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第5話 これがわたしの仕事

 

 キョロキョロと首が痛くなりそうなほど辺りを見回すソニアをつれてレアルは中央階段まで向かった。

 一階から三階まで吹き抜けの大聖堂に突き出た三階のバルコニーの手すりに寄り掛かって、自分の爪を見ながら何かしゃべっている女性がいた。首筋あたりでアッシュブロンドの髪を二つに結い、カチューシャのようなブレストをつけ、カナリアイエローのラインが入った制服を着ている。制服は癒術のエキスパートの証だ。腰に巻いた前掛け代わりの腰巻にはマラカイト色のシミや茶色い飛沫がついている。休む暇なく任務をこなしているらしい。


「お願い。そう、ありがとう」


「よお、リヤ」


 レアルはその背中に呼びかけた。


 女性は左の腰にかけていた小さな機械のボタンを押してスイッチを切った。


「久しぶりね」


 女性は振り返り、アーモンド型のグレーの瞳がレアルを見た。華奢な体つきのわりには、瞳は強気に輝いている。芯が強く活発そうだ。


「リーグから報告が来たわ」女性は呆れて言った。「また飲み込んだの?」


「紐が切れやすいんだ」


「リーリングみたいになっても知らないわよ。痛みが癖になる事もあるんだから」


 腰に手をあて、怒るマネをすると弟を叱るような少女の面影が残っている。


「そんなヘンタイみたいな事勘弁してくれ」


 レアルはゾッとして、肩を震わすマネをした。リーリングは三度の飯より痛みを好むかなり変わった奴だ。

 女性はクスリと笑うと、ソニアに顔を向けた。「この子は?」初めて妹が出来た子供のようにソニアを見た。

 ソニアは滲み出ている積極性に圧倒されて、足を一歩後退した。


「ソニアだよ。パンヌス探しに付き合ってくれたんだ」


「そう、よろしくね。リヤーナ・ラスト・ライス・ジェンナよ。リヤって呼んで」


 手を差し出し、ソニアがそれに応じるとリヤは優しく微笑み、ちらりとレアルを見た。グレーの瞳が悪戯の色を帯びる。


「こちらこそ……」ソニアはおどおどして言った。


「泥団子投げられたりしなかった?」


「そんな事するはずない」ソニアが答える隙もなく、レアルが言い返す。


「十一歳の時わたしに何度も投げつけたわ」


 ベェーッと舌を出すと、リヤはまだ幼い少女にも見える。


「陰気な顔だったんだからいい方法だっただろ?」


「それはどうも御親切に」笑みを浮かべながら嫌味たっぷりに言い、腰巻を少し持ち上げ、軽く頭を下げた。「親切なあなたにストレッチャーを用意しましょうか?」


 いつものリヤより少し口調がとげとげしい気がする。何か気にかかっている事があるのだろうか、とレアルは思った。


「いや、歩いていくよ」


 レアルが中央階段へ歩き出すと、ソニアはオロオロしてその場で足ふみするしかなかった。何となくついて行っていいのかわからなかったらしい。


「地下二階の術式室だからね」レアルの背中に向かって大声で呼びかけた。「準備はラプチェットさんに頼んでおいたわ。ソマリはいないから安心して。すぐに行くから」

 



 こんな事何度目だろうと思いながらも、見知らぬ誰かを連れてきたのなんて初めてだ、とリヤは思いを巡らせていた。

 ふとヘーゼルの瞳がリヤを見上げていた。ヘーゼルよりも少し色が薄くてライトブラウンにも見える。どことなく見覚えがあるようにも思えた。昔、診た子だろうか?


