その水曜日に決戦を
「……デートの日程が決まった」
『おぉっ!?』
「……明日だ」
『はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?』
5月12日、火曜日。
今日も今日とて暇人の汚名を欲しいままにしている夏矢ちゃんは、まだテストまで数日あるし余裕っしょ!ということで私を誘って、相変わらず恋に悩める新橋先生の相談に乗っていた。
人通りの少ない旧校舎の一角、エレベーターホールの踊り場で、新橋先生は顔を真っ青にして、相談相手である私たちにかなりの重大発表をした。
夏矢ちゃんが慌てて尋ねる。
「え、え、きゅ、急すぎません!?いくらなんでも!」
「し……仕方ないだろ!日曜日に急遽、友達と予定ができたらしいんだよ!」
けどそれにしたって……。
……いや、もうやめておこう。堺田先生に日程の変更をお願いされて、ものっすごい喀血しながら全然大丈夫ですよ!とか言ってる新橋先生の姿が目に浮かぶから。
「でも、プレゼント渡したいとか言ってましたけど、そんな急で、ちゃんと用意できてるんですか?」
「もともと、プレゼントには当日買った花束を渡す手筈だったから、そこは問題ない」
「こう言っちゃなんだけど、本当ロマンチックなんですね先生……。LI〇Eとかメールとかで告るこのご時世に、遊園地で花束持って愛の告白って。何年代の別冊マー〇レット?」
ニヤニヤ顔の夏矢ちゃんが喋っている間も、先生は聞いてるのか聞いてないのか、顔を青くしたり赤くしたり緑色(?)にしたり喀血(!?)したりするばっかりだ。……先生の皮膚はリトマス試験紙か何かなのだろうか。
ついにデートの日が正確に決まったという嬉しい発表を、本当に嬉しがって、飛び跳ねて喜んでいた夏矢ちゃんだったが、不意に、んん?とアヒル口になる。
「え、でも、明日って普通に水曜日じゃ……?」
「……えっと夏矢ちゃん、それ本気で言ってるんかな?」
「……明日は輪通学園の創立記念日だぞ?」
「……………………え」
「朝のホームルームでも再三言ったハズなんだが、お前さては遅刻してきたな?」
「……認めたくないものだな、自分自身の方向音痴ゆえの過ちというものを」
「高2の今になって自宅から学校までの道のりをミスる奴があるかっ!」
「門衛くんからたまに聞いてたけど、ホンマにものすごい方向音痴やってんな……」
苦笑いしながらそっぽを向いて頭を掻く夏矢ちゃん。もはや、こんな壊滅的な空間把握能力でなんで今まで生きてこれたのか、っていうレベルなんやけど。
先生は額をペチペチと叩きながら溜息を吐く。
高校教師に方向音痴を心配される女子高生と、女子高生に恋愛の心配をされる高校教師と、ただただ苦笑いをせざるを得ない私。うわっ……私のキャラ、薄すぎ……?(某広告風)
「はぁ……。ともかく、俺は明日ルルイエランドで堺田先生に告白する。応援、よろしくな」
『任せてください!』
「……間違っても、当日ランドに見に来ようとか思うなよ?」
『……ま、任せてください!』
夏矢ちゃんと二人で、先生に聞こえないようにチェッと舌打ち。こんなことしてるから腹黒とか言われるんやろうな。直す気はないけど。
それだけ言うと新橋先生は、明日のために仕事を残さないようにしたい、と言って、一階の職員室へ戻っていった。
エレベーターホールに残された私たちは、意味もなく苦笑いしあった。
「釘刺されちゃったわね。絶対見に行こうと思ってたのに……」
「何言ってんの、夏矢ちゃん?」
「え?」
夏矢ちゃんは、悪そうな私の声に目を見開いて驚く。
……今まで振り回されるばっかりだったけど、私だって人の言うことを聞いてばっかりじゃないし、やんちゃだってしてやりたくなることもあるのだ。
「明日ぁ、もし暇やったらぁ、ルルイエランドでぇ、デートせぇへんー?」
私の言葉の意図を一瞬で理解した夏矢ちゃんは、ニタァ、と、私なんかよりずっとホンモノの、およそメインヒロインとは思えないゲス顔を浮かべて返事をした。
「いいわねぇ!……まさかぁ、遊園地でデートしたあとにぃ、花束を渡して告白するようなカップルなんてぇ、いるとは思えないけどぉ!」
「げへへへへ……」
「うへへへへへへへへ……」
「げぇっへっへっへっへっへっへっへっへっへ……!」
「うぇっへっへっへっへっへっへっへっへっへ……!」
え?絶対違うだろって?絶対新橋先生の告白を野次馬するために行くんだろって?
