津森論子失踪事件 その1
こんな世界には、何の価値もない。
「違う」
才能という概念は、絶対にある。
それは『努力の効率』という言葉に言い換えることもできるわけです。
「違う!」
いくらやっても人並みにしか伸びないのは、才能がないのです。
「違うッ!!」
違うのなら、何故、その先が言えないのですか?
「…………………!」
才能、努力の効率、伸びしろ、個体値。
言い換えようと思えばいくらでも言い換えられます。オブラートに包もうと、哲学的にしてはぐらかそうと、逃げようとするならいくらでもできます。
しかし、その言葉たちが真に含む意味は、いつだって私を絶望で刺し殺すのです。
「ち…………が……」
言葉を発せなくなるまで泣くなら、そんなに辛いなら。
もっと、自分の欲望に忠実になるべきです。
「欲望………………?」
人間なんて、所詮、欲の塊です。
今のあなたは、その汚らしい欲を隠す『鎧』を身にまとっているいちに、いつしか鎧に呪われ、本来の自分を見失っているのです。
本来の、醜い自分を、ビンの中に閉じ込めて。
自分の中の『道徳の教科書に載ってそうな部分』だけを、必死で集めて、それで脆弱な鎧を身にまとっているのです。
捕まりたくないから、犯罪をしないだけなのです。
嫌われたくないから、思ったことを言わないだけなのです。
そんなものは、死んでいると同義です。偉い人もそう言いました。
「何を…………」
……分かりませんか。
説明が悪かったのなら謝ります。
では、こうしましょうか。
貴女の脆弱な嘘の鎧に隠された、『汚い欲望の姿』を、貴女に見せましょう。
貴女が忘れてしまった、人から隠すあまりに、どこへ隠したのかすら忘れてしまった、そんな『欲望』を、貴女にもう一度、思い出させてあげましょう。
「何……言ってるん………………?」
ようこそ、あなたが望むデジタルの世界へ――。
#
土曜日の放課後。
美術という名の処刑タイムが終わったあと、俺は普通に下校しようとしていた。
……彫刻刀って、あんなに人肌に刺さるんですね。わあい勉強になったぞぉ。
とぼとぼと学校の廊下を歩いていると、後ろから声がかかった。
「レイっち!ちょっと待って!」
「ん、チー子とポン子か。どうした?今日は部活ないだろ?」
「そうじゃないんです!部長のことで……」
珍しく落ち込んだような顔をするチー子とポン子、そして、昨日に引き続き学校を休んでいる津森さんの話題に、俺は真剣な様子を感じ取った。
……それも、ただ『風邪でもひいてないか心配だな』みたいなものではなく、ある種の緊迫感さえ感じられる。
「……津森さんか。確かに今日も休んでたけど」
「私たちも、珍しく風邪ひいただけだって思ってた。……さっきまでは」
「さっきまで?」
「実はさっき先生が……」
ポン子は瞳を不安そうに曇らせて、さっき先生から聞いたことを俺に話してくれた。すごく動揺しているようで、ろくに舌が回っていない。それに、さっきから泣きそうな目をしている。
チー子はといえば、もっと爆発しそうな感情を堪えているようだった。顔は真顔だが、目にポン子以上に涙を溜め、唇を震わせ、ツメが食い込んで血が出てしまうんじゃないかというくらい拳を握り締めている。
2人の話はこうだ。
……津森さんの親から、電話が入った。その内容は、ただの欠席連絡ではなく、『娘、津森論子が失踪した』という耳を疑うものだった。
それだけでは到底信じられるわけがなくて、2人は、普段から仲良くしていた津森さんの母親に電話して、事情を聞いた。母親も、泣いたり怒ったり、嵐のような感情の中でなんとか、2人に説明してくれた。
昨日の朝、津森さんがいつまで経っても部屋から出てこないので、何度もドアを叩くなどして呼びかけたが、返事がなかった。そのときはまだ、珍しく爆睡して何も聞こえていないんだろうと気楽に考えていたそうだ。
昼になっても起きてこないのを心配に思った母親はまたドアを、今度は多少乱暴に叩いて必死に応答を求めるが、返ってくる言葉はなかった。
