君との思い出 ~It's Beautiful Days~
久々の短編です。
纏まりがないかもしれません。宜しくお願いします。
空気の入れ替えのため、部屋の窓を開ける。すると、春の爽やか風が流れ込んできた。
風の心地よさに気を良くした僕は、窓からベランダに出る。
マンションの三階から見える景色は、僕の知る町並みとは少し違った。あちこちにピンク色に色づいた桜の木や他の木々が見えるくせに、三階建てから五階建てぐらいの高さのマンション、ビルなんかも建ち並んでいる。田舎のように見えて、どこか〝街〟を思わせる。少なくとも、ここは僕がいた町とは違う。
僕はつい昨日このマンションに越してきたばかりの大学生だ。いや、正確に言うと、まだ大学生ですらない。何せ、まだ入学式すら終えていないのだから。
入学式は三日後。それまでにやることは山ほどある。何せ、初めての独り暮らしだ。やりたい事とやらなければならない事が盛沢山だ。実家から持ってきた荷物を片づけたり、日用品の買い出しに行ったり、これから少なくとも四年間は住むことになるであろう町を探検して回ったりと、何かと忙しいのだ。
休憩は終わりと、部屋に戻って荷解きを再開する。
残っている荷物は本や小物ばかり。だからすぐに終わる。そう思っていた。
けれどその途中、段ボール箱から出てきた一冊の本に僕の目は奪われた。
――なんで、こんなものが。
それを見つけた時の思いはそれに尽きた。
それは僕が実家に置いてきたものばかりと思い込んでいた高校の卒業アルバムだった。
こんなもの、それが卒業アルバムへの僕の思いだった。いや、高校生活への感情と言った方が正しいかもしれない。
僕にとって、高校で過ごした三年間は早く忘れ去りたい、辛い思い出だった。
だというのに、僕はそのアルバムを手に取り、開いてしまった。決して思い出してはいけない記憶、開いてはいけない傷口。
あの、儚くも美しい、それでいて醜く残酷な日々に僕は想いを馳せた。
――・――・――・――・――・――
高校に入学すると、それまでの僕の生活は一変した。小学、中学とそれまでずっと一緒だった同級生とは別々になり、誰も僕を知らない環境に放り出された。
元々人付き合いが苦手だった僕にとって、それは初めての経験だった。だから、新たな環境に表面的に溶け込むことはできても、友達と呼べる人はすぐに出来なかった。
そんな折だった。一人の女生徒が僕に話しかけてきた。きっかけは些細なもので、板書したノートを見せて欲しいとかそんなどうでもいい事だったと思う。でも、不思議なことに、人付き合いが苦手な僕が物怖じせず、彼女とは普通に会話ができていた。僕と彼女は何故か馬が合ったのだ。
彼女の第一印象は気さくで、はつらつとした女の子だった。笑うと口元からこぼれる八重歯が印象的で、それが笑顔をより愛らしいものにしていた。
初めて会話をして以降、僕と彼女は良く話すようになった。授業の合間の休み時間、昼休み、そして放課後。時々だったけど、帰り道が一緒になった時だってあった。彼女と過ごす時間は僕にとって特別なものになっていった。
もっと話していたい。もっと一緒にいたい。そんな感情が芽生えるのにそう時間は掛からなかった。
彼女と初めて言葉を交わしてから三か月、僕は彼女の事が好きになっていた。
この想いをいつ伝えよう、どうやって伝えよう。いや、伝えてもいいものか。そんな事をすれば、いまの関係が壊れてしまうのではないか。彼女に受けいれてもらえなかったら、嫌われてしまったら、僕は――。
そんな思いが巡り、僕はすぐに踏み出せなかった。
けれど、それで良かった。そんな事をするまでもなく、僕の迷いは杞憂に終わる。
彼女には、中学の頃から付き合っている彼氏がいた。
口にするまでもなく、伝えるまでもなく、僕の想いは決して彼女に受け入れてもらえるものではなかった。
ショックだった。彼女に恋人がいるという事実を知った時、胸が痛かった。けれど、それと同時に僕は安堵した。
ああ――これで今まで通り、彼女と友達でいられる、と。
僕は自分の想いを何度も何度も押し殺して、彼女と友達でいることを選んだ。
それで良かった。それでも僕は幸せだった。だって、僕の幸せは彼女と少しでも一緒にいられる時間と彼女の笑顔だったから。
それからというもの、僕と彼女とは仲の良い友達という関係が続いた。
学年が変わって別々のクラスになっても、それは変わらなかった。時々だったけど、放課後になると彼女が僕の教室に来ることもあったし、メールや電話でやり取りすることもあった。共通の友人何人かで街へ遊びに出ることもあった。
時には、彼女が彼氏のことで相談してくることがあった。僕はそれを快く受け入れた。不思議とそれを辛いとは思わなかった。むしろ嬉しかった。彼女がそこまで僕を信頼してくれていることに。
そんなある日の朝、廊下で彼女とすれ違った時、彼女は僕に近寄って来て囁いた。
「私、彼氏ともうダメかも」
目元を赤く腫らした笑顔でそんな事を言われて、僕はどう反応していいのか分からず、正直困った。詳しい事を聞こうにも、授業までの時間もなかったし、周りの目もあったから、その場で聞き出すことが出来なかった。
だが、それが良くなかった。
彼氏と別れるかもしれない、その言葉が押し殺したはずの想いを呼び戻してしまった。僕だったら彼女を泣かせたりしない。僕だったら彼女をもっと――――そんな最低な感情が巡ってしまった。
――僕はやっぱり――
ダメだ!
