65.大賢者
ナルキッソに入ると、ガートルード卿は御者役の正騎士に『赤サソリ亭』の前で馬車を停めるように言った。
先に和哉が降り、宿屋の主人に事情を話した。
主人は、かの有名な歌姫が泊まると聞いて、喜んで応じてくれた。
メリアーナ嬢を馬車から下ろす役は、ガートルード卿に任せた。
卿は、コハルに忍者の特殊技《姿替え》で、メリアーナ嬢を他者からは別人と見えるように指示。
お陰で、煩いやじ馬が寄って来ず、無事にメリアーナ嬢を宿へと導けた。
『赤サソリ亭』の料理は、美食家で大食漢だったアルベルト卿が通い詰めた、というだけあって、本当に美味しかった。
和哉はここで初めてレブラホーンの仔のステーキを食べた。味は牛肉と何ら変わりは無かったが、香辛料が独特で、口に入れた途端、嗅いだ事の無い不思議な香りがした。
「これ、なに?」いい匂いではあるのだが、馴染がなかったのでジンに尋ねる。
「アンダレーナという植物の蕾を乾燥させた香辛料。肉料理には結構使われてる」
「前にナデシコを食ったけど、そん時にも入ってたのか?」ロバートもちょっと不思議に思ったようだ。
肯首するジンに、2人は顔を見合わせた。
「こんな匂い、したっけか?」
「いや、俺ぁ気がつかなかったぜ?」
「あんた達は、舌と鼻が鈍感なんだわさ」カタリナに一蹴されて、和哉はちょっとだけ凹んだ。
やり取りを傍観していたガートルード卿が、あっはっは、と豪快に笑う。
卿は、お気に入りのナルキッソ産の麦酒の入った陶器の大ジョッキを片手に、コルルクの蒸しサラダを食べていた。
既に3杯は飲み干している。アルベルト卿もそうだったが、アンデッド・ウォーリア―がどうして食事が出来るのか?
「なんで飲食出来るんすか?」と小声で訊いた和哉に、ガートルード卿は「さてな」と首を傾げた。
「骨だけの身に入ったものが何処に消え失せるのか、考えもしなかったな。ただ、生者と同じく腹は減るし、飲食すれば満腹になる。――そういうものだと認識すれば、さほど気にするものでも無いように思うが?」
陶器の大ジョッキを片手に、にやり、と笑う銀髪の女竜騎士は、思わず見惚れてしまうほど、男より男前だ。
和哉と同じくガートルード卿に見惚れた人物がもう一人。
主賓のメリアーナ嬢だ。
メリアーナ嬢は、宿の主人の計らいで、コルルクの身をスープで柔らかく煮込み、それに潰した野菜と麦を加えた特製のリゾットを食べていた。
シャールが飲みたい、と言っていたが、さすがに喉を痛めている現状では無理なので、代わりに喉に良いとされる果実のジュースも付いた食事をゆっくりと進めていた。
豪快に麦酒を煽るガートルード卿を見遣り、またもほんのり頬を染めているメリアーナ嬢に、和哉はもしかしてレズ? と、変な勘ぐりをしてしまった。
隣席のジンに、そっと言ってみたところ。
ジンは、一見平素と変わらないが、完全にアホな下等動物を見るような顔で、「恋というより、純粋な乙女の憧れ」と、返して来た。
女心の分からないヤツ、と言われた気がして、和哉は恥ずかしくなった。
結局、その晩酒豪の竜騎士は、朝まで酒杯を放さなかったらしい。
らしい、というのは、初めて飲んだシャール1杯で酔ってしまった和哉は、メリアーナ嬢達同様、早々に割り当てられた部屋へ行ってしまったからだ。
かつてアルベルト卿と飲み比べをして朝まで決着がつかなかった、と言っていたが、実のところ、ガートルード卿のほうがアルベルト卿よりも酒豪なんじゃないか、と和哉は内心で唸る。
