79.愛と聖剣
愛しているから。
このまま、ロージィと共に滅んでもいいと、海竜は言っている。
恐らく、先にロージィをアンデッドにされた時から、海竜は二人で死ぬ運命を選択したのだろう。
人の——といっても、海竜は人ではないが——恋しい人を想う優しさ、愛しさを利用し、踏みにじっても己の野望を実行しようとする。
和哉は、ジンの神聖魔法で半ば正気に戻った海竜の心情を察して、改めて腸が煮えくり返った。
「……どーにかなんないのかよっ、大賢者さまっ!?」
ロージィに、一時的にスローの呪文を掛けたクラリスに、和哉は噛み付いた。
「俺ぁ、二人を斬るのは、ヤだっ」
クラリスが、獣のような唸り声を上げた。
「わしとて嫌じゃ!! しかし、御使い様の大呪が使えんとなれば、このまま放置しておっても、恐らくそう長くは……」
「助けられるかもしれない方法が、ひとつだけある」ジンが、重い声で言った。
「カズヤ、二人を殺して」
「あ? それじゃ逆じゃんか?」
「あっ、そうかっ!!」宣人が拳を手のひらに打ち付けた。
「和哉、大丈夫……、っていうか、ジンの一か八かの賭けだけど。言う通りにやってみて」
「だーからっ!! 俺は海竜も、ロージィも殺したくないって——」
喚く和哉の口を、怒れるアンデッド少女に操られている海竜が、尾を大きく振り回して塞ぐ。
じっと、ロージィと海竜の結合部を見ていたカタリナが、渋い声を上げた。
「あんまり時間が無いようだわよさっ。生者と死者の無理な結合が、海竜の身体を腐らせて来てるんだわ」
「だからって、殺せってのはっ」
『これ以上は、無理だ』
海竜が、海面から大きく状態を持ち上げる。閉じた口の端から、炎のドラゴン・ブレスが溢れ出ている。
己の意思とは無関係に、海竜は和哉達に攻撃しようとしていた。
「カズヤっ!! 斬ってっ!!」ジンが叫んだ。
業火が、海竜の口から吐き出される。炎は渦を巻きながら和哉に迫る。
和哉は、アマノハバキリを横に一閃、薙ぐ。
海竜のブレスは和哉の前で上下に割れた。
ジンがどうする積もりなのか、和哉には分からない。だが、いびつに繋がれた哀れな恋人達をこのままにも出来ない。
和哉は、炎が消えると同時に、仕方ないと腹を決めて海竜に斬り掛かった。
「うおおおぉっ!!」
《両生類のジャンプ力》で海竜の頭上まで飛び上がる。アマノハバキリの刀身が、帯びた青い光を一際強くした時。
和哉は海竜と、彼の胸に繋がれていた少女を一息に斬り下ろした。
「ロージィっ!!」父親の悲痛な叫びが、海風に乗り岩場を抜ける。
血飛沫を上げて海に落ちていく海竜に向けて、ジンは早口で術を唱えた。
「——の御名において、今一度目覚めよっ」
銀色の燐光が、ジンの手から海竜が沈んだ海面へと移る。
どうなるかと和哉達が見守ること、数分。
何かが、海の底から浮かび上がって来た。
薄水色の長い藻のようなものが、岩にぶつかり揺れる波間に漂う。ゆったりと纏った長衣は濃紺。
人型になった海竜は、20歳半ばの青年だった。
和哉は、気を失ったままの海竜を急いで岩場へ引き上げる。
「息、してんのか?」死人使いを片付けてこちらへやって来たデュエルが、海竜の、青白い端正な面立ちを覗き込んだ。
和哉はそっと鼻の前に手を翳した。微かな呼吸が感じられた。
「うん……。大丈夫だ」
「すげえなっ、ジンちゃん。蘇生の術、いつの間にか使えるようになってたんだ?」
感心するロバートに、ジンはいつも通りの無表情で答えた。
「ちょっと前。けど、アンデッドには効かない。却って殺してしまう」
「えっ? じゃあロージィは……?」
和哉は慌てて海を見た。しかし、海竜の胸に付いていた少女の姿はどこにも見当たらない。
「多分、ロージィの身体は蘇生の術で分解されてしまったんだと、思う」
「——えっ!?」和哉の背を衝撃が駆け抜ける。
ジンが神聖魔法を唱えた時、二人とも助かるものだと、和哉は安堵した。
だが。
「じゃあ、ジンは初めっからロージィは助けられないって分かってて、俺に二人を斬れって言ったのかっ!?」
お気楽に、二人とも大丈夫なんだと思っていた自分に腹が立った。と同時に、非情な現実を告げてくれなかったジンにも怒りを覚えた。
いつもなら押し負けてしまうジンの黄銅の瞳を、和哉は睨み付ける。
ジンも、平素通りの視線をひた、と和哉の目に合わせた。
「あのまま二人が合体していたら、やがて海竜もアンデッド化する。半減してもレベル15,000の海竜が理性を無くして暴れ回ったら、テッセ港なんかひとたまりもない」
「だからっ、ロージィを犠牲にしたのかっ!?」
詰め寄る和哉に、ジンは平板な表情のまま頷いた。
「王族の義務。非常事態では、まず大多数の民の命が優先される。アンデッドになった海竜は、テッセ港どころかグルドール公国沿岸全てに、甚大な被害を及ぼしていたと思う。
私は、立場上、想定される被害を未然に防ぐ役目を負う。……カズヤがどんなに怒っても」
「ここはサーベイヤじゃないぜっ」
「他国であっても同じこと。グルドール公国はサーベイヤの同盟国。惨事を未然に防ぐのはどちらの国でも私の義務」
