57.ナナセル異界
夜を徹して馬車を走らせ、和哉達は翌日の夜も更けた時刻に、南レリーアへ戻って来た。
当然閉まっている門を開けるに当たり、門番と交渉していると面倒臭いからと、アルベルト卿が分厚い門を擦り抜けて中へと入り、内側の閂を開けてしまった。
敵讐かと飛び出して来た門兵には、気の毒だが、和哉が弱い麻痺を掛けた。
「ごめんな。めっちゃくっちゃ急ぎなんで」
弱いといっても、歩くことは敵わない程度の毒を仕込んで、和哉は片手を仏教式の拝みの形にして謝った。
ジンが、「南レリーア大神殿に馬車を向けて」とデュエルに頼んだ。
「どうする積りだ?」訝しむリースに、ジンは、「御使い様の御手に委ねる。それしか、モチヅキ・ノブト殿を助ける方法がない」
「そんなに酷い状態なんか?」御者席で馬を器用に操りながら、デュエルが振り返った。
「そうさな」答えたのは、アルベルト卿だった。
「このままでは、《たべ》たジャララバに、逆に真我を食べられてしまう恐れもある。――ああ、カズヤには全くそんな心配はないが」
「カズヤは、何たって、《たべ》たヤツに支配なんかされるような、ヤワなタマじゃねえよ」
「な?」とロバートが、親指を立てて来る。
褒められているのだろうが、訊き様によっては、自分は鈍感でがさつだから大丈夫、と言われている気もする。
曖昧に頷く和哉に、ジンが、「それだけカズヤは召還士としての素質が強いから」と言ってくれた。
好きな娘に褒められて、良くなった気分を、また別なヤツが潰してくれる。
「頑丈で大食漢で鈍感、ってことか。でなきゃ、あんな気色悪いもの《たべ》て平気でいられないな」
「おいおい~~、言い過ぎだぜルース。俺もそこまでは言ってねえって」
「……もういいよっ」助けてくれたロバートには悪いと思いつつ、和哉はぶすくれてやった。
「どーせ俺は何たって、何ともない程鈍感だよっ。悪かったな」
「カズヤさま……」心配したコハルが何か言い掛けた時。
「ほいよ、ジン。大神殿だぜ」デュエルが馬車を止めた。
ジンが、珍しく転がるように飛び出していく。
その後を、アルベルト卿に指示されたロバートが、モチヅキ・ノブトを担いで従った。
「あたしらはどうする?」尋ねたルースに、アルベルト卿は、「ひとまず宿に戻って居ようか」と答えた。
夜中だが、冒険者協会の副会長の息子の肩書を利用して、デュエルは馬車を駅舎へと押し込みに行く。
大神殿から『巨人の槌亭』は、そんなに離れてはいない。
歩き出してから、和哉はやはり気になって大神殿を振り返った。
「俺、も、神殿に行ってようかな」
「無駄だわさよ」カタリナがあくびを押し殺しながら止めた。
「あの人をどうにか出来るのが御使い様だけっていうんなら、あんたが一緒に居たって邪魔なだけだろ」ルースもにべもなく言い放つ。
「気持は分かる」と、アルベルト卿。
「だが、2人の淑女の言う通りだ。今はジン嬢に任せて、我らは戦闘の疲れを取ったほうがよい」
「うん……」和哉は、仲間達の意見を聞き入れ、宿へと踵を返した。
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さすがにみんな疲れていたのだろう、アルベルト卿を除いて、湯浴みをして宿の温かい食事を口にした後、ろくに会話もせずにそれぞれのベッドへ潜り込んでしまった。
特に和哉は、ジャララバという大変な代物を、半分とは言え《たべ》たせいか、いつもより身体が重く感じられて、あっという間に眠りに引き込まれた。
寝入ってすぐに、ナリディアの次元空間が現れた。
「ご無沙汰しておりますう」
相変わらずの銀の妖精ファッションに、和哉は、これはもう、ただ単にナリディアが好きでやってるだけだな、と呆れる。
「まっ、酷いっ。和哉さまがお好きかと思って、このファッションにしておりますのに」クルクル巻き毛に、ピラピラのレースがごってり付いたリボンを結び、頭の上にはキラキラのお星様のデザインもハデハデしてカチューシャをした、年齢不詳の疑似生命体ホログラフが、髪の先をいじっていじける。
「……別に。俺、女の子の服って、イマイチわっかんねーし」
和哉が本音を言うと、ナリディアがにぱぁ、と笑った。