「え、あの……レアルは病気か何かなの?」


 ブラウンの髪を三つ編みにしていてどこか幼げな印象があるソニアはレアルに無理に連れてこられたんだとリヤは納得したが、心のどこかで怪しくも思った。


「馬鹿をやらかしただけよ。心配いらないわ」


 中央階段から地下二階へと下りようとしたが、見知らぬ少女の方を振り返った。どうしたらいいのかわかっていないソニアをここにほうっておく事は出来なかった。人情からでもあったが、まだ何も知らない少女がスパイの可能性もあるかもしれないからだ。


「見てみる? でも、ちょっと刺激が強いかも」


 階段を下りている間、ソニアに故郷や家族の事をリヤは訊いたが、あまり会話は続かなかった。少しの情報からすると、リヤの見覚えは勘違いだったらしい。

 会話の代りに連想ゲームだけは長く続いた。リヤは比較的簡単そうなリリーピリーやスカンジスタなど身近なものを挙げたが、ソニアは時々小難しいミュリッシュ村や九・三事件、仕舞いにはマコールドール平和協定会談と連想した。無意識なのか、リヤは少し詳しすぎるのではないかと怪しんだ。



 医務室の隅にある術式室は限られた人しか入る事が出来ない。衛生面の問題もあるが、数少ない機械が置いてあるためでもあった。

 医務室に招き入れ、ソニアには術式室の隣の扉を指示した。その扉は術式室の全体を見下ろせるガラス窓がある見学室。患者の親族や研修士が主に使う。ソニアが入るのを見届けると、リヤは頬を叩き気を引き締めた。あの子の事を今考えるのは無駄だ。それに目の前の問題を処理するのが今課せられた仕事。

 



 見学室に入ったソニアは珍しそうにあたりを見回し、部屋の奥まで入って壁を軽く叩いた。殺風景で椅子と四角い箱しかない。その箱に近づいた。一方だけはクッションのような柔らかい素材が使われている。

 ソニアは術式室の天井付近に開いている窓の正面にある椅子に座った。身を乗り出して、窓ガラスに額をくっつけそうなほど近づいて見ていた。


 突然、足音が響いた。ソニアは肩を震わせ、背後を見、部屋全体を見回した。しかし、誰もいない。もう一度足音が響いた。あの箱からだ。箱はスピーカーになっており、術式室の音が聞こえるらしい。ソニアは初めて見た。

 ガラスの奥、術式室には何人かいる。全員青いケープのようなものを着て、腕を長い手袋で覆っている。帽子を被り、口元はマスクで覆い、目元だけしか見えていない。身長以外に誰が誰かを識別出来ない。先ほどのリヤの特徴の二つに括った髪も帽子の中に消えていた。

 床にはケーブルやコードがくねっていて、寝台を囲むように台に置かれた機械がいくつも並んでいる。寝台と機械の間に青いケープの人たちが立っていた。


  寝台にはレアルが横たわっている。周りを機械や清潔そうなケープの人たちで囲まれると、森にいるエルフとは思えなかった。何か待った新しい種族に見えた。

 生気がなく、淡々としているそれは得体のしれない恐怖を思い起こさせる。


 ソニアは本能的に恐ろしくなって目を背け、椅子に座りこんだ。




 リヤは滅菌済みの手袋をして、レアルの腕を消毒用の布で拭いた。トレーから注射器を取るとレアルの腕に針をあてがった。


「食べたり飲んだりしてないわよね?」


 薬剤投与をしながら、リヤは訊ねた。突然吐き出されるなんてごめんだ。


「二日はしてない」


「オーケー。封印物だけよね?」


 コクリと頷くと瞼をゆっくりと下ろした。 

 先ほどまでの姿とは打って変わってレアルは弱弱しく手術台に横たわっていた。だが、その身体は大理石のようになめらかで美しい。胸が上下している事でそれが完全な固体ではない事がわかるが、まるで彫刻のように完璧な形だ。

