その無骨な手に花束を
5月9日。
門衛くんが1組の委員長さんに勉強を教えているらしい間、こちら、私こと津森論子は、ちょっとばかり困ったことに巻き込まれていた。
「えー……。す、好きです、結婚を前提にお付き合いを……」
「ダーメダメダメ!ダメですそんな気持ちの篭ってないの!もっとこう!ね!?論子ちゃんもなんか言ってあげて!」
「あ、あはは……。えっと、頑張ってくださいね?」
誰もいない屋上にて、誰もいない方向に向かってエア花束を差し出しているのは、少し前に食堂で話題に上がっていたコワモテ男性教師、新橋先生その人。
そして新橋先生に、新人俳優をいびる大物映画監督の如くダメ出ししまくっているのは、私たち『コンスティチューションの誅罰隊』のガンマン、世葉夏矢ちゃん。
初めはプレゼントなどのアドバイスをするだけだった夏矢ちゃんのお節介……もとい応援心は、次第にエスカレートしていき、今では告白する際の演技指導なんかをしている始末だ。
「ちっっっっがぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーう!何やってんですか!?そんなんじゃ堺田先生をキュン死させられませんよ!?」
「い、いや、キュンとはさせたくても死なせたくはないんだが」
「そんな常識に囚われてるからダメなんですよ!どーせ男は壁ドンやら何やらすれば女が喜ぶと思ってんでしょう!?違いますからね!もっと突き抜けた発想で行かないと!そこでですよ!これからの時代女子から求められてるのは『曲がり角で食パンくわえてドン』なワケで!」
「いや夏矢ちゃん……それ、これからの時代じゃなくて昭和時代に求められてたやつやと思うけど……」
「なるほど、参考にさせてもらおう。……えー、『曲がり角からシュ〇ルツネッガーがデデンデンデデン』、っと……」
「ター◯ネーター!?確かにシュワちゃん男前やけど!」
「あとは『壁ズキュゥゥゥン』とかですね」
「それ無理矢理キスさせてない!?あとから泥水で口ゆすがれるやろそれ!」
「なるほど、『壁キャ〇ーン』っと」
「〇ャイーンを壁際でやる必要性が感じられませんけど!?」
「『壁サークル』なんてのもありますよ」
「もう正直適当やろ夏矢ちゃん!?壁ってつけばなんでもいいって思ってない!?」
「なるほど、『テポ〇ン』、と」
「ミサイル飛ばしてどうするんですかっ!……あぁーもぉー!!」
チーちゃんとポンちゃんを遥かに凌駕する面倒臭さだ。……あー、2人のこと思い出したら部室行きたくなってきたなぁー……。でもこの2人をこのままほっとけないしなぁー……。
なぜこんなことになってしまったのか。
時は2時間ほど前に遡る。
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ラストの授業が終わり、門衛くんと委員長が一秒たりとも無駄にはできないと図書館へダッシュして行ってしまったのを見送った私は、なんとなく夏矢ちゃんと一緒に帰りたいなと思って、4組へ向かった。
ちなみに麻雀部の活動日は一応月、水、木、金ということに決まっているが、そもそも活動日を定めたところでする事は4人で集まって学校の1室を借りて麻雀をする、というだけのことなので、活動日に誰ひとりとして部室に行かなかったり、逆に活動日ではない火曜日や土曜日に部室に行って打つ、ということもしばしばある。顧問の管理体制がゆるゆるだからこそできるガバガバ運営だ。
私自身は割と毎日やる気に満ちているのだが、そのやる気を他3人に押し付けるのもどうかと思うので(チーちゃんとポンちゃんにはもう少しやる気を持ってもらいたいけど)、本当の活動日は「みんなが暇な時」、なのである。
して今日は、門衛くんは委員長に勉強を教えるのに忙しいし、チーちゃんとポンちゃんも珍しく勉強会をするらしいので(私も誘われたがこのメンツだと捗らないのは目に見えているので遠慮しておいた)、今日は活動日だが麻雀部は休業だ。
そんなこんなで暇を持て余した私は夏矢ちゃんと一緒に寄り道でもしながら帰ろうと思ったのだが……。
4組の教室に頭だけ入れてその姿を探すと、ちょうどカバンを持って出てくるところに出くわした。
「あ、夏矢ちゃん。一緒に帰らん?」
「ん、いーよー。どっか寄ってく?」
「私も寄り道するつもりやったけど……テスト勉強はええの?」
「……い、1週間前になったらやるもん?」
「あははは……」
たわいもない会話をしながら階段の方へと廊下を進む。
すると、角を曲がろうとしたところで、いきなり夏矢ちゃんがサッと1歩後ずさり、自分の体と私を壁の影に隠した。
「え?何?なに?」
「シー……。見て、あれ……」
何かものっすごい悪い顔をしている(こういう所はなんか門衛くんに似ている気がする)夏矢ちゃんの指差す方、角を曲がった先をこっそり見ると、そこには確かに珍しい光景があった。
先日食堂で話題に出たコワモテ古文教師の新橋先生……新橋隆也先生が、顔を真っ赤にしながら、国語担当の美人教師、堺田先生……堺田奈央子先生とおしゃべりしていたのだ。
当然のように聞き耳を立てている夏矢ちゃんに若干引きつつ、とはいえ私も少々気になるので、少し聞き耳を立ててみることにする。
「それでですねー?まさかあの亜種の天鱗があんなにもドロップしないなんて思わなくって!!もう本当装備コンプしてる人たちはチートか何か使ってるんじゃないのかと!」
「ま、まぁまぁ……。物欲を出せば出すほど、ドロップ率が低くなると言われてるくらいですから……」
「あ、モ〇ハンといえば知ってます?今度『ルルイエランド』でイベントやるらしいんですよ!モン〇ンの体験型アトラクション!もうめっちゃ楽しみですよー!」