――彼女のことが――
そんなの違う、そんなの間違ってる!
――たとえ、間違っていたとしても――
彼女は泣いていた。
――僕だったら泣かせたりなど――
こういう時に力になってあげることが友達だ!
僕はその日の夜、彼女に電話して事情を聴いた。
聴いてみれば何のことはない。ただの犬も食わぬ喧嘩だった。僕は泣きながら事情を話す彼女をなだめつつ、「大丈夫だよ、すぐに仲直りできるよ」と言い聞かせた。結果、思った通り、すぐに元鞘に戻った。
それでこの騒動は彼女の中で終わった。けれど、僕にとっては始まりになってしまった。
自分の想いに気づいてしまった僕は、それをもう押し殺すことができなくなってしまった。
それからの僕は露骨だったのかもしれない。友達を装いつつ、彼女に近づこうと必死だった。友達でいられればそれで良かったはずなのに、それを僕は裏切ってしまった。
だから、僕はその報いを受けることになる。
季節は、高校に入ってから二度目の秋。
登校途中に彼女を見かけた僕は彼女に挨拶しようと声を掛けようとした。けれど、彼女は僕を無視してさっさと行ってしまった。
どうして――?
突然の出来事に去来した思いはただそれだけだった。
最初は何かの間違いとか、僕に気づかなかっただけとか、そんな風にしか考えていなかった。けれど、その日から僕と彼女の間で交わす会話はなくなった。
彼女はあからさまに僕を避けだした。僕と出会わないように、僕と顔を合わさないように、僕と目を合わせないように、僕と言葉を交わさないように。それはもう徹底的だった。
何が起きたのか分からない。どうして突然そんなことになったのか理由が分からない。彼女が一体何を考えているのか、理解できない。その時は、自分の置かれている状況が理解できず、ただただ困惑していた。
そのまま何もできないまま、気づけば年が明けていた。その間、僕と彼女の間には一言の言葉すら交わされなかった。
僕は勇気を出して、彼女にメールを送ることにした。
『あけましておめでとう。なんだか最近話してないような気がするけど、どうしてる? 彼氏とは上手くいってる? また、前みたいに電話やメールで話しよう。どうか今年もよろしくね』
できるだけフランクに、できるだけ自然に。そうすれば、これまでと何も変わらない返信が返ってきて、また僕と彼女の間で何気ない会話が戻ってくるかもしれない。そんな淡い期待を乗せて、メールを送った。
メールを送った日の夜、彼女からメールが返ってきた。
嬉しかった。ちゃんと返ってきた。
なんだ、やっぱり僕の気のせいだったんだ。きっと、何かの弾みでお互いに話しづらくなってしまっただけだったんだ。こんな事なら、悩まずもっと早くメールすれば良かった。
そんな安堵と喜び、期待感を持って、僕はメールを開いた。
『あけましておめでとう。話したいことがあるから、ここのチャットルームに来てもらえるかな?』
そう書かれたメールの文面の後に、URLが載せてあった。
予想外の文面と展開に僕は混乱した。何故なら、こんな事は初めてだったからだ。
何故、チャットなのだろう? 今までチャットで話したことなんてなかったのに……。
そんな疑問と一抹の不安を抱えたまま、指定されたサイトにパソコンでアクセスした。
チャットルームには僕と彼女しかいなかった。どうやら、入室できる人数や人間を制限しているらしい。つまり、ここでする会話は僕と彼女しか知りえないものになると言う事だ。
けれど、僕は不安だった。チャットなんてしたことがない上、まだその頃はパソコンも使い慣れていなかったから。そして、その不安は的中した。
文字を打ち込むのが遅い僕は、彼女からのメッセージに返すことができず、ほぼ彼女の独壇場になってしまった。
『気づいてると思うけど、私、君のこと避けてるから』
『彼氏に変に思われたくないから。だから、距離を置きたいの』
『だから、もうメールも電話もしてこないで。こっちもしないから』