そして警察を呼び、何度かの部屋への呼びかけの後、最終手段として強引に部屋の中へ押し入ったが……そこには、誰もいなかった。
それも、ただいなくなったのではない。鍵をかけ、窓も完全に閉められた彼女の自室から、忽然と消えたと言うのだ。扉や窓が開いた痕跡は見当たらず、警察によって近辺での捜査が行われたが、街中のどの防犯カメラにも彼女の姿はなかった。
津森さんの両親が警察に通報して、鍵を壊して部屋の中に入るまで、そこは完全な密室だったと考えられ、部屋中もとい家中をくまなく捜索したが、やはり室内に津森さんはいなかったそうだ。
部屋に不自然な点は、1つの部屋に対して警官を3人も配置したというのに、たったの一点も見受けられなかった。
ただ1つ。
『砂嵐になったままのノートパソコンの画面』という不可解すぎる謎を残して、全てが、何事もなかったかのように、部屋の主など元からいなかったのだと主張するように……。
「……何だよ、それ…………。まるで……」
「うん……そっくり、なんだよ」
「今、ウワサになってる……」
そう。
『人間が脱出することが完全に不可能な密室』から、消失するようにどこかへ行ってしまった失踪者。
何故か砂嵐になっている、『パソコンのディスプレイ』。
……同じだ。夏矢ちゃんから聞いた、あの気味の悪いオカルトじみた都市伝説と、ほとんど同じだ。
『砂嵐』というワードは夏矢ちゃんの話に無かったが、これは『深夜にパソコンをしている者が失踪する』という部分と合致するだろう。
ピンとくる、というレベルではない。ほとんど、そのオカルト話そのものだ。
ゾッとした。
昨日ネットゲームの世界で襲われた、死刑囚を名乗る人間……。本来なら牢屋の中で死刑を待つ身のはずなのに、何故…………。
あれは、誰か暇なニート野郎の悪ふざけだってことで、結論が出たはずなのに。
最近の体験が、次々と事件のキーワードとリンクしていく。関係ないと分かっているのに、脳の臆病な部分が、こじつけ作業をやめてくれない。
……もし、あのネットゲームが、犯罪と繋がっているとしたら……?
だが、そんなことをこの2人に言えるわけもない。
とりあえず今の話題は、事件と都市伝説との奇妙な合致についてだ。
「……ふざけてるわけじゃないし、こんな時に持ち出すべき話題じゃないっていうのは分かってる。でも……」
「……あまりにも、似すぎてますよね」
「…………あのね、二人とも。ちょっと、聞いてくれるかな」
チー子は、真剣な顔を維持したまま、少しだけ表情をいつもの元気なものにした。
俺とポン子が首を彼女の方に回すと、彼女はいきなり、腰を90度曲げた。
礼儀という言葉からは180度かけ離れた彼女の普段の行いのせいで、俺とポン子は少々戸惑ってしまった。
「お願い…………」
チー子は、ゆっくりと、噛み締めるように、その頼みを言った。
「私と一緒に……。私たちで、ロンっちの部屋を調べたいの!」
『………………!』
それは、普通の高校生が普通の高校生に対して行うお願いとしては、些か難しく、いかんともしがたいものだった。
初対面なのに馴れ馴れしくて、いつもヘラヘラ飄々としている彼女の言葉を、俺はテキトーにあしらっていた。だが、真剣な顔で真剣なことを言われたのに、俺は受け止めてやることができない。
「チーちゃん……」
「チー子、それは……」
「分かってる。警察が調べてるところに、ほとんど部外者みたいな高校生が勝手に入るのが無謀だってことくらい…………っ」
震えている言葉は尻すぼみになっていき、やがて止まる。
腰を曲げたままのチー子の下の床に、涙が落ちて染みを作った。
何かを堪えきれなくなったかのように顔を上げた彼女の顔は、涙と、涙を我慢しようとする意地のせいでぐちょぐちょになっていた。
「分かってる……!警察の捜査に素人が介入できるのは、漫画やアニメの世界だけだって……!ましてや、いっぱいの警察が一日中調べても何にも出なかった部屋に、私たちみたいなただの高校生三人がでしゃばって行っても、捜査の邪魔になるだけだってことくらい、分かってる…………分かってるけど!