「その娘の言葉が正しい」
不意に、岩場に横たわっている海竜が口を開いた。
「私は……、ロージィと共に死ぬつもりだった」
半身をゆっくりと起こした若い海竜は、二日ほど前から、死人使い達が彼とロージィの周囲に隠れるように付いて回っていたこと、トマス爺さんは奴らの正体に全く気づかずに、ロージィを海竜の名を使って海辺へ呼び出したこと、そして死人使いは拉致した恋人を助けに来いと海竜にここへ来させ、アンデッドにしたロージィを禁呪を用いて無理矢理海竜に《たべ》させたことを、和哉達に語った。
「ロージィを取り返すどころか、異界の禁呪《呪縛》を掛けられ、動くこともままならない自分が情けなく、悔しかった。……あの、商人風の男は、凄まじい魔力で、私の口をこじあけ、ロージィを飲み込ませたのだ。途端に、あの男の思念を刷り込まれたロージィの意思が、私の身体を支配し始めた。
己の心身が、ロージィを通じてあの男に浸食されていくのを感じた。このままでは、自分は早晩、狂ってしまう。だから……」
「早く誰かに、殺して欲しかった」ジンの言葉に、海竜は頷いた。
「だが、私が望んだのはこういう結末ではない。私だけが助かり、ロージィが霧散するなどという」
「あなたは、助けなければならない存在」
言い切ったジンを、海竜は鋭く見返した。
「何故だっ。確かに、私は守護の海竜として、この海域の結界を守って来た。だが、私が死んでも他の海竜がその任は引き継ぐ——」
「いいえっ、違いますっ!!」強く否定したのはコハルだった。
「オオミジマとグルドール公国の間の海域を守れる主さまは、そうはいらっしゃいません。以前、我が主イチヤナギの当主フミマロ様が仰っていらっしゃいました。「オオミジマの海の結界は、海竜の長との話し合いで、何処を誰が守るのか決めるのだ」と。とりわけ、グルドールとの間の『青海』と呼ばれる複雑な流れの海域は、強い海竜でなければ守れない、とも。
青海の主さまに代われる方は、そうそうはおられない筈ですっ」
コハルの言に、海竜は唇を噛む。次に、すとっ、と、何かを諦めたように両肩を落とした。
「前任のリガル様が何者かによって弑され、長に、急遽私が青海を守れと言いつけられた。テッセの海岸とオキツシマの海域を周回している時に、偶然、貨物船に乗っていたロージィを見た。亜麻色の髪の愛らしい少女に、私は一目で心惹かれた——。それが、こんな悲劇を生んでしまったのだ」
「そりゃあ、ちっと違うのじゃないかの?」
クラリスが、海竜の側へ寄った。
「おまえさんは、まだ若い。かわいい娘に恋をして悪い訳がない。いかんのは、人の気持ちにつけ込んで手駒にし、己の欲を満たそうとする輩じゃ。わしの知り合いも鷹揚な男での、その気質に付け入られて奴らに使役されてしもうた。……だから、奴らには、わしらが灸を据えるがな」
「私は……、長にもロージィにも合わせる顔がない」
項垂れる若い青海の主に、ジンが、「選ばれし者はその任を全うするまで死を選んではならない」と、強い声で言った。
「あなたも、私と同じような立場。恋人を失って苦しいだろうけれど、生きているのだから与えられた任務を放棄してはいけない。私があなたを生き返らせたのは、ここにあなたという守りがなければならないから」
ジンの言葉に、和哉はようやく彼女や海竜の『立場』の重さを理解する。
と同時に、ジンが好きならば、自分も、何があっても己の命を諦めてはいけないのだ、と悟った。
片手で顔を覆った海竜は、ややあって、ぽつりと言った。
「エリオール」
「は?」和哉は思わず声が裏返ってしまった。
「我が名だ。そしてこれが——」顔を上げ両腕を己の胸の高さに上げた海竜・エリオールの手の中に、赤い光が現れる。
光は横に長く伸び、すぐにもののかたちとなった。
「聖剣『テシオス』。旅の賢者が当時のドワーフ王に製法を教えて作らせたという、この世界にひとつしか無い魔法剣だ」
エリオールは立ち上がると、聖剣を握り和哉のほうへ来た。
「テシオスを、使ってほしい。剣は使われてこそ生きるもの。海竜の私が守っていても、何の役にも立たない。君ならテシオスを上手く使いこなすだろう」
「あっ、いやっ、俺は……」
突然の譲渡に面食らった和哉は、どうしたものかと焦った。
「俺には、その……、アマノハバキリがあるし……」
「場合によっては、『神器』の剣はオオミジマに返さなければならない。テシオスならばその必要は無い。持って行ってくれ。それに……」
出来ればこの聖剣で、ロージィの敵を討ってくれ、と、エリオールは頭を下げた。
竜の中の竜である海竜に頭を下げられては、受け取らない訳にはいかない。
和哉は、テシオスを受け取った。
えとっ、頑張ってるんですが、焦っているのか、後から推敲してぞろぞろ直しが出て来たりもしてます(汗)
申し訳ありませんが、もしお暇がありましたら、読み返してやってください。
ヘンな部分の指摘も、していただけると有り難いです(そもそもヘンだらけだったりして^^;;)