いやーちょっと何言ってるか分かんないですねー!ていうかそもそも新橋先生って誰だよw 頼むからそういうのはお前の脳内だけで勘弁。
そんなわけで、誠実さや正直さの欠片もない結託を交わした私と夏矢ちゃんは、明日、ルルイエランドで2人のデートを見守ることにしたのだった。
#
来る水曜日。
体調、良好。
天候、良好。
花束、カバンの中に隠してある。保存状態良好。
精神状態、今のところ良好。今のところ。
「ぷっはぁぁー!ティガ〇ックス、めっちゃカッコよかったですねーっ!咆哮ヤバすぎー!」
「……アレを防げるって考えたら、高級耳栓の品質スゴイですよね。……とりあえず、ア〇ルーがめっちゃ可愛かったです」
「あはは!新橋先生、意外にカワイイもの好きなんですねー!あ、売店もモ〇ハン仕様になってるー!すっげー!ちょっと行ってみませんー!?」
「こん〇り肉、あるかな……」
2人の空気……概ね、良好。
近年急激に売上が伸びてきたテーマパーク、ルルイエランド。そこで開催されているモン〇ンの体験型アトラクションの数々に、堺田先生も俺も、テンションの昂ぶりを隠せないでいた。
いい大人が、2人してすっかりはしゃいでしまっている。
今日、俺はこの人に告白する。そんなことを忘れてしまったわけはないのだが、堺田先生とのアトラクション巡りは、恋愛感情抜きに、ただただ楽しかった。
展示されている等身大モンスターに咆えられてみたり、ジェットコースターに乗って柄にもなくうわぁぁーなんて叫んでみたり。格好つけたり、人からどう見られてるかなんていう余計な雑念が全く消え去って、楽しい、次はアレに行ってみよう、というワクワクだけが心を支配する。
一緒にいて楽しい、というのは、そういった面でとても大切なことだと思う。少なくとも、相手に求めているのが、顔や体や家柄やキャリアや金ではない限り。
俺たちはランチを食べるべく、パーク内のレストランに来ていた。塗りたくったような白ではなく、その空間だけ元から真っ白だったかのような、清潔感溢れるフレンチの店。そこで注文するのは勿論……。
「んー!美味い!美味すぎる!もっと食わせろ!ってヤツですねー!」
「ショウタイムだ!」
「あっはははは!似てる!めっちゃ似てますよ!あははははははは!メラ〇ーまんおいしい!」
コラボメニューである。
ここまで騒いで叫んで楽しんだあとに、無駄にカッコつけて知りもしないフレンチのメニューを頼むのも、興ざめというか、何か違うだろう。
堺田先生は外皮に大きな肉球がついた中華まんとピザまんを、俺は超でっかいこんが〇肉に、それぞれ溢れ出る肉汁を気にしようともせずに、口も拭わず豪快に喰らう。
食事をしているだけで意味もなく爆笑できるなんて……。俺は今、どんな顔をしてるんだろう。想像しているだけで、また笑えてくる。
と、シアワセムードに浸っている時に。
俺は、奥の方の席に、見慣れた顔であると同時に、今日一番見たくなかった顔である2人の姿を発見してしまった。
方や、金髪ポニーテール。方や、黒髪ロング。
そして、それで変装してるつもりかよ!と思わずツッコミたくなるような、わざとらしくドデカい百均クオリティのサングラス。
……間違いない。世葉と津森だ。あのアホ共……。
「んー?どうかしました?」
「あ、あぁいや……」
思わず眉間を押さえるが、今は奴らのことを気にしている暇などない。
現在、午後1時20分。日が完全に暮れてキレイな夜景が見えるようになるのが、午後7時ちょっと前頃。その時に観覧車に乗って、頂上で花束を出して告白するとして、残り時間、5時間40分ほど。
