくタイプの人間がいる。自他ともに認める直情型人間の俺が、最も苦手とするタイプのヤツだ。

 そして世葉は、そのタイプである。


「……堺田先生が傷付くのが嫌なんですね?」

「……え?」


 世葉はそう言って俯いた。

 そして、新橋先生が世葉の質問の意味が分からずに疑問符を返したとき、また顔を上げた。


「答えてください。『堺田先生が傷つくのが嫌です』か『嫌じゃないです』か」


 恐ろしい程の無表情。

 この場に、この会話に一切のふざけたことや嘘は必要ない。目が、鼻が、口が、耳が、皮膚が。全てが、相手にただただ事実を伝えるためだけに働いているような。そんな、無表情。


「……嫌だ。堺田先生が傷つくのは、嫌だ」


 世葉の真剣な声に、新橋先生も、愚直に正直に、なんの修飾もなく返す。

 世葉は、ひとつ頷いて、ポケットの中からスマホを取り出した。新橋先生を無表情に睨みつけたまま。それを操作する。


「もう一度言ってみてください」

「……堺田先生が傷つくのは、絶対に嫌だ」

「はい」


 新橋先生の返答の最後の『だ』が発音されるより後か先か。世葉は、持っていたスマホの画面を、鼻先に押し付けるようにして新橋先生に見せた。

 そこに写っている画像を、俺も持っていた。


◇◆


「もしもし」

「……斗月?どうしたの?テスト死んだ?」


 ……ふざけている場合じゃない要件でかけているというのに。ぐぬぬ、と斗月は若干苛立った。

 まぁ、電話する前から相手が事情を知っているはずがないから、仕方がないといえば仕方がないのだが。はぁー、と溜息をついて伊達眼鏡の縁をさすり、斗月は続けた。


「テストは首の皮一枚切れてるくらいだ」

「死んでるじゃないの」

「うっせー。それよりも世葉。素行調査はうまくいってるか?」

「は?」


 夏矢は驚いて目を見開いた。

 自分と論子でさえ、川西のことを調べるのはこのテストが終わったあとにしようと言っていたのに、あまり乗り気ではなさそうだった斗月からその話が持ち出されるというのが意外だったからだ。

 夏矢は電話を両手で持ち直した。


「……素行調査って、川西のこと?」

「それ以外になにがあるんだアホ」


 普段、自分や怜斗、論子とバカ騒ぎしているとは違う、静かに沸騰しているような怒気を孕んだ声。電話越しで顔や態度が見えない夏矢にも簡単に分かるレベルで斗月は苛立っているようだった。


「今からお前と津森に『その写真』を添付してメールを送るから。詳しいことはそのあとグループ通話でもかけて話そう」


 それだけ言って、斗月は一方的に通話を切ってしまった。

 川西が堺田先生と不倫関係にあるのではないかという疑惑を夏矢たちから聞いたとき、斗月は馬鹿らしいと思いこそすれ、まさかこんな風に自分から動くようなことがあるなんて、考えもしていなかった。

 だからこそ余計にムカついた。

 それはこんな不愉快な思いにさせた川西に対してだけではない。自分がもっと早く、うまく動いていれば、堺田先生が川西に傷つけられて涙を流すようなこともなかったのかもしれない。そんな、自分に対しての怒りも大きかった。

 斗月は、自分が馬鹿だと思っている。

 この都会に出てくる前にいた田舎で一人の少女を傷つけてしまった思いが、いついかなる時も自分の体を煙に包んで蝕んでくるように、ぐずぐずと心の中で燻っていた。

 だから、せめてまた彼女に会えたときに胸を張れるように、女の子が泣いていたら、それがどんなヤツだろうと絶対に助けてやるんだと誓っていた。


 斗月の親指が送信ボタンを押す。2秒後、夏矢の携帯にそのメールが届く。

 夏矢は、当たってしまいそうな悪い予感をぐっと胸に押さえ込んで、その画像ファイルを開いた。


◇◆


 新橋先生の目に飛び込んできたのは。


 『およそ堺田先生ではない若い女性』と川西が、ディープキスをしながら抱き合っている写真だった。

 瞬間、新橋先生の眼球がガラス玉のごとく割れたような、幻覚じみたビジョンが見えた。新橋先生は、肩を大きく膨らませるように、静かに感情の昂ぶりを示した。


 しかし、世葉の手は止まらない。

 スライドする。


 次に表示されたのは、川西と同じくらいの年齢だと思われる女性が、川西と楽しそうに喋りながら一緒に車に乗っている写真だった。後部座席には、2人の息子だと思われる子供も写っている。1人は川西に、もう1人は女性に、よく似た顔をしていた。


 スライドする。


 若い女性に川西が組んだ腕が、女性の大きな胸に当たっている。というか、女性が川西の腕を自分の胸に当てている、といった方が正しいような印象を受ける。


 そして、最後のスライドで。


 新橋先生は、顎が外れるほどに口を大きく開いて、目が飛び出すほどにまぶたを大きく開いて、血が出るほどに拳を握り締めて、大きく大きく肩を震わせて……。


 叫んだ。


「なんだこれはあああああああああああああああああああッッッッッ!!!!!」


 その写真に写っているのは、つい昨日の風景。

 下衆な表情を浮かべる川西の前で、崩れ落ちるように堺田先生が泣いている姿だった。

 ビリビリと、空気に電流が通ったような鬼気迫る感覚。それにも動じず、世葉はそのまっすぐすぎる目で、次に俺を見た。


「斗月」


 ……名前だけ呼ばれてもなぁ。説明しろってことか?

