83.オキツカガミ・ヘツカガミ
「ジャララバは?」
訊かれて、和哉は首を振る。
「霧散したのか、それとも本当に消えたのか……」
「消えてねえよ」
闇からぬっと、デュエルの大きな影が現れた。
「あいつのにおいが、まだこの辺にある。消えたと見せかけて、また戻って来るかも」
「だったら早いとこ、リッチモンドのご当主を生き返らせなくちゃ。——ジン、出来るか?」
ジンは、神聖魔法の明かりをアーノルド・リッチモンドの上へ浮かべ、じっとその顔を見ていた。
「……、ムリ、かも。ジャララバが入り込んだ時点で、リッチモンドのご当主の魂は飲み込まれてしまったみたい」
「えっ!?」和哉は、驚き、落胆した。
クラリスが今回、一番助けたいと言っていた人物だ。
「どうしても、ムリかな?」
御使いとコンタクトが取れるジンがダメと言ったら、そこまでだ、と分かっている。
が、訊かずにはおれなかった。案の定、ジンは無表情のまま首を横に振った。
「ここは今、いきなり命を絶たれ、行き場の無くなった死者の魂で満杯状態になっておる」
デュエルの背後から、ふらりとクラリスが現れた。
「何の準備もせずに反魂の術など使えば、それに乗じて、よからぬ輩がアーノルドの身体を乗っ取ろうとするじゃろうよ。あるいは、ジャララバだけが戻るやもしれん」
淡々と状況を述べる大賢者に、和哉は胸を締め付けられた。
リッチモンドの当主を、一番助けたいのはクラリスなのだ。だのに己の私情を堪え、和哉達仲間のために旧友を斬り捨てようとしている。
「……ジンの反魂の他に、何か手はないんすか?」
和哉の問いに、クラリスは渋い顔を返す。
と、別な方向から見知らぬ声が答えた。
「方法なら、無い事もないですがぁ」
和哉は、自分の背後からの声に振り向いた。
立っていたのは、先ほどジャララバにアンデッド・パペットにされ殺された、ロッカク家のタカツキのものと似た白装束を身に着けた、若い男だった。
違うのは、タカツキが見事な坊主頭だったのに対し、男は長い黒髪を首の後ろで束ね、なおかつ三つ編みにしている。
相当ディビル教徒のアンデッドと戦ったのだろう、神聖魔法の淡い明かりでも分かるほど、装束は汚れている。
しかし端正な白い顔は、何事も無かったかのようにのほほんとした笑みを浮かべていた。
「あ、あなたは……?」まるで月夜の庭を散策に出てきたような、のどかな雰囲気の美男子に、和哉はやや拍子抜けしつつ、尋ねた。
「あ、申し遅れましたぁ。わたくし、イチヤナギ家のフミマロと申します」
テヘっ、と、照れ笑いを浮かべて、フミマロは後ろ頭を押さえる。
——こ……、この人がっ、コハルが慕う主殿ぉ!?
どっからどー見ても、ヘタレなにーちゃんじゃん。
しっかり自分のことは棚に上げて鍵を掛け。
想像していた人物とはまるでかけ離れた様子のフミマロに、和哉は呆気に取られた。
他の皆の印象も同じであったらしい。
「あんたが……、オオミジマ宗家三家筆頭の当主にして、異界『ワ』の呪に精通した、イチヤナギ家のフミマロ殿かの?」
フミマロは「そうでーす」と、にっこり笑って手を挙げた。
「『ワ』の呪に関しては、まだまだ分からないことだらけでしてぇ。自分なりに文献を紐解いてみたりしているのですがぁ、特に、我が一族をこの世界へと導きたもうたフツノミタマノカミと、御神の従たる神々の御力は、果たしてこの世界の御使い殿方の御力と同じものなのかどうかとか——」
フミマロは、状況を忘れて自分の研究を披露し始める。
「古の旅の賢者殿が編み出されし異界語魔法とぉ、我が一族の呪は、何故か同時使用が可能なのですが、恐らくその根拠はぁ、この世界の理にどちらも接触しないためではないかと推測出来るのです。が、そうすると、『ワ』の呪の発生力と維持力はぁ、この世界の何を用いているのかとか——」
——こりゃ研究熱心、というよりオタクだわ。
