津森論子失踪事件 その4
蝿は、いくら羽があって自由自在に飛び回れるとはいえ、その巨躯を持ち上げながら、縦横無尽に素早く動き回るのは厳しいようで、敏捷性においては俺たちより圧倒的に劣っていた。
だが……。
《死ねェェェェェッ!!》
「がふっ!?」
その巨大な爪から繰り出される一撃一撃は非常に重い。さらにそれをまともに喰らってしまうと、むしろ俺たちが蠅になったみたいに、マンガみたいに軽々と吹っ飛ばされてしまう。
吹っ飛ばされたまま壁に激突した斗月が呻き声を上げる。
「斗月ッ!大丈夫か!?」
「ぐふっ……うぐぐ……正直、けっこうヤバイぜ……」
「くっそ……作戦変更だ、攻撃は二の次でとにかく逃げ回れ!夏矢ちゃんは逃げながら隙を見て撃って、ゲージが溜まったらすぐにサポートコンボを使え!」
「了解!あ、斗月を回復しなきゃ……。ルメ!」
レベルアップにより回復魔法の回復量も少し増えているため、斗月が今しがた受けたダメージにより減った分の9割ほどは、ルメ一回で回復できた。
「サンキュー、世葉。んじゃ、リーダー様の作戦通り、俺もスタコラすっかな」
斗月は素早く起き上がると、蝿の次の一撃を難なくかわし、大きく開いた手のひらを蝿に向けた。
……っていうか、普通に蝿の懐に潜り込んでるじゃねぇか!?話聞いてなかったのかあのバカ!
「燃えろ……!『ボイルリング』!」
斗月が出した炎の輪も、昨日より大きく、激しく燃え盛り、蝿に無視できないレベルのダメージを与えた。
ざまあみやがれ、と実に小物臭い捨て台詞を吐き、斗月は円状になっているボスの間のできるだけ外側を、ぐるぐると走りながら回りだした。
二人がこんな活躍してくれてるんだ、俺も何かしらしでかさないとな!
「夏矢ちゃん!俺に向かって銃を撃ってくれ!」
「ハァ!?き、気でも狂った?混乱状態!?」
「不定の狂気でもテン○ラフーでもねぇよ!ほら、早く!」
「……!わ、分かったわよ!」
夏矢ちゃんは、俺のポーズ……一本足打法を見て、俺がやろうとしていりことを察してくれた。
パァン、と銃声が響き、銃弾にしてはノロい速さで弾が飛んでくる。
「ここだぁぁぁッ!」
カキーン、と、木刀からそんな音が出るわけねーだろとツッコミたくなるような快音が響く。
この銃弾ホームランはちゃんとしたスキルの一つで、名前は『銃カキン(ジュウカキン)』(オンラインゲームのスキル名としてはいささかブラックジョークが利きすぎである)。このゲームの先輩であるサジから聞いて、活用の場面を考えていたのだが、まさかこんな大舞台で使えるとはな。
消費SPは、銃を撃つプレイヤーとホームランするプレイヤーとでそれぞれ2ずつと低コストな上、狩影に勝るとも劣らない威力を持つコラボレーションスキル(二人以上がスキルポイントを出しあうことで発動するスキルのことをこう呼ぶそうだ)なので、回復魔法であるルメのためにSPを温存しておきたい現状においてはとてもありがたい。
SP1ぐらいケチるなよ、などと言われるかもしれないが、レベルが低いうちはステータスの数字が1つ違うだけで大違いだったりするんだよ。
《グググ…………邪魔だ、邪魔だ邪魔だ邪魔だ!どこへ逃げようとも……どれだけ走り回ろうとも…………私が消してやるッ!!》
「何度でも言ってやるぜ……邪魔なんかじゃないし、無駄でもない!消えるのはお前の方だ!」
《この世界は……新しい、ワタシだけの世界だ!!》
蝿は大きくその羽と脚を広げ、まるで機械仕掛けのロボットがバグったみたいに、口をカシャカシャと忙しなく動かし始めた。
その動作で、ゲームに慣れている俺は、次の攻撃がかなりヤバイものとなることに勘づいたが……。
「注意しろ!ヤバイのが来るぞ!!」
そう喚起したころには遅かった。
《『絶望の血潮』!!》
その魔法の呪文を蝿が叫ぶと、飛んでいる蝿が床に落としている影から、紅い血のような液体が水溜まりみたいに広がっていく。
じわり、じわりと等速で広がってゆくそれは、液体が発するにはあまりにも不自然で奇妙な光沢があり、それに触ってはならない、と本能がガンガンに警鐘を鳴らしていた。
だからその液体がヤバイものだということは分かるのだが、効果や対処の仕方が全く想像できず、俺たちは狼狽える事しか出来ない。
……だが、想像が出来なくても、ナビを使うことはできる。
「ジェイペグ、あの魔法は……?」
しかしジェイペグは、俺の質問に答える余裕もないと言いたげに、その液体を凝視しながらゆっくりと首を振った。
その表情には、未知への絶望の色が見える。
「こんなスキルは……このゲームにはないよ……」
「何だって!?じ、じゃあ……」
《ワタシはハッカーではないが……ゲームの思うままに動くプログラムでもない。ワタシは、津森論子から独立した、ワタシだ……!!
