津森論子失踪事件 解決
津森さんが、自らの足で立ち、自らの目で、自らの顔で、自分の中にあった歪んだ欲望と対峙する。
恐怖心で足が下がることはない。
彼女は、握った拳を自らの胸に当て、面と向かって言った。
「私の努力は無駄なんかじゃない」
《無駄だ!……お前は幾度となく痛感してきたはずだ、努力が実を結ばない辛さも、周りの人間が努力を認めてくれない悔しさも!》
「すぐに実を結ばなくたって、経験が活かされたと思う瞬間はいくつもあった!努力を認めてくれない人もいたけど、それの数倍、励ましてくれる人も、仲間もいた!私の一部だったなら、知ってるやろ!?」
《希望論だ!自分に都合のいいことばっかり並べ立てているだけだ!!》
「それは違う!!」
《なッ…………!?》
「う、嘘!?なにあれ!?」
「蝿を覆ってる黒い膜が……剥がれてる……?」
津森さんの力強い否定を聞いた瞬間、蝿は身をよじらせた。同時に、自身を包んでいた黒い膜にヒビが入り、そこからボロボロと崩れて穴が空き始める。
膜の内側には、元々の脆い肌が見えている。
「こっちが言ってるのが希望論なら、そっちが言ってるのは『絶望論』。ポジティブなことを全部無視して、目を背けて、ネガティブなことだけ並べ立ててるだけ。それで自分はこの世界に絶望したって、カワイソぶって、被害者面してるだけ!」
《黙れ、黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れェェェェェェェェェッ!!》
「新しい世界だか何だか知らないけど、そんなのは、ただの逃げ。目標を自分の力で叶えることを放棄して、才能がないから、周りの人間が、って、言い訳してるだけの、つまらない最低な生き方」
《ウゥウアァァアアアアアアアアアアアアアアアァァァアアァッ!!》
「私はもう逃げない。自分に才能がないなんて簡単に認めたりしない。周りが認めてくれなくてもやりたいことをやる。
……何より、大事な友達を無駄だなんて言うことは、絶対に許さない!」
《ハァッ…………!!ハァッ……、グッ……ァァアアァ…………!!》
ついに蝿を包んでいた黒い膜が全て消え失せ、蝿はその肢で頭を体を掻き毟る。
蝿がこれほどまでに苦しむ様子は、今までの戦闘でどんな攻撃をしたときだって見られなかった。
《ハァッ、ハァッ……!!……アァァアアァァァアアァアア…………殺してやる、殺してやる!!絶対に殺してやるゥゥウウアァァアアァァァァアアアァ!!》
「ひぃっ、すごい声……!」
「気をつけろ、また来るぞ!津森さんは下がっといて!」
「う、うん……」
「怜斗、体力減ってるぞ!これ使え!」
いつの間にやら半分まで減っていた体力を、斗月が投げて寄越してくれたエールミを手早く飲んで回復し、サンキューと一声かけて、まだ3分の1ほど液が残った瓶をポケットにしまい込む。
斗月もSP回復ドリンクであるウォッキを飲み、夏矢ちゃんは銃をリロードし、この隙に体勢を整えていく。
と、そのとき、ジェイペグが足元に現れた。
「間に合った!?」
「どうした、ジェイペグ?」
「マスターに報告して、条件を満たせば蝿の無敵状態が解除されるようにプログラミングしなおしてもらったんだ。この様子だと、問題なくできたみたいだね!」
「おお、でかした!」
「で、もうひとつプレゼントがあるんだけど……ツモリロンコさん、だっけ?」
『え?』
戦闘には参加できないはずの津森さんの名が呼ばれたことが意外だった。本人も同じだったのだろう、声が揃ってしまった。
「この鍵を、コメカミに差し込んでくれるかな」
「そ、それは……」
ジェイペグの手の上から、津森さんの目の前まで、鍵が浮いて移動する。
そう。意識の鍵だ。
俺たちが現実世界からゲーム世界へ入るために使っている不思議な鍵が、何故こんなところに……?
