37.ハイドラ
ガル・ガロットから南レリーアへ行くには、カンタベルラの宿場を通り、マニュエルルス河を渡る。
北レリーア砦へ寄っていくよりは道程ははるかに楽になる。
アルベルト卿は、ガル・ガロットで馬車用の馬を四頭、ロバートに借りさせた。
これまでアンデッド・ホースを使っていたが、ルース達が騎乗でついて来るのに、自分の正体がバレるのを警戒したのだ。
それには、和哉も賛成だった。
ルース達元傭兵騎士は、何処となく信用が置けない。
アルベルト卿の正体について、まだルース達は気が付いてはいないようだが、アンデッド・ウォーリア―だと分かれば、退治しようと闘いを挑んでくる可能性は低くない。
それと、問題は和哉の特殊アビリティだ、と、ジンが言った。
「特殊過ぎるアビリティだし。あんまり多くの人間に、その能力のことを教えるのはよくないと思う」
以前ジンに言われた通り、一冒険者としてこの異世界で生きていきたいのなら、王侯貴族まで騒がせることになりそうな特殊アビリティは隠しておきたい。
ルース達については、考え過ぎなのかもしれないが、もし和哉のチート技を知れば、自分達の食い扶持を稼ぐために、何処かの貴族や王族に話してしまいそうな気がする。
能力を見せないためにも、旅の間中、和哉は大人しく馬車に乗っていなければならなかった。
窓から顔も出せない窮屈さにいい加減ストレスが満杯になった頃。
それは起こった。
馬で、和哉達の馬車に並走していたルース達が、不意に手綱を強く引いて止まった。
マニュエルルス河周辺には、過去の河の氾濫により出来た沼や池がいくつか点在していた。
そのひとつ、街道に近い芦原の中の沼の前で、ルースが叫んだ。
「やばいっ!! でかいのが出るぞっ!!」
何のことだと、和哉は思わず車窓から顔を出してしまった。
その途端。
街道近くの芦原が大きくざわめいたかと思ったら、巨大な蛇の頭が、にょっきりと出て来た。
しかも、それは一つでは無かった。
2つ、3つ、と、次々に現れた。黄色と赤黒いまだら模様の巨体は、如何にも「毒を持っています」とアピールしているようだ。
巨大なモンスターに恐れをなしたルース達の馬が、棒立ちになり、騎乗している主を振り落としそうになる。
ルースとタイスは素早く馬から滑り降りた。
「ハイドラだっ!!」御者台のデュエルが言った。
「しかも、かなりでかいっ」
「どうにかやり過ごせないか?」とロバート。
「無理だな」ルースが剣を抜きながら答えた。
「あちらさんは、完全にこっちを獲物と定めている。逃げられないね」
和哉は、ちらりとジンを見た。
今、この馬車の近くにはハイドラしか居ないが、何と言っても《エンカウント100パー》男。和哉が降りた途端、他のモンスターも寄って来る可能性がある。
だが、窓から見てもゆうに10メートル近くはありそうな、何本もの蛇頭から察するに、これはもう、こちらも総力戦でなければ餌になるほかなさそうである。
「出るわ」決めた和哉に、考えが通じたのか、ジンは黙って頷いた。
小物がわらわら出て来たら、仕方ない、そいつらも一緒に薙ぎ倒す。
だが、ジンは力強いことを言ってくれた。
「魔除けの結界を張る。ハイドラには効かないだろうけど、レベルの低いモンスターには有効なはず」
ジンは、馬車を降りるとすぐに、小さく神聖魔法を唱えた。金色の粉のようなものが、辺り一面、空から降り注ぐ。
「神聖結界か」助かる、と、ルースが微笑んだ。
笑うと結構可愛い顔をしているんだな、などと、和哉はつい思ってしまった。
何となく、横目でジンに睨まれた気もしたが。
「炎系の魔法が使える人間が居る?」ルースは、傭兵騎士隊隊長の顔に戻って、鋭く訊いた。