それでも私は、何かをしたいの!このまま『警察に任せていればいいや』で、ロンっちが帰ってこなかったら……私は絶対に、そんなのは嫌だ!私が出来ることを全部やりたい!もちろん、ロンっちが何事もなく帰ってくるのが一番だけど……それでも、ロンっちが危ない目に逢ってる時に、私が何もしてあげられなかったなんて、嫌だから!
独りよがりで自分勝手なお願いだって、自分でも分かってる!だけど……だけど、それでも、どうしても!」
「分かってますよ」
「――っ!」
不安に震えるチー子の体を、ポン子が優しく抱き留める。
お互いに震えている。
だけど、震える2人がお互いに柱となって支え合うことで、今にも崩れ落ちそうなのを、どうにかしてつなぎ止めていた。
微笑むポン子の瞳からも、一筋の涙がこぼれ落ちる。
「ありがとうチーちゃん……私も、同じ気持ちですよ。部長…ロンちゃんのために何かをしてあげたい。ロンちゃんの力になってあげたいです」
「ありがとう……ポンっち……」
抱き締めあった二人は、強い絆で、固い友情で結ばれているのだろう。
二人のそんな表情からは、お互いを信頼し、ただ純粋に津森さんのことを心配している様子がひしひしと伝わってくる。
よし、とひとりごちると、俺は携帯を取り出して、電話帳を開いた。
「じゃあ、警察に割り込むためのコネは、俺に任してくれ」
二人は、泣き腫らした目を丸くした。
「え、レイっちが……?」
「……そんな権力持ってる人と繋がりがあるようには見えませんけど」
「おおう、爽やかに失礼だなお前……」
俺の感動を返してほしいが、そんなことを言っている場合じゃない。
電話帳の『か』行の最下段に並ぶ名前を眺めながら、俺は少し苦い顔をした。
……ゲーム世界でメールを見てくれるだけじゃなくて、現実でも、ちゃんと俺の電話に出てくれればいいんだけどな……。
「一つ。偉そうにコネとか言ったけど、あくまでも間接的なものなので、頼みを中継してくれるヤツに断られたらどうしようもない」
「ま、そんなことだと思ってたけどね」
「仕方ないですよ。そのときは……まぁ、そのときです」
「……二つ。このコネを使うと、もれなくうるさいのが二人捜査に参加することになると思うが」
「うるさいのが?」
「二人……ですか?」
「いいんじゃないの?ていうか、助かるよ。三人より五人の方が、探す効率も上がるでしょ」
「……戦力になってくれるだろうとは思うぞ」
そもそも片方は電話に出てくれるかどうかも分からんがな……。と付け足すことは、期待に満ちた二人の瞳の前ではできなかった。
まあ、先に確実な方を確保しておくか……。
俺は電話帳を横にスライドし、『た』行の下から二番目を呼び出し、コールした。
#
午後2時、津森家前。
捜索班は、俺の当初の希望通りに集まってくれた。
「おい世葉、いつまでそっぽ向いてんだよ……」
「……ふん。どうせ私なんか、親が権力持ってるって以外に魅力なんて無いわよ」
……約一名、なんでだろうかものっすごい拗ねてる奴がいるのを除けば、全てが希望通りだ。
斗月がなんとかなだめようとしてくれているものの、夏矢ちゃんは腕を組んでうつむき、ずっと地面を蹴っている。
俺はあのあと、斗月と夏矢ちゃんに電話をかけた。
斗月に対しての用件は2つ。津森さん捜索のために今日はネトゲ世界に行けない旨と、斗月にも捜索を手伝ってほしいという事だ。
さらに夏矢ちゃんに対してはこれと合わせてもう一つ。警察にも意見できるほど高名な医者である、彼女の父親……、世葉国際総合病院院長、世葉圭堂の力を貸してもらう事。
