85.一山超えて、不安
陽が高くなり始めた頃。
和哉達は、とにかく休んだほうがいい、というフミマロの言葉に従い、イチヤナギ家本宅の、破壊されずに残った西の対屋へ上がった。
反魂で蘇ったアーノルド・リッチモンドは、まだ眠ったままだったが、生き残っていたリッチモンド家の従業員が半壊した店舗へと取り敢えず引き取った。
「よくあれだけの大騒ぎの中で、無傷で残ったものです」
フミマロの話では、ジャララバと配下のディビル教徒が、ゾンビを使い、次々に建物を破壊していったという。
オオミジマの都アマノオオトは、サーベイヤやダルトレットの都市とは違い、家々の殆どが木造建築である。
ジャララバはゾンビ達に火を点け、一斉に辻を走らせた。
ゾンビには痛覚が無い。命ぜられるまま燃えながら家屋に走り込む。ゾンビに入り込まれた家の者は、大概が燃えるゾンビに喰い付かれ、己もまた燃えるゾンビとなって他の家を燃やした。
そうやって宵の都が大混乱しているところへ、和哉達がやって来たのだ。
「正直、助かった、と思いましたよ」
フミマロは、裸足で板間に葦で編んだ円座を敷いた上に胡座を掻き、座っている。
日本人の和哉と宣人も、フミマロに倣って、靴を脱ぎ胡座を掻く。
久々にじかに床上に素足で座るという、慣れた座り方に、和哉はすっかり落ち着いた。
が、イギリス人のロバートや、亜人のデュエルは、椅子でない所へ腰を下ろすのにあまり慣れていないらしく、長い足をもてあましている。
どうにか胡座を組んでいるが、どこか不安定だ。
女性陣は、隅に控えたコハルに正座を教わったが、最初の二分ほどで足が痺れたらしく、カタリナは横座りになり、ジンとエルウィンディアは男共と同じく胡座に変わっている。
程なくして、袖の短い着物を着た中年の女性が、人数分の湯のみ茶碗を盆に乗せて入って来た。
やや白髪の混じった長い髪をうなじの後ろで一纏めにした女性は、盆を板間にそっと置くと、一人ずつに丁寧に茶碗を配る。
和哉は、女性が自分の前へ茶碗を置いたのに、「ありがとうございます」と礼を述べた。
「この人は、奥仕え頭のヌイです」
主に紹介されて、中年女性は居住いを改め、深々と頭を下げた。
ヌイが部屋を出て行ったのを見計らって、和哉は、白地に松の織りも美しい薄衣を長く垂らした几帳を背に、熱い白湯をゆっくり口に運ぶイチヤナギ家当主に訊いた。
「失礼ですけど、フミマロさまのご家族は……?」
フミマロは白湯の茶碗を片手に、空いた片手でぽりぽりと頭を掻くと、例のへらっとした笑い顔を作った。
「老母と行き遅れの姉と、まだ14になったばかりの末の妹の三人です。いい歳をして正室も居ないのでは、当主として示しが付かない、と母と姉には怒られてますが」
正室、という言い方に、サーベイヤ王国やダルトレット王国が中世欧州の様式に似ているのと同じくオオミジマは中世の日本なのだ、と和哉は思った。
「そう言やあ、ジャララバの奴が消えちまうまう前に、親族がどーのこーのって、言ってたよな? カズヤ」
胡座を諦めて、足を投げ出すように座っているロバートが、和哉の後ろから訊く。
和哉は、ジャララバが最後に言った言葉を皆に伝えていいのか、瞬間迷った。
『おまえの親族は違う……。膨大なちからでこの世界を捩じ曲げ、やがて己の望む場所へと還るだろう——』
断末魔の悪あがきの台詞だと思いたい。
だが、もし、ジャララバが予知の能力をも持っていたのならば、あの言葉は現実となる可能性がある。
しかし、和哉はナリディアとの契約で、自分の家族は全て忘れている。
親族、とは、家族のことなのか? それとも、もう少し離れた親戚のことなのか……?