 心臓の鼓動が機械音へとなって手術室に響いてる。一人はレアルの左胸に手をかざしていた。


「エルフの腹を開腹しちゃっていいんですか? 仮にも……」


「許可はもらってるの」リヤはほとんど遮って言った。「それに逆さに吊るすか、全身麻酔のどっちかよ」


 助手の研究員を一睨みした。レアルを大きな膜で包んだ。ドーム状で無菌室のようなもので他の干渉を許さない結界の一種である。


「封印物を取り除いたら解放されるだろうけど、慌てないで」


 レアルの身体から少し上で手をかざし、頭からつま先まで動かす。封印物は胃で止まってるようだ。消化出来ずに、いや炎症が起こって柔毛がくっついたのだろう。


「複製を使うわ」


 ラプチェットは敬意を持ちながらも反対するようにリヤをじろりと見た。


「何よ?」


 リヤは反対意見の意味が分からないというようにラプチェットを見返した。


「自発呼吸から人工呼吸へ切り替えます。用意して」


 研究員がレアルの口に長いチューブを、鼻孔に細いチューブを突っ込む。

 目顔で確認し合い、近くにあった機器のスイッチをオンにした。するとポンプが動く音がして、鼻孔のチューブへと空気が送られる。


「十秒だけコードを外して、心音の係は誰?」

 

 レアルの身体につけられた金属製のコードを外しながらリヤはレアルの左胸に手をかざした術者を見た。信頼を寄せているリリィ・ジェイドだ。機械音だった心音が消える。

 リヤはすぐさま細い指でレアルの首を突いて小さな火花を散らしてから、両手でレアルの胸あたりに触れると複雑な呪文を唱え始めた。意識を集中するために彼女は目を閉じ、すべての刺激を遮断して、両手を付けたレアルの身体だけに意識を向ける。唱え続けていた呪文が終わり、すぐわきに用意されていた水の入った巨大なトレーに両手を付けた。

 そこでも二言呪文を唱える。トレーに張った水は波のように動き、ある程度の規則性を持って波打ち始めた。水が立体的に浮き上がり、リヤの手を飲み込みながら、レアルとほぼ同じ身体が現れた。水の中から手を抜くと、表面張力のように水が揺れたが、器もないまま形を形成している水は崩れなかった。

 完全なレアルの身体の複製だ。頭のてっぺんから足のつま先まで、しっかりと水が形作って、光の屈折を使って色も着色されている。皮膚や骨格、食道、肺胞、毛細血管などまで精緻に再現されていた。

 高度な技術の必要な魔術のため「医術系相互連結魔術」――通称・複製を出来る術者は多くない。リヤもいまだに楽に出来るものではなかった。それに、正確に細胞組織を写し取るために、いったん心停止させなければならない。そのため普段は複製を使わないが、この時だけはリヤの勝手だった。

 レアルの首を再び指で突いて火花を散らす。


「コードを付けて」


 金属製のコードが素早くもとの位置につけられた。機械音が戻ったが不規則だ。リヤはラプチェットに目で合図した。


「電気的除細動機器の用意を」


 すぐに、キャスターを転がしながら灰色のコードが巻きつけられた黄色い線と画面のある箱が運ばれた。ラプチェットはコードの先についている大きな判子のようなものを両手に一つずつ持った。それの内側をこすり合わせ、何かを待っている。


「チャージ完了。問題なしです」小さな箱の画面を覗き込んでいた研究員が言う。


 こすり合わせていた内側をレアルの胸板に押し付ける。「離れろ!」ラプチェットが大声を張り上げた。レアルが背中を突き上げられたように跳ねた。


「脈は?」リヤが確認を求める。


 メトロノームのように単調な機械音が響いていたが、リヤの耳には入っていないようだ。癒術師として機械など全く当てにしていなかった。除細動機器すらほとんど信用していなかった。


「正常に戻ってます」


 