「この鍵に、凍結済のプレイヤーデータを入れてきた。それを使うことによってロンコの身体データがゲーム内のものに変わって、鍵の中に保存されてるデータを読み込んで、データと同じステータスを持って戦うことができるんだ!強力な錬金術師のデータを入れておいたから、魔法攻撃で即戦力になれるはずだよ!」
「え、ええ……?門衛くん、日本語に訳してくれへん?」
「……まぁ要するに、この鍵をコメカミに刺せば、戦闘に参加できるってことだ。魔法とかバンバン使える」
「ほ、ほんま!?」
蝿の叫びが収まり、今度は低く唸り始めた。
羽がどんどんと不吉なまでの紫色に染まっていく。……どこからどう見ても危険信号だよな、あれ。
「急げ、時間がない!」
「わ、分かった!」
津森さんは、恐る恐る鍵をコメカミに当て……。
脳に向かって、強く押し込んだ。
「な!?うわっ、は!?え!?死ぬ!?私死ぬ!!あいええ!?」
「落ち着いて、一時的なものだよ!」
一瞬何が起こったのか分からなかったが……アレか。
鍵を使ってゲーム世界に入るときに毎回見える、視界が砕けていく光景。
まぁ、たしかに初めての時はパニックになったけど。津森さん、戦う前からこんなに混乱してて大丈夫なのか……?
しばらくすると、一瞬津森さんの体から金色の光が弾けて、目を開けた。
「や、やっと収まった……!」
と同時に、動けずにいた津森さんを狙って、蝿が体当たり攻撃をしかけてきた。
「おーとめーのピーンチー!!ちょっとごめんな!」
「うひゃぁ!?」
斗月が何やら懐かしいメロディを口ずさみながら走ってくると、津森さんを突き飛ばして蝿の真ん前に立った。
猛スピードで突進してくる巨大な蝿の前に立ちふさがる。高速道路の真ん中でタップダンスを踊るレベルで自殺行為だが、斗月はちゃんと蝿の弱点を心得ていた。
「止まりやがれ、『ボイルリング』!!」
《グェボァァッ!!》
炎が弱点らしい蝿は、ボイルリングを喰らったことにより急激に減速し、その場で立ち止まった。
――完全な隙。
見逃すわけがない。
これがゲームなら――まあ、実際ゲームなんだけど――カットインでも入って一気に演出的に盛り上がりそうな、そんな瞬間。
「男には……!!」
「女にも……」
『戦いを避けちゃならねぇ時がある………!!』
俺と夏矢ちゃんの声が揃った。
この場面で使う名言と言えば、まぁ、アレしかあるまい。
『仲間の夢を笑われた時だァァァァァァァァッ!!』
刀と銃の同時攻撃。
声にならない叫びを上げて、ひたすらに木刀を振り回して叩きつける。俺と同じクズの思考を持った、腐った蝿を、殴り続ける。
背後からは夏矢ちゃんが、うまく俺に当たらないように銃を撃ってくれていた。
殴るたびにコンボ数が増え、演出が派手になっていく。木刀を振るだけで無数の星が舞い、虹がかかり、ダンジョンという室内であるはずのこの場所に、青空が映し出される。
しかし、一方的な攻撃ターンもここまでだった。
《殺してやる!!殺してやるッ!!ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!》
「うおっ……っと」
凄まじい咆哮と共に放たれた衝撃波を、体をめいっぱい仰け反らせて間一髪のところでかわし、後ろへと転がる。
あの蝿、残りHPは大したことないはずだ……早いとこ倒し切ってしまわないと、次またチートを使われたら、今度こそ勝てる見込みはない。
……!
そうだ、津森さんは!?