 叫び終わったあとも鬼のような顔で画面を見つめている新橋先生にそのことを伝えるのは割とキツいんだけど……。どうやらそんなことも言ってられない雰囲気だ。


「その写真は俺が盗撮しました。……世葉から『素行調査』を頼まれたんで」


 日頃なんのためにこのスキルを使っているのかはちょーっと言えないが、まぁ控え目に言って、俺の盗撮スキルは多分この県内ではイチバンだろうと思う。あ、念のため言っとくが、犯罪関連では使ってないからね!こういう素行調査を友達から頼まれたりするだけだからね!

 この何日間かの間川西の帰宅を尾行し続けていたら、クソ胸糞の悪いことに、川西は毎日のように会う女を変えて、恋人のような付き合いをしていた。

 これらの写真は、その一部分を切り取ったものだ。

 ……本当はもっとヤバイことをしてて、その様子もちゃんと写真に収めてあるんだけど、この世葉と新橋先生の怒りようだと死人が出ることになりそうなので見せるのはやめておこう。


「……どうすればいいんだ」


 新橋先生は、何ヘクトパスカルか分からない圧力で唇を噛み締め、今にも血を出してしまいそうな唇をやっと開放して、今まであまり話したことのない俺に言った。

 どうすればいい、と尋ねるような言い方だが、答えは期待していない様子だ。


「これを知って。これを見て。これに怒って。……俺は、何をどうすればいいっていうんだ」

「……まだ、『堺田先生を余計に傷つけてしまう』、なんて考えてるんですか?」


 さっきまで、世葉と新橋先生との緊迫したやり取りに慌てふためいているだけだった津森が、悲しそうにというよりは悔しそうに、新橋先生に語りかける。


「写真を見ただけでも分かるでしょ?ずっと前から結婚を考えてた人にこんなに酷い関係の切り方をされてるんですよ、堺田先生」

「…………」

「この状況を利用して告白しろだとか、そういう考えが最低だとか、そういう話じゃないんです。……堺田先生には、今、味方がいないんです」

「味方が……いない……?」


 あんなに毎日相手を変えて女性と会っていたのだから、川西が堺田先生と会っていた日数も、言うほど多くはないし、それも断続的なものだろう。

 とすれば。

 成人女性が、『恋人としては、毎日会っていない相手』に対して結婚を考えるようになるには、どのような『行為』が必要なのか。

 そして、教師という職に就いている身で、同じ職場の者とそのような行為に及んだ場合に、誰かに助けを求めることができるだろうか……?

 それは偏見かもしれないし、腐った考え方と言えるかもしれないが、それでも一般人、テレビ、新聞が大きく大々的に幅を利かせる、『一般論』だ。『こういう人間はそういうことをしてはいけない』という、どこの誰が最初に言い出したかも定かでない、本来は正すべきなのかもしれない一般論。

 しかし、堺田先生がその一般論に追い詰められているとしたら?

 ……その問いを、その気持ちを100%正解できる者は、どこにもいないだろう。


「堺田先生の事情を知っていて、それを許してあげられて、そして何より、『堺田先生の友達』なのは、新橋先生だけなんです」

「…………!……俺、だけ…………」


 津森の声が、だんだん大きくなっていく。


「そんな先生が、これ以上堺田先生を傷つけたくない、なんて言ってる場合じゃないんです!今も堺田先生は傷ついてるんです!それを……それを、先生は守ってあげないといけないんです!!」

「世葉。携帯借りていくぞ」


 津森の言葉に対してのコメントや返事は何も残さず、だが、津森の言葉で覚悟が決まった様子で、新橋先生は教室を飛び出して、廊下を駆け抜けていった。

 重い足かせから解き放たれた猛獣のように、鋭く疾く、駆けていく。


「……やれやれ」


 怜斗の真似をしてみた。

 ブチギレ状態から戻ったらしい世葉が、無邪気な声で津森に声をかける。


「さぁ、最後の野次馬をしに行きましょうか」



 廊下を走ってはいけません、などというのは、もはや携帯電話やパソコンが生まれる前から使い古されてきた注意だと思うのだが。

 今の俺にはそんなこと関係ない。


 ただただがむしゃらに足を回し、手を振り、廊下を走る。ほぼ飛び降りるようにして階段を駆け下り、また廊下を走る。

 想うのは、傷つき涙を流す堺田先生の姿。イメージするのは、それを見下して嘲笑う川西の姿。

 自然と拳に力が入った。多分、学生の頃にだってこんなにクソ強い力を出したことはないだろう。

 俺にこんな力を出させるのは、堺田先生への想いなのか。川西への怒りなのか。

 今の俺にはそんなこと関係ない。

 仕事も関係なければ倫理とか宗教とか正義とか悪とかそんな大層なものはなにひとつ関係ないし、恋愛感情、失恋感情にまかせて何かに噛み付いて気を紛らわせているいるわけでもない。