しかし、ガートルード卿の酒に最後まで付き合った人物が居た、というデュエルの言葉にびっくりする。
「普段は大人しいくせに、ノブトは飛んだ大酒呑みだぜ」ガハハ、と、ワ―タイガーは笑った。
昨晩、ガートルード卿と同じく麦酒を飲んでいた宣人に、ロバートが冗談半分で飲み比べをしようと持ち掛けた。
ところが、ロバートは夜半過ぎには潰れてしまい、その後はガートルード卿と宣人の2人で飲んでいたというのだ。
「俺は傍で軽い酒を飲みながら様子を見てたのさ。――それにしても、人は見掛けに寄らねえな」
デュエルの言葉に、「そんな、大したことはありません」と、宣人は素直な髪が眉辺りに掛かる頭を、照れながら掻いた。
さすがに朝食はパスした宣人だが、昼食には降りて来て、けろりとした顔で和哉達と同じ定食を食べている。
同じく朝食をパスして昼に降りて来たロバートは、「飲み過ぎた」と言って、ベリーのジュース1杯だけで昼食を済ませた。
デュエルの言う通り、本当に『人は見掛けに寄らない』ものだと、和哉は改めて感心してしまった。
昼食を済ませ、一時旅の疲れを癒したナルキッソを離れるため、メリアーナ嬢一行と和哉達は、再び馬車の中へと戻った。
本日の話し相手は、コハルとカタリナである。
和哉は護衛の馬車の最後尾に乗り込み、横になっていた宣人の隣に座った。
「この先の小川を渡ると、ウィルストーン伯領だってさ」
「そう……、なんだ」かったるそうに、宣人は相槌を打つ。
「やっぱ、昨夜飲み過ぎたんじゃね?」
「そうかなぁ? 二日酔いって、なったことないんだけどね。う~~ん、ガートルード卿のピッチの速さに煽られたかな」
「私が、なんと?」
朝から居なかったガートルード卿が、不意に車内に現れる。
和哉も一瞬ぎょっとしたが、宣人と、ロバートまでも、驚いたようだ。
頭では、アンデッドは眠らないし神出鬼没だ、というのは分かっていても、やはり異質なものへの畏怖は、人間消すのは難しい。
その辺りは十分分かっているのか、ガートルード卿は銀髪を片手で掻きあげ、面白そうに笑うと、ロバートの正面の席へ座った。
「エイブラハム・ウィルストーン伯の評判を聞いて来たが、さすがメリアーナ嬢の父上。中々の好人物のようだ。クラリス殿もその辺りが気に入って、滞在しているらしい」
「クラリス、さんご本人は、どんな方なんすか?」
和哉の質問に、ガートルード卿は笑みを引っ込めた。
「デレク会長の言う通り、『変人』だな。様々な魔術に精通しているという御仁だが、仲間の話からすると、基本的に人間は大嫌いで、魔術の研究に没頭するのが至福らしい、と。――これは蛇足だが、私は姿を現さずに近付いたのにも拘わらず、私の気配をきっぱりと言い当ててくれたよ。術や魔力に関しては、確かに大賢者だ」
ただ、と、ガートルード卿は続ける。
「先程も言ったように、人嫌いだ。余程気に入られなければ絶対、私達に協力はして頂けないだろう」
――マジ、面倒そう……。
うー、と唸って、宣人の隣に転がった和哉を、ロバートがからかう。
「尻込みすんなよ、新リーダー。当たる前から砕けてたら、前に進めねえぜ」
「わあかってるよっ」
「大丈夫だ。カズヤは、いざという時にはきっちり腹を括れる男だ」
ガートルード卿にお褒めの言葉を頂いてしまい、和哉はちょっと照れた。
――まず俺らが会ってみて、のほうがいいのか? それとも、いきなりメリアーナ嬢を引き合わせて、窮状を訴えたほうが適切か?