何にも縛られない、否定させない!好きに魔法を使って、好きに………私はお前たちを殺すッ!》
「この野郎……スキルのデータまでもいじってるのかよ……!」
「今は分析なんかしてる場合じゃないでしょ!それにこの液体、どんどん広がってってる。早く倒してしまわないとまずいわよ……」
ああ、と返事をしたはいいものの……。ボイルリングという遠距離攻撃が可能な魔法が使える斗月や基本武器が銃である夏矢ちゃんはまだしも、俺の基本武器は木刀という近接も近接なものであり、さらに唯一俺が持つスキルである狩影は、相手の影を踏むのが発動条件であるため、得体の知れない液体の上に蝿の影がある以上、俺がヤツに攻撃を届かせる手段はゼロに近い。
銃カキンも、そんな何回も使ってられない。というか今の状況だと、夏矢ちゃんが銃を連射してゲージを溜めてサポートコンボを使って、の方がよっぽど効率的なのだ。
……こんな時にネガティブになるべきではないのかもしれないが、こう思わずにはいられない。
「……本格的に役に立たんな、俺」
着実に遠距離攻撃で蝿を攻撃していっている2人を眺めて、俺は木刀を構えることもせず、呆然と立ち尽くした。
「怜斗にしか出来ないことはあるよ。二人の状態を見て、ピンチだったらアイテムを使ってやるんだ。二人は戦いに集中できる」
「あ……ああ、そうだな」
いかん。こんなしょーもないことでジェイペグに励まされるとはな。そうだ、俺は俺に出来ることを全てしなければ。津森さんたちのためにも。
《見苦しい……不快だ、気持ちが悪いィィッ……!血を浴びて絶望しろ、死ね、私の前から消えてなくなれェェッ!!》
「まだ何か来るよ!備えて!」
《『グラビティ』ッ!》
「なっ……ぐっはぁっ!?」
蝿からまったく離れて遠い場所にいたというのに、斗月の体は突如として蝿の方へ吸い寄せられた。
……蝿が空中を弄るような気持ち悪い手の動きをしていることとと斗月が宙で生きた操り人形のようにもがいていることからして、恐らく、サイコキネシスのようなものだろう。
危ない、と声に出そうととした時には、すでに視界に斗月の姿はなかった。
訳の分からない力で空中へ浮かされた斗月を、蝿は、その脚で容赦なく叩き落とした。人間と蝿が逆だ、なんて冗談にもならない。
そして、落ちた所には……。
「な……んだよッ、これ………!?」
紅い水溜まりが、起き上がろうとする斗月の脚にベタァッと気持ち悪く貼り付いて、脚と水溜まりとを繋ぎ止めんとばかりに糸を引く。
しかし糸はそれほどまでにねばつくものではなかったようで、難なく立ち上がった斗月だったが、突然胸を押さえて、今にも血を吐きそうなほどに顔を赤くして苦しみ出した。
「ぐぁっ……な、ん…………っ……ぐおあぁぁっ……!?」
《触ったな、その血に……!アハハハハハハハハハハハハハハハハハッ、絶望しろ、絶望しろッ!!どれだけ抵抗しようが何をしようが、数秒後に死ぬ、戦闘不能!
無駄だ、お前らの努力なんて全部無駄なんだッ!!》
「くっ…………ぁ………………悪、い……!」
ガクリと膝をついて項垂れたように首を曲げ、そのまま動かなくなる斗月。
蝿の説明が真実であることを何よりも雄弁に語っている。
あの血に触れると、戦闘不能になる。
「斗月……!くそっ、戦線復帰できるアイテムを使っても、あそこで倒れてたら、復活する前にまた倒れちまう……!どうすれば……」
「くっ…………」
「…………夏矢!ゲージが溜まりおったぞ、私はいつでもいける!」
「了解よ!撃ちまくっちゃいなさいッ、キーピー!」
「フリードリヒ!」
夏矢ちゃんが、斗月が倒れたことに対する怒りと驚愕を努めて隠そうとしながら、サポートコンボを発動させる。
巨大戦艦から発射された矢が、蠅に次々と命中する。
しかし、何本かは途中で叩き落とされ、血の海に落ちていく。
…………ん?