「その辺りは、十分承知しておりますう」
ってことは、やっぱり確信犯か。
まあ、そんなことはいいや。
「それよりさ。今回、なんとかモチヅキ・ノブトくんを救出できたけど……。大丈夫なん? あの人」
「そのことですっ」と、ナリディアはお仕事モードに入る。
「期せずして、と、申し上げては失礼ですが、ジャララバの件、和哉さまが半分引き受けて下さって、本当に助かりました。ありがとうこざいます。
私達が極力この世界に関与できないというのは、もう何度も申し上げている禁止事項ですけれど、今回ばかりは、さすがにジャララバの、高エネルギー値をあのままモチヅキ・ノブトさまに全部移行するのは不可能、というか、危険なので、私達が直接降りて消去しようか、と上司と話し合っていたところなのです。
ですが、和哉さまが半分、ジャララバのエネルギー吸収を引き受けて下さいましたので、モチヅキ・ノブトさまの危機も一応回避出来ました」
改めて、お礼申し上げますぅ、と、深々と頭を下げる腰の低い宇宙空間管理システムエンジニアに、和哉は「はあ、それはどうも」と、半分照れた。
そこで和哉ははた、とナリディアの言葉の意味に気が付いた。
「待って。ジャララバって、人だよね? 高エネルギー値って? もしかして、最初の肉体を無くした時から、既に意思だけのエネルギー体になってたって話?」
ありゃりゃ、という表情で、ナリディアが両手の指を広げたまま、口に当てる。
「参りましたねえ。……さすが和哉さま、お気付きになられるのが早いです。如何にも、その通りです。ジャララバは、本来の肉体を無くした時に、憑依精神体となるよう、自分に魔法を掛けていたのです。その条件が、生まれたての亜人の赤ん坊で、親に育児を放棄された者」
「……むっかつく」何処まで身勝手で横暴な奴なんだ。
とっとと自分とモチヅキ・ノブトが《たべ》てしまって、良かった。
いや、やっぱりアマノハバキリで散らした方がよかったか?
「で? ヤツが言ってた故郷ってのは、まだあるの?」
ナナセル異界と言ったか。
ジャララバは、彼らの英雄ディビルに倣い、真竜のエネルギーを《たべ》た者に、自分達の故郷への帰還の道を開かせようとしていた。
だが。
「ナナセル異界は、地球時間で2000年前に消滅しているのです」
ナリディアの説明によると、ジャララバの故郷は2000年前、理由は不明だが宇宙内部の魔力物質が急激に減少。物質の転換が起こったものの、あちこちの星で吸収分解が進み、終いには宇宙全体を満たしている基飽和物質(ブラックマターとか、ダークマターと、地球では呼ばれていた)が、魔力物質に転換し、ナナセル異界は分解してしまった。
「とても珍しい事例でしたので、私達も驚いていたのですが……。異界分解の時に、何とか持ちこたえた人々を宇宙空間管理システムエンジニア一同総力を挙げてお救いしたのです。しかし、お助け出来たのは、実はジャララバ1人だったのです」
「じゃあ、他の人達は……?」和哉は、分かっている問いをした。ナリディアは予想した通り、下を向いて首を振った。
「真我を拾い集めようにも、殆ど霧散されていたり、大半が残っていても、大切な人としての機能部分が失われていたり。――ジャララバのせいにはしたくないのですが、今回の一件で、ナナセル異界の人々の真我の欠けと異界分解は、彼の者が深く拘わっていたのではと」
「あるいは、ジャララバじゃあなくって、ヤツが先祖だって言ってるディビルか」
「その線もあります」と、至極真面目な顔のナリディア。
「調べたところ、ディビルという人物は、本当に真竜を《たべ》たらしいのです。しかも、故郷ナナセル異界ではなく、別の異世界宇宙で」
「じゃあ、本当に真竜の魔力を使って、ナナセル異界に帰還した?」
「詳細は、分かりません」残念ですが、と、宇宙空間管理システムエンジニアが言った。
「宇宙空間管理システムエンジニア(わたしたち)が把握出来ない事象はほとんどこの界には無いのですが……。どうしてそういったイレギュラーが起こったのか、実はずっと調査していたのです」
和哉は、夢の中でふん、と鼻を鳴らして腕組みした。
