62.声を無くした歌姫
目覚めると、枕カバーがびっしょり濡れていた。
夢だけでなく、本当に泣いてしまっていたようだ。
格好悪いなあ、と、内心で呟きながら、和哉は濡れた枕を手探りでひっくり返した。
窓から見えるのは、まだ陽の射さぬ闇。夜明け前か、と、和哉は肩を落とした。
と。
「どうした? 寝らんねえか?」隣のベッドのロバートが、声を掛けて来た。
「あ、ああ……、うん。起こして、悪い」宣人やコハルを気使い、小声で謝る。
「いんや。――俺も、ちょっと眠れなくってさ」
ごそっ、と、大男が起き上がる気配がした。
「やっぱ……、アルベルト卿が消えちまったってのは、ダメージがでかいわ」
「そうだな」和哉は、消沈して頷く。
「でも、ガートルード卿も言ってたけど、アルベルト卿は、本来ならこの時代に俺らと出合わないかも知れなかった人なんだ。だから、何時御使いの御元に行ってもおかしくなかった……。覚悟は、してたんだと思う」
すん、と、ロバートは鼻を鳴らす。
泣いてるのか? と、和哉は暗闇でロバートの声のする方を覗いた。
「確かになあ。俺達はアルベルト卿に出会えて幸運だった。色んな知恵を貸して貰えたしな。無論ガートルード卿もその積りなんだろうが、けどこれからは、俺達自身で考えて、聞いて、見て、行動しなけりゃだな」
宣人のベッドから、小さな声が漏れた。
みんな疲れている。
起こしては悪い、とロバートと言って、和哉も寝なおすべく、シーツに潜り込んだ。
******
翌日。
ガートルード卿も交えて(眠らないアンデッド・ウォーリア―は、どうやらあちこちの仲間から色々情報収集して来ていたらしい)和哉達は遅めの朝食を採っていた。
そこへ、メルティが、デレク会長の伝言を携えてやって来た。
「食事中にごめんなさい」
「あー、いや、いいけど」
相変わらず、ナリディアのサービスで朝ごはんはきっちりシャケの和食定食が出されていた和哉は、トレイの上の箸置きに箸を置き、済まなさそうに身を縮めるメルティに笑んだ。
手紙を広げると、脇からジンも覗き込んで来る。
「――え?」内容に、和哉は声を上げた。
伝言には、テフレフが効かなかった、と記されていた。
アルベルト卿を御使いの御元に還してまで採集した薬草が使いものにならなかった、という事実に、和哉は愕然とする。
「何と?」和哉のがっかりした表情に気付いたらしいガートルード卿が、心配気に訊いてきた。
「うん……。メルティ、デレク会長は、伝言の中身について、君に何か言った?」
「いいえ。ただ、カズヤには、読んだらなるべく急いで協会へ来て欲しいって」
「そっか……」
和哉は、伝言をガートルード卿に渡した。ガートルード卿は、一読すると銀の眉をきつく寄せ、ロバートに渡した。
ロバートは、コハルと宣人が見易いように腕を斜めにする。
「えっ? じゃあ……」内容に、コハルが驚いて口元を押さえた。
ジンが、すっ、と無言で立ち上がると、入口へと足早に向かった。
「あっ、ちょっ……」和哉が、ステンレスシルバーの髪を靡かせて外へと出て行く少女を呼び止める。
が、ジンは一顧だにせずに宿屋から出て行った。
ジンと入れ替わるように、黒いドレスの女が、かったるそうに2階から下りて来た。
「何かあったんかえ?」
最近はパーティから離れ、夜にこの宿屋で本業の占いをやっているカタリナは、いつもは昼近くにならなければ起きて来ない。
「おう。そっちこそ何で今日に限って早えんだよ?」ロバートが、少し驚いた顔で訊き返す。
「……夢見が、悪かったんだわさよ。アルベルト卿の話もあったからかもだけど、それだけじゃあなくって」
アルベルト卿の霧散については、コハルがカタリナに伝えていた。
ガートルード卿が、デレク会長の伝言をカタリナに見せる。
「カタリナは、薬草の調合はしないのか?」
占い師や魔法使いの大方は、薬草や毒草を使い薬の調合をする。
神官や巫女も薬草には詳しいが、毒薬となる草木の扱いはどの御使いに仕える者も教義で禁じられているため、患者の身体に多大な負担の掛かるような、強力な薬は作れない。