 自分でもさっきまでの全力疾走が嘘のようにぴたっと立ち止まり、職員室のドアを、普通に開けた。

 学生の頃は、陰湿で最悪な大人の掃き溜めだと思っていた職員室。今でもそのイメージは残っていて、その中で平気な顔をして仕事をしていられる自分を時たま不思議に思ったりもしたものだ。

 その腐った箱の中には、おあつらえ向きに堺田先生と川西だけがいた。


「…………川西先生。少し、お話があるのですが」

「ん……。……ひひぃっ!?」


 ラップトップのパソコンから顔を上げた川西は、俺の顔を見て酷く驚いた。

 今の俺にはそんなこと関係ない。

 堺田先生も顔を青くしていたのは少しショックだが、とりあえず雑念は取り払って、俺は川西の目の前に……堺田先生には見えないように、スマートフォンの画面を突きつけた。……表示されているのは、川西と若い女性が抱き合ってキスをしている写真。

 川西の大きく開かれたまぶたから、その汚らしい眼球が零れ落ちそうになる。


「お、お前、どこでこんな…………!?」

「……こっちが聞きたい。お前、どこで、誰と、こんなことをしてたんだ?」


 敵か味方かがハッキリした以上、もうこんな奴に敬語を使う必要もない。

 俺の言葉遣いが急激に乱暴になったのを、いつもと違う、川西から遠いデスクで仕事をしていた堺田先生が不審がってこちらを見てくるが、特に気にした様子もない。……というか、関わりを持ちたくないのだろうか。

 戦いた川西だったが、すぐにいつもの嫌味な表情に戻った。脂汗はまだ気化していない。


「……目上の者に対しての『お前』という言葉遣いはこの際無視してやろう。だが、キミの疑わしいものを見るような目だけは気に食わんな」

「…………この写真に対して反論があるってか?」

「歳が離れていて知らないのかもしれないが、この女性はぼくの女房だよ。浮気でもなんでもない」


 ……浮気なんて俺は一言も言ってないんだがな。

 まだ自分の立場が分かっていないのか、はやく採点作業の続きに戻らせてくれとでも言いたげに苛立たしそうに座っている川西を、真っ向から見下す。

 そして、俺は思い切り机を叩いた。


「…………なぁぁっ……!?」

「きゃっ……?」


 業務用の作業デスクから鳴るべきでない轟音が職員室全体に響き、川西と堺田先生が悲鳴を上げる。

 平手を机から浮上させると、デスクには思いっきり俺の手形がついてしまっていた。


 ただ、ヤバい、と思った。感情が抑えられなくなる一歩手前まで来ている。


「ほう、女房がいるって認めるんだな」

「だ、だからキミは口の利き方がだな……!」

「じゃあ、女房のいる身で堺田先生と関係を持ったことについても認めるんだなぁッ!」

「えぁっ!?」

「し、新橋……先生……!?」


 堺田先生は俺の言葉を聞き、青ざめた顔でこちらへ向かってきた。それを止めて、堺田先生は見てはいけません、ということが正しい選択か分からなくて、俺はそのまま、何もしなかった。

 俺はこれから、川西を追い詰めていく段階で、何度も堺田先生の傷口に塩を塗りたくることだろう。


 だが、新たな傷をつけるわけではない。

 だから。


 そんなこと、俺には関係ない。


「し、新橋先生!もういいんです、やめてください!」

「……堺田先生。俺は、あなたの味方です」

「えっ…………?」

「だから、もう何も、関係ない」


 俺はまっすぐ川西を見下ろす。

 言い訳を考えているのか、それとも開き直ろうとしているのか。川西は悔しそうに歯ぎしりをして、俺の冷たい視線を真っ向から見上げていた。

 そして、いきなり立ち上がる。


「は、ははっ、ははははははっ!そうかそういうことか、お前、さてはこの女に惚れてるんだな?だからこの女の色々を奪った俺を!ははははははははははっ、ゴツい見た目してる割にデリケートなんだねェ!」

「話を逸らすな。妻のいる身で堺田先生と関係を持ったか聞いてるんだ」

「その女との関係?そんなもん最初からないんだよ!」

「……っ…………」


 川西は堺田先生に詰め寄って、至近距離で睨みつけながら言った。

 目に涙を溜めて、怯えたように一歩後ろへ後ずさりする堺田先生。


「この女が勝手に勘違いして、この女がぼくと関係を持ったと思い込んでるだけ!ははははははっ、これだから最近の新入りはさァ。接待ってコトバ、知ってる?」

「で……でも、結婚するって言ってくれて……!」

「は?そんな証拠どこにあんの?」

「…………――っ!」

「ははははははっ、やっぱガキだよお前!そりゃあ小学生の時は、先生にチクる時は本人の証言だけで事足りるもんな?証拠がなくても『〇〇君に〇〇された』だけで先生がなんとかしてくれるもんなァ?」