ちなみに、ぬかりなくそれとなく確認しておいたが、堺田先生は今日は夜まで遊んでも大丈夫だと言っていた。
これからの時間を、2人でどう過ごすか。それが問題だ。
……やつらをどう始末するか、それも問題だ……。
「うぅーん、新橋先生の食べてるこんが〇肉もめっちゃ美味しそうですねー……。えっへへー、追加で頼んじゃおっかな!」
「……じゃあ俺も、ア〇ルーまんを頼もうかな」
「あっはは、いいですねー!お腹いっぱい食べちゃいましょう!」
……いや、問題なんかじゃないな。
今までどおり、自然に、楽に、堺田先生との時間を楽しんで過ごせばいいんだ。変にカッコイイところを見せようだなんて、俺らしくないし鬱陶しいだけだ。
俺と堺田先生は、レストランで満腹になるまで、談笑を交えながらダラダラと、けっこうな時間をかけて料理を食べ尽くしたのだった。
#
『………………』
ルルイエランドで先生たちの姿を発見して、朝からずっと尾行を続けていた私たちは、楽しそうにランチを終えて店を出て行く2人の背中を見送った。
さて。
本来の目的通りでいくなら、追いかけて尾行を続けるべきなんだろうけど……。
「……もう、ええか」
「……そうね。あの2人の様子なら、特に問題ないだろうし……」
夏矢ちゃんの表情から、私は、きっと同じことを思っているんだろうなぁと考える。
『……正直、もうめんどくさい』
2人の声が揃った。
やってられっかー!と、夏矢ちゃんは4杯目のメロンソーダを一気飲みして、悪酔いした酔っぱらいのように理不尽な文句を垂れ流す。
「なによ!?フッツーにデートしちゃってんじゃない!私はもっとこう、初々しい感じが見たかったのよ!もっとこう、お互いにデートってものがよく分かんなくてモジモジしちゃうような展開が見たかったのよ!何あれ!?手馴れすぎてない!?安定しすぎてない!?」
「2人は夏矢ちゃんの見世物になるためにデートしてるわけじゃないから……」
「というのは建前で?」
「そうや!何あれ!?何あの熟年夫婦が久々の2人でのお出かけを満喫してるみたいな!何やねん、普段ちょっとしたことで喀血するクセにあの絶妙なエスコート!意味わからん!」
「もーやってらんないわ!こーなったら遊びまくりましょう!こんなところで2人のいい感じの雰囲気のオシャベリなんか眺めてメロンソーダ飲んでる場合じゃないわ!」
「飲んどる場合かーッ!」
「こうなったら遊び尽くしてやるわ!ジェットコースターから回るわよ!全速前進DA!」
『ルールを破って楽しくデュエル!』
私たちは、レジを手短に済ませると、ダッシュで店を出てジェットコースターへ向かおうとして……。
数歩歩いたところで、巨大な壁に行く手を阻まれた。
「……よう、どこ、行くんだ?」
目の前に、そこそこセンスあるカジュアルな私服に身を包んだ男性の、筋肉の鎧を纏ったような分厚い胸板が。
そして視界を少し上に傾けると……。
『…………え』
そこには、よく見知った強面の顔があった。
G・T・S……グレートティーチャー新橋。
「よう。教師のデートを見るのは楽しかったか?」
「……え、えっと。ひ、人違いじゃないですかねー…?」
「そ、そうそう!私たちは新橋先生なんて人知らないわよ!」
「…………俺が新橋だと名乗った覚えはないんだが?」
「……あ」
「夏矢ちゃんのアホぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「い、いや!違うんですよ!私たち、今日は百合百合なデートに来ただけですから!新橋先生が来てることなんか、完全に忘れてましたから!いやー、もうホント、偶然ですねー!あっははー!」