カタリナは、「大概のものはやれるけどねえ。――これはちょっと、あたしの手には負えないかもだわ」
「俺も、どうしていいか分からない」和哉は率直に言った。
「デレク会長は来てくれって言ってるけど……。正直、俺なんかが行って、何が出来るんだか」
「けど、会長には何か考えがあるのじゃないかえ?」
カタリナの、薄紫の瞳が、まるで魅了の術を掛けるように細められ、和哉を見詰める。
和哉は、ほとんど自動的に「そうだな」と言っていた。
「どうなるかわかんないけど、取り敢えず行こう」
和哉の一言に皆は頷き、早々に食事を切り上げて宿を出た。
午前中の冒険者協会は、相変わらず混雑していた。
掲示板に貼り出されている依頼を、腕っ節の強そうな傭兵や冒険者が喰い入るように見詰めている光景は、かなりな威圧感がある。
むさ苦しい猛者の間を通り抜け、和哉達は真っ直ぐにデレク会長の執務室へ入った。
「お休みのところ、申し訳ない」デレク会長は、扉の前でわざわざ和哉達を出迎えてくれた。
恐縮しつつ、和哉は会長に促されたソファへ腰掛ける。
「伝言、読みました」
和哉の隣に座ったコハルが、受け取っていた羊皮紙を卓の上へ置いた。
「けれど、俺達ではメリアーナ嬢の病を治すことなんて、出来ません」
「それは分かっています。――実は、私に1人だけ、病を治せるかもしれない魔術師の心当たりがあるのです。その人物とは20年くらい前に別れたきり、消息が知れませんでした。
しかし最近、王都セント=メナレス近郊の貴族の館に厄介になっているという噂を聞きまして」
「その魔術師は、もしかして、かつての会長のお仲間ですか?」
デレク会長は頷くと、「南レリーアの古代遺跡やダルトレット王国の地下迷宮、元シールド国の魔術の塔など、あらゆる冒険を共にした仲間でした。10年ほど一緒に旅をして、仲間の一人が帰らずの砂漠でアリジゴクに殺されてから、皆サーベイヤに戻ってパーティを解散しました。
私を入れて5人の仲間のうち、サーベイヤで暮らしているのは4人。――肝心の魔術師クラリスは、サーベイヤには居らず、長い間音信不通だったのです」
「それが、最近王都の近くにいらっしゃる……。その貴族の方が誰かは、もう分かってるんですね?」
デレク会長が頷く。
「偶然と言うのは、時には幸運でもあります。クラリスが滞在しているのは、メリアーナ嬢の父上、エイブラハム・ウィルストーン伯爵の別邸なのです」
軽い驚きと共に、和哉は、「じゃあ、あとはクラリスさんを連れて来れば、メリアーナ嬢の声も治るんだ」と呟いた。
「そうなのですが……。クラリスは変人というか、天の邪鬼というか。南レリーアまで来てくれとまともに頼んでも、はい分かりました、という素直な性格の男じゃあないのです。
賢者と呼ぶに相応しい知識と、桁外れの魔力を有していながら、すこぶる気紛れで、嫌だとなったら拝み倒しても人の話なんぞ訊こうとしない」
「そりゃまた……、厄介な御人で」本気で困った、という顔で相槌を入れる。
デレク会長は「いやはや、本当に」と、ほんの僅か苦笑いを浮かべ、すぐに真顔に戻した。
「しかし、呑気にクラリスの気ままに付き合ってもいられない。メリアーナ嬢の薬師の話では、喉の腫れものが熱を持ち始めているというのです。クラリスを説得してここまで引っ張って来るまで保つかどうか……。そのような状態なので、申し訳ないが和哉くんのパーティが、その貴族の館までメリアーナ嬢を連れ行ってはくれないでしょうか?」
「は? お、俺らが、ですか?」
「無論、それ相応の対価は支払わせて頂くが」と、デレク会長は真摯な目線で和哉を見た。
最初の村に転生して、紆余曲折を経て漸く南レリーアまで。
この先も、どこかの誰かのサービスで、飛んでもないモンスターとは出くわすだろう。
チート技 《たべる》と《エンカウント100%》を引っ提げた和哉が、果たして近郊とはいえ王都に近付いていいものか?
