59.湿地のバトル
翌日の早朝。
宿屋と交渉して、夜に占いの仕事を酒場の隅でやらせて貰うようになったカタリナを残し、和哉達は馬車に乗った。
「ジャイアントニッパーは、普通単独で現れるモンスターだ」
馬車の中で、アルベルト卿がこれから行く先で遭遇するであろう難敵についての説明を始めた。
「沢に居る蟹が化けたものと思えばよいか。体長は、小さいもので二メートル、大きいと六メートル近くにもなる。脚は左右五本ずつ。一番前の第一歩脚が巨大な鋏状になっている。鋏の内側はのこぎり状になっており、これに挟まれ振り回されると、人間の腕や足などは簡単に切断される。
大きな沼や泥土地帯を棲家としており、肉食で、獲物が近付いて来るといきなり巣穴から飛び出して襲って来る場合もある」
「かなり、危険なヤツっすね……」
要は蟹の巨大判なのだろうが、巣穴から飛び出して来る、という辺り、大きくても素早い動きが得意なのだろう。
「うむ。従って、湿地に入ったら、まずはジャイアントニッパーの巣穴の有無を確認し、次に、その周辺に薬草が群生しているかどうかを確認せねばならん」
「目的の薬草を採る前に、邪魔モノを片付けようって作戦か」御者台のロバートが頷く。
だが、ジンはアルベルト卿の計画に、一部反対した。
「ジャイアントニッパーの巣穴位置確認はいいけど、なるべくなら巣穴の風下の薬草の群生地を探して、モンスターを刺激しないほうが、こちらも痛手は少ないのでは?」
「私もそう思います」とコハル。「忍者の仕事は、敵に見つからないように目的を果たすことです。なんなら、私が一人で薬草採りに入り、皆さまにはジャイアントニッパーの巣穴を見張って頂くのでも、構いませんが」
「……ふうむ」アルベルト卿は、腕組みして目を閉じる。
「ジャイアントニッパーは多少、においも使用するが、巣穴で獲物の動く振動を感知して飛び出して来るのだ。どちらにしても戦闘になる」
ジンが、珍しく黄銅の瞳を大きく見開いた。
「初めて聞いた。」
「ジャイアントニッパーは、そこここに居るモンスターではないからな。湿地か、適度の深さの沼、という条件が揃わねば棲み付かぬ」
「ってか、御使い様のご宣託も、完璧って訳じゃあないんだ?」訊いた和哉に、ジンは、平素の無表情に戻って頷いた。
「お一人が、この世界の隅から隅まで、全てを把握なさっている訳ではない。――そのために、他の御使い様もいらっしゃる」
「なあるほど」とロバート。
ナリディアは、この異世界の全データの集積を掌握していると、和哉は思っていた。
しかし実際は、どうやら日天使フィディアや星天使リリディア達が細かな場所や、もの(パーツ)の集積管理をしていて、主席システムエンジニアのナリディアは、大枠の管理担当のようだ。
緊急時には、必要に応じてフィディアやリリディアのデータをその都度呼び出していたと思われる。
しかし、現在ナリディアは謹慎中、というかアクセス禁止中だ。ジンがジャイアントニッパーの情報を知らなかったのは、ナリディアへのダイレクトアクセスが出来ないためだろう。
ロバートも、様子から察して、ナリディアから『謹慎処分』の話は聞かされているらしい。
ナリディアからジンへ、様々な詳細データの送受信が出来ないのは、かなり痛い。
それでも幸いなことに、アルベルト卿は生前(?)各地に遠征に行き、様々なモンスターに遭遇しているらしい。卿の知識が、この先かなり役に立つ。
――少なくとも、ナリディアの謹慎が解けるまで、アルベルト卿には御元に行って欲しくないね。
「ところで」と、そのアルベルト卿が和哉に話し掛けて来た。
「採りに行く薬草はテフレフだったな? しかも、5キログラムも」
「は? ああ、うん。そう書いてあった」
和哉は革鎧の中に挟んでいた、小さく畳んだ羊皮紙を取り出す。
これ、と、再確認するように、アルベルト卿に見せた。アルベルト卿は紙を手に取り、「やはり」と、一人で納得する。
「テフレフは、通常痛み止めに使う薬草だ。だが、一度に使う量は、苦み取りのカンテシスと一緒に煎じても、500グラム程度だ。しかも、テフレフは乾燥してしまうと痛み止めの効力が落ちる。とすれば、一度に5キログラムも使用するというのは、ただ痛みを止めるためでは無いな」
「じゃ、なに?」
和哉は、興味津々で身を乗り出す。が、アルベルト卿は、「分からぬ」と、口をへの字に曲げた。