「えっと……あなたが私のパートナー……なんやんな?」
「そう。乙女座専用、女神型パートナー……って感じ」
「うわ、可愛いし、リアルやなぁ……現実味ないぐらい可愛いけど、でもリアルっていうか……ゲームとは思えないくらいリアルっていうか、現実にはいないくらい可愛いっていうか……」
「そ、そんなに褒めてもなんも出ないし!」
「……………………」
思わずズッコケそうになる。
津森さん、斗月に突き飛ばされてからずっと、あんな部屋の隅っこでパートナーと喋ってたってのか……。危機感がないというか、マイペースというか……むしろ天然的なアレか。
「とりあえず名前つけてほしいって感じ!じゃないとサポートコンボ使えないよ!」
「さぽーとこんぼ?……まあいいや、うーん、じゃあ……」
「呑気に名前決めてる場合じゃねぇよ!そんなの『もょもと』とかでいいから!」
「そんなどっかのチート王子みたいな名前イヤだって感じっ!」
《グシャァアアアアアアアァァアアアッ!!》
「うおああああ!!来てる来てる、後にしろっ、後に!」
蝿の放ってくる波動弾的なモノを避けて走りながら、並走するジェイペグに聞く。
「津森さん乙女座だっって言ってたっけ、乙女座のサポートコンボは何だ?」
「すっごい強いビーム」
「うわあ、頭悪そう」
「ま、チャージにだいぶ時間かかるのは玉に瑕だけど、確実にあの蝿の残りHPを削れるだけの威力は保証できるね。ただ、強力な必殺技にはそれ相応のデメリットがつきものでね……」
「あん?デメリット?」
「伏せろ!!」
聞き直した瞬間、斗月の警告が耳に届き、反射的にその場に倒れこむ。
「あ、危なっ!サンキュートッヅ!」
「とりあえず、デメリットについては後で言うよ!回避に専念して!」
立ち上がって体勢を整える。
さて、息も絶え絶えな蝿にトドメを刺す役目には、やはり、津森さんが相応しい。
「津森さん、俺の後ろに隠れて、今から言うことをやってくれ」
「え?……うん、分かった」
「まず、そのパートナーに名前をつけろ。そしてその名前を喚べ」
「名前をつけて、呼ぶ……それだけ?」
「パートナーの名前を呼ぶことで、『サポートコンボ』っていう切り札みたいなのが使えるんだ。名前付けてからサポートコンボを使うまでの間は俺たちで守るから、早く!」
「わ、分かった!」
《死ねェエエエェェェエエェェェエエエェェエエェェエエェェェエエェ!!》
「もう一暴れ来そうだ、俺らが食い止めとくから、できるだけ早く頼む!」
「…………」
黙ってうなずく気配を背後で感じた。
さっきけっこう悩んでいるようだったから、時間がかかるかなと思ったが……この状況だからか、それともピンと来たってやつなのか。津森さんはパートナーの名前をものの数秒で即決した。
「『フーロ』。……麻雀で、面子を作るときにチーとかポンとか、鳴くことを意味する言葉」
「それが私の名前?……ふうん。まぁ、悪くないかもって感じ」
この場面で、『チー』『ポン』という言葉を出してくれたことが、なんだかとても素敵なことに感じた。
3つの牌を結ぶ言葉。
……麻雀部の3人を繋ぐ、願いを込めた名前。
津森さんが、これまでにない晴れ晴れとした笑顔で、名前を喚んだ。
「じゃあ……よろしく、フーロ!」
「『ドストエフスキー』召喚!ビーム充填開始って感じ!」
ドストエフスキー……小説家でありながら、ロシアを代表するギャンブル依存性でもある者の名前を持つそれは、黄金の銅像のような姿をしていた。麻雀が大好きで、麻雀をギャンブル呼ばわりされることを嫌う彼女に対して、あんまりに皮肉な元ネタだ。
黄金の銅像の輝きは、見ているだけで理性を失ってしまいそうになるほど美麗で、同時に、全身の毛が峙つほどに恐ろしいものだった。