馬車の揺れは、多少荒いものの、地球の電車の揺れに似ている。
考え迷っているうちに、和哉はいつの間にか寝てしまった。
******
「着いたぞ」というロバートの声で、和哉は目が覚めた。
窓から、恐るおそる外を見る。と、もう街の中だった。
ほっと安心して、和哉は停車した馬車から下りた。
陽はとっくに西に傾き、駅舎から見える通りには、ぽつり、ぽつり、と、宿屋や民家の窓から漏れるランタンの明かりが浮いている。
「ここはナルキッソから半日の、ウィルストーン伯領カールス」
横に降り立ったジンが、教えてくれた。
建物の様子も街並みも、さほどナルキッソと違いはない。あると言えば、ナルキッソに比して家並みがやや多いところだろう。
「この街の先に、ウィルストーン伯爵の別邸がある。馬車で大体2時間くらいの位置」
「そっか。としたら、ここで一泊して、明日早朝、伯爵邸に誰かが先行で挨拶に行くか?」
「通常はそうだわさね」ロバートの意見に、カタリナが同意する。
他の仲間も頷く中、和哉はふと考えた。
こちらがのんびりしていれば、伯爵は気を揉むだろう。
大賢者クラリスは、人嫌いの『変人』というが、居候させて貰っている伯爵の愛娘の容体悪化だ。急ぎとあれば絶対、治療しない訳が無い。
メリアーナ嬢のためにも、今夜中が得策ではないのか。
「……まだ夜半には、程遠いよな」
「あ? なに言ってんだカズヤ」ロバートが訝しそうに片眉を上げる。
「なるほど」ガートルード卿は、和哉の意図に気が付いたようだ。
「今宵のうちに先触れを立て、良ければ伯爵邸に行ってしまおうという算段か」
「うん。そのほうが、伯爵もご安心なさると思うし」
「で、誰を先触れに出すのだ?」
「俺と宣人とジンで行こうと思う」
ガートルード卿の問いに即答した和哉に、デュエルが「えっ!?」と頓狂な声を上げた。
「カズヤが街から出ると、わんさとモンスターが降って湧くんじゃねえのか?」
デュエルの懸念は、和哉も考えていたことだ。が、出た時は片付ければいいと、覚悟もしている。
和哉の現在のレベルから考えて、相当の強敵か、もしくは雑魚でも夥しい数でなければでなんとかなる、はずだ。
「カールスから伯爵の館までの間の森は、別邸の庭園の一部。だからモンスターが出る心配は、まず無い」
一抹の不安をジンが払拭してくれて、和哉はほっとする。
「神官戦士のジンが居れば、身分証明になって別邸へはすんなり入れてもらえる筈だ」
竜騎士のガートルード卿のほうが、本当はもっと相手の信用を取れるのだが、大賢者クラリスは恐らく、ガートルード卿の本性を見抜いているだろう。
アンデッド・ウォーリア―だというだけで、警戒されるのは困る。
その点はガートルード卿も得心しているらしく、自分が行く、とは言わずにいてくれいる。
それ以上誰も意見を言わないので、決定と見なし、和哉は駅舎で馬を3頭借りた。
「じゃ、行って来る」
アマノハバキリを背負い直すと、和哉は馬に乗った。宣人とジンも騎乗し、3人はカールスから森へと入った。
星明かりもまばらな森を進むために、ジンは神聖魔法でそれぞれの頭上に明かりを浮かべる。
走る馬にぴったりと付いて来る明りに照らされる森の中は、良く手入れされており、館までの道もきっちりと整備されていた。
ジンが言った通り、この森はウィルストーン伯爵の別邸の庭園だというのが、改めて分かる。
町と同じく結界内でモンスターは出ないと分かり、和哉は安心して馬を走らせた。
3分の2ほど走ったその時。
忽然と、目の前に巨大なモンスターが現れた。
驚いた馬が棒立ちになる。振り落とされまいと、和哉は手綱にしがみついた。
「どうして、ここにっ!?」宣人の驚愕の声が、森に響いた。
宣人の声に呼応するかのように、巨大な――ティラノサウルスによく似た姿のモンスターが吼えた。
木々の枝が揺れるほどの咆哮に、和哉は一瞬身が竦む。
こちらが怯んだとみたモンスターが、地響きを上げて突進して来た。
「藪へっ!!」和哉は叫ぶと、馬首を横に向ける。
ジンと宣人も、和哉に倣って馬に低木をジャンプさせた。
目標が消えた恐竜型モンスターは、巨体をすぐには止められず、かなり走ってから止まる。
その時。
「あっはっは!! 慌てて逃げたなネズミ共っ!! だが何時までも隠れてはおられぬぞ。このクラリスの目は、森中を見渡せるのだからなっ!!」
木々に木霊した男の声に、和哉は目を見張る。
「大賢者っ!?」
どうして、大賢者クラリスが自分達にモンスターをけしかけて来たのか?
訳が分からないままクラリス、と名乗った人物の声がどこから聞こえたのかと、和哉は暗い森に目を凝らす。
だが、それらしき人影を見付け出す前に、ティラノサウルス型モンスターが木々を薙ぎ倒して向かって来た。
「やばっ!!」
慌てて馬を走らせる和哉を、巨大モンスターが追って来る。
「カズヤっ!!」
ジンの呼ぶ声が聞こえた時。
天地が引っ繰り返った。
ずいぶん遅くなってしまい、申し訳ないですっ><
おまけに、話の大半が食べ物のことだったりして・・・(汗)
次はバトル、頑張りますっ!!




