84.暁の黒トカゲ
見た目の体長は15センチほどか。ヘツカガミの真ん中に横たわったトカゲのような黒く醜い生き物は、ロバートの一撃で見事に腹を斬り裂かれていた。
が、血のような体液は、一滴も流れていない。
「これが、あの、ジャララバ……?」
「間違いないでしょう」フミマロは、オキツカガミをそっと退け、箱に戻す。
恐いもの見たさに負けた、という顔で寄って来たエルウィンディアが、ぴくりとも動かない黒トカゲの尻尾を摘まみ上げようと手を伸ばす。
「触るんでないっ!!」クラリスが、好奇心あり過ぎのドラゴン娘を叱った。
「その化け物には、まだ魂の残滓がある」
「でっ、でも、もう死んでるんでしょ?」大賢者に怒鳴られてびくつきながら、エルウィンディアが言う。
「こういう輩は、そう簡単に死にはしない」
——こんな姿になっても、まだ息絶えないのか。
ジンの断言に、和哉は総毛立つ。
斬ったロバートも同じだったらしく、「うひぃっ」と変な声を上げながら、フツノミタマノツルギを、足下に転がっていた遺体の衣服の切れ端で慌ただしく拭いた。
しかし、ただ浅く呼吸を繰り返しているだけで、ぴくりとも動かない黒トカゲを見ているうちに、気持ち悪さと同時に、和哉の裡に哀れみの気持ちが持ち上がって来た。
ジャララバが、あらゆる手段を使い、人を次々と殺してまで戻りたかったナナセル異界。
そこはどんなところだったのだろう?
「死んでない、ってことは、また息を吹き返すって話かえ?」
カタリナの問いに、ジンは黙って頷いた。
「ほぼドラゴンや一部の巨大モンスターと同じじゃ。ジャララバ達の栄養源は、大気中の魔力じゃて」とクラリス。
「しばらく魔力を浴びれば、復活するじゃろ」
「じゃ、魔力を遮断すれば、完全に死ぬ?」和哉は大賢者を見た。
「理屈ではな。じゃが、空気と違って魔力を遮断するのは難しい」
魔力は大気の元素とは組成がまるで異なる。特殊な遮断魔法か、『神器』のような強力な魔法具でなければ跳ね返せない。
そこでじゃ、と、クラリスは、薄闇の空中に指先で何かを描いた。描いたものが即座に形になる。
半円形で、先端に握り手のついた、ガラス製に見える透明な品物。
銀の大皿に被せる蓋の様にも見える品物を、ヘツカガミの上に横たわる醜いトカゲに、すっぽり被せた。
「なるほど。『神器』の鏡と大賢者さまの魔力の組み合わせ。これならしっかり大気中の魔力を遮断出来ます。如何なジャララバとて、逃げ出すのは難儀でしょう」
ジュウロウが持ち続けているヘツカガミを覗き込んで、フミマロがにっ、と笑った。
この世界の多くの人間を己の身勝手な思想のもとに巻き込み、殺した魔物は、あと数分で死を迎える。
だが、本当にそれでいいのか?
——ジャララバは、自分の故郷を慕うあまり、この世界のことをちゃんと見て来なかったのではないか?
ナナセル異界に捕われず、この世界の有り様をきちんと見聞していたら、無理な殺生をしなかったのではないのか。
ジャララバを説得して、もう一度この世界をきちんと見るようにさせたら。
——けれど、ジャララバをここで救えば、また同じような画策をしないとは言い切れない……。
先刻ジャララバを《たべる》のを拒否したのが本当によかったのか、和哉は今更ながら迷う。
気付くと、ジュウロウの腕が徐々に震え出していた。
クラリスの魔法の蓋のせいで、鏡が重くなったのか?