「そ、そんな……私は……」


 徐々に追い詰められていく堺田先生と、彼女を下卑た顔でチマチマとつつく川西の間に、無理矢理に割って入る。

 不愉快そうな川西から堺田先生を遠ざける。

「なるほど、確かに証拠は無ぇな。奥さんはこの写真に写っている人、堺田先生には結婚の話なんかしていないし、彼女とはただの接待だった。……なるほど、たしかにお前が浮気していることの証明にはならないみたいだな」

「……何が言いたい」


 スマートフォンの画面をフリックして、川西の目の前に提示する。


「じゃあ、この写真でお前と一緒に車に乗ってる婦人は誰だ?後部座席に座っているガキは誰の子供だ?」

「はぁっ!?な、ななななっ、な……!!」


 写真に写っている婦人の手元を指差す。


「丁度いいことに、この女の人も指輪をつけてるな。……お前と同じような、な」

「がっ……ががががぁぁぁぁぁっ……!」


 写真に写っている子供の顔を指差す。


「そして、お前とこの女性を足して2で割ったような顔作りの子供たち。……とても他人とは思えないな?」

「お、お、オマエェェェェェェェェェッ…………!」


 再び、デスクを思い切り叩く。


「どういうことか説明してみやがれ、この野郎ッッッ!!」


 不意に、職員室が静寂に包まれる。

 川西をただ睨み倒すだけの俺。

 口をパクパクと動かすだけの川西。

 口元を押さえて、涙を堪えるように目を瞑って俯いている堺田先生。

 開けたままのラップトップの画面が暗くなった。

 川西は、何かいい言い訳でも閃いたのか、歪なニヤケ面で俺に迫ってきた。


「こ、こここおおおおっ……!こ、この女とも遊びだ!ちょっと未亡人の女を相手にしてやったら本気になってきたってだけの話だよ、バァァァァーッカ!」

「……最低の下ってあるんだな。ゴミクズという言葉でも、お前を呼ぶには贅沢すぎる」

「カッコつけてんんンンンンンンじゃねェェーぞッ、このボケ!証拠がねェっつってんだよ、証拠がよ!ああああああああああん!?」

「証拠か。たしかに証拠はないな」

「あぁ!?この期に及んで開き直るってのか!」


 ……開き直るとか、お前にだけは言われたくない。


「証拠はないが、この女性とこの子供に、さっきの、お前と若い女とのキス写真を見せてみたとしたら……どうだろうな?」

「か……かかかかかか、カカッ、カカカカァァァ…………!」


 これは質問ではない。

 脅迫だ。


 浮気をしているという事実を認めないなら、浮気の証拠となる写真をお前の家族に見せるぞ、という、凶悪かつ最強の脅迫。

 川西は、ついにその場に膝から崩れ落ちた。

 俺はそれを、まだ強く睨み続けていた。堺田先生は、いつの間にか顔を上げて、その赤く腫れきった目で、川西を……。残念そうに、悲しそうに、見つめていた。


 川西は、屍だった。


 たぶんもう、こいつにはなにも残っていない。

 浮気や嘘。何がこいつをこうさせたのか。俺たちがこいつのようにならないようにするにはどうすればいいのか。何に満足し何に失望するのか。

 この屍は、もうそんなことを永遠に語らないし思わないし、考えない気がした。

 ただ。


「………………なぁ」


 この屍は。


「…………………………お前」


 何よりも。


「……このことを、誰に、どう報告するつもりだ?」


 この屍は、屍のくせに、何よりも自分が生き延びることに対して貪欲だった。

 口角がありえないぐらい吊り上がった、歪な笑みが再び川西の顔に浮かぶ。


「……何を言ってるんだ?」

「ぼくが浮気をした事実は認めるよ。だけど、それをぼくに認めさせたから何なんだ?学園長や保護者会に報告するつもりか?」


 ……そういえばそんなこと考えてもなかったな。浮気の事実を認めたこいつをどうしてやるか、か。

 依然気色の悪い笑みを崩さない川西は、歯の隙間からククククク、と、バグった鳥みたいに笑う。


「言っとくけど、ぼくが浮気をしてたことを報告した場合、その女と関係を持ったことも報告させてもらうからなァ……?」

「…………!」

「教師の身でありながら、結婚してる人間相手に色々許しちゃったこと自体、罪なんだからさァ。赴任してまだそんな年数経ってないのに、ほぼ確実に辞めさせられることになるけど、それでもいいならぼくのことをチクればいいさ」

「ぐっ……!」


 いつの間にか、虚ろな目でケラケラと笑う川西に脅迫し返されてしまっていた。

 『堺田先生が教師同士で乱れた関係を持った』という事実をバラされたくなければ、『川西が浮気をしていた』という事実を誰にもバラすな。利害の一致というよりは、お互いの害と害が噛み合った、これ以上ないフェアな等価交換だと言えるだろう。