ルースの問いに、カタリナが、「任せなさいだわさよっ」と、ヒール音も高々と馬車を降りた。
ハイドラの先頭の首が、大きな牙を持った口をがばっ、と開けた。
「毒息が来るぞっ」
タイスの注意で、和哉を除く皆は、チェーンメイルの下のシャツの襟を上げて、鼻を覆う。
和哉は、自分が毒持ちなので、ある程度までの毒なら耐えられた。
それでも、ハイドラの毒は結構な威力があった。
吸った途端、多少だが眼がチカチカする。
「レベル3600は、伊達じゃねえか――」
ルースが不審に思う前にと、自分もシャツの襟を上げて鼻を覆った。
その間にも、沼からずるずるとハイドラがこちらへと突進して来ている。
頭は、全部で七つ。
「大きい方では無いな」アルベルト卿が、さすがにモンスター討伐に慣れた正騎士の落ち着きを見せた。
「どれか一つの首だけが不死だ。それ以外は斬ったら火で焼く。――どれから行くかね?」
こちらも、街道から外れれば足場は深いスゲの草原で、決してよいとはいえない。
慎重に狙いを定めないと、却ってハイドラの首を増やすことになってしまう。
と。
ジンが「尻尾から」と、事もなげに言った。
「なんで、尻尾?」和哉は、首が危険と言うのに先にしっぽを斬り落とすという神官戦士の美少女を、思わず振り返った。
「胴体から下を半分以上切り落とせれば、あいつはそこから動けなくなる。ただし、胴体も焼かないと首になるけど」
「そおんな面倒なことっ。第一、どうやって後ろにまわるんだわよさっ!?」
カタリナの尤もな意見に、アルベルト卿が「ふむ」と頷く。
「わたしが行こう。……毒には最も耐性があるしな」
言うなり駆け出す騎士を追って、「援護しますっ」と、コハルも走り出した。
「炎の魔法ほどではありませんが、忍者はいざという時のために、爆薬を持っておりますっ」
「じゃあ、こっちは誘導も兼ねて左右の首狙いだな」
ルースは、睨み合っていた先頭の首から、狙いを左へと変える。
ロングソードを持ったルースは、わざと首の下を狙って剣を突き出す。
ハイドラの首が下がるのほ見計らって、叩き斬る作戦のようだ。
タイスともう一人の傭兵は、隊長が囮になっている隙を見計らって、剣を叩き込もうと脇で構えていた。
束の間、蛇の首が下がる。二人の男が素早く剣を打ち込むが、ハイドラのうろこはかなり頑丈で、ひと太刀では到底、斬り落とせない。
痛みに怒ったハイドラが再びルース目掛けて口を下ろして来たところへ、またタイスが剣を振るう。
傭兵騎士達は、ちょっとずつハイドラの首を刻んでいくつもりなのだろう。
斬られる度に、ハイドラの傷口から赤黒い血液が飛び散る。ルースも他の二人の傭兵も、モンスターの血を上手く避けている。
今更だが、和哉が地球にいた頃にやっていたゲームでは、血なんか飛び出ない。
改めて、ここは本当に現実なんだ、という気分がする。
それでも、幾度か敵と戦って、それまであった、相手を殺すという嫌悪感は、和哉の中から聊かではあるが薄まっている。
「……効率、悪くないか?」
和哉は思わず、隣に居たロバートに言った。ロバートも、苦笑しつつ頷く。
「けど、俺やカズヤやデュエルみたいな怪力でない限り、ああやって幾度も首を下げさせて斬るしかしょうがねえよ」
「人任せにしないで、こっちもさっさと仕事をしよう」
人の戦い方にケチをつけていた和哉達を、ジンは無表情に避難した。
「すいません」
丈高い草を分けて進むジンを追い越して、和哉は一番尻尾に近い頭を狙った。
火トカゲを《たべ》た時に習得した壁登りを利用して、ハイドラの頭の辺りに登ろうと、和哉は靴と手袋を外した。
察したジンが、ミスリル鞭を飛ばし、和哉の狙っているハイドラの首の注意を逸らした。
その隙に、和哉はハイドラの首の下に飛び乗る。