やがて輝きは銅像の目の部分に集約する。
集まった輝きは、徐々に膨らんでいく光の玉となり始めていた。
《させるかァアアァァッ!!》
「おっと、残念だがお前らの相手は俺らだぜ!」
「斗月、夏矢ちゃん!津森さんを援護するぞ!暁の水平線に……」
『勝利を刻みなさい!!』
「ステップ1!斗月、征け!手始めに蝿をボコせ!」
「了解!へっ、邪魔なんかさせるかよ!」
炎が弱点で、ヨーヨーでの通常攻撃があまり効かない。
なら、ボイルリングを連発するしかないじゃない!と、もはや作業ゲーの領域に達した斗月は、両手からバンバンと炎の輪っかを撃ちまくる。
いくら弱点とはいえ、これまで何度も何度もこの魔法に邪魔され続けてきた蝿はさすがに学習したのか、巨大な羽の羽ばたきで叩き落すというアメージングな対処を見せた。
ボイルリングの火力はそんなに高くなく、さらに羽の風圧で弱められているため、蝿の体に着弾しても火だるま状態になったりすることはない。
だが、それなら火力をアップさせればいいだけの話だ。
「斗月、俺の投げる瓶を狙って撃て!」
「はいはい分かったよ、意味わかんねーけど信じてやってやる」
俺は、先ほど斗月に渡されて飲んだエールミの余りが入った瓶を、羽ばたく蝿の脳天めがけて投げつけた。
そこに斗月のボイルリングが同時に衝突すると。
炎が爆発的に燃え広がり、不格好なローソクみたいに、間抜けに、蝿の頭が燃え上がった。
《グイィィイイィイィヤアアァァァアアアァアアアァァァァアアッ!!》
「このゲームでの回復薬は、全部酒をモチーフにしてるみたいだな。アルコールってめちゃくちゃ燃えるって知ってるか?」
「熱膨張って知ってるか!?」
「うん、斗月、それ違うから。あれは全く正しくないから」
「うるせぇ!とにかく今のうちに……!」
羽ばたくことをやめ、地面に降り立った蝿に向かって、斗月が大きく助走をつけて跳躍。なかなかどうしてうまいこと蝿の背中(背中といっていいのかは分からないけど、まぁ人間でいうところの背中だ)あたりに降り立った。
フハハハと大袈裟に笑い、ヨーヨー構えた両手を掲げた。
「ロードローラー(乗り攻撃)だッ!!」
《グォォォオオォオッ!!生意気なァァアアァア!!》
「いくら暴れてももうおそいッ!脱出不可能よッ!!」
……あれで子安ボイスをモノマネしてるつもりなんだろうか。
斗月は目をカッと見開き、ヨーヨーを蝿に叩きつけた。一撃目の勢いのままボコボコと殴り続ける。
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァァァァーッ!!」
《グ……ウガァアアァッ!!小癪な……落ちろッ!!》
「おわぁっ!?」
蝿が寝返りをうつように体を回転させ始めた。これ以上の深追いは危険だろう。
「斗月、戻れ!続いてステップ2に移る!夏矢ちゃん、これを使って派手な爆発を起こせ!」
「これは……」
斗月がラッシュで蝿の自由を奪っている間に製作しておいた、簡易式の弓と矢のセットを夏矢ちゃんに手渡す。
矢の先には、先ほどの小瓶と同じものの中に、何種類かの粉を調合したものが入っている。冒険者応援セットの品ぞろえの良さにいまごろ気付いたぜ。
「斗月、この矢が蝿に着弾する瞬間、矢を狙ってボイルリングを撃て!」
「アラホラサッサー!」
「津森さんとフーロの方は!?」
向こうのほうでずっと狙いを蝿に定め、ビームの充填を待っている彼女らへと声をかける。
光の玉はかなり大きくなってきているようだが……。
「あと20秒くらい稼いでくれればオッケーって感じ!」
「って感じやで、門衛くん!」
