90.南レリーアの混乱
王都のウィルストーン伯本邸まで、ジンは和哉達を二回に分けて運んだ。
ジンの事象魔法の魔力量では、一回に魔法陣を通せる人数が4人までだからだ。
本邸の門前には、予めジンが頼んでいたという大神殿の馬車が、既に着いていた。
伯爵の本邸から王都の大神殿までは、馬車で10分程だ。
夜でも人々が訪れられるよう、大神殿の門は1日中閉めないのだそうだ。
馬車はその『閉じずの門』を通り、大神殿の大扉の前で停車する。
止まったと同時に、ジンが物凄い勢いで馬車から下り、大扉の中へと走り込んだ。
「相変わらず無口でアクティブだな、ジンちゃんは」呆れたように、ロバートが肩を竦める。
和哉達も馬車を降りる。夜間でもはっきりと入り口が分かるよう、大扉の左右には、宙に浮いた、直径40センチはあるだろう光玉が灯されている。
「大扉の光玉は、『御使い様の御光』。昼夜を問わず大神殿の神官達が交代で魔力をそそいでいる」と、来る途中の車内で、ジンが教えてくれた。
白地に精緻な金箔模様を施した大扉を闇夜に浮かび上がらせる、青白く光る『御使い様の御光』を横目でちらりと見遣り、和哉は急ぎ足で中へと入った。
神殿の作りは、大神殿であっても地方の神殿とさほど変わらない。
入ってすぐが礼拝堂で、大神殿では、祭壇に近いところから中半分の辺りまで、長椅子が置かれていた。
長椅子には、遅い時刻にも拘らず、祈りを捧げる人々が、幾人か座っている。
燭台の置かれた祭壇の背面の壁には、御使いのシンボルである文様が七つ、レリーフで描かれている。
太陽、星、樹木、水、大地、炎、稲妻……。月は、無い。
しげしげとレリーフを眺めていた和哉に、「こっち!!」と、ジンが声を上げた。
慌てて、和哉達はジンが立っている、祭壇の右脇の扉へと急ぐ。
「この奥に魔法陣があるから」
ジンに急かされ、和哉達は扉の中へと進んだ。
中は、簡素な作りだった。
神聖魔法の灯りが照らし出すのは、大神殿の外壁と同じ白い漆喰を塗っただけの壁と床。
よく磨かれた床の真ん中に、王城で見たものと同等か、一回り大きいくらいの魔法陣が、金で描かれていた。
魔法陣の周囲には、大神殿の神官が三人、立っている。
ジンに促され、魔法陣へと足を踏み入れた和哉は、何気なく文様に目を落とす。
祭壇の壁面同様、フレアを纏った太陽と六芒星を中心に、大地を表す四角形、四角に絡まる蔓草、さらに外側に水の象徴の波模様、波に刺さるかのような雷が、円の中に見事に収まっている。
周囲を取り巻く波模様と雷の間に細かな文字が刻まれていた。これが転移の神聖魔法なのだろうと眺めていた和哉は、文字の中に小さな三日月が幾つも紛れ込んでいるのを見付けた。
——やっぱ、月天使のナリディアの力抜きじゃあ、この世界の『魔法』は機能しないんだ。
神官達は、実はそのことをよく知っているのだ。知っていながら、敢えて民衆の、ナリディアへの悪評を正さない。
正さないのは、多分、この世界の仕組みを住人に教えなければならなくなるからだろう。
多重宇宙と異世界、それらを管理する御使い達の本当の姿を。
ジンと、周囲の三人の神官が、術を唱え始める。
「……忘れ物、無かったっけ?」急に、デュエルが言った。
「バカか。今思い出したって、もう間に合わねえ」オーガストが、ジンに負けない仏頂面で返す。
「食料忘れた、とか言うんなら、全く心配ないぜ?」ロバートがにやり、と笑う。
「多分南レリーアの周辺のコルルク養鶏場は、下手すりゃみんな焼けてっから」
「悪い冗談っ」エルウィンディアが口を尖らせたのを最後に、和哉達は大神殿の魔法陣から南レリーアの神殿へと移動した。
******
ロバートの冗談は、冗談では済まなかった。
大神殿から南レリーアの神殿の魔法陣へ転移してすぐに、和哉達は街の外から避難して来た大勢の人々が礼拝堂を埋めている光景を目にした。
神官長は、グレイレッド殿下から、着いたらすぐに状況を見せてやってくれと頼まれていると言い、神殿の最上階の鐘楼へと和哉達を連れて来た。
鐘楼より高い建物は、王都を除いて他の街には無い。
日本の城で言うところの物見櫓の役割を、神殿の鐘楼は果たしている。
「うっわ!! コルルク養鶏場だけじゃないじゃないのさっ!!」
暗闇でもはっきりと分かる程に、南レリーア周辺の集落が燃えている。
明らかに、火を扱える妖魔が攻めて来ている。
さらに、南レリーアの大門前を流れるマニュエルルス河の大橋が、無惨に崩れ落ちていた。
