32.戦士の意地
「アルベルト・ユーバックは戻した。約束通り、剣を貰おう」
灰色のアンデッド術者が、和哉達の喜びに水を差すように言った。
笑顔を納めた和哉は、背からアマノハバキリを下ろす。
「そら」無造作に差し出した、白木の鞘のままの刀を、男は宝物のように両手で受け取った。
が。
男が振れた途端、鞘の全体から眩い閃光が走った。細く鞘に巻き付いた稲妻は、容赦なく男の手を叩く。
「うがっ!!」
男が痛みに顔を顰め、刀を床に落とした。
「貴様……、剣に魔法を掛けたのかっ?」男は、痺れた手をもう一方で庇うようにしながら、和哉を睨上げる。
和哉は、貧血で色の悪い顔を、平静を装って男に向け続けた。
「何も。言ったろ? その剣は『生きてる』って。生き物だから、主を選ぶんだ。選んだ主以外には、自分を触らせない。――当然だろ」
「それを――知っていて、俺に、アルベルト・ユーバックを蘇らせたのかっ!?」
歯を剥き出して、今にも噛み付きそうな勢いで立ち上がろうとした男を、デュエルとロバートが押さえた。
和哉はにやっ、と、してやったりの笑みを浮かべた。
「人の話は最後まで聞くんだね」
「おまえ……、おまえっ!! これで、済むと思うなよっ。御師さまがお知りになったら、ただでは済まぬぞっ!!」
「だろうね。でも、俺も、この剣を、はいそーですかって渡す訳には行かないから」
邪教徒の宣戦布告を、和哉は腹を括って受ける。
こういう展開になるのは、ナリディアから話を聞いた時から、薄々分かっていた。
どっちにしろ面倒事に巻き込まれるのなら、早いとこ片付けたい。
男が御師さまとやらに、どういう方法でか連絡を取って、とっととそいつが現れて決着を付けた方がいい。
勝つにしろ負けるにしろ、いや、負ける気は毛ほども無いが、とにかくこれ以上始まったばかりの『楽しい冒険者ライフ』を邪魔されたくはなかった。
和哉を睨付けていた男が、唐突にがくり、と力を落とした。
「なっ? なんだ?」捕まえていたデュエルが、驚いて手を離す。
と。
男の身体が見る間に萎み、外套だけを残して跡形もなく消えた。
「あーっ、逃げられただわさよっ」カタリナが、例の大声で言った。
ガートルード卿が、冷静な様子で残された灰色の外套を持ち上げる。
「違うな。逃げたのではなく、消されたのだろう」
女竜騎士は、灰色の襤褸の塊から、かつての同輩へと、アイスブルーの目を移す。
アルベルト卿は、「さよう」と、彼女の意見に同意した。
「敵は、どうやら先程の男では和哉の手からその剣を奪うのは無理と判断したらしいな。目的物の奪取が困難な上に、余計な情報までこちらが収集するのを恐れて、男を始末した」
「きったねえヤツ」ロバートが吐き捨てる。
「相当、キれてる連中のようだわなのさ。――カズヤ、飛んでもないのに目を付けられたねぇ」
眉間に皺を寄せ首を振るカタリナに、和哉は「仕方ないさ」と返した。
「ただ、アマノハバキリが、俺が死ぬか別な主を選ばない限り奴らの手には入らないって分かったから、当分は手を出して来ない……んじゃ、ないかな?」
これはいささか楽観に過ぎるかと、和哉は頭を掻いた。
が、ジンは、和哉の意見に、大きく頷くことで同意した。
「カズヤは、見かけ以上に強い。奴らも、次は安直に仕掛けては来ないはず」
見かけ以上に、っていうのは、ちょっと引っ掛かるけど、と思いつつも、ジンに褒められたのは、和哉としてはかなり嬉しい。
しかしそこで、ひとつ疑問が頭をもたげた。
「あー……、でも、その、アマノハバキリが、どうして俺を主に選んだんだろう?」
そもそもの災難の大本の剣の意思が、一体どうなっているのか?