「そんなわけで頼んだぜ夏矢ちゃん、ここで20秒稼いでくれ!」
「時間を稼ぐのはいいけど――別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?」
キャーカヤサンカッコイー。でもそれ負けフラグだから。
しかし夏矢ちゃんは、某サーヴァントのほとんど弓を使わないイケメンとは違い、ちゃんとした弓の構え方で蝿に挑む。いや、あの人の弓の構え方がおかしいってワケじゃないけど、なんとなく夏矢ちゃんの方は地味で現実的って感じがする。
ああ、こんなこと言ってたら弓道警察になじられそうだ……。
まぁ夏矢ちゃんは元弓道部員らしいんで、アレが教科書的な、ちゃんとしたフォームなのだろう。ようわからんけど。
「ふふ……ちゃんとしてるのはフォームだけだけどね」
夏矢ちゃんの指が離れ……弓矢が弧を描いて、今だに頭が燃えているボンバーヘッドな蝿に向かってビュンと飛んでいく。
「今だ!」
「ボイルリング!」
ジャストミート。
斗月のボイルリングが、弓矢と同じタイミング、同じ着弾点へ飛び……。
「火薬も煙幕も、あるんだよ」
ちゅどーん。
火薬の量は少ないので、爆発の威力自体は大したことはないのだが、『煙幕玉のもと』という粉末をいっしょに仕込んであったので、灰色の煙が大きく広がり、蝿の体を覆い隠した。
《クソッ……!!しつこいぞ、無駄なクズどもッ!!》
視界不良の中、首を回して一生懸命俺たちの姿を探そうとする蝿。
しかし、煙幕の外側にいるものを見つけられるはずもなく、苛立った蝿はついにしびれを切らして、大きく羽を広げようとした。
そう、広げたまではよかった。
《煙が邪魔なら吹き飛ばすまでだ!こんな子供だまし効かぬわッ!!》
「残念だがそうはいかない」
《!?》
広げた蝿を動かして羽ばたくことができなかった。
徐々に煙幕が消え、蝿はわずかな稼働範囲である大きな目で、背後にいる俺の姿を視認した。
背後で、自らの影を踏んでいる俺の姿を。
「『ステップ2』はこのために……ありがとう夏矢ちゃん……それしか言う言葉が見つからない……」
「勝手に殺すな」
《な、なにッ……動けん!バッ、馬鹿な!》
「煙幕を焚いている間に背後に回り込ませてもらった……そして俺が影の結界を使ってお前の動きを止めた……やれやれだぜ……」
《………………………………………………………………!!》
「どんな気分だHAE……動けねぇのにすぐそばでビームの充填が完了している気分は……?」
《キッ……貴様ァァ…………ッ!》
チラリと後ろをうかがうと、津森さんがサムズアップしていた。いつでもビーム発射できるってことだろう。
俺はニタァとよだれが出そうなほどに気色悪い優しい笑みで、蝿を慰めた。
「そんじゃあ、蝿。一緒に死のうか?」
《や……やめろッ!!消えたくねぇ……消えたくねェェェ!!》
「おっと、急に言葉遣い荒くなったな」
《やめてくれ……死にたくねぇッ!!》
「あきらめるんだな……どれだけ命乞いしようと、命もなければ肉体もない、ただの……『ちょっと特殊なデータの塊』なだけのお前を、全くカワイソーとは思わん」
《くっ……カスどもがァァァァァァァァァァァッ!放せッ、放せゴミめ!
貴様だって痛い思いはしたくないだろうッ!?頼む、放せ……影を放せ、開放してくれ……!放してくださいィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィイイイイイイイイ嫌だァァァァァァァァァァァ!!
データなんかじゃねぇ!!ただの没データだったのを、小娘の精神を取り込んで、命を与えてもらったんだ!マスターがくれた命なんだッ!!