「さあ、本番よ」


 レアルが横たわった台を半円形の薄い半透明のドームで覆う。

 その隣に、台に寝かせた複製を移動させる。

 レアルの身体の複製とレアル自身の身体を連結リンクさせるのにはかなりの集中力と魔力がいる。ほんの少し気を散らせば、複製を使う意味がなくなってしまう。

 そのために今の複製は水に戻ろうとしているのかふにゃりとして、台に広がりそうになっていた。

 メスを握り、息を吸う。皮膚から神経までをしっかりと意識し、揺らめいていた水の複製を本体と変わりない質に似せる。息を吐き、複製の皮膚に刃を滑らせた。

 感触もなにも本体と変わりない切れ具合。半透明だが赤い肉が現れ、さらに深く切っていく。複製同様、レアルの身体にも執刀の跡が走る。

 胃の表面が現れとリヤはいったん手を止めた。

 レアルの身体の方に目をやった。複製同様に腹部が開かれている。違うのは血の赤味だけだ。ドーム内では出血も抑えられる。

 胃の表面は美しいピンク色をしているのが普通だが、一部が殴られたように紫になっていた。

 チーリの実ほどの小さな穴をメスであけ、投げ捨てるようにメスを置くと、全身神経を張り詰め、胃に直接手を突っ込んだ。

 すべての世界が遠のいていたが、目を閉じ、視覚からの情報をすべて遮断する。指先に集中して、胃の内側をなぞる。

 言っていたとおり飲食物がないところがこなれてる。呆れもしたが。

 リヤはすぐに封印物を見つけた。親指ほどの異物だ。いくつもあり、その間神経を集中したままでいられるか不安になった。だが、すぐにその不安も振り払った。

 すぐに一つ目を開けた穴から取り出した。続いて二つ目も。三つ目は少し大きかったのかぐっと押さなければならなかった。そうして六個全部を取りだせた。

 


 「バイタル低下」


 リリィの叫びに似た警告に、背筋が凍る感覚が走った。真っ暗な視界が動揺で揺らめく。

 予想していたが、その事態に突き当たると楽観視は出来ない。何度も成功させているが、百パーセントの成功率だとは思わなかった。

 複製に与えられた衝撃はそのまま本体の身体へと直結する。胃に手を突っ込むのは複製には難なく出来たしても、本体への影響はむごい事になる。

 リヤは複製と連結させる魔力の調整をする事によって胃に手を突っ込んでも影響を与えないようにしていた。

 出来ると信じるしかないのだが、神経をすり減らすような事がいつまでも出来るとは思えない。だからと言って、失敗を恐れる事は出来ない。

 しかしそれはリリーピリーの種に絵を描く以上に精神を消耗するうえに、リヤも完璧に出来るわけではなかった。出来るだけすぐに手を抜かなければ、取り返しのつかない事態が起きてしまうかもしれない。

 リヤは複製の胃から手を抜くその一瞬まで神経を緩めなかった。

 だが、研究員の叫びで意識がぐらりと揺れてしまった。

 リヤは目を見開き、研究員をねめつける。だが、研究員はレアルの肘から隆起したものを見たまま恐怖で凍り付いていた。


「なんて事してくれたの、こっちもマズイわ」


 肘あたりには何かが隆起しだしている。皮膚のところどころには鱗が浮き出ている。封印されていた魔物が解放され始めている。麻酔の効きが弱くなっている。

 うめき声のような声を漏らすその研究員を指し「誰かこいつをつまみ出して!」とつぶやく。除細動機器の近くにいた研究員が腰を抜かした研究員を引っ張って術式室から出て行った。


「バイタルは?」


「正常に戻っています」


 トレーから用意してあった針と糸を取ると、レアルを覆っているドームに近づき、それらを持った手を突っ込んだ。ドームの膜が一瞬揺れる。

 胃の縫合を素早く済ませると、複製に再び神経を集中させ、開いた腹部を閉じた。

 もう一度ドームに手を突っ込み、開いた腹部を閉じ合わせた部分を縫合した。


 集中の糸が切れたリヤは頭を大きく振り、二、三度足踏みをした。肩をほぐし、手を振った。


「問題は?」


 リヤは残った全員に目顔で確認を取る。自分の持ち場を確認して、誰も問題が起きてない事を伝える。

 もう一度レアルの腕に消毒をして、トレーから手に取った注射器を注す。薬剤の投与をすませ、リヤは全身の力を抜いた。


「よし、完了よ。二十分で目は覚める」

 

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