「先程まで、巨大なゴーレムとおぼしきモンスターが、大門を破壊しようと体当たりを繰り返しておりました」
神聖魔法の灯り球に照らされた若い神官長の顔色は、青ざめている。
南レリーアの大門は、幾重にも物理防御魔法が掛けられている。
ゴーレムの攻撃でも崩壊しないほど堅固な門と郭壁は、辛うじてモンスター共の侵入を阻んでいた。
「ですが、それももう、時間の問題で……」
物理防御魔法は、掛け直す事で再度攻撃を防げる。しかし、立て続けに攻撃を受けると、防御魔法を掛ける魔術師の魔力が枯渇してしまう。
「どれくらい、掛け直したんっすか?」
この様子だと、冒険者協会に所属している魔術師全員が物理防御魔法に駆り出されたのでは、と思い訊いた和哉に、神官は思った通りの返答をした。
「多分、あと1、2回で、皆様魔法が使えなくなってしまうのではと……」
「街に入られたらどうしようもねえなあ」
難しい顔をするロバートに、ジンも頷く。
「グレイレッド殿下のお屋敷にも、避難民を入れて頂いております」
「王侯貴族の屋敷は、神殿と同じく、建てる時に防御結界となるように予め魔術師に測量させるから」
ジンの説明に、和哉は「へえ、そうなんだ」と感心した。
と。
デュエルが耳をピクピクと動かすと、「来やがったっ!!」と吼えた。
「間違いねえっ。かなりデカいモンスターだっ」
「またゴーレムかっ!?」ロバートが鐘楼の縁に手を掛け、身を乗り出す。
「暗闇じゃ分かりにくいなぁ……」
「ゴーレムです」とコハル。
「しかし、この振動は、石で造られたものではありませんっ。恐らく鉄巨人——」
コハルが言うや、北側の郭壁から轟音が上がった。
「突進かっ!?」
「多分」
ロバートのうわずった声に答えたのは、ジンの平静な声だった。
「暗くて分かんねえけど、こりゃもしかしたら、外郭を突破されたかも……」デュエルが不安気に闇を睨む。
「こうしちゃいられねえっ!! 早いとこ現場へ行こうぜっ」
鐘楼を下り掛けたロバートの肩を、オーガストが掴んだ。
「人間の足じゃ遅い。俺がみんなを運ぶ」
オーガストは鐘楼の手摺へ飛び乗ると、思い切り宙へ飛んだ。
一瞬、そのまま落下するのでは、と心配したが、さすがドラゴン、すぐに変異し本体になる。
炎竜の巨大な翼の起こす風が、釣り鐘を大きく揺らす。驚く神官達を横目に、兄に続いてエルウィンディアも飛び降りた。
青緑色の美しい竜が、赤い体色のオーガストと並ぶ。
『カズヤっ、乗ってっ!!』
和哉はちらり、とジンを見る。ジンは分かっている、というように頷いた。
和哉がエルウィンディアの背に跳躍する。
と。
『ジン、それとコハルも乗って!!』青緑色のドラゴンは、2人の少女に騎乗を促す。
いつもなら絶対彼女達の騎乗を嫌がる風と水のドラゴンの催促に驚く2人に、『緊急事態だもん。仕方ないでしょ』と、当のドラゴンはつん、と顎を上げた。
「……悪い」ジンはエルウィンディアに軽く頭を下げると、和哉の後ろに飛び乗った。
コハルも飛び乗り、エルウィンディアは鐘楼から離れる。
既にオーガストはロバートとデュエル、カタリナを乗せて外郭壁の方向へと向かっていた。
2頭のドラゴンは、数分と掛からず轟音がした北の郭壁へと到着する。
上空には、先に来ていたガートルード卿が、ブランシュに乗り待機していた。
「見ろ。鋼鉄巨人だ。しかも3体」
ジンが神聖魔法の明かりを飛ばす。見えた巨人の大きさは、レス湖の遺跡に居た鋼鉄巨人の2倍くらいはある。
「うっわ!! どーするよっ!?」見かけに寄らず度胸は小さいワータイガーの慌て振りに、和哉はちょっと可笑しくなって吹き出した。
「な、なにが可笑しいんだよっ?」
「あー、わりい。——で、あいつらを倒すだけでいいのかな?」
和哉は、早くも大型の敵に飛び移るつもりで立ち上がる。
ジンが、和哉の篭手を掴んだ。
「なっ、なにっ!?」
「自分のレベルを確認してから、飛び降りて」
あー、そう言えば。と、和哉はこの頃己のレベル確認を怠っていたのを思い出した。
ここのところ、連戦連勝だったので、少々奢っていたかな? と反省もする。
束の間、返答をしなかった和哉に、ジンが形よい眉を寄せた。
「敵のレベルと自分のレベルを見ておかないと。特に、ああいう大型の敵の場合は危険」
「……だよな」
和哉はジンにレベルを見て貰った。
「カズヤ。レベル2700、クラス特級上冒険者、クラス特級上剣士、クラス特級上騎士、クラス上級上竜騎士」
「レ、レベル2700……」
自分で聞いて、呆れてしまった。