「そ、そーそー!私と夏矢ちゃん、ラブラブなんで!!」
「……へぇ。ユリユリがどういう意味かは知らないが、今からどこ回るつもりなんだ?」
「先生たちが乗ってたのが楽しそうだったんで、ジェットコースターとか乗りたいですねー!」
「…………俺たちがジェットコースターに乗ってるの、見てたんだな?」
「……あ」
「夏矢ちゃんのボケナスぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
「…………さて。遺言状は書いたか?」
ドゴッ。
ゴスッ。
……頭のつむじを的確に狙ったこの上なく直角的なゲンコツが、私と夏矢ちゃんの上に、容赦なく一発ずつ落とされる。
……痛い。
何が痛いって、これだけ衝撃があったら意識が飛んでもおかしくないハズなのに、未だ視界はハッキリとしたまま、強烈な痛みが私の痛覚をジンジンといたぶり続ける。……そのへんの調節がさすが元番長といったところか。
2人頭を抱えて、土下座するような形で蹲る。そんな私たちを見下しながら新橋先生は、ふぅ、と、ようやく溜まっていたストレスを発散しきれたとばかりに清々しい顔で汗を拭う。
そして、私たちの前に、2枚ずつ、紙切れを落とした。
「いったたたたた……。……って、何これ……!?」
「せ、先生!?いくらなんでも、これは……!」
私はすぐさま立ち上がって、自分の前に落とされた紙切れ2枚を先生に返そうとする。
そのうち一枚は、観覧車のチケット。そしてもう1枚が……お金、それも1万円。いや、額が問題ってワケじゃないけど、生徒が教師にお金をもらうっていうのはマズいだろう。
「いーから。俺らの尾行なんかやめて、その金で遊べ。……その代わり」
先生は、パークの北のほうを指さした。
その方向では、ダークな色に彩られ、タコのようなキモかわいい感じのキャラクターが乗った20数個のカプセルが、時折ピカピカと光りながら、青空の下でゆったりと回っていた。
「夜7時。観覧車が頂上に来た時、俺は告白する。……見ていてくれとは言わんが、ま、応援しててくれ」
それだけ言い残すと先生は、背中を向けて去っていってしまった。
手元に残された1万円を眺めながら、夏矢ちゃんは静かに呟く。
「……言われなくても、ずっと2人が結ばれるよう祈ってましたよ」
何もかも分かったような顔で頷いて、私たちは、先生とは違う方向に遊びに繰り出した。
#
楽しい時間と、緊張するようなイベントの前の時間は、あっという間に過ぎ去る。
俺にとっての今日という時間は、その両方の条件を満たしており、現在6時50分、終わってみると、本当に俺の中の時間だけが異常に加速されてしまったように感じられた。
日はほとんど暮れて、青い青い空の色が時間の経過につれてどんどんと濃さを増してくる。こうして観覧車の列に並びながら堺田先生と話して、ちょっと目を離したスキに誰かがイタズラしていくように、青が紺に、紺が黒に。
だんだん暗くなっていく空のグラデーションと反比例するように、心拍数が急上昇する。大丈夫だろうか、顔は赤くなっていないだろうか、喀血しないだろうか。
「あ、次、私たちの番ですよ!のりこめー^^」
「あ、は、はいッ……!」
「む、そこは『わーい^^』ですよ?」
やっと来たか、という喜びと、もう来てしまったのかという焦りが、まだ観覧車に乗ってもいないというのに、頭の中をグルグルと、大ぶりに回る、回る。
俺が先に乗り込み、堺田先生に手を差し出して引き込む。