消えたくない消えたくない、消えたく…………ないィィィィィィャァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!》
「うるせぇうるせぇ、間近で叫ぶな……あ、アレ言っとかないと」
ビームが飛んできて死ぬ前にこれだけはやっとかないとな。
俺は影を踏んだまま、クルッと蝿に背を向けて、あの決め台詞を言う。
ここまでジョ〇ョネタやりまくったんだ。最後ビシっと決めないとな。
「このままビームを待てば死ねる……てめーの敗因は……たったひとつだぜ……蝿……たったひとつのシンプルな答えだ……『てめーは俺を怒」
「うだうだ言ってないで早く死ねって感じ。ビーム照射って感じー」
「って感じー!」
え、ちょっと待って、まだ言い終わってな……。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
《ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!》
たぶんこれまでもこれからも一生感じることがないだろう、皮膚が焼けただれるような熱さと痛みの中……巨大な蝿と俺をまるごと包み込むような極太ビームを祝砲として、この戦いは終わりを告げた。
俺の意識は、蝿の亡骸を見ることなく薄れていった……。
#
「てれれれってれー。半月の十字架ー。これがあれば死んだ仲間を戦線に復帰させることができるんだよの〇太くん」
「〇び太でもキ〇レツでもねーよ。メガネかけてるやつはみんなのび太とか、いじめっ子の発想だからなソレ」
「いいからとっとと使ってあげてぇや……」
ポン。チュルン!パチュキューン!
実にご都合主義って感じの効果音がした。アイテムの効果で、徐々に意識が回復してくる。
俺は少しふらつきながらも立ち上がった。
……ゲームの世界で死んだのだから、あのセリフを言うしかあるまい。
「おお レイトよ! しんでしまうとは なにごとだ!」
「起き上がって一番にソレかよ」
「……もう死んだままでよかったんとちゃうかな?」
「ちょっ、酷っ!?津森さんそんなキャラだった!?」
「あはは」
「はいはい、おフザケはそれくらいにして。……アレ見なさいよ」
夏矢ちゃんが指さした方を見ると、蝿の屍がぐったりと倒れていた。
現実世界で、手のひらの上で叩き潰して殺した蝿の死骸をそのままでっかくしたような、あまり近づきたくないグロテスクなものなのだが、何を思ったのか、津森さんはそれに向かって歩いていく。
死骸の前で立ち止まると、そっと、熱を出した子の額を触って熱を計ってやるように、優しくそれに触れた。
「……私、やねんな。私の、願望の一部分」
「…………この蝿がそう言ってただけで、証拠はないけど、信じるの?」
「うん。だって……なんとなく、自分やなって分かるから」
自分の心の奥深くに眠らせている願望が具現化した存在、それがこの蝿の姿なのだとヤツは言っていた。そして、自分を創り出した『マスター』がいるとも。
そのマスターとやら……今回の失踪事件の黒幕的な存在とも言える人物は、いったいどんなヤツなのだろうか……。ジェイペグたちの言う『マスター』とは同一人物なのだろうか……?
陰謀論的な思考は深読みをすると止まらない。首を振り脳内水掛け論を打ち切る。
津森さんは死骸に語りかけていた。
「……あなたのこと。……私の一部だったあなたのこと、絶対に忘れへんから。いつまでも、ズルズル引き摺って生きていくから」
津森さんは、『蝿』を拒絶しなかった。
麻雀とピアノ。何が辛かったのか、何に苦しんでいたのか。俺には卑しく予想することや無価値に同情することはできても、本当に、100%で理解してやることはできない。
だけど、俺の目の前で、彼女は『自分の一部』を受け入れてくれた。
それだけでもよしとしよう。手柄だとかそんなんじゃないけど、とりあえず喜んでおこう。
「だから……私も逃げへんから、あなたも逃げんといて……な?」
死体は、当然返事を寄越さない。
だけど津森さんは、随分と満足げに笑顔を浮かべて、こちらを振り向いた。
「……みんな、助けに来てくれてありがとう」
『(かわいい)』
この場にいる3人……いや、パートナーたちを含めたら3人プラス4体全員がその感想を抱いたことだろう。
ちょっと目に涙をためて、眉を八の字にして、照れくさそうにへへっと笑って!薄幸そうで守ってあげたいこの感じですよ!
