67.王都へ
和哉は丸一昼夜寝ていたらしい。
その間に、メリアーナ嬢の治療はクラリスが済ませたという。
「ロザリンドの根と涙草の花、それと少々の魔法でな。腫れものは、なに、大きくなってはいたが悪性なものでは無かったのでな」
メリアーナ嬢の喉の熱は、クラリス処方の薬ですぐに取れた、とジンが教えてくれた。
とにもかくにも良かった、と思った和哉が力を抜いてベッドに背を預けた時。
ノックと共に、扉が開いた。
入って来たのは、この別邸の主、エイブラハム・ウィルストーン伯だった。
メリアーナ嬢と同じ赤金の髪をした伯爵は、和哉を見るなり、繊細そうな細面の相貌をくしゃりと笑顔に崩した。
伯爵の後ろには、メリアーナ嬢付きの侍女のニルダも居る。
和哉は慌てて再び上半身を起こした。
「ああ、そのままで。――この度は、メリアーナをここまで連れて来てくれて助かった。礼を言う」
伯爵は、胸に手を当て、軽く頭を下げた。
会うのは二人目の王侯貴族に頭を下げられて、和哉は焦って「いっ、いいえっ!!」と首を振った。
貴族がただの庶民に頭を下げる、なんてことは、地球でも無かったし、この世界でもきっとあり得ないことなんじゃないのか。
「おっ、俺達はただ、デレク会長の依頼をこなしただけですからっ」
恐縮すると、伯爵は微笑んだままベッドへと寄って来た。
「いやいや。さすが、デレク会長が推薦するだけの実力だ。メリーから聞いたよ。途中ドラット族に襲われたのだそうだな。大人数だったが、君達が大半を倒してくれたとか」
「あ、いえ、確かに……」
メリアーナ嬢がどう父上に話したかは分からないが、馬車の中にいた令嬢からは、和哉が特殊技を使ったのは見えていなかったはずだ。
和哉達も、どうやって倒したのかまでは、メリアーナ嬢に伝えなかった。
「七人程度で四十人からのドラット族を縛り上げたというのだから、大した腕だ」クラリスが感心したように言った。
「しかし、メリーには悪い事をしたの。わしが研究に没頭しとらんかったら、とっとと南レリーアへ行って、病を治してやれたのだから」
「いや、私も、メリーの病状を軽く見過ぎていました」
ウィルストーン伯は、少し渋い顔で目を閉じた。
「メリーは小さい頃から喉があまり丈夫ではなく、風邪など引くとすぐに咳をしたり喉を腫らしたりしていたのです。歌い手となってからは、体調には十分注意を払ってやっていたのですが、今回の病も、公演が増えた疲れから風邪でも引いたのだろうと思っていました。ですので、南レリーアに休養に行かせたのですが……」
「あの、お医者様には診せたのですか?」宣人が尋ねた。
「王宮付きの魔術師さまに診ていただいたのですが、疲労だろうというお話だったのです」と、ニルダが答えた。
「全く。使えん魔術師だの」クラリスが鼻を鳴らす。
「だから、エイブラ。わしに遠慮はせんでいいと言っておいたのに」
「仮にも大賢者さまに、娘の病を治してくれなどという些細なことは言い兼ねますよ」
「仮とはなんだ? 仮とはっ」
伯爵とクラリスのやり取りを聞いていた和哉は、そこ突っ込むか、と吹き出してしまった。
何がおかしい、とクラリスに睨まれ、「すいません」と笑いながら謝る。
笑いを堪えているのが明らかなウィルストーン伯が、こほん、と咳払いをした。
「ともかくも、メリーが大事に至らなくて良かった。改めて礼を言う」
******
クラリスやウィルストーン伯と話しているうちにすっかり調子も良くなった和哉は、ウィルストーン伯に乞い、昼食を仲間達と食堂で採れるよう手配して貰った。
先に食堂に集まっていた仲間達は、和哉がジンと共に現れた途端、拍手をした。
「よせって。何だかこっ恥ずかしいってっ」和哉が照れて頭を掻くと、並んだジンが、「みんなの当然の気持ち」と、言った。
「いやー、雷撃受けたって話だったから、一時はほんとにどうなるかと心配したけど、さっすがに丈夫だぜ」
正面の席に着いた和哉に、ロバートはからかい半分にほっとした表情を向けた。
ロバートの隣に陣取ったカタリナは片頬を上げて笑むと、「殺しても死ぬようなタマじゃないんだわさね」と、冗談を言う。
「そんな。もう一撃雷撃を受けていたら、いくらカズヤさまでも死にますっ」
カタリナの軽口をまともに受け取ったコハルに、ロバートとガートルード卿、デュエルが苦笑する。
「コハルは優しいな」と、ガートルード卿。
そこへ、ウィルストーン伯とクラリスが入って来た。