放っておくとまだまだ喋りそうなので、和哉は「それでっ」と、フミマロの話を遮った。
「先程、イチヤナギ家ご当主が仰られた、反魂の方法が無いこともない、というのは、どういうことですかっ?」
自分の研究を夢中で披露していたフミマロは、全く違う質問をされて「へ?」という顔で和哉を見た。
「あ——、ああ、そうでしたぁ」
照れ隠しなのか、フミマロはニヘラっと笑って頭を掻いた。
「どうも私、呪の話になると周りが分からなくなってしまって。……リッチモンド殿の反魂ですよね。ええ、大分破けはしましたが、オオミジマの強力な魔力結界呪が、リッチモンド殿の魂の霧散をまだ妨げている筈ですので、今なら吸い出し可能かと」
「吸い出し、とな?」
聞き返したクラリスに、フミマロは笑んだ。
「『ワ』の呪のひとつです。意図的に混ざり合った御霊を、『神器』に一度通して分離する——。現在、リッチモンド殿の御霊と、ジャララバとかいう者の憑依霊が混在している様なのでぇ、まず吸い出しを掛けてみるのが得策かなと」
「それは、どの『神器』ででもこなせるのかの?」クラリスの問いに、フミマロは「基本的には」と答えた。
「しかし、念には念を入れまして、一番適している『神器』で行います。——ジュウロウ」
はっ、と、きびきびした返答がし、フミマロの脇に黒装束の忍者が現れた。
「カツラノイン家に行き、至急、『神器』をお貸し下さるよう、ハルミ様にお願いせよ」
「畏まりまして」
忍者は深く頭を下げると、煙のように掻き消えた。
「今のは……?」
「遁甲です」和哉の質問に答えたのは、コハルだった。
コハルは小走りにフミマロの前へ行くと、すっ、と跪座した。
「ハットリ一族のコハル、ただ今戻りましてございます」
「よく、無事で戻ったね。良かった」
俯いたままのコハルを、フミマロは暖かい笑みで見下ろす。
「『神器』アマノハバキリ、間違いなく見つけ出して参りました。……しかし」
顔を上げたコハルは、困った表情で和哉を見た。
同じく和哉に視線を向けたフミマロが、にっ、と笑った。
「分かっているよ。アマノハバキリは主を選んだ。『神器』は生きておられるのだから、仕方ないことだ」
やけに物分かりがいい宗家ご当主だな、と、和哉は半ば感心しつつ、半ば怪しんだ。
通常なら、自分達が長きに渡り所持・保管して来た大事な品を、何処の馬の骨とも分からない若造になぞ、快く渡す筈が無い。
タカツキも、和哉を『流れ者』と言った。ジャララバに術を掛けられた状態での言葉だったが、却って本音だろう。
と、したら、自分がアマノハバキリを持ち続けることでオオミジマの人々は不快感を感じ続けるだろう。
「フミマロさま」和哉は、背負ったアマノハバキリを、鞘ごと外した。
「確かに、俺はアマノハバキリに主と認められました。でも、この刀はオオミジマの『神器』です。俺が勝手に持ち歩いてていいものじゃない。——お返しします」
両手で剣を押し出し、頭を下げた和哉に、フミマロは「ふうむ」と低く唸った。
「和哉さんのお申し出、オオミジマを統べる一族の一人として感謝します。ですが、先にも言った通り、『神器』の剣は生きておられる。生きておられるということは、意思もおありになる、ということです。
和哉さんがオオミジマの皆のことを思うて返したいと言って下さるのを、アマノハバキリが納得すればこちらに納まるでしょう。しかし、どうしても主と共にありたいと思うていらっしゃるなら……」
フミマロが言い止したところで、ジュウロウが戻って来た。
「先程の戦闘で、ハルミ様は大怪我をなされ、とてもお話どころでは……。なれどお方様のお計らいで、『神器』オキツカガミ、ヘツカガミ、お借りして参りました」
「それは上々。では早速」
フミマロはジュウロウが差し出した黒い布に包まれた縦長の箱のようなものを受け取った。
布は、結び目を細い紐でさらにしっかりと結ばれている。