ハート打ち抜かれたね!ズキュゥゥゥゥンって感じ!3次元萌えとか初めて!
もはや気持ち悪いくらいのノリで悶々とニヤける俺たちに、「だ、大丈夫?」と心配げに顔色を伺ってくる大天使津森さん。だいじょばない!と元気に答えて、パンパンパンと太もものあたりを叩く。
「さて……そろそろ帰りますか」
「だな。もう、クッタクタだぜ……」
「アンタらは1回死んだもんね……」
「あははは……」
と、ここでふと気付く。
「あれ……ちょ、なんで津森さんがそれ持ってるんだ?」
ゲーム世界に行ける鍵は、俺たち三人だけが持つ特別ステキアイテムのはずだ。
津森さんはえへへと笑い、ジェイペグたちパートナーがやれやれと額に手を当て、斗月と夏矢ちゃんはうーん、と苦笑いする。
……俺だけが事情を飲み込めていないようで、どうにも。
「あのね……門衛くんが意識失ってる間に、私からジェイペグさんたちに頼んだねん。夏矢ちゃんから事情聞いたら、なんか、面白そうやったから」
「……勝手に新規の『リアライズ型特殊ログインパス』と『意識の鍵』作成……。始末書何枚だろうな、ジェイペグ……」
「先刻の戦闘中のチート対策プログラムも、報告したとはいえほとんど勝手にやったようなもんなんじゃろ?二度も重要な決定を事後承諾で済ました、という事実もペナルティ値に加算じゃろうな」
「ううううう……」
ジェイペグは頭を抱えながら姿を消した。始末書とやらの作成に今のうちから取り掛かるのだろうか。なんにせよ気の毒な限りである。
ていうか、自分のことを特別製とか言ってたけど……特別製のパートナーは始末書まで書かされんのか。
ともあれ、こちらが津森さんに無理に仲間になることを頼んだとかではないようでよかった。
「こっちから頼んでおいて何やけど、麻雀の練習とかで参加できへん日もあるかもしれないの。それでもいいなら……。仲間に……入れてくれへんかな?」
しばし迷ったが、よく考えたら、俺たちはネット世界の平和を守るヒーロー活動をしてるわけでもない。ただ、ちょっと特殊な方法でネットゲームを遊んでいるだけだ。
まあ、最近町で起こっているらしい連続失踪事件が、全て今回の津森さんのようにゲームの中に閉じ込められているというのなら、ただゲームを楽しむだけというわけにもいかないけど……。
どちらにせよ戦力はあって困ることなんかないし、断る理由はない。
俺は、そうだな、と苦笑して、手を差し出す。
津森さんが、にっこりと笑ってその手を握ってくれる。そのバーチャルの右手から温度は感じられないが、とても熱い何かが、そこから伝わってくる気がした。
「これからよろしく、門衛くん!」
「ああ。頼りにしてるよ」
#
5月2日、土曜日。
警察の特殊捜査課で扱われていた『津森論子失踪事件』は、被害者が俺たち暇人ネトゲパーティーに加わるという微妙な収束を見せた。
現実世界に戻ってきた(肉体が粒子単位で再構築されるように帰還したのにはビビった)津森さんは、心配そうにパソコンの前で待機していたチー子とポン子に駆け寄り、わんわんと泣きながら抱きしめあった。
二垣巡査は俺たちに無愛想に礼を言うとともに、今後も何かこの鍵が活かせる案件があれば捜査協力を仰ぐかもしれない、とりあえず話を聞くのは明後日以降にしようか、と言い残して、警官たちを撤収させた。
帰り際に、そうだそうだ忘れてたと言って、俺と電話番号を交換していった。二垣さん、意外とおっちょこちょいなのかもしれないな。
で、現在……1時間経って暗くなりだしてきた今も、津森家の軒先で俺たちは喋っていた。
……というか、麻雀部の3人が泣きすぎで心配なので、帰るに帰れない。
「レイっち、本当にありがと……ありがとぉぉおぉおぉおおおん!!」
