81.破綻の島
「ジンっ!!」
回転しながら漆黒の闇の中へ落下していくテントを追って、和哉はエルウィンディアを急がせた。
滝のように宙を下るドラゴンの行く手を、地上から涌き上がったおぞましい姿のものたちが塞ぐ。
ゴーストやレイスといった宙を舞う能力のあるアンデッド・モンスターが、和哉とエルの周囲を飛び回る。和哉は、レイスの毒の息を避けるようにエルを誘導しながら、落下するテントをどうにか捕まえようとした。
しかし、上からも下からもジャララバの誘導で妨害して来るアンデッド・モンスターの群れのせいで、テントとの距離は一向に縮まらない。
テントを落とした張本人のオーガストも、自分の失態を取り戻す積もりなのか、エルウィンディア以上の早さでテントへと近付く。
横回転をするテントの、天辺の綱にオーガストの牙が届こうとした時。
長い直刀を構えた、小柄な仁王像のようなものが、オーガストを襲った。
「なん……っ!?」
何処から見ても仏像のひとつとしか思えないそれは、しかし仏像の憤怒の形相はそのまま、柔らかな天衣を翻して剣を操る。
不意を突かれたオーガストが、敵の振り回す剣を避け、身体を旋回させた。
『不味いっ!! カズヤっ、テントが地面に激突しちゃうっ!!』悲鳴のような思念波をエルウィンディアは発する。
「追い掛けてっ」という和哉の言葉と、テントが内側から爆ぜるのが重なった。
『ちっくしょうっ!!』
大声の、というのが合っているだろうオーガストの後悔の思念が、和哉の脳を揺さぶる。
和哉も、予想だにしなかった出来事に、思考が一瞬停止した。
「大丈夫だっ。しっかりしろっ」
一人冷静なガートルード卿が、声を張った。
「よく見ろカズヤ。皆、無事だ」
「……え?」
言われて、テントが爆ぜた真下辺りに、和哉は目をやる。と、クラリスを中心に、テントに入っていた全員が、白い膜のようなものに覆われ、ゆっくりと浮遊していた。
「こらっ!! 断りも無しにテントを放り出すでないっ、この若造がっ!!」
怒鳴ると、クラリスは、ジンの作った神聖魔法の小さな明かり球をひとつ、魔法の風でオーガストにぶつけた。
無論、神聖魔法の明かりは熱くもない。
だが、オーガストに喰い付こうとしていたゾンビを撃退するのには十分だった。
『……悪い。アンデッドが、エルに追い付きそうだったんで、つい……』
「案外シスコンなんだわさよ、オーガストは」呆れたようにカタリナに言われ、オーガストは『そんなことはない』と膨れた。
レイスやゾンビをアマノハバキリで撃退しながら、やり取りに笑い出しそうになった和哉は、再び直刀を握った仁王が迫って来ているのに気付いた。
「やばっ。またさっきのヤツが来たっ」
「あれはっ!!」和哉の警戒に重なるように、コハルが叫んだ。
「ロッカク家の長老タカツキ様の式神っ!!」
「なんだってっ!?」ロバートが聞き返す。
「宗家三家の方々は、皆様術者で、必ずご自分の式神を持っておられます。あの式神は、護法童子。タカツキ様の式神に間違いありませんっ」
「じゃあ、ロッカク家は、もう……」宣人が顔を曇らせた。
「とにかくっ。下に降りなきゃ分からないって」
和哉は、自分も奮い立たせる積もりで言った。
エルウィンディアが長い首をくるっと後ろへ振る。
『あたしも頑張るっ。カズヤ、行こうっ』
和哉は頷くと、再びエルウィンディアが降下を開始した。
薄緑色の鱗を、ジンが飛ばした大きめの神聖魔法の明かり球数個が、闇に美しく浮かび上がらせる。
エルウィンディアの薄水色の羽を狙って、護法童子が剣を突き出して来た。
和哉は、アマノハバキリで式神の直刀を受ける。
「うっわっ!!」予想以上の護法童子の膂力に焦る。