叩き落とされた矢の落下地点だけ、少しだけ血が消えている。
……それを見て、俺は自分の脳内で革命的な閃きが走るのを感じた。
あるぞ……!俺にもできることが、戦力になれることが!
「夏矢ちゃん、蝿じゃねぇ!血に向かって銃を撃て!」
「はぁ!?なんなのさっきから、自分に向けて銃撃てとか!せめて目的ぐらい解説してくれる!?」
「この戦いが終わったらな!」
「しょうもないところで死亡フラグ立てんな!……分かったわよ、やりゃあいいんでしょ!」
銃口を下に向け、夏矢ちゃんがやっつけ気味に引き金を引くと、玩具じみた弾丸は床の上に広がる血の海、その表面を叩き――着弾地点の周囲の血を、消した。
「えっ!?なんで消えるの!?」
「『絶望の血潮』とはいっても、タネはまったく、それこそ絶望的なくらいカンタンだ。ようは、触れただけで即死のスライムを床に広げただけ。
これは血なんかじゃなく、液状のモンスターなんだろう?だから落ちた矢や弾丸が当たったら、その周囲の血が消滅した」
《グッ…………!》
「本質を見てみりゃなんてことねぇ、お前の無駄無駄詭弁と同じようにな!」
《……………………図に……乗るなァァァァァァァァァァッ!!》
怒り狂った蝿の攻撃モーションは、マ〇オのボスなみに分かりやすい。肢を振り上げて力を溜め、一気に加速してこっちへ突っ込んでくる……。
果たして想像通りの動きをしてくれたようだ。
大ぶりな爪の一撃を左へかわすと、蝿に隙が生じた。
「わざわざ血のないこっちに来てくれるなんてな!『狩影』ッ!!」
《グゥァアアァアァッ!!》
「最初は全然効いてなかったのに、そんな悲鳴を上げるなんて……そろそろ限界なんじゃないのか?」
《無駄だッ!ワタシは新しい無駄のない世界で生きていくのだ……無駄の塊であるお前らなんぞに負けるはずがない…………!!》
「お前が生きていくのは地獄でだ!『影の結界』!」
《姑息な……!!》
……AIに死後の世界があるのかどうかは知らんけど。
とにかく、攻略法が分かったところで、斗月を助けに行かなければ。
部屋の中心近く、血の広がっている中心部分でぐったりと倒れているアイツを助けるには、さっきみたいな方法で血を消していって道を作るほかないだろう。
「夏矢ちゃん、できるだけヤツの動きを止めとくから、斗月のところまで行けるように血を消してくれ」
「オッケー任せて!その道を通って斗月回収すんのはアンタに任せる!」
「回収って……はいはい、任されるよ!」
夏矢ちゃんは一心不乱に銃を振りながら、指が釣るんじゃないかってくらい引き金を引きまくり、ほとんどリロードのタイムロスをゼロにして、血を消して行ってくれた。
だが…………。
「くそ、ちょっと厳しいか……」
「怜斗ぉぉっ、さすがにキツいってこれ!」
小さい銃弾で消せる血の面積などたかが知れており、俺が影の結界や狩影のコンボで蝿を足止めしながらずっと打ち続けても、ぜんぜん道は広がってくれない。
さすがに無理があったか……何か別の方法はないか?
考えろ、考えろ。遠距離攻撃の手段が少ない俺にできる唯一のことは頭脳労働なんだよ、それすらできないなんて役立たずの穀潰しもいいとこだ!
血に触れずに斗月を助け出す方法…………!!
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某所。
2人の人間が、ゲームの画面を見ている。
片方は苦笑し、もう片方は呆れている。
「……うーん。思ったより苦戦してるみたいですね」
「言わんこっちゃない。蝿にデータ改ざんできるAIを持たせるのはマズいかもって、言ったじゃないですか」
「いやぁ、けっこう彼ら勝負どころで強いみたいだし、イケると思ったんですけどねぇ。なかなかマンガみたいにはいきませんねぇ」
「どうします?今から弱体化アップデートしろってんならしますけど」
「2倍の報酬金でもふっかけてくるつもりですか?」
「何バカなこと言ってるんすか。4倍でも舌打ちしますよ。権限面でも技術面でも、その操作は私にしかできないんですからね」
「ははは……まぁ、もう少し見守ろうじゃないか」