主人の席にウィルストーン伯が着席すると、メイド達が料理を運んで来る。
焼き立てのパンと新鮮な野菜と豆腐のサラダ、メインはコルルクの蒸し煮である。
漸く異世界の味にも慣れて来た和哉は、丸一日寝ていたせいもあってか、がっつり美味しく頂いた。
「そう言えば」と、パンをコルルクのスープに浸しながら、クラリスが末席のコハルを見遣った。
「おぬしはオオミジマのニンジャと言うておったな。わしはエイブラのこの館に厄介になる前に、リッチモンドという商人の別宅に転がり込んでおったのだが、そこで、おぬしと同じオオミジマのニンジャに会うたぞ」
「そっ、それは、どのような方でしたか?」
「おぬしと同じように黒髪をした、若い男じゃった。名は……、そう、コタロウと言ったかの」
「あ……っ、兄さまですっ!!」コハルはガタっ、と、椅子を飛ばして立ち上がった。
「なんとっ!?」叫んだコハルに、クラリスは薄紫の目を見開いた。
和哉も、あまりの偶然に、驚き過ぎて食事の手を止めた。
「すっごい奇遇……」ロバートの呟きで、止まっていた一同が動き出す。
「どういう事かね?」
ウィルストーン伯の質問に、コハルはこれまでの経緯を話した。
「なるほど……。とすると、コタロウは上手くティビル教とやらの信者どもの目を盗み、逃げ出したか、あるいは目に付かぬように北カルバスのロッテルハイム子爵邸からそっと出た、ということになるな」
「で、リッチモンドの商隊に拾われたか、潜り込んだか、かの。リッチモンドの商隊は、あちこち出歩いとるからな。北カルバスの街道で潜り込んだやもしれんの」
「その、リッチモンドさんとこに、まだコタロウさんはいますかね?」
和哉の質問に、クラリスは、「さあてのう」と、首を捻った。
「わしがリッチモンドの別宅を離れたのは、かれこれ半年前じゃからな。その後はアーノルド――リッチモンド家の当主とは、一切やり取りしとらんからの」
「リッチモンド家っていうのは、王都にあるんですか?」
「なんじゃ。カズヤは有名なスティングレー通りのオーサー宝飾店を知らんのか?」
クラリスが、若年寄な顔に呆れを表す。
「リッチモンドが出している店では、一番有名な店じゃぞ?」
「何せ、田舎者ですから」和哉は、内心ちょっとむっとした。
「サーベイヤは広い。王都に行ったことの無い地方の人間も多いと思いますが」
ジンの助け船に、和哉はこくこくと頷く。
クラリスは、「聞けば、冒険者としては駆け出し者のようだしの」と、皮肉っぽく笑った。
「クラリス。将来ある若者をからかい倒すのは、悪い癖ですよ」ウィルストーン伯がストレートに大賢者を窘めた。
「わしのからかいくらいで腹を立てるような度量の狭い男なら、先の見込みなんぞ無いわい。――それより、ニンジャ娘。おぬし、兄を捜しに行く気かの?」
「はい。出来れば」
「で? 将来あるのか分からんがリーダーらしいカズヤは、ニンジャ娘の希望を聞いてやるのか?」
つくづく嫌味なジイさんだな、と思いつつ、和哉は引き攣り笑いをしながら頷く。
「ええ。度量が無いと思われるのも嫌なんで」
途端。
クラリスは、あっはっはっ!! と大笑いした。
「合格合格っ!! 気に入ったぞカズヤっ。わしも連れて行け」
「はあっ!?」と驚愕の声を上げたのは、和哉ではなくロバートだった。
「名代の変人大賢者さまが、俺らみたいな若造と一緒に、っすか?」
「おぬしも、わしに負けず口が悪いの、金髪男。――わしがくっついて行かねばアーノルドが信用せんじゃろうが」
「それは……、そう、ですね」
神官戦士であり、王家と繋がりのあるのジンが居るので、和哉達の身分はある程度相手に信用してもらえる自信はある。
しかし、顔見知りの大賢者クラリスが一緒に行ってくれるのなら、もっと話が早いことは確かだ。
「では、お願いします」フォークとナイフを皿に置き、一礼した和哉に、クラリスは、「うむ」と満足そうに頷いた。
「私もリッチモンドとは縁がある。紹介状をしたためておこう」
ウィルストーン伯が言い、和哉は伯爵にも礼を言った。
******
「善は急げ、と言うじゃろう」
クラリスの一言で、昼食後、和哉達は慌ただしく王都へ出発することとなった。
サーベイヤの王都セント・メナレスまでは、ウィルストーン伯の別邸からなら馬車で半日弱だという。
メリアーナ嬢にまだ挨拶をしていなかった和哉は、ジンと一緒に部屋に行き、見舞いと、急な出立を告げた。