最初に『神器』の主となった時にも言われたことだが、何故、大した剣士の腕も無い和哉を、アマノハバキリは主としたのか?
「その答えを、知りたいのか?」問い掛けは、思いもよらない人間から発せられた。
ガートルード卿は、優雅な動作で和哉に近付く。
やっと立っている和哉の前へ立つと、美麗な面に薄く笑みを浮かべた。
薄暗いロッテルハイム邸のエントランスの中で、ガートルード卿の周りだけが、凍てつく氷が陽光を跳ね返しているような、淡い光に包まれている。
豊かなプラチナブロンドの髪も、淡い光に包まれ、さながら氷の女神が降臨したかのようだ。
こんな状況下でどうかと思うのだが、生きていた頃の彼女は、相当男からの求婚を受けたに違いない。
「私は、竜騎士だ。いや、正確には、竜騎士だった。だから、竜の気持が分かる。私の側には今も、相棒の白竜ブランシュがいる。ブランシュが言うには、その剣の本体は、竜だそうだ」
ええっ!? と、皆が声を上げた。
「竜が、生きたまま剣になったのか?」とはロバート。
「考えらんねえ」デュエルも、目を丸くする。
「私も、信じられません。どうして『神器』が生きた竜なのか……」コハルは、怯えたような表情になる。
ガートルード卿は、和哉を除いてただ二人、驚きながらも無言で自分を見ていた人間を振り向いた。
「アルベルトは、聞いたことはないか? 古代、尋常でない強大な魔力を持つ魔術師が、真竜を捕えて魔法剣にした、という物語を」
「そう言えば……、聞いた気もするが」
「ジンは、さして驚いていないところから察するに、知っていたな?」
問われて、ジンは頷いた。
「けど、その話は物語であって、現実ではないと解釈していた」
「わたしもだ」と、ガートルード卿は頷く。「ただし、この剣を見るまでは」
ガートルード卿は、和哉の背の、白木の鞘に収まった『神器』の刀をしげしげと見詰めた。
「50年前、アルベルト達北面正騎士団がテルル近郊のロッテルハイム邸に急行させられた時、私と私の隊はルドルフ卿に呼び出されてこの屋敷の警護に当たるよう、命じられた。詳細は聞かされなかった。だが、程なく先程の男のような一団がこの屋敷に現れた。――奴らが真竜を探していること、その真竜が、魔法剣となってこの世界に存在していることを知ったのは、本当に偶然だった」
ガートルード卿は、息を継いだ。
「ある晩、警護の都合で私がルドルフ卿の逗留している部屋の扉前に立ったのだ。その時、奴らの首魁と見られる男とルドルフ卿の会話を、薄く開かれていた扉から漏れ聞いてしまったのだ。
初めは冗談だと思った。真竜など、竜騎士をしていても滅多にお目に掛かれるものではないし、まして、神にも等しい力を持つかの竜が、人の手によって剣に変えられるなど、おとぎ話でしかないと。
……だが、奴らは本気だった。ルドルフ卿との密談を聞いてしまった私は、奴らの使う特殊な魔術で、生きながらアンデッドにされてしまった。生前の記憶の半分以上を封印されて新たに吹き込まれた意識は、『オオミジマの神器の剣を奪い取れ』だった」
和哉は少なからず憤りを感じた。
狂信者達は、己らの意義のために、無関係の人間を大勢犠牲にした。
ナリディアの話から考えるに、そうまでして手に入れた真竜であっても、その力を奪うのは至難の業だ。
ほぼ絶望的な呪技に盲信してしがみつき、何の益があるのか?