物凄くアホ面をしていたのだろう、ジンが僅かに鼻をひくつかせる。
「これ以上レベルが上がれば、もう、計測不能。あとは御使い様方にご相談申し上げるしか無い」
「分かった。……で、下の鋼鉄巨人は?」
「レベル25600。カズヤにしてみれば、大した相手じゃないかも」」
聞いて、ドン引きした。
「いやいやいやっ!! 25600はデカいでしょやっぱっ!!」
いくら自分のレベルが飛躍的に上がっているとはいえ、2万越えという、桁外れな敵のレベルにはどうしたって臆する。
「ほらみろっ。カズヤだって怖いんだろーがっ」
デュエルが鼻を鳴らした。
和哉は、デュエルのビビリを笑って申し訳なかった、と反省した。
「で? どうする?」ジンが、飛び降りるのか降りないのか、と訊いてくる。
「い……、行く、しか、ないよなあ」
『しょーがないの。男の子ってこーいう時に腰が引けちゃうんだから。なんなら、あたしが先にドラゴン・ブレスを浴びせとこうか?』
あっけらかんと言ってくれたエルウィンディアに、それはそれでまた危険なんじゃないかと、和哉はやんわり断った。
「とっ、とにかく、ヤツの上に乗っかれるかどうかやってみる。——万が一、俺が落っこちちゃったら、ジン、コハル、エル、悪いんだけど、俺は放っといていいから、先に鋼鉄巨人を倒してくれ」
言い置いて、和哉はエルウィンディアの背から飛び降りた——はずだったのだが、落下の途中で何者かの背中が和哉を受け止めた。
夜目にも分かるほど真っ白な、大きな両翼。翼の先端の風切羽根が上向きなのは、猛禽類の特徴である。
乗った背は、柔らかい羽毛の感触と、ぴんと張った幾千枚の羽根の感触が入り交じっていた。
白い大鷲の背に、和哉は受け止められた。
「間に合ったの!!」
鳥の首の付け根近くに乗っている人物が、魔術師の灰色の外套のフードを跳ね上げて振り向いた。
「クラリスっ!!」
どうして、オオミジマに居るはずの大賢者が、と、和哉が訊ねる前に、クラリスが自ら理由を語った。
「コハルの兄から、フミマロに緊急の報せが入っての。おまえ達だけで戦わせるには危険過ぎる敵じゃて、フミマロに頼んでオキツシマの結界を一時解いて貰ったんじゃ」
「俺達だけだと危険な敵……、って。じゃあ、大賢者は、封印されてた上位魔族が誰だか知ってるんっすね!?」
「うむ。ガルガロンという、大蝦蟇の悪魔じゃ」
「ガマって、カエル?」
和哉は、地球で見たことのある、背中にボツボツがある、体長15センチくらいの茶色い大型のカエルを思い出す。
——あれが、悪魔?
確かに、ゲームではモンスターとしてカエルの化け物が登場したりもしたが、悪魔、という感覚ではなかった。
「悪魔、っていうくらいなら、やっぱ相当の魔力があるんすよね」
いまいちぴんと来ない和哉がぼんやり訊ねると、クラリスは、「何を呑気なことを言っとるんじゃ!!」と怒鳴った。
「シードル国が滅びたのも、推測じゃが、ヤツが亜人に魔法を掛け操ったからじゃと言われとるっ!! ガルガロンは、それだけの大魔法を使える上位魔族じゃ!!」
「オーガストっ!!」クラリスは大鷲を旋回させ、炎の竜に近付いた。
「あの鋼鉄巨人は、エルウィンディアとジンがおればなんとか食い止められるっ。おまえは婆さんをエルに預けて、ロバートとデュエルを乗っけてわしに続けっ!!」
「ちょいとっ!! そこのクソジジイっ!!」
オーガストの背から、カタリナが怒鳴った。
「何度も言うけどさっ!! あたしゃあんたみたいな年寄りじゃあないんだわよさっ!! 勝手にババア呼ばわりはしないで欲しいんだわさっ!!」
「ああもう、女はこれだから——」クラリスは、白髪の後ろ頭を苛つきながら掻く。
「急いでるんじゃてっ!! おまえさんの文句は後でたっぷり聞くわいっ!! ……とにかく、とっととエルに乗ってくれっ!!」
『えーっ、あたし女ばっか乗っけるの?』エルウィンディアが不服そうに言う。
「仕方なかろうがっ。ガルガロンを潰すには、ヤツの《悪意》の術と《誘惑》の術に掛からん者でないと戦えんのじゃ。あやつは、必ず美青年の擬態を取る。だから、女は連れて行けん」
「私は——」何か言い掛けたジンだが、口を閉ざす。
「……分かったわさっ。——エル、悪いんだけど、そっちへ移らせてもらうよっ!!」
カタリナは肩のショールを翻すと、あっさりとオーガストの背から飛び降りた。
なんだかまた、クラリスとカタリナが漫才を始めちゃって……
ダメだこの2人。
もー、最後には夫婦にでもしちゃおうかなあ……(__;;)