メリアーナ嬢は、まだ声が出せない状態なので、筆談で名残惜しいということと、「お気を付けて下さいませ」と案じてくれた。
カールスまでの道中と同様、大型馬車に乗り込んだ和哉達は、ウィルストーン伯領の森を延々と抜け、夕暮れ前に王都セント・メナレスの大門へと到着した。
石造りの門は、これまで通って来た街の門に比して、はるかに大きい。
組み上げられたひとつの石の大きさは、大体一辺五、六メートルはあるだろう。
さすがは、サーベイヤの王都の大門である。
高さは、和哉の目測として、東京タワーくらいありそうに思えた。
それを言うと、隣に座っていた宣人も、「僕も最初見た時、それくらいかな、と思った」と言った。
大型馬車が五台はすれ違えるほどの出入り口には、警備兵が、左右に五人ずつ並んでいる。
間隔を置いて立つ警備兵の間には、門の石組から突き出た巨大なランタンが、赤々と火を灯している。
「門扉がこんな時間でも開いてるんだ?」
「他の街や村とは違い、王都の周囲は全て王侯貴族の所有地が囲んでいて、モンスターは入れない。だから、いつでも人が出入り出来るように、大門の扉は開いている」
和哉の疑問に、ジンが答えた。
開いているのは門だけではなかった。
大通りに面した店は、宿屋の酒場は別として、他の街ならばとっくに店じまいをしている時刻であるのに、セント・メナレスでは殆どの店がまだ煌々と明かりを灯し、営業している。
「すっごいね。ほんとに都会だ」
呟いた和哉に、ロバートも、「なんか、懐かしい光景だよなぁ」としみじみ言った。
確かに、和哉達の故郷の星の先進国の首都の殆どは、昼夜問わず営業している店が多数あり、特に東京は宇宙ステーションから見ても、夜でもはっきり分かるほど、無数の明りで輝いていた。
ナリディアと交信出来るジンは別として、この星の住人であるコハルやデュエルはロバートの言葉に妙な表情をする。
訝しんでいるのは気が付いたが、別段突っ込んで聞いては来なかったので、和哉は黙っていた。
街灯は無いが、店々の灯や星明かりで明るい大通りを進むこと約十分ほど。
馬車が止まった。
「着いたぞ。リッチモンドの王城通り店じゃ」
降りたクラリスに続き、和哉達も馬車を降りる。
周囲の商店よりひと際大きなその店は、ショーウィンドウに美しいドレスや生地を飾っていた。
「素晴らしいドレスだわさっ」カタリナが、白っぽいドレスを見詰め、感嘆の声を上げる。
「スティングレー通りの宝飾店に次いで有名な、リッチモンドの服飾店じゃ。本当はこっちが本業なんじゃがな」
店の後ろ側に本邸がある、と言いつつ、大きなランタンに照らされたショーウィンドウの脇の扉を、クラリスが引き開けた。
途端。
最後尾に居たデュエルが前へ飛び出す。
「賢者の旦那っ!! 伏せて下さいっ!!」
ワ―タイガーはクラリスを引っ張るようにしてしゃがみ込む。
二人の頭上を、何かが勢いよく通過する。
クラリスのすぐ後ろについていた和哉は、咄嗟に手を伸ばし、飛んで来たものを掴んだ。
「……コウモリ?」
和哉に脚を掴まれたコウモリが、手首に噛み付こうと身体を折り曲げる。
「ポイズン・バットだっ」宣人が焦った声で言う。
だが、毒に耐性のある和哉は、噛まれたところでどうということもない。
「いてててっ。噛むなっ、ムダだからっ」顔を顰めつつ、コウモリの口を指で押し開け、牙を手首から引き剥がした。
「なんちゅう、桁外れなヤツじゃ。毒持ちのモンスターを素手で捕まえるとは。おまけに、噛まれても平気とは」
デュエルに抱えられたまま、クラリスが呆れたという顔をした。
驚くのがそこかよ、と心中で突っ込みながら、和哉はコハルから小刀を借り、ポイズン・バットを始末する。
「……他には、居る気配は無いな」いつの間にか店の中を調べていたガートルード卿が、入口に立って言った。
「モンスターの気配ももうしませんが、人間の気配がしません。クラリス、この店の異変に心当たりはおありですか?」
「無いの。中に入って調べてみるしかないわい」
助け起こしたデュエルの手を、「離さんかい」と振り払うと、クラリスはすたすたと店内に入って行く。
「大丈夫ですかっ!?」
和哉達も、慌てて大賢者の後を追った。
いつの間にか五月・・・(汗)
毎度ですが、次話投稿の間隔が空きすぎて、すみませんっ。
でも、次も頑張りますっ。
・・・二週間くらいで上がればいいなぁ←ムリだったらすみませんっ