斗月は「女子が行方不明とかほっとけるワケねーだろ!」というカッコいいんだが不純なんだか分からん理由で快諾したが、夏矢ちゃんは、三つ目の頼みである圭堂さんの召喚を頼んだ瞬間に、妙に機嫌が悪くなってしまった。今も、ポン子が話しかけるのを躊躇うくらいには不機嫌オーラMAXである。
斗月とチー子が俺を夏矢ちゃんから離して、ヒソヒソ声で責め立ててくる。
「おい怜斗!お前世葉に何言ったんだよ……?」
「いや……『最悪、圭堂さんの権力さえ貸してくれれば来なくてもいいから』って」
「うっわ……最低だね……」
「いやいや、チー子は知らんかもしれんがな。俺はアイツにめちゃめちゃ嫌われてるんだよ。だから、あんまり頼みが多いとよくないかなと思ってだな……」
「本当に嫌いだったら、そもそも電話にも出てくれないと思うけどね……」
「マジで鈍感というか……もう何つーの?ヨリ戻す気無いだろお前?」
「……あとで猛烈に謝っとくよ」
夏矢ちゃんの方を振り返ると、一瞬目が合うも、すぐに犬が威嚇するようにグルルルと唸りだした。
……ごめんて。
「……なあ。調べないなら邪魔だから、早く敷地内から出てってもらえるか?」
俺が少々罪悪感に耽っていると、大人の厳しい声がかかった。
声の方を向くと、いかにも勤務中の警官らしい、少しも気崩していない制服に身を包んだ青年が、苛立たしげにこちらを見ていた。
「あ、すいません……」
「はぁ……。上もなんで高校生なんかの出入りを許可すんのかね」
彼の目の下には尋常じゃないレベルのクマが見られ、本当に過剰表現なしに『一日中』捜索を行っていたことが分かる。
……徹夜で何の手がかりもないまま町中を駆けずり回って、翌日の昼にもっかい失踪者宅に戻ってきてみれば、高校生が捜査を始めようとしてたんだ。そりゃ、ヒステリーにもなるわな。
麻雀部以外の場では比較的気が弱くて常識人なポン子が、へこへことそれはもう気の毒になってくるぐらい頭を下げて謝る。
「す、すいません!邪魔にならないように探しますので!」
「ハッ……。警察の捜査に高校生が無理矢理介入している時点で、邪魔以外のナニモノでもないんだけどな」
……明らかに俺たちを見下したようなその態度にはムカつくが、言っていることは全くの正論なわけで、反論の余地がない。
ていうか、こちらとしてはできるだけ彼らの機嫌を取らなければいけないわけで、反論できるわけもない。
チー子たちも同じ気持ちなようで、俯いて下唇を噛んでいる。
「はぁ……一応名乗っておこう。俺は二垣。巡査だ。君らの監督義務を任されている。……くれぐれも妙な真似はしないようにな」
『了解です!』
最後の一言が妙にドスが効いたものだったので、俺たちは全員思わず直立敬礼してしまった。ケから始まるお仕事よりもヤから始まるお仕事の方が向いてますよ、という皮肉は心の中だけに止めておく。
……何かしらの手がかりをゲットしたら警察に押収される前にポケットに捩じ込もうとか不埒なことを考えていたのだが、このぶんだとゼッタイやめておいた方が良さそうだ。
「よし、じゃあ入れ。もう一度言うが、絶対に妙な真似はするなよ」
「は、はい!」
「……なんか囚人と看守みてーになってんな」
斗月の感想に全員ひどく共感し、一同は津森家に入っていく。
#
――いよいよ、ボス戦というわけか。
あの馬鹿が面倒な命令無視をしでかした時はどうなることかと思ったが……まぁ何にせよ、実験の弊害が、思わぬ形で役に立ったようだね。
さて、これはなかなかに価値あるデータが取れそうだ。
じっくりと、観測させてもらおうか……。
なぁ、怜斗くん?――