もし、その貴族か、あるいは別な王侯貴族が和哉の能力を知ってしまった場合、都合の悪い事になりはしないか?
複雑な心境が顔に出たのか、ガートルード卿が「嫌ならば、カズヤはその貴族の館のある街の、もう少し手前の街で待機して居ればよい」と言ってくれた。
ロバートも同意する。
「うーん、まあ、特殊技を考えたら、それもアリだよなあ。ナニが振って来るか分からねえもんな――あ、ノブトもか」
いえ、と宣人は首を振った。
「僕は《たべる》だけですから。それに、今までジャララバに捕まっていたので、僕は知られていないと思いますし」
「それを言うなら、俺だって王侯貴族の知り合いなんて……」
居た、のを思い出して、和哉は口を噤んだ。
だが、グレイレッド殿下が、簡単に和哉のことを第3者に漏らすのは考えにくい。
「そう言えば、ジン嬢が居られませんな」デレク会長が、和哉達を見渡した。
「ああ――。伝言を読んだ途端、何処かへぶっ飛んで行っちまったんだけど……」
「教会、ですかね?」コハルが和哉を見る。
「教会に行ったって、無駄だわさ」それまで黙っていたカタリナが、煙草をくゆらせながらふん、と鼻を上へ向けた。
「ジンのことだから、全然別なことを考えてるんだわよさ」
それはあり得る、と、和哉も納得する。
もしかしたら、フィディアを通してナリディアから何か命令が来たのかもしれない。
だとすれば、待つしかない。
「ともかく」と、デレク会長が話を戻した。
「メリアーナ嬢をクラリスの元へ連れて行って下さるのなら、早急に南レリーアと、王都のウィルストーン伯爵家へ連絡を入れますが」
「……どうする? カズヤ」ガートルード卿は、自分はあくまでオブザーバーとして振舞うつもりらしい。
決断を委ねられた和哉は、もう一度、頭の中でアルベルト卿の最後の言葉を思い返した。
『あとは堂々と、皆のリーダーとして……』
あのアルベルト卿に見込まれたのだ、自分の責任において、まずはデレク会長への義理を果たさなければ。
「お引き受け、します」
日本式にぺこり、と頭を下げた和哉に、ロバートは「やっぱりな」と後ろ頭を掻いた。
ガートルード卿は銀の髪を揺らして頷き、コハルと宣人はにっこりと笑った。
ただ一人。
「まあた、厄介事を引き受けてくれたんだわさ」と、カタリナが渋い顔をした。
******
和哉達は冒険者協会を出ると、デュエルの案内でウィルストーン伯爵邸へと向かった。
例の、ドラゴンの噴水の広場の西の門を通り抜ける。
いかにも冒険者然とした和哉達が通りを闊歩していても各家の門兵達に不思議がられないのは、南レリーアの貴族達が別邸警護に頻繁に傭兵を雇う習慣があるからだ、と、デュエルがこそっと和哉に教えてくれた。
奥へ行くほど順々に大きくなる屋敷の、ひと際前庭に花の樹木が多い門の前で、デュエルが足を止めた。
「ここがウィルストーン伯爵の別邸だぜ」
その屋敷は、ジンの父であるグレイレッド殿下の別邸よりは、かなり西の門寄りだった。
デュエルは門番の衛兵に身分と要件を簡潔に告げる。衛兵はあらかじめ知っていたらしく、すぐに和哉達を中へと入れてくれた。
よく手入れされた花々や草木の生い茂る玄関前のアプローチを通り、両開きの正面玄関の扉を潜る。
赤と白のタイルの幾何学模様が美しいエントランスで待っていたのは、ジンだった。