フミマロは左手で箱の下を持ち、リッチモンドの遺体から離れると、口元に右手の人差し指と中指を当て、ふっ、と結び目に息を吹き掛けた。
細紐がはらりと解ける。
次に布の結びが勝手に解け、中から黒塗りの箱が二つ、現れた。
フミマロは足下に箱を置くと、上の箱の蓋を開ける。中から、丸い形の、平たい金属を取り出した。
「それが、オキツカガミかの?」クラリスの問いに、フミマロは「はい」と笑んだ。
オキツカガミは銀色をしていた。表はもちろん、鏡である。裏面には和哉は何処かで見た覚えのある文様と、見た事の無い文字が彫られていた。
「ジュウロウ、ヘツカガミの蓋を」
はっ、と一礼すると、ジュウロウはオキツカガミの入っていた箱を退け、下の箱の蓋を開けた。
中から、今度はオキツカガミより一回り小さい、金色の鏡を取り出した。
ヘツカガミも、裏面には文様と文字が彫られていた。
「ヘツカガミを、反せ」ジュウロウは、主の言いつけの通り、手にした小降りの鏡を裏返す。
二つの鏡が、上と下で表を向き合う。
途端。
フミマロの表情が、オオミジマの宗家イチヤナギ家の当主のものへと変貌する。
******
両手でオキツカガミを持ったフミマロは、切れ長の目を半眼に開き、呪を唱え始める。
半ば俯いた様子に、和哉は故郷の何故かの仏教寺院で見た、菩薩像を思い出した。
静かだが、圧倒的な存在感で観る者を己のうちに引き込み、糺し、導く、菩薩。
フミマロの白い細面が中性的に見えるので、そのように思ったのかもしれない。
早口の小声での呪は、和哉には聞き取れない。が、着実にフミマロの呪力がオキツカガミに集まっているのは分かる。
やがて、ジュウロウが持つヘツカガミの表面から黒い靄が涌き上がってきた。
二つの鏡の間でぐるぐると縦に回転をしながら、見る間に靄が膨れ上がる。
和哉でもやっと抱えられるかと思う程にまで成長した黒い靄の球。
その球から声がした。
『私ヲ切リ離ソウトシテモ、無駄ダゾ』
ジャララバは、悠然と言い放った。
『コノ依代トハ、相性ガイイ。私ノ意識ハ深イ所マデ入リ込ンデイル。容易ニハ分離シナイ』
「余裕のお言葉、痛み入ります」呪を止めて、フミマロがのほほんとした口調で返した。
「しかし、それだけ情報を頂ければ、こちらもかなり安心して分離の呪が出来ます」
『……何ダト?』ジャララバの『声』に焦りが滲む。そんなことはお構い無いとばかりに、フミマロは再び呪を唱え始めた。
今度は、少しはっきりとした声音の呪である。
「——ふるべ、ゆらゆらとふるべ」
靄が震えた。フミマロは、同じ呪をもう一度繰り返す。
「オキツカガミ、ヘツカガミ、イクタマ、マガルカエシノタマ、……ひとふたみよいつむゆななやここのたり」
靄の震えが大きくなる。
「ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ」
『ウッ、グッ!!』
ジャララバが苦悶の声を上げ、靄がぶるん、と、プリンのように揺れた。
その刹那。
黒い靄の中から白い球体が飛び出した。
球体はすぐに、倒れたリッチモンドの身体に取り付いた。あっという間に身体に溶け入る。
「人の身体に入る魂は、本来はひとつ。あなたは既に、戻るべき身体を持たない。従って、『神器』の映しの中からは出られないのです」
「じゃが」と、クラリスが問うた。
「このままでは、オキツカガミ、ヘツカガミを動かすことが出来んじゃろうに?」
「そうですねぇ」フミマロは、また例のヘラっと笑いをした。
「選択肢は二つ、あります。和哉さんか宣人さんに《たべ》てもらう。もしくは、和哉さんに斬り捨てていただく」
『く……、くそぉ』ジャララバが低く唸った。
和哉は、《たべる》の選択は、なるべくなら無しにしたいと思った。
宣人の負担が大きいのは、二人で半分ずつ《たべ》て分かっているので。
「フミマロさま」和哉は、アマノハバキリを鞘から抜いた。