「カズヤの、近い家族のことだろう」不意にジンが言った。
「何かのトラブルで、カズヤの近しい家族がこの世界へやって来てしまったのかも。しかも、強大な力を持って」
「ど、どんなトラブル?」
記憶から消し去った家族のことだが、聞かされれば気になるのは仕方ないだろう。
ジンは、束の間、いつもの誰かと交信している『無』の表情になる。
「——分からない。トラブルについては、御使い様でも見当がつかない」
「ふむ……」
つ、と、フミマロが立ち上がった。
部屋の隅に置いてあった、卓にしては小さい机を、ひょいと持って来る。
和哉は、机と思ったものの表面を見て、何に使うものなのか、分かった。
「碁盤?」
「はい」フミマロはへらっ、と笑った。
「何だ? ゴバンって?」ロバートが木机状の上に描かれた黒い線を眺めて首を捻る。
「碁って言うのは、ゲームなんだ。ヨーロツパで言うと、近いのはオセロ、かな?」
少々説明に自信が無かった和哉は、宣人に同意を求める。
宣人は「結構違うけど、陣取りゲームというところは同じかも」と付け足した。
「へえ、陣取りゲーム、なあ」ロバートは腕組みし、金色の片眉を上げる。
「陣取りゲームって言われて、思い付くのはチェスだな。俺はやらないが、友達にチェスが好きなヤツが居たよ。仕事が終われば真っすぐにクラブに飛んでって、チェス、チェス、チェスッ!! 完全にクレイジーだったぜ」
肩を竦めて手を広げてみせた大男に、フミマロはにまっと笑った。
「チェスと言う遊戯は、生憎存じませんが、碁は、お二人の仰る通り、対戦型の遊戯、囲碁というものが出来ます。が、碁は同時に占いでもあります。——御使い様でも分からぬものを占うのは僭越かとも存じますが、今は、簡易に星読みを行いましょう」
フミマロは白黒の碁石をそれぞれ十ずつ、盤上に並べた。
「この白い石が陽を表します。で、対をなす陰はこちらの黒い石です。陰陽というのは、表と裏、光と影、男と女。そんな風に言われております」
「お歳は?」フミマロに訊かれ、和哉は一瞬何のことだか分からなかった。
「あなたのお歳ですよ?」
「あ……、17、です」
さようですか、と言い、フミマロは握った碁石を右手に移す。
また左手に移し、交互に数えて17回、碁石を振る。
最後に、右手の碁石を碁盤の上にぱっ、と投げた。
「天元……」フミマロが、中央に転がった白い石を指差した。
「西、太陰、黒石。北西、白石。朱雀、黒石……。ふむ」
幾度か盤上の石の位置を確認し、フミマロは口を開いた。
「この世界の構築の仕方は、我らオオド人の故郷とは大きく異なりますゆえ、碁石の星も読み方が難しいのですが……。恐らく、和哉さんの近しい血族が、正しくない形でアデレック大陸以外の大陸に居る、と思われます。ただ……」
言い淀んだフミマロに、和哉は逸って身を乗り出した。
「誰、なんすか? 俺の血族って」
「恐らく、ご兄弟では、と。しかし、星の並びが極端に悪い。はっきり申し上げて、凶兆を表しています。——まだ、動いてはおられないですが、いずれ、星の位置が動き、大変な事態が起こると読めます」
「正しくない形、というのは、具体的にはどういう意味じゃ?」クラリスが、興味津々という顔付きで碁盤を眺め回しながら尋ねる。
「そうですね……。『酷く捩じ曲げられた形』、という表現が、近いのかもしれません。姿形ではなく、真我が、ということです」
和哉は少なからず衝撃を受けた。
自分の家族、それも兄弟が、生命の核である真我を捩じ曲げられた状態でこの世界へ来てしまったという。
「なん、で……、そんなことに?」
顔も名前も覚えていない。
ナリディアに消去された記憶は、和哉の脳の細胞のどれひとつの中にも残っていない。
ただ、人間としての家族への情は、残されている。その感情が、フミマロの占術の結果に酷く揺れている。
「——滅多に“エラー”は起きないのに」
ぽつりと零したジンの言葉に、和哉はどきり、とした。
「“エラー”ってなに? もしかして地球から送られて来た時に、なにか……」
「ストップッ!!」
突然のロバートの大声に、全員が唖然とする。
皆の視線を集めてしまった元イギリス人の大男は、耳を赤くしてひとつ、咳払いをした。
「カズヤ、おまえ今誰かさんとの約束を忘れかけてやしなかったか? そういう話は、場所を選べって」
「あ、わりいっ」兄弟が問題、と言われ、気が動転してしまった。
最初の出会いでナリディアに言われていたのだ。
『地球の方々は、他の星の方と比べて文明が進んでいらしたので——』
スマホやパソコン、自立型のロボットまで、地球に住む人間は開発した。
宇宙については、宇宙の外側に高エネルギーの空間があり、宇宙は高エネルギーの『ゆらぎ』によって生み出されるのでは、という仮説にまで至っていた。
ナリディアによれば、そこまで宇宙や科学を進化させた星は地球以外には無い、ということだった。
ジンが口にした“エラー”は、恐らくナリディア達宇宙内部管理システムコンピュータの不具合を意味しているのだろう。
だが、コンピュータのトラブルなどという進化した技術についての話は、この星に住む人々、あるいは、オオド人のような古代に地球からこちらへ移住して来た人々には、全く理解の範疇を超えている。
どころか、和哉達が一度死に、ナリディア達宇宙空間管理システムエンジニアの手によって『再生』された人間であるなどというのは、この星の住人にはおとぎ話でしかないだろう。
「ジンも、気をつけろや」
怒った口調ではなく、心配気な様子でロバートは付け足した。
言われた事柄に、ジンは黙って頷く。
「なに、すぐに凶兆が拡大する、ということではありません」
和哉達の会話は聞かなかったかのように、フミマロはへらっ、と笑った。
「とにかく、白湯を一服したら、皆さん横になってお休み下さい。別室に床を用意させておりますので」
久々の更新ですっ!!
またカメペースでのこのこ書いて行きますが、
よろしければおつきあい下さいm(__)m