「俺みたいな小僧が言ったら怒られっかもしれないけど。例えば、ナリディア達が俺らの居る宇宙で実験みたいなことをしてるんであっても、100パーコントロールって出来ないんじゃね? どんな人工物にだってエラーはあるし、まして、自然が相手だったら、人間分かってることなんて数パーセントだったもん」
「和哉さまのおっしゃる通りです」ナリディアは、これまで見たことの無い、涼しげな笑みを見せた。
「私達は、たまたま『ゆらぎ』を観察出来る位置にいる生物に過ぎません。正確に言えば、宇宙空間管理システムエンジニア(わたしたち)は生物でもありませんが。
でも、自然である『ゆらぎ』がどうして、どのように多宇宙――異世界を生み出して、その中に和哉さま方のような高次生命体を育むのかを、見守っている存在です。もちろん、異界の外に存在している都合上、少しでも関与した場合、和哉さま方には『神の技』のように思われるやもしれません。
それでも、宇宙空間管理システムエンジニアは、『神』ではありません。それが証拠に、ほぼ全ての異界に発生して魔力を大量に集積し、異界の理を無視して『ゆらぎ』の上さえも行き来する真竜については、未だに何も分かっていません。真竜の存在意義が判れば、かなりコントロール率も上がるのでしょうが」
「『ゆらぎ』の上も、行き来する?」
「はい」と、ナリディアは頷く。
和哉は、唸ってしまった。
1つの宇宙の外へ出る=他の宇宙へ渡る、というだけでも、大変なエネルギーが要るのは、今回のジャララバの件でよく分かった。
それが。
真竜は、少なくとも多くの個体が、『ゆらぎ』さえも無視して異世界を渡り歩いているというのだ。
「もしかして……、真竜が『ゆらぎ』を通るから、多宇宙が発生してたりして」
ぽつりと零した和哉の思い付きに、ナリディアは「そうなんですっ」と、力強く頷いた。
「私も、もしやと思って上司にそのことを報告しました。でも、もう少し長く観察しないと分からないと言われて。そんなすったもんだのなかでの、今回の騒ぎなのです」
「もしかして……、もンのすごーく、怒られた?」半分冗談で訊いた和哉に、ナリディアは半笑いで返した。
「はい。特に、モチヅキ・ノブトさまの失踪について、上司に内緒にしてましたので。三ヶ月間の起動停止です」
「そうなんだ。――って、ええっ!?」
和哉は仰天して、銀色ゴスロリスタイルの宇宙空間管理システムエンジニアを見た。
「さっ、三ヶ月って……、こっちの時間の、だよね?」
「いえ、時間軸が中と外では違いますので、和哉さまの方では一年とちょっと、になるかと」ナリディアは当たり前のように説明する。
「簡単に言うなよっ!! その間、ジンはどーすんだよっ!? ジンは、ナリディアの命令で動いてるんだろ!?」
和哉は、顔どころか身体中が熱くなるのも構わず叫んだ。
と。ナリディアは人の悪そうな笑みを作った。
「だぁいじょうぶ、でございますよお。こういった非常事態のために、ジンには私の言葉を直接ではなく、間接的に聞き取るシステムも搭載してありますから」
「……本当に?」疑わしい。
人が好いから、と言えなくもないが、基本的に宇宙空間管理システムエンジニアという疑似人格に相当問題もありそうなナリディアである。
早い話が、おっちょこちょい。
だが、ジンの生みの親であるのには違いなく、ここは信用するしかなかった。
なかったが。
「もし、ジンが誤作動するような事態になったら、悪いけど俺、アマノハバキリをけしかけるからなっ」
和哉の本気の脅しに、ナリディアは大真面目な顔になり、膝を折った。
「分かりました。その時は、月天使ナリディア、じたばたすることなく和哉さまのお怒りを受けたく存じます」
「――けど」と、和哉は、話をジャララバに戻した。
「自分の故郷がもう無いって分かってて、どうして帰ろうなんて思ってたのかな?」
和哉の言葉に、ふっ、と、ナリディアの銀の瞳が揺らいだ。
「分かっていても帰りたい、もう無い事を認めたくない。――人という高位生命体が持つ『感情』『情動』に気付かなかったのは、私達のシステムの初期の欠点です。それを正すために、和哉さま方には、ここへお出で下さる前に、条件を付けさせて頂きました」
それが、家族を忘れること。