「ジャララバを、斬らせて下さい」
和哉の申し出に、フミマロは一瞬、不思議そうな顔をした。
「いいのですか? この男、呪で縛って《たべ》てしまえば、あなたには相当な魔力の元となりますよ?」
「分かってます。けど、俺の魔力アップより、こいつが生きているほうが絶対、危険なので」
和哉の言い分に、フミマロはふわっ、と笑った。
「いいでしょう。——ああ、宣人さんも、それでよろしいんでしょうか?」
ジンの隣で、茫洋とした表情で立っていた宣人は、いきなり尋ねられて目を見開いた。
「あ……、ああ、はい。構いません。というか、僕にはジャララバは手に負えないので」
「分かりました。では、コハル」
「はい」ヘツカガミを持つジュウロウの脇に控えていたコハルは、主に呼ばれて頭を下げる。
「タカツキさまの剣を、持っておいで」
畏まりまして、と、コハルは立ち上がる。
魂が戻ったとはいえ、まだ気絶したままのリッチモンドの側へ行くと、放り出されていたフツノミタマノツルギを取り上げた。
「お持ちしました」
オキツカガミを持った主に、抜き身の剣を捧げる。
「和哉さん」フミマロは静かに言った。
「アマノハバキリでは、恐らくこの男、斬る事は出来ないでしょう。フツノミタマノツルギを使って下さい。この神の化身の剣ならば、間違いなく斬り伏せられます」
言われるままに、和哉はアマノハバキリを仕舞い、フツノミタマノツルギを手に取った。
柄を握った途端。
「っつ!!」電流が走ったように、腕が痺れた。
「あれま」フミマロが、間の抜けた声を上げる。
「アマノハバキリの主だからですかねぇ。和哉さんがダメだとすると、あとは、」
「剣士なら、俺とロバートが居りますが、」とデュエル。
「フツノミタマノツルギを扱えるのは、多分ロバートの兄貴でしょう」
和哉達からやや離れた池の側で、カタリナやドラゴン兄妹と成り行きを観ていたロバートが、いきなりの指名に「俺っ!?」と驚きの声を上げる。
「待てって。腕力なら、俺よりオーガストやデュエルのほうが上だろうが? それに、剣技ならガートルード卿のほうが……」
「いえ」とコハル。
「失礼ながら。フツノミタマノツルギは、人の手にしか馴染みません。ですので、」
「ああもうっ!!」気の短い大賢者クラリスが、金髪の大男の腕を掴んで引っ張った。
「しのごの訊いとらんでっ、指名されたんじゃ、とっとと剣を持てっ」
えー、と、まだ納得行かないような声を上げながらも、ロバートはフツノミタマノツルギを手に取った。
と。
「あれっ? こりゃあ随分と軽い剣だな」
ほう、と、フミマロが驚いた顔をした。
「アマノハバキリに続いて、フツノミタマノツルギまで主を決めてしまうとは」
「えっ? 俺が、この剣の、主ぃ!? 」
びっくり顔で、ロバートは神聖魔法の明かりに照らされ、煌めく両刃の刀身を眺めた。
「……キング・アーサーになった気分だ」
「どうでもよいわっ、そんなことっ!! さっさとジャララバを始末せいっ!!」
クラリスの罵声に、なんだよ、と文句を言いつつ、ロバートは二つの鏡の間でぶよぶよと揺れる黒い靄に剣を差し込んだ。
『ぐうわっ!! やっ、止めろっ!!』
「あ、ほんとに斬れる」疑っていたのがありありと分かるエルウィンディアの呟きを背に、ロバートは、今度は本格的に剣を横薙ぎに滑らせた。
ひと呼吸遅れて。
『ぎゃあああああぁぁぁっ!!』
品のかけらも無い断末魔が上がり、黒い靄が掻き消えた。
ヘツカガミの上に、小さな黒いトカゲのような生き物の死骸が乗っていた。
かーなーり、トロくなりましたが、何とか83話、アップしました。
トロい原因は、眠気です。って書くと、怒られそうなのですが、本当に睡魔と戦いながら書いてます(かなりレベルが高いです、ウチの睡魔__;;)
あと、フミマロさまの呪言葉は、完全な布留の言ではありません。悪しからず。