「うっひゃあっ、ひやっとしてて気持悪い~~」
ぬるぬるはしていないものの、爬虫類独特の湿ったような感触に、元々蛇嫌いの一瞬和哉の背におぞけが走る。
こういう感触も、もろにここが現実だと、思い知らされる。
しかし、そんなことで止める訳にはいかない。
気持悪さは頭の隅に押し込めて、ハイドラが自分の存在に完全に気が付く前に、首の中央辺りに到達した。
そこで、和哉は背からアマノハバキリを抜いた。
右へ左へと毒息を躱しながら囮役を引き受けてくれていたジンに、「もういいよ」と合図を送る。
ジンが大きく後方へ下がったのを見計らって、和哉はハイドラの首に刀を打ち下ろした。
一刀両断。
どさあっ、という、地を揺らす音と共に落ちた蛇の鎌首を見届け、カタリナがすぐに炎の魔法を飛ばした。
「火炎球!!」
一撃で首を落とした和哉に、驚いたルースの手が止まる。そこを狙って、ハイドラの牙が襲い掛かった。
「危ねえっ!!」
側にいたデュエルが、戦斧でハイドラの牙を叩き折った。
痛みに怒り、長い首をうねらせたハイドラを、今度はロバートが横から狙う。和哉のようにひと太刀、とはいかなかったが、連打で首を落とした。
すぐにカタリナが魔法を飛ばし、二つ目の首も丸焼けになった。
2本も首を取られて形勢不利と考えたのか、ハイドラがずるずると棲家の沼へと後退を始めた。
下がって来た本体に、アルベルト卿が慌てず騒がず、剣を突き刺す。
周囲のスゲを蹴散らしながらのたうつハイドラの胴体を、2撃で切り落とした。
切り口を、コハルが爆薬を使って焼いた。が、思ったよりも胴体が太かったためか、生焼けの部分から、ニョキニョキと2本の首が生えて来てしまった。
「ありゃま、差し引きゼロだな」ロバートが、ふざけているのか真面目なのか、分からない表情をする。
「キリがねえなぁ」
デュエルが、3本目の首を戦斧で叩き潰して、カタリナに焼いて貰う。
「そろそろ毒息を噴射する頃合いだぜ。一旦こいつから離れるか、その前に決着つけるしか、無いんじゃねえの?」
「どーやってっ!!」ルースが怒鳴った。
「ハイドラは、サーベイヤのモンスターでも厄介な部類に属する。この人数で、早期に決着をつけるのは、どう考えても無理だっ」
「ひとつだけ、方法がある」ジンが静かにミスリル鞭を撓らせた。
和哉の顔を見ると、美少女は、声に出さずに何事かを指示して来た。
オレンジゴールドの唇が紡いだ言葉は『石化』。
ジンは、和哉の特殊技《石化》で、ハイドラ全体を石にしろ、と言っている。
だが、特殊技を使えば、ルース達に和哉が特殊技能持ちだとばれてしまう。
一瞬の沈黙。だが、モンスターはそれすら容赦はしない。
左から2番目の首と、新しく尻尾から出来た首が、同時に毒霧を吐く準備に入った。
「全員一旦退避しろっ!!」
和哉は怒鳴ると、自分はハイドラの正面へと位置を変える。
特殊技能がばれるのは不本意だが、この際しのごの言ってはいられない。
毒息が来ると思ったらしいルース達が、一斉にモンスターから離れた。
ハイドラが、毒を吐くために大きく息を吸い込む。
和哉は思い切ってハイドラに駆け寄ると、毒針出ろ、と心の中で叫んだ。
右手の爪が、にょきっ、と伸びた。その爪を、ハイドラの首下に喰い込ませる。
爪は、硬いうろこを簡単に貫通して、毒液をハイドラの体内に注入した。
あっという間に、それまで暴れ回っていたハイドラの動きが止まる。
見る間に石化する巨大モンスターに、何が起きたのか、という顔で、ルース達傭兵騎士があんぐりと口を開けている。
「ぶっ壊しとくか?」にやっ、と笑ったロバートに、和哉は無言で頷いた。
ロバートとデュエルが、残っていたハイドラの首に戦斧と剣を振り下ろすと、石像は簡単に砕けて落ちた。