「やめろやめろ、鼻水出てるし、ニャ○ちゅうみたいな声になってるし」
「うっ……ひっく……世葉さんもっ、希霧さん、も……本当に……うぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁあああん!!ロンちゃああぁぁああぁん!!」
「何回抱きつくねんって!?……もう、しゃあないなっ……!」
「津森さんも泣いてるじゃない、ふふっ」
「3人がめちゃくちゃ泣いてるもんだから、何かこっちまでもらい泣きしそうだぜ」
これ以上ないハッピーエンド。
二垣さんから電話がかかってきたので出てみると、津森さんのご両親に無事を連絡して書類を書いてもらったので、20分後には帰ってくるとのこと。
「あ、パパさんママさん帰ってくるんだ……」
「じゃあ、そろそろ帰るね、ロンちゃん。……また誘拐されたりしないでよ!?」
「なにそれ……されへんされへん」
「じゃあ……」
『お別れのチュー!!』
「!?」
チー子とポン子は名残惜しそうにしながらも、最後に一度、両側から津森さんにほっぺたキスすると、投げキッスしながら逃げるように帰って行った。
顔を真っ赤にして俯く津森さん。
「も、もう……!何やってんのホンマ……!!」
「……そういやこないだ、あいつら自分のことレズビアンとか言ってたような……ネタだと思ってたけどもしかして……」
「ち、ちゃうからっ!少なくとも私はちゃうからっ!!」
「はいはい、分かってるわよ」
「世葉さんのこと、別にそんな目で見てないんやからねっ!?」
「何その唐突なツンデレ!?」
そのあと、ネトゲのこととかをちょいちょいっと話して、そろそろ俺たちも帰ろうかって運びになった。
「今日は、ほんまにありがとう……じゃあね」
「うん、じゃあねー!」
「津森津森!帰ったら送るからラ○ン教えて!」
「チャラ男自重しろ。じゃーな」
「うん!バイバイ!」
と、家に向かって帰ろうとしたそのとき、ずっと言いたかったけど言えなかったことを思い出した。
斗月と夏矢ちゃんは俺が立ち止まったことに気付かず、何やら口喧嘩か何かしながら歩いていく。
「そうそう。津森さんに聞きたいことあるんだけど」
「え?な、なんなん?」
「そう、ソレだよ」
「はひ?」
「津森さんの関西弁、なんかヘンじゃない?」
「……………………」
津森さんは、それを言われて特に嫌な顔をすることもなく。
黙って家の中に入っていくと、玄関先にでも置いてあったのか、すぐに戻ってきて、一枚のチラシを手渡した。
書かれていたのは『5月4日月曜日・こもれび音楽会 in万津市民ホール』という安っぽいレイアウトの太文字。背景には、他のプロ音楽家たちと比べるととても小さく小さくだが……黒いドレスに身を包んだ津森さんがピアノを弾いている写真が。
「ここに来て」
「…………………………ああ」
関西弁ではない津森さんが、そう言った。
「怜斗ー?どうしたのよ?」
「あっ!お前だけ○イン聞くとかずりーぞ!」
「あぁ、すぐ行く!……じゃあな津森さん、ありがとう」
「うん……こちらこそありがとう。じゃあ、2日後、よろしくね」
蝿の洗脳によってのっぺらぼうになってしまっていた時の津森さんを思い出す。
あの時も確か、標準語で喋っていた。関西弁なんかよりずっと流暢に、まるでいつもは、無理に関西弁を使ってるみたいに……。
……ピアノの発表会で、彼女は、なにを見せてくれるのだろうか。
何を聴かせてくれるのだろうか。
何を聞かせてくれるのだろうか。
何を訊かせてくれるのだろうか。
日は暮れ、夜の街。
バカ三人で談笑しながらも、俺は、津森さんの神妙な表情の意味をずっと考えていた。