「……テフレフ5キログラムを煎じて、そこに腫れ止めの薬草カラスを少量加えると、悪性のできものが治せる」ジンが、機械が喋っているような単調な調子で言った。
カラス、という言葉からは、和哉は例の、よくゴミ箱を漁っていた黒い鳥しか思い浮かばない。
「思い出しましたっ」急にコハルが声を上げた。
「オオミジマではクルマグサと呼ばれる薬草があります。カラスと同じかどうかは分かりませんが、この草を、オオクキグサという痛み止めの薬草3キログラムと一緒に煎じて飲むと、腫れものが治ります。私のじじ様も腫れものが出来た時に、クルマグサとオオクキグサで治していました」
「腫れものか――この件の依頼者は」アルベルト卿は、羊皮紙をくまなく見る。
「書いておらぬな。採取の後、冒険者協会へ品物を納付のこと、か……。これはもしかすると、王侯貴族や著名な人物からの依頼であるのかも知れぬな」
「病気がバレたら不味い人って意味で?」和哉の問いに、「そうだな」とアルベルト卿は頷く。
「依頼人の正体、気にはなる。が、優先すべきは、引き受けた仕事、テフレフ5キログラムを採集することだ」
******
レス湖が遠目に見える、テフレフの自生地する沼地の手前に到着したのは、丁度昼頃だった。
ガラガラ、という轍の音が、湿った土壌に入った途端、低くなる。
先刻のアルベルト卿の話を考慮したのだろう、ロバートはぎりぎり手前の林で馬車を止めた。
「どうする? 昼食摂ってから仕事に掛かるか?」御者台を降り、大木の枝にのんびりと馬を繋ぎながら、ロバートが訊いた。
「多分、食事をしている暇は無いかも知れぬぞ」ロングソードを抜きながら、アルベルト卿が馬車から下りて来る。
「へ?」素っ頓狂な声を上げたロバートに、「馬は繋ぐな」と指示する。
和哉も、不意に妙な気配を感じて馬車から飛び降りた。
その刹那。
ザザアッ、という、水と草を分ける大きな音がした。
「もう出たのかよっ!?」ロバートは慌てて馬の綱を解く。
残りの仲間もすぐに馬車から飛び降りる。
アルベルト卿が、馬車を消す。と同時に、湿地の草叢からハイドラの大きな頭が出て来た。
「ジャイアントニッパーだけじゃないんだっ!?」和哉は叫んだ。
「沼地だから。しかも、前に出合ったのより、大きい」ジンが、冷静に観察結果を述べる。
「レベル6800」
「っしゃーっ!! シャレになんねえぜっ」ロバートが吼える。
「頭、いくつですか?」宣人がアルベルト卿に尋ねた。
「えっ!? こいつらそれぞれ頭の数がちがうん!?」南レリーアに入る前に遭遇したヤツは、頭が7つだった。
意外な事実を聞いて、和哉は慌てる。
「最高は20というのも居ると聞いたことがあります」と説明しつつ、コハルも至極冷静に剣を抜いた。
「面倒くせえのが先に出て来ちまったぜっ」ロバートは背負った大剣を抜きつつ、ぼやいた。
ハイドラが大きな鎌首を上げる。緑と銀が混ざったような鱗を陽光にきらめかせ、赤い縦虹彩の目で和哉達を睨付けて来る。
「全部で10だな」一度姿を消し、モンスターの側まで寄ったアルベルト卿が、戻って来て告げた。
「どなたか、火の魔法を使われますか?」宣人が、矢を番えながら訊いて来た。
「火は吐けるけど」和哉は素直に申告した。
「先にファイヤーアローで、それぞれの頭の目を焼きます。その後は、頭を落として首を焼いて下さい」
言うが早いか。
宣人は次々と矢を放った。飛んで行く矢は途中で火が付き、確実にハイドラの目を射抜く。
目が焼かれる度に怒りの雄叫びを上げ、暴れ回るモンスターを避けながら、アルベルト卿が頭を落としに掛かった。
ハイドラは、頭が落とされるとすぐにそこから次の頭が再生して来る。その前に首の部分を焼かねばならない。
和哉は、アルベルト卿が斬った後に火トカゲの火を吐いて焼いた。
その間にも、宣人は驚異的な弓の腕前でハイドラの目を潰していく。
アルベルト卿に続き、ロバート、ジンとコハルも頭を落としに掛かった。
「……1人だけじゃ無理だなこりゃ」首焼担当の和哉は、いっぺんに4つの頭が落とされたのを見て、急いで召還獣を呼び出した。
「出でよっ!! アンデッド・ルムブルドラゴンっ!!」
小さな赤いつむじ風が和哉の頭上で起こる。つむじ風は瞬時に半透明の緋色の竜に変わる。
「ハイドラの首を焼け」和哉が命じると、アンデッド・ドラゴンは矢継ぎ早に強烈な炎のブレスを吐き、切り落とされたハイドラの首を焼いた。