重いなら下に置けば、と和哉が言い出そうとした時、横からすっ、とコハルが出て来た。
「交代仕ります、ジュウロウ兄さま」
「大丈夫だ。それに、このヘツカガミ、女子のそなたが持つには重い」
「そうですねぇ」と、フミマロがのんびりと言う。
「見かけは小さな乾涸びたトカゲですが、元々魔力量が大きい生き物なので、瀕死の状態でも結構な重さの筈ですから。地面に置きたいところですが、そうするとジャララバからでなく、大地から『神器』の鏡が呪力を吸い上げる可能性があります。ジュウロウの代わりに、誰か後少し持って頂ければよいのですが」
そういう理由でジュウロウにずっと持たせていたのか。
ド素人のバカな提案を言わなくてよかった、と和哉は胸を撫で下ろした。
と同時に、本当に自分はこの世界の理を何も知らないのだ、と恥じた。
「あ、あの、俺が代わりましょうか?」
密かに恥を雪ぎたくて、和哉は交代を申し出る。
しかし。
「和哉さんではムリですよ。それこそこの化け物の思う壷だ」フミマロが笑顔で否定する。
「思う壷……」和哉は、複雑な思いでフミマロを見る。
「あなたはアマノハバキリ——真竜の主だ。和哉さんがヘツカガミに触れた途端、このトカゲがヘツカガミの呪力を逆に利用して、和哉さんを己に取り込む危険もある。そうすれば、アマノハバキリもまたジャララバの手に渡ってしまう」
「そんな、ことが、」驚いて言葉が詰まった和哉に、クラリスが説明した。
「必ず、という訳でないがの。先程はおまえさんはアマノハバキリで見事にフツノミタマノツルギを押さえ込んだが、魔法にはまだまだ儂らのわからん部分があるのじゃ。と、いうのも、魔法や、オオミジマの呪は、使う術者の器量もさることながら、性格やその時の体調なんぞも関係してくるのでな」
「そう」フミマロも頷く。
「難解な呪になればなるほど、昨日出来たものが今日は出来ない、などということも起きてきます。——ですから、『神器』の呪力を逆に辿る、というような真似をジャララバがしないとは限らないのです」
だから、フミマロはヘツカガミには触らなかったのか。
「和哉さん」フミマロは、和哉の迷いを見抜いているかのように言った。
「ジャララバのような輩は、失礼ながらあなたが思っている以上に狡猾で残忍です。ここで情けを掛けても、また執拗にあなたを狙い、周囲の人間を犠牲にするでしょう」
「カズヤは、妙なところで純粋じゃて」クラリスが、白髪の頭部を右手の人差し指でぽりぽりと掻いた。
「パーティリーダーが敵に要らん情を掛ける前に、仕留めんとな。——デュエルがいいじゃろ」
唐突に指名を受けたワータイガーは「俺?」と自分を指す。
「おまえの魔力は無いに等しいからの。取られる心配も無い」
「……随分な言われようっすね、大賢者さま」
口を尖らせた大男の亜人に、クラリスは真面目な顔で、「褒めとるんじゃ。魔力など、大量に扱えてもなんの役にも立たん時も多い。おまえのように、剣士として腕があり、知恵もある者のほうが余程世の役に立つわい」
デュエルは、素直に喜んでいいのか分からない、というような妙な表情で頭を掻くと、ジュウロウに代わってヘツカガミを持った。
「重っ!!」ジュウロウが手を離した途端、デュエルが吼える。
「こんなん、よく持ってましたねっ」
「なんの。忍者ともあろう者、胆力は十分鍛えてございますれば」
へえ、と感心するデュエルの横顔に、朝日が薄く当たった。
「あ」と、ジンが東の空を見る。
釣られて和哉も空を見上げた。
暁から曙へ、最初の陽の一条が、ジャララバの配下達によって破壊された屋敷や庭を、薄紅に浮き上がらせる。
ジンが、神聖魔法の明かりを消した時。
「ギャアアアァァァ——……!!」
ヘツカガミを皿に、魔力蓋の中に容れられていた化け物が、奇声を発した。
振り向くと、黒トカゲは顔の幅から飛び出した巨大な両目を一杯に見開き、蓋の側面に両前足の四本指を、べたりとついている。
ぽっかりと空けた黒い穴のような口には、よく見ると、ぎざぎざと尖った、細かい黒い歯がびっしりと生えていた。
手にでも飛びつかれたら、指の一、二本は絶対に食い千切られそうだ。
ロバートに斬られた腹からひからびた内蔵の一部のようなものが飛び出しており、臓器が苦しげにひくん、ひくん、と波打っている。
ヘツカガミをジュウロウから代わって持っていたデュエルも、和哉と同じく気持ち悪いのだろう、渋面を作り横を向いた。
それでも鏡を落とす事無く持ち続けていたデュエルが、「あ」と小さく驚きの声を上げた。
「軽く……、なったぜ?」
「死ぬの」クラリスが、鋭い目線で透明な蓋の中を見詰める。
再びトカゲが不気味な叫びを上げた。
と同時に、和哉の頭の中に声がした。
『わたしは還れなかった。だが、おまえの親族は違う……。膨大なちからでこの世界を捩じ曲げ、やがて己の望む場所へと還るだろう——』
「……俺の、親族?」
ナリディアとの契約で、和哉には地球にいた頃の家族の記憶はない。
だが、ジャララバは、和哉の家族や親族を知っているらしい。
「それは、誰だっ——」
聞き出す前に。
黒トカゲは大きく仰け反ると、砕け散った。
粉々になった化け物を、ヘツカガミが吸い込む。
中身が無くなったのを確認して、クラリスが蓋を解除した。
フミマロは、ヘツカガミをデュエルから受け取ると、鏡の表を朝日の方向へ向け、小さく呪を唱えた。
ヘツカガミが、日の光を受け銀色に輝く。
清らかな朝日を受けた『神器』の鏡は、醜い魔物を吸い込んだのを忘れたかのように、美しく煌めいていた。
うおおおっ!!
遅くなって申し訳ありませんっ!!
これで一応、ジャララバ編(?)は終わり、のはずです。
もーしつっこく出て来ません、多分……。
で、このあとですが、ちょっとの間、他の話に浮気しようと思っております。
ので、和哉達はしばしお休みです。
すいませんm(__)m
次の書き出しの時は、もっとしっかり道筋立ててキャラ立てて、頑張りますので、ぜひぜひお待ち下さいまし。