アマノハバキリが押し込まれる。このままではエルウィンディアの羽どころか、自分の腕も斬り落とされると思った和哉は、思い切って刃を相手の鍔元まで下げる。
肩が当たるほどに近づいたのを見計らって、式神の顔に火炎を吹き付けた。
『ギャアッ!!』
思いも寄らなかったであろう攻撃に、護法童子が思念波で悲鳴を上げた。
離れかけた式神に、和哉はアマノハバキリで斬り付ける。肩口から袈裟懸けに斬り下ろすと、式神は黒い霧となって掻き消えた。
「さすがは『神器』」ガートルード卿が、上空から迫っていたゾンビの集団をロングソードで一閃して、笑んだ。
「もうそろそろ地面じゃぞいっ!!」クラリスが叫ぶ。
着地体制に入ったオーガストに続き、エルウィンディアも降り立つ。
人間型に戻ったドラゴンの傍らで、和哉はブーツの下の土をつついてみた。
「……芝生?」
オーガストにくっついている火霊のルディちゃんの明かりで照らされた地面は、一面、短い緑色に覆われている。
しゃがんで触ろうとした和哉を、ゴーストの群れが襲って来た。
「危ないっ!!」
エルウィンディアが剣を抜くより早く、背後から駆け付けたジンが神聖魔法で一掃する。
「どーして邪魔すんのよっ?」援護したジンに、エルウィンディアが逆切れする。
「あれくらいのゴーストの集団なんか、あたしの剣でひと薙ぎだったのにっ」
ややむっとしたような表情を見せたジンだか、すぐにいつもの無表情に戻る。
「剣でちまちま斬るより、ゴーストは神聖魔法のほうが確実に一掃出来る」
「ちまちまってなによっ。あたしは二刀流なんだから、ほぼいっぺんにやっつけられるわよっ!!」
「ゴーストは、見た目より厄介な相手。剣で斬るのは、相当レベルが高くないと一撃じゃ無理」
「なぁによっ!! あたしの剣が低レベルだっていうのっ!?」
ヒートアップしていく二人の少女の口喧嘩を、「まあまあ待てよ」と、ロバートが止めに入った。
「エルの腕を信用してねえ訳じゃないって。ただ、ここは敵地だ。敵が現れたら、その時一番最速な方法でやっつけるのが鉄則だ。今の場合、たまたま相手がゴーストだったから、ジンの神聖魔法のほうが効果的だったんだ」
「でもっ!!」まだ言い募ろうとするドラゴンの少女に、ロバートは何かぼそり、と言った。
途端。エルウィンディアは神聖魔法の小さな明かりでも分かるほど、真っ赤になった。
「話はついたようじゃの?」
二人の少女の口喧嘩を面白そうに眺めていたクラリスが、和哉に寄って来た。
「みたいっす」
ロバートが、何を言ってエルウィンディアを黙らせたのか、分からない。この戦闘が終わって、まだ覚えていたら聞いてみよう、と、和哉は思った。
「どうやら、どこぞの偉いさんの館の中のようじゃな」夜目が効くのか、クラリスが明かりの届かない奥のほうまで見詰めて言う。
和哉は神聖魔法の明かりに照らされた庭を、注意深げに見回す。
「多分……、ロッカク家の別邸と思われます。タカツキ様はロッカク家の最長老でいらっしゃいまして、一族の統括をご嫡男のタカアキ様に譲られた後、この別邸で過ごしていらした、と、聞いております」
さすが忍者。足音もさせずにいつの間にか横に立ったコハルに、和哉は一瞬驚く。
「コハルは、その、ロッカク家の人に直接会ったことってあんのか?」
デュエルの質問に、忍者娘は「幾度かは」と、硬い表情で頷いた。
「タカツキ様は、式神使いの巧者です。先ほどの護法童子だけでなく、あと数体は、強い式神をお使いのはず」
「の、ようだな」ガートルード卿が、少し離れた池の辺りを険しい表情で見詰めた。
途端。
池の中から大きな影が飛び出して来た。
そのモンスターは、和哉が今で目にした事が無いものだった。