残った尾を、和哉はアマノハバキリを抜き素早く斬り落とす。
胴に近い部分から斬り、すぐに火を吐いて斬り口を焼いた。
動かなくなったハイドラを眺めて、「案外すんなり倒せたなあ」とロバートがほっとした調子で言った。
「ノブトのファイヤーアローが利いたな」アルベルト卿が、我が子の手柄のように満面の笑みを浮かべる。
「先に殆どの目を焼き潰されたので、ハイドラは狙いを定めて毒を吐くことが出来なかったのだ」
「100発100中だったもんな」和哉も、宣人の腕前に感心した。
「たまたま、です……」頬を赤くして照れる宣人に、コハルが、「でも凄いですっ」と尊敬の眼差しを向けた。
「私もショートボウの稽古はしましたが、ノブトさまほど正確には当てられませんっ」
「って言ってる間に、ジンちゃんが何かしてるぜ?」
ロバートの台詞に、和哉は倒したハイドラを振り返った。
確かにジンが、胴体を観察している。
アンデッド・ルムブルドラゴンを仕舞った和哉は、熱心にモンスターの死体を調べている美少女の所へ寄る。
「何かあった?」
縁が銀色で内側が緑という、少々変わった色の鱗を撫でていたジンは、突如1枚をベリッ、と剥がした。
すると。
「剣……、だよな、これ」
柄の部分に精緻な文様が刻まれた、美しいショートソードが刺さっていた。
和哉は、柄に手を掛け、剣を抜く。途端、そこから赤黒いモンスターの血が溢れ出て来た。
「わっ、と」被る前に、和哉とジンは素早く避ける。
「どうした?」ロバートとコハル、宣人が寄って来た。
「すげーな、これ?」和哉がハイドラの胴体から引き抜た剣に、ロバートは目を丸くした。
「こんなもんが刺さっていたのか、あいつ」
「多分、先に依頼された者の忘れもの、もしくは形見だろう」と、いつの間にか来ていたアルベルト卿。
「前みたいにカズヤが石化しちまわなくて良かったな」
ロバートの揶揄で、和哉は自分の能力を思い出した。
「……そうだったっ、そっちのほうが、早かったよなー」
「んだよ、忘れてたのか? 呆れたな」ロバートが、くしゃっ、と和哉の頭を撫でた。
「だが、今回はノブトの能力とカズヤの能力の相性も見たかったので、これでよかったのだ」と、アルベルト卿。
「で? どうだと思うんだ? 卿は」
ロバートの問いに、アルベルト卿はにっ、と笑い、「良い組み合わせだ」と言った。
「ノブトは後方支援型、カズヤは前衛も後衛もこなせるが、とちらかと言えば、ロバートと同じく前衛だ。ジン嬢も後方支援型で、それに加えて変則攻撃型のコハル嬢と私とで、このパーティはかなりな強敵も倒せよう」
アルベルト卿の結論に、和哉達も納得する。
「けど、石化も出来るんで……、だね?」宣人が、つっかえながらも親しげに質問して来るのに、和哉は「まあね」と笑顔で返した。
「ヘンなモンスターばっか、《たべ》させられたからな」
「よく言うぜ。ジンちゃんのドS根性が無かったら、カズヤは強力な特殊技や召還獣は使えなかっただろーがっ」
『ドS』と言われて、ジンは少々むっとしたらしい。顔はいつもと変わらないが明らかに不機嫌な声音で、「私はドSじゃない」と、ロバートに反論した。
「御使い様の指令があって、カズヤに《たべ》させただけ」
「そおっかあ? 神官戦士としちゃあそれもあるだろうけど、半分くらいはカズヤが「嫌だっ!!」って騒ぐのを、楽しそうに無理矢理喰わしてた気が――」
ロバートがジンをからかっている途中で。
どんっ、という、大砲が火を噴いたような音が、響いた。
足元から全身を揺るがすような振動に、和哉達は一瞬動きを止めた。
と、眩しい程の陽光が突然、大きな何かによって遮られ、みんなの顔に影が被さるのを和哉は見た。
「ジャイアントニッパーだっ!!」叫んだアルベルト卿が、渾身の力で和哉達を突き飛ばす。
一番体格のいいロバートに圧される形で倒れた和哉達は、湿り気のある地面の上を勢いよくころころと転がって、ハイドラの死体の側を離れる。
3、4回転したところで、和哉は急いで起き上がった。
和哉の目に入ったものは。
石巨人の槌よりも巨大な、赤い楕円形の物体に叩き潰されてぺしゃんこになった、ハイドラの死体だった。
「アルベルト卿っ!!」
和哉は叫び、目を凝らす。
しかし、今までそこに居た筈の、和哉達を突き飛ばし助けた古の正騎士の姿は、どこにも無かった。
這いずっております・・・
キャラも作者も(汗)