2人がカプセルの中に無事に収まったことを確認して、従業員はにこやかに扉を閉めた。
「めちゃんこ楽しみですねー!遊園地で観覧車に乗るなんて、何年ぶりだろう?」
「…………ガキの頃によく乗ってた、なんてことは全くないのに、なんでか、すごく懐かしい気分です」
「あはは、私もです。この辺りの風景なんて、懐かしいなんて思うわけないのに…なんでだろう。……あ、そういえば、なんで観覧車って、殆ど決まって時計回りに回るんでしょうね?」
「あぁ。それは、従業員が右手でゴンドラのドアの操作をしやすいように設計されてるかららしいですよ」
「へぇ~!すっごい、物知りなんですね!?あはは!」
「……い、いえ。昔のツレがそういうトコで働いてるから話を聞くってだけですよ。…………でも俺は多分、そんな業務的な理由じゃなくて……遊園地らしい、夢のある理由があると思うんです」
「…………?」
顔が赤くなるが、テンションが暴走することはない。
観覧車を時計に見立てて、今、7時の場所。
俺は柄でもなく、『夢のある』なんてポエム的な、ロマンチックなことを語る。
「時計の回転方向と、観覧車の回転方向を合わせることで……その観覧車で一緒に乗っていた人と、同じ長い時間を過ごしたっていう、一体感のような……。……俺は国語教師の堺田先生と違って、全然上手く説明できないですけど……。要するに、観覧車の中での時間が、一層かけがえないものになると思うんです」
「……素敵ですね!……一層かけがえないものに、か」
堺田先生は、そこまでかみしめるように言ってから、薄く笑って、外を眺めた。
俺も、外を眺める。
ベンチに並んで座って、誰の金で買ったのか、高そうなアイスクリームを舐めながらこっちを眺めている2人の女子高生が見えた。
……特に意味はないが睨みつけて、視線を別のところに向けた。
#
「……新橋先生、ちゃんとやってるかな」
「……どーかな」
変装を解いた私と夏矢ちゃんは、先生の言いつけ通りめいっぱい遊んで、現在、ベンチに座ってアイスクリームを舐めながら決戦の観覧車を見上げていた。
赤、オレンジ、黄、緑……。それぞれの色鮮やかなカプセルの上には、禍々しいタコのようなキャラがヌルヌルと冒涜的に鎮座している。
「告白する時に血を吐いて堺田先生にかけたりしなきゃいいんだけどね」
「……大惨事やな」
何が怖いって、その可能性が完全に無いと言い切れないところだろう。あの先生は強面なくせに変なところでヘタレだから……。
なんだか私も夏矢ちゃんも、自然と口数が少なくなってくる。
私が告白するわけでもないのに、緊張して胸が高鳴る。多分夏矢ちゃんも私と同じように、新橋先生の成功を祈っているのだろう。
観覧車はゆっくりと回り、時計で表すところの9時の位置。
「……先生、観覧車がてっぺんに来た時に告白するって言ってたわね」
「……つくづくロマンチックな人やんな」
………………。
「……告白失敗したら、あとの半周分どうするんやろな」
「こらこらこら!?」
「じょ、冗談やて。論子ちゃんお得意の暗黒冗談!」
「縁起悪いにもほどがあるわよ!?」
つい本音が漏れてしまった。
い、いや、ドラマ見てたらよく考えへん?めっちゃロマンチックな告白シーン見ながら、コイツ失敗すること考えてへんのかな、とか思わへん!?
まったくもう、と呆れ顔の夏矢ちゃんに、ごめんて、と謝りながら、また無言に戻る。
「……成功してほしいわね」
「……そうやね」
夜の遊園地のベンチで2人、静かに心の中で願った。
観覧車は、10時の位置まで回っていた。
#
――もう少しで告白だぞ。大丈夫か?