 思わず、目の下の頬肉がヒクヒクと震えて、焦りの脂汗が滲んでくる。

 俺が処分を受けるだけなら、俺は迷わずこのクズもろともに破滅の道を選んだだろう。だが、かかっているのは俺の仕事でも命でもない、堺田先生の人生そのものだ。

 勝った、とでも言いたげな川西の笑みを、思い切り殴り伏せてやりたかった。


 ……………………悔しい。


 結局、何もできなかった。

 握った拳の爪がついに掌に食い込んで、微量の血が出てくる。

 自分の無力さに、そして川西の狡猾さに辟易し、その場に立ち竦む。そんな俺の背中に、小声でもう大丈夫です、と呟きながら寄りかかってくる堺田先生。

 俺は結局、この人の味方になることはできても、助けることはできないんだ。


「ロリータ・コンプレックス。略してロリコン」


 そんなカッコ良さの欠片もないどうしようもない登場セリフと共に、希霧が職員室のドアを開けて入室してきたのは、俺がそんな諦めの感情に支配されきっていた時だった。

 希霧だけじゃない。

 心強い恋愛相談の相手、世葉と津森も、後ろに並んで入ってくる。

 まだ正気とは思えない色のない目で、川西は3人の生徒を睨めつける。

「なんだお前ら…………?テスト期間だぞ、とっとと帰って……」


「センセーこそ、こんなバカップルに難癖つけてねーで、とっとと『ミキちゃん』の元に帰ってやりゃあいいじゃないスか」


「………………は?」


 職員室が、沈黙に支配される。

 川西の表情が真っ白になり、そして……。


 顔の至るところを掻きむしり、狂う。


「はあああああああああああああああああッ!?な、なんだ、それ……!なんでお前が…………!?」

「へー、認めちゃうんですか?」


 世葉が、また感情のない、据わりきった目で川西と目を合わせる。

 その視線から必死に逃げるように、川西は狼狽えて後退する。


「うッ……!し、知らない。ぼ、ぼぼぼ、ぼくはそんなヤツ知らないぃぃッ!」

「なんで知らないんですか?本当に心当たりありませんか?」

「し、知らねぇっつってるだろォォォォ……!!あ、あぁ!?知らねー、知らねーんだよォ!」

「ミキちゃんなんて、けっこうある名前ですよね?たしか私の知る限りで、3年生に2人、2年生に1人いますよ?特に川西先生は2年生の英語を担当してますよね?聞き覚えがあってもおかしくないと思うんですけど……」

「きっ、キキキキ、キイィィィィキキキキキイギギギギギギギギギ…………!」


 闇が奥へ奥へと広がっていくような、深く沈んだ色をした目の津森が、ネチネチと細かく川西を追い詰めていく。

 そしてトドメは、希霧。

 希霧は、どこか川西よりも凶悪なひきつった笑みを浮かべながら、俺、堺田先生、川西の3人全員に見えるように、机の上にスマホを置いた。

 途端。

 川西が、断末魔を上げる。


「ヒェェャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」


 写真の中では、ホテルの室内で、川西が、制服を着た女子高生にけっこうな額の札束を上げていた。

 そして、女子高生のセーラー服はこれでもかとばかりにはだけており、2人はベッドの上に座っていた。


「そう、ロリコンだ。いや、金を払ってその女の子の体を買ってる時点で、ロリコンの風上にも置けねぇ野郎だな」

「児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律。18歳に満たない者の体を買うことは、ロリコンだとか浮気だとか、そういう道徳、倫理、民事的な問題じゃないらしくってな?……まぁ要するにやけど」


「犯罪。……ってことよ」


 世葉は無表情のまま座り込み、崩れ落ちた川西の額を、まるで喧嘩で負かした相手にタバコの火を押し付けるチンピラのようにグリグリと指で突く。


「ああああああああぁぁぁあぁぁあああっ、あああぁ……!あっ、アアアアアアアアアアアア!!」

「川西。あんたの取る道は3通りよ」

「最も愚かな選択肢は、『堺田先生のことを学校に報告する』。これを選んだ場合、俺たちはお前を警察に突き出す。家族に浮気はバレるし、完全に破滅って感じだよな」

「次の選択肢は、『堺田先生のことを黙って、自分から警察に自首する』。これを選んだ場合、私たちは浮気の事実をバラさへん。本気で反省してるなら、これを選んだらいいと思うで?」

「そして、一番メリットが多くてあんたにピッタリ合った選択肢は、『堺田先生のことを黙って、自首はせず、自分から学校を辞める』よ。これを選んだら、私たちはもちろん浮気や買春についてバラさないし、あんたにとって最悪の結末である『逮捕』という道が消えるわ」


 川西の前に、3人が並び立つ。

 どの選択肢を選んでも、川西に待っているのは刑務所か退職。一般的な人の価値観の中で、どちらも『破滅』と呼んで差し支えないものだろう。

 しかし、俺の心に、何かが喉につっかえたような気持ちが生まれる。


 ――俺は川西を破滅させたかったのか?それが目的だったのか?


