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第3話 だから恐怖には目を閉じる。

 レアルはソニアの寝ているベッドに突っ伏して寝てしまっていた。

 大きく欠伸をしてから、日の光を浴びようとレアルは窓のほうを向いた。窓からは外が見えた。街で一番高い塔が見え、その奥の青空には真っ白な雲がところどころに散らばっている。前日の曇り空などなかったかのように晴れている。


 だが、窓を振り返るまでに何かが視界の中に映りこんだ。覚醒しきっていなかった感覚が気配をやっと感じた。

 人影だ。かなり大きくてもう一つ小さな人影と重なっている。ベッドの反対側の壁に目を向けると影どおりに二人立っていた。

 それは落ち着いて見ていられるものではなかった。ソニアが恐怖に顔を引きつらせて男の前に立っている。男はニタリと笑みを浮かべ、ソニアの肩に膨らんで硬そうな手を置いている。


「いつ起きるのかと思って待ちくたびれたぜ。王子様のキスが必要か迷ってたとこだったんだ」


「まさか、任務中に現れてくれるなんてね」


 男の顔よりも一番に電動ノコギリが目を引く。その大きな電動ノコギリは、木から掘り出したような粗く太い左腕に義手の代わりにつけられている。殺傷能力が目に見えてわかる違法な遺物。キャンクスの古い武器だ。よく見ると血が染み付いている。電動ノコギリの次に目に入るのは顔。藁を巻きつけたような髪に髭まで繋がっていそうなモミアゲが包んでる顔は岩石のように硬そうだった。

 長期服役確定の指名手配犯、クラーヴァ・シールだ。違法薬物密造と殺人強盗を五件、ラロードで起こしているギャング団のリーダー。


魔断志師あんたらの縄張りだったなんてな、知らなかったよ」


 あからさまに神経を逆なでしようとしてきてるのはレアルにもわかった。一撃で仕留めたいところだったが、ソニアを人質としてとられているのは不利だ。


「ギャングのリーザーさんがこんな辺鄙なところに何の御用かな?」


 何気なくレアルは窓に寄りかかり、外にシールの仲間がいないか耳を澄ませた。怪しい足音や呼吸音は少しも聞こえなかった。どうやら一人らしい。自分ひとりの金にしたくてシールだけなのだろう。褒賞金はよほど大金に違いない。


「殺れば褒賞金がもらえるんでね」


 レアルは驚き、目を見開いた。魔界から来た魔物にとって魔断志師は厄介な存在だが、一般人が魔断志師を厄介だと思う事は少ない。それにギャング団が魔断志師を殺す事など滅多にない。だが、どうやら褒賞金までかけている輩がいるようだ。こんな事は前例がないが、恐らく魔人か魔界の者だろう。いったい人の手まで借りて消したい理由はなんなのだろうかと疑問に思った。


「依頼したやつを教えてくれねーかな?」


 男の目を盗んでレアルはソニアにちらと目を向けた。雑草のような毛が生えた腕に爪を立てている。レアルは出来るだけ目線に感情をこめた。いいかい、指一本出さないでくれ。


「無理だな」シールが芝居がかって言う。「あんたは魔封師フィガティア。俺はギャングだ。手っ取り早く金を稼げるほうがいいのさ。たとえ、あんたが死のうがな」


 ソニアの首を絞めたまま右手で左腕の電動ノコギリを触った。


「それじゃあ、仕方ない。宿のおばさんにどやされるな」


 レアルは肩をすくめた。


 シールの電動ノコギリが騒音を立てて煙を吐いた。キャンクスの機械類は電気かガソリンで動く、どちらも世界では珍しいものだった。シールの目を盗み、レアルはテーブルからソニアが持ってきた石を手に取った。


「この嬢ちゃんの命と交換だ。自ら死んでみろ」


 とたんにソニアはもがいた。レアルはそんな事をしないと目配せをしたが、パニックに陥ったソニアには届かない。

 シールの腕に噛み付こうとするたびにソニアの顔に赤みが増していく。足をバタバタと当てもなく蹴りまわす。


「落ち着け!」レアルは叫んだ。「ソニア、落ち着け」


 バタバタするのをやめ、頭を垂れたソニアは一、二度大きく呼吸をしてから、顔を上げた。


「落ち着くんだ」


 ソニアの瞳は気丈にもこの状況を観察していたが、その奥には恐怖があった。


「ソニア、目を閉じて落ち着けるかい?」


 レアルは安心させるように微笑んだ。焦らず、やさしく伝わるように。


「……大丈夫」ソニアは迷いなく答えた。


 ソニアはゆっくりと目を閉じた。

 スーッと息を吐いてレアルは左腕のブレスレットを外した。魔気があふれて、肌を差すような痛みがかすかに感じられる。


「俺の任務中に姿を現したのが間違いだな」


 温かみのあったレアルの声がラスタ山脈山頂の風のように冷たくなった。


 ソニアに目を閉じさせたのはただたんに倒すとこを見てほしくなかっただけじゃなかった。卑怯な手かもしれないが、どれくらい信用されているのか確かめたかったのだ。それによって戦い方も変わる。相手は確実に殺しにくるだろう、こちらも殺す勢いでいかなければ負けてしまう。本気の戦いを繰り広げるのだから。