――大丈夫だ、問題ない。
そんな自問自答的やり取りを脳内で繰り返す。観覧車が俺の気持ちが落ち着くのを待ってくれるわけもなく、無慈悲にゴウゴウと回り続ける。
「大丈夫ですか?なんか、カオ、赤いですよ?」
「えッ!……あ、あぁ、うーん……。昼間飲んだ酒が今頃回ってきましたかね?ハハハハ……」
「もー、私なんかワイン3本開けてもヘーキだったのにー?」
「ご……豪快でしたよね」
そのあとだいぶ長い時間トイレに篭ってましたけどアレは?とは言わないでおこう……。堺田先生がトイレに行っていたおかげでヤツらにも釘を刺しに行けたんだし。
ともかく、今は告白する心の準備をしないと……。
告白中に精神が高ぶりすぎて観覧車の中で喀血、なんてことになったら、OKもらえるもらえない以前の問題だ。
俺は窓の外の景色を眺めるフリをしながら、頭の中を整理していた。キラキラと煌く夜の明かりが星のように下を照らし、星空を見下ろしているような、不思議な感覚だった。
そんな時に、堺田先生は本当に嬉しそうな声で喋りだした。
「ちょっと早いかもしれないですけど……。今日は、本当にありがとうございました!モン〇ンイベントには友達と来ようかなと思ってたんですけど、モ〇ハンを一緒にプレイしてくれる同士の新橋先生と来れて、本当に楽しめました!」
「い……いえ、俺の方こそ、とても楽しかったです」
「……えっへへ。こんなこと言うのも照れくさいですけど……」
堺田先生の笑顔は本当に綺麗で、純粋で。
だからこそ。
俺は、次の彼女のセリフに、深く心を抉られた。
「……これからも、友達でいてくださいね!」
「…………!」
安全地帯にいたはずなのに、いつの間にか矢面に立たされていたような、そんな感覚。
胸が締め付けられる。
息が止まる。
友達。
普通、女性と恋人関係になるまでに1度は通る関所のような関係。
これからも友達でいてくださいね。
この言葉の意味が、徐々に心を臆病な気持ちで満たす。固まっていた覚悟が、落ち着いてきていた心情が、崩れ、乱れ、心の中を暴れまわる。
堺田先生とこれからも友達でいる、ということがどういうことなのか。
今日告白するという、ただの同僚関係から一気に恋人関係になる行動選択肢を捨てて、友達、遊び仲間という関係に甘んじ、もっと親しくなってから再度、交際を申し込むことができる。
損得で考えているのではない。だけど、その言葉を言われた瞬間、俺の告白は失敗するのではないかという不安が膨らんでいった。
学校の外で、私用で会って出かけるのは今日が初めてだというのに、その1回目で、まだお互いを知れているとは言い難いこの早すぎるタイミングで、恋人関係を迫る。
……それって、どう考えても不誠実なんじゃないか?軽薄じゃないか?
考えれば考えるほど、ドツボにはまっていく。トモダチというその4文字が暴走して爆発して、思考の底なし沼を形成する。
「……し、新橋先生?さっきより顔が赤すぎるし辛そうですよ?やっぱり気分悪いですか?」
「………………!」
だめだ。
不誠実とか軽薄とかなんだかんだ言って、俺は出ない勇気と出来ない覚悟に言い訳してただけだ。一度やるって決めたことを、どうにかして取り下げようとしてただけだ。
これ以上考えても、また『今告白していいのか?』『一度決めたんだろう?』の自問自答の無限ループに陥るだけ。
だったら、こんな甘ったれた思考は早く打ち切りにしてやらないといけない。
俺は、告白するんだ。
理由は、この人が好きだから。
今がいいムードだから告白するんじゃない。まだ早すぎるから諦めるのでもない。
俺は、告白するんだ。
堺田奈央子という女性が、好きだから。
「……さっきした、観覧車の話。覚えてますか?」
「え?」
俺はカバンを開けて、花束を取り出す。
ベゴニアの優しげな色がゆさゆさと揺れて、大きく見開かれた堺田さんの目に、白とピンクのグラデーションが映る。
「時計の回転……時間の動きと観覧車の動きを同じにすることで、一緒に乗った人との一体感が生まれる。より一層、かけがえのない時間に、思い出になる。俺は、あなたと過ごしたこの時間を、一生忘れません」