 ……いや、違う。本当の目的は…………。


「いや、待ってくれお前たち。俺は……」

「……ああ、大人しく自首させてもらうよ」


 俺の言葉を遮って、川西が立ち上がりながら宣言する。

 その殊勝な言葉に、俺含め全員が面食らってしまう。さっきまでの慌て、騒いで叫び、狂い散らしたような外道な表情からは考えられない宣言だったからだ。


「…………長く働いて、必死に働いてきて、何かを見失ってしまったようだね。これだけ働いたんだからこれぐらい許されるだろう、って心の中で思っていたのかもしれない……。いつの間にかぼくの中で倫理観が狂ってしまっていたんだ……」

「……川西……先生」


 何かから解放されたような、穏やかな表情だった。

 当の被害者である堺田先生でさえ、哀れむような目で今の彼を見ている。


「今から警察に電話をかける。……迷惑をかけたね」


 突然の改心に、全員の心が揺さぶられる。

 俺と堺田先生のために本気で川西に怒ってくれた世葉も。堺田先生を心配して、俺に味方になってあげるように言ってくれた津森も。

 2人とも、怒りとも何ともつかない、問題が解決したのに何か歯がゆいような顔だ。

 希霧だけ、真剣な表情のままで、自らを破滅、もとい償いの道に向かわせる電話をかける川西の穏やかな顔を、じっと見守っていた。


「……もしもし」


 しかし、愚かなことに、この時誰も気づいていなかった。

 川西は、『迷惑をかけた』とは言っていても。


「………………なんてなァッ!!」

「なっ……!?」


 まだ、一言も謝罪の言葉を述べていないということに。


 俺に至っては、堺田先生に対して謝らせるというのを目的としていたはずなのに。

 川西は一気に下衆な顔に戻り、携帯を耳に当てたまま、正面に立ちはだかっていた希霧を左横に弾き飛ばして扉の方向に駆け出した。レターケースに希霧の背中が激突し、中に収納されていたプリント類が紙吹雪のように舞う。

 希霧から川西へと視線を戻した時には、奴は既に職員室の扉を後ろ手に閉めたところだった。


「クソがっ、待ちやがれ!!」

「斗月、あんたもっと頑張って止めなさいよ!」

「中年のオッサン相手に何してんねんな!」

「いってて……!無茶言うなよ、心配の言葉なしかよ、鬼かよお前ら!」


 アホな3人の声を背に、俺もすぐに川西を追って職員室を飛び出す。

 廊下に出て左の方向に向かって川西は走っていく。どうやらあのクソ野郎は、この高校の敷地内から出て逃げようとしているらしい。

 それに、何故か走っている今の間も耳から離していない携帯電話も気になる。

 ……何かを呼び出して、その方に俺たちを誘い込もうとしているというのだろうか?

 まぁ、そんなことは関係ない。これが罠だと明確に分かっていたとしても、俺はまっすぐにヤツを追っていただろう。

 どこまで逃げるつもりなのか。川西は年齢の割にかなり速いその逃げ足で、校門を潜り、道路を右折して人通りが無いに等しい、工事が途中で中断されたような荒れた空き地に逃げ込んだ。

 そして、陸上選手がコーナーを曲がるように重心を左半身に据え、低くしたその左手で、空き地に落ちていた鉄パイプを拾い上げた。

 それを俺たちの方に突きつけて、足を止める。


「ははははははっ!バッカだなぁ、ぼくが反省したと思ったァ?脳のミソが足りてないんだよねェ」

「……その武器で脅かしたつもりか」


 後を追ってきていた3人と堺田先生は、俺から距離を取ったところで息を上げて佇んでいた。

 俺は今度こそ、『これ以上のことをしたらただでは帰さないし引き返させない』という、昔によくしていた剣呑な視線で、川西のド頭を貫いた。

 ――どんな結果に、どんな結末になろうとも、これで終わりだ。

 川西はそれに、最後まで歪んだ笑顔で応じた。


「…………はァ?そんなワケないじゃん。安直な考え方だなァ。これだから筋肉バカの元ヤンはさァ。歴史なんかよりもエイプみたいに無駄に動いて体育を教えてる方が32.195倍似合ってるよ、耳の穴にバッファローの糞詰めてろタンカスがッ!!」

「………………言葉選びのセンスがすごいな」

「……ぼくがこんな野蛮なモン振り回すワケないだろォ?キミらを殴り倒すのは、ぼくじゃない。気付かないかい?ぼくがさっきまで通話してた電話をポケットに仕舞っていることにさァ」


 何を用意しているのかは知らんが、相当自信があるらしい。既に勝った気でいやがる。

 鉄パイプを魔法の杖のようにクルクルと回しながら、川西の煽りは止まらない。


「何だと思う?ねェ、何のためにぼくが携帯を使って、誰に電話をかけたんだと思う?」

「考えるのが無駄だ」

「ふぅん、あっそ。スカンクの下痢糞みたいにクソつまんない答えだね……」


 話していると、遠くで明らかに改造のかかったバイクのエンジン音が聞こえた。

 それは川西にも聞こえたようで、ただでさえ人間とは思えないほど吊り上がった口角をさらに上げて、ケラケラと笑った。

 ……なるほどな。

 川西が何のために、どんなヤツに電話をかけたのか、大体分かった。……にしても、『俺の一番得意とする人種』を呼び出して俺をどうこうさせるだなんて、コイツも最後の最後で愚鈍と言うか哀れと言うか、不運なものだ。