 額からは角が伸び、瞳は黒くにごっていく。ドラゴンの鱗のような物が皮膚を突き破り、びっしりと並ぶ。まるで人型悪魔が服を着ているようだ。森の賢者と呼ばれる美しい面影はなくなってしまった。これも目を閉じさせた理由の一つに入るかもしれない。

 魔封解放により、履いていた靴を破き裂いてしまい鷹のような爪が見える。その足で木の床を蹴って、シールに飛び掛った。床は少しへこんだ。

 ノコギリと爪が交わり、白い光が飛び散る。ノコギリの動く歯に少しずつ爪が削られていく。

 頭の奥が黒い靄に覆われていく気がしたレアルはいったん離れ、縦横無尽に部屋中を跳びまわった。意識の奥で視界が狭まるように何かが侵食してくる。いつもと同じだ。


 シールはレアルのその速さについていけずその場で足ふみをするしかなかった。


「コンチクショー!」シールが悪態をつく。


 ノコギリはがむしゃらにブンブンッと振り回され、カーテンを切り裂き、ベッドを真っ二つにしてしまう。シールの動きにレアルは引っかかった。真っ向からの勝負を望んでいるようには見えなかった。

 怒りに息を荒げたシールはソニアの首に電動ノコギリの動く歯を突きつけた。今にも触れて、血を撒き散らしながら首を吹っ飛ばしてしまいそうだ。それでもソニアは目をつむったままだった。


 レアルはシールの正面に停止した。バルブを閉めるように意識をソニアだけに向ける。ただ一つ傷ついてはならないものへ。


「その子を殺してもお前は優勢にはならない。それ相応の痛みを受けてもらうだけだ」


 レアルは冷たくシールを睨んだ。いつもの彼からは想像もできないほど冷酷な目だ。肘の部分のコブからギギギッと刃物のような爪が伸びる。端の部分は鋭利な刃物のようだった。力強く床を蹴り、シールとの距離を詰めた。レアルは鱗のように硬い皮膚で覆われた手で高速で動く金属の歯を掴み、持っていた小石を歯の間に押しこんだ。もう一方の腕で硬そうだった電動ノコギリをいとも簡単に切り裂いた。ソニアはより強く目を閉じていた。

 機能を失った自分の腕をシールは口と目を大きく開けて見ていた。瞬き一つも動かない。膝をガクリと突いた。

 意識に現実味がなくなって息苦しさを覚えたレアルは解放を閉じようと、封印のブレスレットをしようとしたが、どこにも見つからない。床を見るとブレスレットの部品であり、封印物の核である珠といくつかの同じような珠が落ちていた。


「ゲッ!」


 いつの間にかつなぎ合わせていた紐を千切ってしまったらしい。これでは解放を閉じられない。持っているだけでは効果がないのだ。

 シールが正気に戻り始めているのを察知したレアルは珠をいくつか拾い上げ、グイッと飲み込んだ。喉を通った瞬間に、体の変身が元に戻った。皮膚は薄い色素の肌色に戻り、瞳はいつものスプリンググリーンに、真っ黒だった髪の隙間から生えていた角は短くなって皮膚の下に消えた。破いてしまった靴はそのままだったが、足は綺麗に元に戻った。意識ははっきりとし、頭の靄が消え去った。


 本来の姿に戻ったレアルはソニアを抱いて、シールに向かって手をかざした。シールの片手が黒いネバネバの球体に包まれ、その球体の表面と接している床に張り付いた。


「ソニア、もう目を開けていいよ」


 ソニアはゆっくりとまぶたを開いた。夕日が沈む時の微妙な色合いの瞳。恐怖のないまっさらな目だ。そして、片眉を上げ、責めるような目つきでレアルを見た。


「十四年前にはよくある手だった」


 魔王の勢力が全盛期だったころには、言葉を話す魔物や闇黒師たちが使う卑怯な手として広く知られた。どちらかの命だけと選択を迫られる。そして、迷ってる間にどちらとも殺されかねない。


「君をダシにしたのは悪かった。だけど、見殺しにするつもりはなかったんだよ。本当だ。シールも君を殺すつもりは微塵もなかった。魔断志師の管轄で殺しをするやつは少ない。権限による報復を恐れてるからね」


「言い方は酷いけど、信用してたよ」


 ソニアは悪戯っぽく微笑んだ。レアルの首に腕を回し、ギュッと抱きついた。


「そう、信用してくれてありがと」


 髪をクシャッと撫でるとソニアは照れたように綻んだ。

 シールはやっと状況を理解して腕を覆ってしまった黒い球体を引き離そうとするが、それは床からも外れようとはしない。電動ノコギリがついていた切り株のような腕を床にたたきつけた。