僕は愕然とした。信じられなかった。彼女がそんな事を言い出すなんて、信じられなかった。
『黙ってないで、何か言いなよ』
その問いかけに僕は震える手で文字を打ち込んだ。
『君にとって僕は何?』
そう尋ねるだけで必死だった。それが僕の精一杯だった。けれど、その問いかけに彼女はすぐに返事を返してきた。
『友達以下かな』
もう何も返すことができなかった。見たくもない文字、見たくもない言葉。彼女はどうしてこんなことを――
『他に何か言いたいことある?』
『ないなら切るね』
何も返せないまま、彼女はチャットルームから退室した。そして、そのチャットルーム自体も閉鎖された。僕はパソコンの画面を茫然と眺めることしかできなかった。
そこで交わした会話すら残らず、声すらも聴けず、本当の言葉ですらなく、僕と彼女の仲は決定的な終わりを迎えた。
彼女は選択したのだ。おそらくは自分の幸せの為に、一番大切なものの代わりに、何かを切り捨てたのだ。一番大切なものは恋人との関係や時間。そして、切り捨てたのは、どうでもいい僕との関係。それが彼女の選択だったのだ。
僕は彼女のことが好きだった。でも、僕は彼女の友達にすらなれなかった。いや、友達だと思っていたのは僕だけだった。それが現実だ。
けれど――――それでも僕は――。
だから、僕も選択した。彼女との関係を断ち切ることを。それが彼女の幸せの為なら、僕は僕の心なんて捨てられる――。
そう心に決めた日の夜、気づけば僕は涙を流していた。
そして、月日は流れ、高校の卒業式がやってきた。
結局、あの日から僕と彼女が言葉を交わすことはなかった。それは、卒業式の日も同様だった。あれが、チャットという文字だけの会話が、どこにも残らない虚しい会話が、僕と彼女が交わした最後の会話になった。
そうして、僕の高校生活は終わった。
――・――・――・――・――・――
アルバムを閉じる。気づけば、アルバムを開いてから一時間も経っていた。
彼女と過ごした思い出は、今でも僕の心に残っている。それは、心に燈る篝火のように温かい。けれど、それと同時にそれは苦く辛いもので、僕の心の傷にもなっている。
何故、あのような結末を迎えてしまったのか、あんな事になる前に出来る事はなかったのか、今でも考えてしまう事がある。それが意味のない事と知りつつ。
でも、これだけは言える。彼女のした事は別に間違っていなかったと思う。彼女は自分の幸せを優先したに過ぎない。それを間違いだと言える人間なんていないし、僕も間違いだと思わない。
原因があるすれば、それは僕の方だ。僕が彼女の事を本当に友達と思い、友達と接していれば、きっとあんな結末を迎えなかった。だから、悪いのは僕だ。それでいい。
ある人は言う。中学や高校で過ごした時間なんて、これから生きていく時間と比べれば些細なもの。まして、そこで知り合った人と残りの一生を共に過ごすことになるなんて、ほとんどない。この先、色々な人と知り合って、もっと好きになる人に出会えるかもしれない。それに人生は恋愛だけが全てってわけじゃない。過去ばかり振り返らず、未来を見た方がいいよ、と。
僕もそう思う。きっと、これから新たな出会いが待っていて、その中の人と友人になったり、恋人になったりするだろう。未来は見えない代わりに、無限の希望に満ちている。それを僕はまだ知らないけれど、それをほんの少しも疑ってなどいない。
僕の未来は希望に満ち溢れている。
だから、僕は高校生活の思い出をそっと心の奥底に仕舞い込んだ。
いつか、あんな事もあったねって笑って過ごせるようになるまで。
いつか、彼女と本当の友達として笑い合えるようになるその時まで、あの素晴らしき日々を――。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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