「……ぼくはねェ、『通報』したんだよ。ぼくが自首するんじゃない。キミたちがもう余計なことを喋れないように、キミらの口を処刑させてもらう」

「…………できるといいな」


 バイクのエンジン音が近付いてきて、だんだんその発音源が見えてくる。

 川西の背中側。

 オレンジ色の立ち入り禁止の看板や廃止された標識などを弾き飛ばして、まさに『モンスターバイク』と形容するしかない、見てるだけで色彩感覚やら美的感覚やらが狂いそうになるような、頭が悪そうで最高にカッコイイ大型二輪が登場してきた。


 ……おお。なかなかいいセンスだな。


 まぁ当然のように、そういうバイク野郎共というのは仲間と群れているわけで。

 所謂ゾクってヤツだ。

 背中に大きく『扡炉裏闇デロリアン』と書かれた、以上に丈の長い特攻服を羽織っている集団。見ただけで、ざっと20人はいるだろう。全員が全員、ガッチガチのバイク用ヘルメットをかぶっていて、宇宙人かなんかの機関みたいだ。

 彼らの到着を以て、川西がマジでシンナーか何かをガンギメてるんじゃないかと疑わしくなりそうな狂いようで爆笑する。


「アアアアアアッハアアアアアアアアアアアアアアアハハハハッハッハァ!!ぼくの最強の用心棒、専属ボディーガードと言って差し支えないようなヤツらだ!ただの暴走族じゃねぇ、北海道から勢力を拡大してきている侵略者のエリート集団ッ!」


 ……悪役にドップリとはまってやがるな、コイツ。


 怒りとかそういう感情抜きで、素直にドン引きして苦笑いだ。ホント怖いってコイツ。しかもほとんどバイクのエンジン音で聞こえないし。

 暴走族の最前列の真ん中に乗っていたリーダーっぽい男が、ヘルメットをはずして、そのキラキラと輝く赤色に染めまくった、長い長いオールバックの髪を風に晒す。


「全員ッ、起立ッ!!」

おうッ!!』


 リーダーらしき男の張りに張った声に呼応して、ゾクの全員がバイクから降りて直立する。

 暴走族というよりはよく統率された軍隊みたいだ。

 全員が姿勢よく立っていることに満足そうに頷いて、リーダーの男がこちらへ歩いてくる。


「御礼は弾むよ、キミたち。……ぼくはここで、コイツらが血みどろになるのを気持ちよく眺めてるからさァ。あっははははははっはっはははははは!!」

「…………了解、です」


 男は川西の命令に、少し迷ったように頷きながら、こちらへと歩いてきた。

 体格はけっこうゴツい。俺と同じくらいか、それ以下か。

 顔にいくつかガーゼを貼っていて、つい最近も荒事をしたことが見て取れる。

 それを見ながら、俺は『懐かしさ』を感じていた。


「……すまないな。今の俺たちにはカネが必要なんだ。そのためにはこんなヤクザ紛いのことでも、手段を選んではいられないんでな……。悪く思わないでくれ」

「…………こう見えても、俺も昔はそっちの人間だったんだ。それも由緒正しく、『神聖な暴力』を重んじてる、な。だから、せめて名乗ってから攻撃を始めてくれ」


 俺の言葉に一瞬目を見開いた男だったが、すぐにそんなわけがない、って感じに、もとの、ナイフのように鋭い、薄く開いた目に戻った。


「……ちょうど俺たちのこのチームも、そういうものを重んじている。では名乗ろう。俺は、窯虎鬼がま とらおに。そしてこのチームの名前は……」

「『扡炉裏闇』と書いて『デロリアン』」

「…………!?」


 窯の目が見開く。今度は、それがしばらく閉じられない。


「普通の人間には読めないハズだ、って思ってるだろ?当然だ、俺はもともと、お前らのチーム、扡炉裏闇に所属していた人間だったからな」

「…………なんだと?……い、いや、そんなことは関係ない。俺たちはお前を……」

「『馬鹿正直ノーマルタイプ』……そう呼ばれてた時期もあったな」

「なっ!?……そ、そんな…………!?」


 ……こういうのって、自分から名乗るのはカッコ悪いんだけどな。

 まぁ、本名言っても信じてもらえないだろうし、状況が状況だから仕方ない。利用できるものは全部フル活用ってことで。

 俺の発した二つ名と、窯のただならぬ焦りの表情に、仲間たちもヘルメットを外して駆け寄ってくる。


「窯さん!?大丈夫ですか!?」

「今こいつ、なんて……!?」

「おいッ!!誰が配置を崩していいと命令した!すぐ戻れ!!」

『……はッ!』

「扡炉裏闇、ツッパリ之心得、其の四。『統率第一。チームで動くときは隊長を決め、全て命令に従って動くこと』……か?発足直後からあった決まり、今もまだクソ真面目に守ってんだな、感心なこった」