「放せよ! おい! 今に見てろよ!」


 どれだけ悪あがきしても手に引っ付いた球体は少し伸びたりするだけで、シールを逃そうとはしなかった。


「あー、はいはい。処理班に任せるからそっちに聞いて。出ようか、ソニア」


 ソニアは真っ二つになったベッドの下に落ちていたコートを拾い上げ、怒りに震えているシールを見ると、レアルの腕に逃げた。

 二人は一階に降り、宿の受付でレアルは女将さんに事情を話した。戦いが起こり、部屋は半壊、その修理代は魔断協会に請求してほしい、そして処理班が来るまでシールのいる部屋には入らないでほしいと。

 街に出て、レアルは伸びをした。朝日を存分に浴び、生暖かい風を全身に感じる。ソニアは目の上に手をかざし、日光をさえぎりながら羊雲の浮かぶ空を見上げた。


「そういや、宿代返すよ」


 ソニアは腕にかけていた擦り切れたコートを差し出した。金具はすべて銀のようだったが、コート自体は見るからにくたびれてサンドイッチ一つとも同等の値をつけられそうにはなさそうだった。


「昔、隊長さんからもらったものなんだ」


 ソニアの持ち物はそれしかなかった。魔法石もお金も持っていなさそうだ。それなのにお金を払わせる事なんて出来ない。


「大丈夫だよ。あんな事に巻き込んじゃったしね。ギャング団がいるのは知ってたんだ。だけど、怖がらせるのはいけないと思った。それが裏目に出てしまった。けど、まさボスが一人で来るなんてね」


「ちょっとびっくりしたけど、楽しかったよ」ソニアはコートを袖に手を通し、羽織って言った。「魔封師の仕事って大変だね」


「まあね。だけど、全盛期はもっと大変だったんだよ。そのコート、誰からもらったの?」


 レアルはそのコートをよく観察した。パールグレイのラインが見て取れた。


「隊長さんだよ。今は副隊長さんかなぁ? 特殊部隊のコンタブって言ってたような……?」


 特殊部隊は魔断協会の独立部隊だ。ラリマールやサニディンなどと呼ばれる各部隊があり、筆頭のコランダムは戦闘に特化している。広く知られているわけでもないが、国民の間では悪い噂が飛び交っている。特殊部隊にあまりいい印象を持たないレアルも積極的に擁護しようとは思わなかった。


「たぶん、コランダムだよ……って事はストーナーかレヴィンさんのどっちかだな。でも、レヴィンさんだ。それって何年前の事?」


 レアルが問うとソニアは指折り数えて考えた。


「六年前かなぁ……たぶんそれぐらい」


「って事は十歳ぐらい?」


 レアルは大雑把に計算するが、当のソニアはあまり正確に思い出せないらしい。


「たぶんね」


 ところどころに水溜りがあるぐらいで、雨が降った形跡はほとんどない。昨日の雨は夜だけの事だったみたいだ。

 それもパンヌスの特性で、一時的な雨を降らせる。降った後もあまりじめっとせずに、晴れる事が多い。天気の予測などほとんど通用しないが、ソニアにはそれがわかった。


「ソニアはこれからどうするつもり?」

 


「どうもしない。あの人はどうするの?」


 自分の首に凶暴な武器を突きつけたシールの事を気にするソニアにレアルは内心驚いた。思い出したくもないはずだろうに。

 レアルは、人質に取られた時のソニアのあの落ち着きようが不思議だった。普通なら必死にもがいて逃げ出そうとするはずだ。


 言葉からは二人のうちどちらかしか生き残れないと悟るはず。レアルが死なないとなれば、ソニアは自分が殺されると思ったはずだ。最初の反応は正しい。でも、レアルを自死させたくないと思ったとしてもあの反応だろう。レアルにはどちらの理由かわからなかったが、あの反応は正しいと思った。

 しかし、途端に落ち着いたのは不思議としか言えない。あの状況を観察し、瞬時にレアルを信用した。後の言葉も聞こえていたはずなのに、落ち着き払って取り乱さなかった。


 あの冷静さと瞳の奥の恐怖は何なのだろう? 


「処理班が来て、連行する。それから裁判にかけるんだ」


「裁判……」


 ソニアは不安そうにつぶやいた。レアルにはその不安の理由がわからない。もしかしたら、家族がいない事が関わっているのかもしれないと思ったが予測でしかない。


「参考人として呼ばれたりはしないよ」


 気休めだったがレアルがそう言うとソニアは顔をパァッと明るくした。


「一緒にパンヌス探しに付き合っていいかな?」弾むように言う。


「大歓迎だよ。ソニアは天候がよくわかってるみたいだし、楽しさが増しそうだしね」


 もしものためにも心のケアが必要になるかもしれない。レアルはそう思った。


「でも、先に靴を買おうかな」


 この日はパンヌスの痕跡は街以外にはなく、街から離れて捜す事になったが、まったく跡がつかめず、山の間に続く広大な草原を歩いただけだった。しかも、青空の下を。雲がほとんどない空になどパンヌスは用はない。見上げるだけ無駄だった。

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