怒りが顔に出ていたのだろう、ガートルード卿が、見た目通りの冷たい指先で、和哉の頬に触れた。
途端、和哉の心臓がどくん、と高鳴る。
美女に触れられて嫌な男はいない。ジンに申し訳ないと思いつつも、和哉はドキドキが止められない。
「しかし、起こってしまった過去をどうこう思っても仕様が無い。私は、私自身の意図では無かったと言っても、カズヤに深手を負わせてしまった。これから先も、私のような人間――モンスターに、また出合わぬとは限らない。その時、その剣としっかりと心を通わせておけば、二度と不覚を取るようなことにはならないと信じる。……そのためには、竜の気持が分からなければならないな」
優しいが、冷たい響きのハスキーボイスに、ドキドキはいっぺんに引っ込み、反対にうっすらと不吉な予感が背を走る。
念のために言ってみた。
「けど……、俺、は、竜騎士でも何でもないっすよ? どうやって、竜の気持を――」
「君には、取っておきの技があるのだろう?」
ガートルード卿が、和哉の頬から手を退ける。
ジンが、目線で和哉を押さえるように、デュエルに指示を出したのと、ガートルード卿が本来の姿――身が朽ち果て、鎧と骨だけの姿に戻るのがほぼ同時になる。
和哉は、眼前の美女が、分かってはいたが、スケルトンの姿になったことと、いきなりワ―タイガーのバカ力に羽交い締めにされたことの二重の衝撃に、パニックになる。
「やめ――っ!! 止めっ、止め……!!」
無茶苦茶に手足を動かし、どうにかデュエルの拘束から逃れようと試みる。
しかし、さすがに力自慢のワ―タイガーの腕からは、脱出困難。
そんな和哉の状況を、ガートルード卿は、平然として見ている。
「朽ちた身ゆえ、何処を食べられようとも問題と言えばそうなのだが……。やはり、指は止めておこう。この先まだ、奴らと戦うことも考えれば、な」
「では、我らと共に来てくれるのか? ガートルード」
恐慌に陥っている和哉を無視して、アルベルト卿は嬉しそうに旧知に尋ねる。
しかし、ガートルード卿は首を横に振った。
「いや。奴らはまた必ず、ここへ戻って来るだろう。私一人でも――相棒も居るが――残って、奴らの戦力を削ごうと思う。それに、私が少しでも抵抗すれば、それだけ和哉達が安全に先に進めるだろう?」
「……賛成し兼ねる」アルベルト卿は、渋い顔で言った。
「卿一人を犠牲には出来ぬ。ガートルード、卿が残るというのなら、私もここへ残る。卿と共に、奴らから和哉を守る盾となろう」
「それは困るぜ、アルベルト卿」ロバートが、二人の世界へ入り込もうとしているアンデッドカップルに口を出した。
「あんたが居ないと、この先俺らだけじゃ完全に戦力不足だ。あんなイッてる連中相手にするのに、どっちかは同行してくれねえと」
「そうだわさよっ」カタリナも、口を尖らせた。
「いっくらカズヤが強くなって来てるっていっても、まぁだまだヒヨッコだわさ。ロバートと、そこのケモノ野郎とだけで、あたし達か弱い女達を、どーやって守ってくれるのかだわよ?」
私も女だが、と、ガートルード卿が苦笑する。
デュエルが叫んだ。
「もーっ、どーでもいっすけどっ、いーかげんにっ、この状態をっ、なんとかしてくれっすっ!! カズヤはっ、案外っ、力が強いんっす!!」
ワ―タイガーの訴えに、ガートルード卿は「申し訳ない」と早口に謝ると、自分の奥歯を一本、ぼきり、とへし折った。
「歯なら問題なかろう。――ジン」
ガートルード卿の手から、ジンに白い臼歯が渡される。
ジンは、いつもの無表情から、恐ろしいまでに可愛らしい笑顔を作り、渡された歯を持って和哉の前へとやって来た。
「……アーン」幼児にアメ玉でも食べさせるような手付きで、ジンが和哉の口元へ、ガートルード卿の歯を持っていく。
和哉は、心の底から大抵抗していた。
が、恐い事に。
何度もこれをやられているせいなのか、それともジンが魅了の魔法でも使っているのか、和哉の身体は本人の意思に逆らって、勝手に口を開けてしまった。
ぽっとん。
舌の上に落ちた、思ったよりやや重い落下物を、和哉の口と食道は、本人の許可なくすんなり飲み下した。
う・・・
和哉、またジンちゃんにヤられちゃってます・・・
完全なドMだ~~