「…………!まさか、アンタは本当に……?」


 ……よしよし、揺れてるな。

 そもそも扡炉裏闇というのは、俺と他数人規模の、ヤクザ映画の真似事から始まった。

 仁義、という曖昧なものを振りかざして、他人には迷惑をかけない。同じような人種とは闘うことでコミュニケーションを取る。そんな正義ぶったことをやっていたら、いつの間にか北海道全体を取り巻く暴走族チームが出来上がっていた。

 一般人に突っかかったりしない、喧嘩相手にも嘘をつかず正々堂々と闘う、などという『理想のヤンキー像』のような決まり以外にも、夜は騒音になるため公道を走らない、突然殴り込みに押しかけるなんてことはせずアポを取って喧嘩に挑む、など、暴走族らしくない決まりもあった。

 『神聖な暴力』を重んじる、新しい形の暴走族。

 その扡炉裏闇の初期メンバーであり、武器を使わない喧嘩なら最強と言われたのが俺だった。


「……新橋先生が、元暴走族……!」


 いつの間にかアホ3人と一緒においかけて来たらしい堺田先生が後ろで目を輝かせている。

 ……うん、まぁ、好きな人に『元暴走族だったから』という理由で嫌われるのもイヤだけど、好きな人が、元暴走族という単語と肩書きにテンションを上げているのもちょっとな……。


「……あのウワサ、ホンマやったんや」

「うへぇ、どっかのIQ150のリーダーよりもずっと主人公ね」

不運ダンスダンスってそうだな」


 あと妙な偏見で俺を見るなアホガキ。なんだ『ダンスってそう』って。


「何してやがるッ!とっととやっつけろ!」


 窯は、依頼人に急かされてイラついたのか、すこしヤケクソ気味になってこう尋ねた。


「……デタラメを言っているなら今すぐここで全治7ヶ月にするぞ…!本当にお前が『北海道南西エリア1代目頭領、馬鹿正直ノーマルタイプの新橋』だって言うんなら、証明して見せろ!」

「証明、か……」


 証明と言われると難しいな。

 ちょっと悩んでいると、意外なところから助け舟が来た。


「窯さん!初代総長の記録によると、馬鹿正直は、『タバコ5本を口の中で反転させてジュースを飲む』というのを特技としていたそうですッ!」

「承○郎かよ!?」

「あぁ、それなら今でも出来るぞ」

『!?』

「つっても今、タバコはあるけどジュース持ってねぇからな……」

「……おいお前ら。誰かこいつにジュースをやれ」

「はッ!丁度まだ口をつけてないドク〇ーペッパーが!」


 間抜けそうな構成員が、走ってこちらへドクペの缶を持ってきて、手渡ししてくれた。

 その缶をプシュっと開けてスタンバイし、5本のタバコに、片手で火を点ける。


「んじゃ、行くぞー」


 くるん。ぱっ。

 ごくごくごく。

 うわー、ぱちぱちぱち。


「すげぇぇぇぇ!…………って言ってる場合じゃねぇ!本物だッ!この方は、本物の新橋さんだ……!」

『し、失礼しましたァァァァァァァァァァァァッ!!』

「いえいえこちらこそ」


 特攻服のヘルメット男約20人で一斉に頭を下げられるというのは、久しく忘れていたがこんなにもシュールなものだったんだな。現役の時には何回も見た光景だけど。

 扡炉裏闇の連中の強烈な手のひら返しに、川西が狼狽える。

 というより、絶望する。


「………………………………………………………は?」

「静かになったな、川西。これから遺言を言ってもらおうと思ってたのに…」

「あ、あぁ……?………………………………………………………ち、チクショォォッ!」


 川西が後方へと逃げ出す。

 だが、当然その方向には俺の愛する舎弟、扡炉裏闇のバイクがあるわけで。


「おいてめぇら!そいつを止めろ!」

『お、王ッ!』

「な!?く、くそどもがッ!やめろ、ぼくは、ぼくは、ぼくはぼくはぼくは、ぼくは偉いんだぞ!?ぼくがお前らを金で雇ってやってるんだッ、畜生めッ!!放せよォォォォォォォ!!」


 もがく川西だったが、鍛えられた扡炉裏闇の構成員たちに、無様に逃げようとする中年のオッサン1人を止めることなど屁でもない。

 そして俺は、文字通り、後ろからその首根っこを掴んだ。


「ひッ!?」

「……今から俺が何をすると思う?」

「な、殴るのは!殴るのは勘弁してくださいィィィィっ!い……嫌だ、お願いですからやめてぇぇぇ!!」

「………安易な考え方なのはお前の方だな。俺が殴って解決なわけねぇだろうがダボ」


 そのまま思い切り腕を下に振り、川西を地面へと叩きつけた。

 そして、堺田先生を指さした。


「……お前を殴るか、許すか、通報するか。全部を決めるのは、決めていいのは、被害者である堺田先生だけだろうが」


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