ゆっくりと、自分を試すように、大きな声で。
俺は、告白の言葉を1語1語紡いでいった。
「堺田奈央子さん。ずっと、あなたのことが好きでした。……お付き合い、してくれますか」
言った瞬間、時間が止まった。
堺田さんの唇が揺れて、言葉が出かかっては止まり、止まっては揺れる。
答えを待つ、永遠の時間。
観覧車を時計に見立てて、12時の位置。ついに、俺は告白を果たした。
「…………わ、私……」
止まった時間が、また回りだした。
ベゴニアの花束は、俺の手から向かい側に座る堺田さんに差し出されたまま、揺れずに返答を待っているようだった。
そして。
「……ごめん、なさい」
堺田さんの瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
重力のままに落ちてゆく。床に落ちて、弾ける。
「……ごめんなさい。……私、もう……結婚の約束をしてる人がいます」
ベゴニアの花束から、花弁が1枚、ハラリと落ちた。
目の前が真っ暗になるような重い感覚が、ズシリと心臓に落ちる。
「………………お相手は……?」
やっと絞り出せた言葉は、それだった。
聞くべきことじゃないはずなのに。聞いても今さら意味のないことのはずなのに。それしか言えなかった。
堺田先生はちょっと迷い……それでも、ケジメとしてなのか、答えてくれた。
「……3組担任の川西先生です。正式に決まるまで学校には内密にしようと思っていましたので……本当に、ごめんなさい」
……不思議と、俺の目からは涙が出てこなかった。
堺田さんは、ボロボロと零れ落ちる涙を両手で拭いながら、続ける。
「…………本当に最低ですよね。すでに恋人がいるのに、異性の人と2人っきりで、こんな風に……。……ごめんなさい。本当に、本当にごめんなさい」
「……………………そんな、何回も謝らないでください。……俺も、ろくに確認もせずに告白なんかしてしまって……」
「………………」
ベゴニアの花弁の上に、また1滴涙が落ちて、濡れて滲む。
……泣かせてしまった。
俺は、全くこのショックを振り切ったわけではないが、それでも、今日の思い出を後味の悪いまま終わらせたくなくて、精一杯、笑顔を作った。
そして、ベゴニアの花を、半ば押し付けるようにして堺田さんに……堺田先生に受け取らせた。
「……ベゴニアの花言葉は、『片想い』です。今日の思い出として、受け取るだけ受け取ってください」
「………………はい。すいません」
「ははは、謝ってばっかりじゃないですか……。……それと」
この言葉を言うときだけは、涙腺に少し熱を感じた。
「……これからも、友達でいてくださいね」
#
観覧車から出てきて、新橋先生と堺田先生は、門の前で別れた。
2人とも、終始、悲しそうな無理のある笑顔だった。
駅の方へと歩いていく堺田先生の背中を見送った新橋先生に、少し躊躇いながらも、夏矢ちゃんが声をかける。
「……あ、あの」
「……ああ。世葉と津森か」
不安そうな私たちの顔を見て、新橋先生は、怒りも笑いもしなかった。
代わりに、何故か、くしゃくしゃと荒っぽく頭を撫でられた。
お前らには色々世話になったしな、と言って、堺田先生は川西先生と既に婚約を交わしていることなど、観覧車の中で堺田先生から聞いたことを手短に話してくれた。
ああ、言いふらすべきじゃなかった、ごめん、忘れてくれ。放心気味ながらも、終始、堺田先生のことを気遣っていたようだった。
そして、最後に。
「駄目だったよ。……今まで色々、ありがとな」
「先生……」
それ以上の言葉が続かなかった。
何秒くらい無言のまま立ち止まっていただろうか。新橋先生も、自分の帰る道へと歩いて行った。
観覧車の中に、涙に濡れたベゴニアの花弁を一枚残して、その男女の遊園地での思い出は、やりきれないものを残して幕を閉じたのだった。
しかし、塞翁が馬と言うように、全てのことは最後まで可能性を見極めなければならない。
全体を通して見れば、これはまだ折り返し地点に過ぎなかった。