「何だっ、先に来てたのか?」
和哉の問いに、ジンは「お呼びがあって」と短く答える。
やっぱり、ナリディアからの指令が来てたのか、と納得する。
ジンの隣に立っていたウィルストーン伯家の執事が、「メリアーナ様のお部屋へご案内致します」と、歩き出した。
二階東側の白い扉の部屋が、サーベイヤ随一と称される歌姫の部屋だった。
執事が、メリアーナ付きの侍女に来客を伝えると、侍女はゆっくりと扉を大きく開けた。
接客用の居間を抜けると、寝室があり、薄いレースの天蓋が掛けられたベッドに、令嬢メリアーナは横たわっていた。
レースが閉まっているので姿ははっきりしないが、ベッドの大きさから、メリアーナはわりと小柄な人物かな、と、和哉は推測した。
ジンが侍女より先に行き、天蓋を潜ってメリアーナの耳元で何かを話す。
横たわっていたメリアーナがゆるゆると起き上がり、それに合わせて、侍女達がレースを左右に広げた。
和哉は、メリアーナの姿に、少なからず衝撃を覚えた。
想像していたより、メリアーナはずっと若かった。サーベイヤ1の歌姫というので、和哉は勝手に、日本で見たことのあるオペラ歌手などを考えていた。
大体三十代か四十代の中年女性かと想像していたのだが、眼前のメリアーナは、どう見ても十代後半か、行っていても二十代前半である。
赤金の髪を肩から背に長く垂らし、病人であるので顔色は良くないが、健康ならば、ジンやコハルにも勝るとも劣らぬ愛らしく整った顔立ちは、さぞ人目を引くだろう。
喉が腫れている、と聞いたが、寝間着のレースの襟に隠れ、その辺りは一目では分からない。
ぼーっとメリアーナを見詰めてしまっていた和哉に、ジンが抑揚の無い声で言った。
「メリアーナ、あの間抜けな顔をしているのが、先程言っていたカズヤ。その後ろの大きな男がロバート、銀髪美女が竜騎士ガートルード卿、黒髪の女の子がコハル、その隣の青年がノブト。そして、黒いドレスの独特な美人がカタリナ」
ジンの説明に、メリアーナは納得した、という顔で頭を下げた。
「かなり頼りなげに見えるけれど、あれでもカズヤは竜騎士の資格も持っている」
「かなり頼りなげって……。そりゃ確かに、アルベルト卿よりは頼りないけど」
あまりな紹介に少々ぶすくれた和哉に、ジンはブラスの目を細めた。
「メリアーナは、私とイディア姫の幼馴染。歳はメリアーナが1つ上だけれど」
それでジンは先にウィルストーン伯爵家へ飛んで来ていたのか。
と、したら、ナリディアからの伝言ではなく、自分の意思で幼馴染の見舞いに来ただけなのか?
ならば和哉達がメリアーナ嬢をウィルストーン伯の別邸に滞在している魔術師クラリスの元まで送り届ける仕事をデレク会長から受けた話は、ジンはまだ知らないはずだ。
「あのさ――」伝えようとした和哉の言葉を遮って、ジンが言った。
「御覧の通り、メリアーナの体調はすこぶる悪い。だから、馬車の旅は相当用心しながら進みたいと思うのだけれど?」
やっぱりナリディアからの指令ありだったか、と思いつつ、和哉は「了解」とジンに返した。
大変お待たせ致しました。
年またぎでバタついて、中々手に付かなかったのですが、やっと次話が上がりました~
また少しナメクジ進行になりますが、どうか、どうか大目にみてやって下さい。