頭は犬に近く、だが耳は大きな鰭がついている。身体はドラゴンのようだが、それにしては前肢が長い。足先は熊のように二十本の指全てに鋭い爪がついている。
何より驚くのは、水から出て来たにも関わらず、さほど身体が濡れていないということだった。
「なんだこいつっ!?」和哉は、見た事も無いモンスターに少なからず仰天する。
「多分、土台は水蛇。そこに魔法で他の生物をくっつけたもの」
ジンの説明に、和哉は「キメラか……」と呟いた。
「そんな呼び名があるんだ」ジンが、珍しく黄銅の瞳を見開いた。
「え……? キメラって、ここいらじゃ言わないんだ?」逆に驚いた和哉に、ジンは平素の顔に戻って頷いた。
「滅多にはいないけど、魔法実験の失敗やなにかで、継ぎはぎモンスターが出ることはある。でも、完全に人工的なものと分かっているから、私たちは単にモンスターと呼ぶか、もしくは番号を付けて識別している」
「こういうもんを創るのは、御使いの理を無視した連中のみじゃ」
「タカツキ様は、御使い様の条理を無視される方ではありませんっ。多分、これは……」
「ジャララバが手を加えたってことだっ」
水蛇のキメラが、叫んだ和哉へと真っすぐに向かって来た。
鋭い前肢の爪で、和哉の頭を裂こうとする。
思った以上にキメラの動きが早く、和哉は寸でで仰け反って爪を避けた。
中空で旋回した水蛇のキメラが、今一度和哉を狙って急降下して来る。
今度は動きを見切って、アマノハバキリを下段に構えた。
と。
異様な咆哮が和哉達の鼓膜を揺さぶった。
「——なんだっ!?」
タカツキの屋敷内からではない。離れていると思われるが、それでもモンスターの咆哮に特有の、聞いた者を竦み上がらせ戦闘不能にする、という効果が、レベルの高い和哉にも効いた。
かなり危険なモンスターに違いない。
不気味な吼え声の主に気を取られ、思わず目を逸らせてしまった和哉を、水蛇のキメラの牙が襲う。
首に噛み付かれる前に、和哉は右腕を上げて牙を防いだ。
キメラの牙には毒があったようだ。しかも、猛毒。軽い痺れが、腕から背筋へと走る。
「うっ……!! く……っ」
毒に相当な耐性のある和哉でも、このキメラの猛毒にはダメージを受けた。
やや足下がふらついたところへ、キメラの爪が、胸元目掛けて迫って来る。
和哉は、早くも毒に馴染んだ身体を避けることをせず、キメラの爪が己の革鎧をがっちり掴むのを見計らって、アマノハバキリを振るった。
犬に似た頭が宙を舞う。最後に「きゅうん」という、悲しげな声を上げたのが、少なからず和哉に罪悪感を感じさせた。
「主が、狂わされたせいだな」悲しみを滲ませた声で、ガートルード卿がぽつりと零した。
式神達は、ジャララバがこの国へ来なければ、主が死ぬまで穏やかに守護をしていただろう。
「——ムカつくっ」
大分痺れが取れた和哉は、アマノハバキリを怒りに任せて斜めに一振りした。
水の魔法剣は、夜の庭園の池の表に、清らかな水滴を大量に振り撒く。
「ヤバいっ!! こっちに来たっ!!」デュエルが、いきなり警告を発した。
「えっ?」頭上を仰いだ和哉の前に、真っ黒な塊が現れた。
大きさは、縦が三メートルほどもあろうか。
人の姿をしているようでもあり、ただの塊のようでもある。
硬いものではなく、濃密な霧か雲のような、手応えの無いもののように見える。だが、明らかに己の意思で動いているようであり、かつ素早かった。
——なんだ、こいつは?
一瞬だが、微かに誰かの思念のようなものを感じた和哉は、完全にその場を離れることを忘れる。
「カズヤっ、不味いっ!! 逃げろっ!!」デュエルが吼える。
しかしデュエルの警告も空しく、和哉は動けないままその得体の知れない黒い塊に飲み込まれた。
だいぶ更新が遅れてしまいました〜
すみません。
体調整えて、また頑張りますっ