「…………あ、あぁ、あの……」
「あ、体験型アトラクションで思い出しましたけど、すばら〇きこのせかいって結構そういうイベントとコラボできそうですよね!このッヘクトパスカルがァ!ってね!あはは、それにしてもー、」
「あ、あのッ!」
「ふぉえっ!?…………あ、す、すいません1人で喋っちゃって」
「あ、いえ、それはいいんです。……聞いてて、けっこう楽しい……ですし!」
「え、あ……えーと」
「そ、それより、その……。……さ、さっき言ってた、ルルイエランドの〇ンハンイベントのこと、なんですが……」
「あ、は、はい!」
「……その、えー…………。お、俺と、行きませんか……?」
「え……」
「い、嫌なら、その、いいんですけど……」
「いえ!とても嬉しいですよ、周りにモンハン語れる友達いないのでー!こちらこそ、ぜひともご一緒させてくださーい!」
「あ…………あ、ありがとうございます!!」
「こちらこそ!えーと、で、日時は……」
キーンコーンカーンコーン……。
「あっ、ヤバ、教頭先生に呼ばれてるんだった!すいません、日時決めたりするのはあとででもいいですか?」
「あ、は、はい、勿論……」
「わー、楽しみだなーイベント!じゃ、またあとでー!アニョハセヨ!」
「あ、アニョハセヨ……!」
堺田先生は心の底から人生を楽しんでいるような笑い声を残して、1階へ続く階段へと降りていってしまった。
新橋先生はそれを見送ると、まだ赤い顔のまま小さくガッツポーズした。
……これは。これはこれは。
「まさかの、って感じね……。これは昼休みに怜斗たちに話すネタが増えたわ」
「芸能リポーターじゃないねんから」
このラブストーリーが突然に(母親世代リスペクト)って感じの展開に夏矢ちゃんも満足そうだ。にしてもまさか新橋先生があんなにウブだったとは……。
さて、いいもの見たし、見つからないうちに退散しますか。と、夏矢ちゃんは呟いて、一歩下がって。
私の脚に引っかかった。
「え!?」
「ちょ!?」
かやちゃん の あしが からみついた !
わたし は ふりほどく を くりだした !
しかし わざ は しっぱい した !
ふたり は かなりハデに こけた!
『いったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?』
「!?」
こけて倒れた私たちの体は、明らかに壁から出てしまっていた。
新橋先生の表情が、困惑と心配から、羞恥と憤怒の色に変わる。……ていうか憤怒の色濃すぎない?ちょっ、なんか走馬灯が……。
「おい……」
『ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?』
まさに鬼のような、真っ赤な上にひどく恐ろしい形相でこちらへ歩いてくる新橋先生に震え上がり、互いに抱きつき合う私たち!
ていうか夏矢ちゃんが「こんな死亡10秒前に百合カップリング成立なんて!」と言っているがなんのことだろう。怖すぎて何か呪文でも唱えているのだろうか。
「お前ら…………」
『ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?』
そんなこと考えてる場合ちゃうぅぅぅぅぅ!?
こ、殺される!北海道連合の力を以て殺されてまう!
あわあわあわあわと涙目になる私たちにお情けをくれたのか、新橋先生は私たちの前で立ち止まると、はぁ、とため息を吐いて首筋をさすった。
「……どこらへんから盗み聞きしてた?」
「ぬ、盗み聞きだなんてそんな!私らは窓の外の小鳥のさえずりに耳を傾けていただけですよ!だからこの話はやめましょうちゅんちゅん!」
「ああん?」
「ヒィィッ!?」
ひどく凄みのある目で夏矢ちゃんを睨みつけ、床を思い切り踏みつける新橋先生に恐怖し、私にすりすりと助けを求めてくる夏矢ちゃん。
……いや、今のは夏矢ちゃんが悪いわ。
「い、つ、か、ら、き、い、て、た?」
「え、えっと……亜種がどうこうの辺りから……」
「……チッ……。よりによって聞かれたくねーとこだけ全部かよ……」
また夏矢ちゃんに回答させると今度踏みつけられるのは床ではなく私たちの死骸になりそうなので、私は食い気味で真面目に答えた。
聞かれたくないとこ、というのは、やっぱり……。
「堺田先生をデートに誘ってたんですか?」
夏矢ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああん!?
その天然はヒドイで!?地雷にもほどがあるやろ!?
「………」ポキポキ
ほらぁぁぁぁぁぁぁぁーーーー!もう指ポキし始めてもーてるやん!?キレた!絶対キレた!殺されるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!
ていうかめっちゃ恥ずかしいのとブチギレてるのとで新橋先生の顔の赤さが尋常じゃないねんけど!?なにこれパプリカ!?
「お前らァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーーーーーーーーッ!!」
『は、はいぃぃぃぃぃッ!!』
ものすごい剣幕で怒鳴った先生に怯え、頭を覆う私たち。
もうだめだおしまいだ、とプルプル震える。しかし、鉄拳が飛んでくることもゲンコツが振り落とされることもなく数秒が経過する。
頭を覆う手を緩め、おそるおそる薄目を開くと、驚くべきことに、新橋先生はさきほどの怒った様子と打って変わって、思い悩んだような顔で頭を下げていた。
「お前らに……相談したいことが、あるんだが……」
「え?」
これが、新橋先生との恋愛相談の始まりだった。