31.竜騎士と死人使い
女竜騎士ガードルード卿は、肩過ぎまで伸ばしたプラチナブロンドの巻き毛を軽く揺らしながら、ゆっくりと和哉のベッドへと近付いて来た。
剣を交えていた時には、兜のバイザーのスリットからしか見えなかった両眼は、大きなアーモンド型で、アイスブルーの色をしていた。薄い唇の朱と白い肌と、細く通った鼻筋が、絶妙なバランスで配された顔は、まさに芸術品というべきだろう。
メタリック系の色彩の美少女ジンとはまた違い、ガートルード卿は、地球の、氷河を思わせる色彩を持つ美女である。
「済まなかった」ベッドの端で立ち止まったガートルード卿は、悲痛な面持ちで和哉に謝罪した。
「この屋敷で50年、ブランシュと共に閉じ込められているうちに、私はいつしか奴らの命令しか思い出さないモンスターとなっていたのだ……。情けない話だ」
ラミアのヘルキーニアとはまた違った質のハスキーボイスが、正直な悔恨の念を伝えて来る。
「カズヤくんには、酷い怪我をさせてしまった。あの優秀な神官戦士が居なかったら、君は今頃、御使いの御元へ旅立っていた。……それ程に、私は狂っていたのだ。その上、大切な友の魂さえも霧散させてしまうとは」
「友って……」和哉は、少し驚いてガートルード卿を見上げた。
「アルベルト卿とは、友達だったんですか?」
「ああ。騎士見習いの頃からの付き合いだ。もっとも、私は途中で特性が認められて竜騎士になったので、正騎士となった時期は多少違ったが。アルベルトは騎乗槍が得意で、本物の騎士だった。一騎打ちをさせて、彼に勝てる者はサーベイヤには見当たらない、と言われるほどに」
最後のほうは、遠く在りし日を追うように、ガートルード卿は視線を宙に向けていた。
「見習いの頃、よく上官の目を盗んで城下へ飲みに繰り出したものだ。アルベルトは酒豪で、特に北カッスル産の果実酒が好きだったな。飲んで、またその倍も食べる。コルルクの丸煮を五人前も食べて、翌日おくびが止まらずら上官にばれてしまったことがあった」
苦笑を洩らす女竜騎士に、和哉は微笑んだ。
「本当に、仲良かったんだ」
「そうだ。……なのに、私は、狂っていたとはいえ、大切な友を、この世から消し去ってしまった……。どうあっても、この罪は消えない」
もう一度「済まない」と頭を下げるガートルード卿に、和哉は首を横に振った。
「あなたが悪いんじゃないですよ。アルベルト卿だって、その辺のことは分かってた筈っす。――とにかく、ディビル教の信徒をとっ捕まえて、おとしまえ着けないと、俺の気持も治まらないし」
「なら、すぐに治まるかもしれない」
凛としたジンの声が、入口のほうからした。入って来た神官戦士の美少女は、和哉のベッドの側に立っているガートルード卿の隣へ、張り合うように並んだ。
「さっき、外でアンデッドを操っていた男を、ロバートとデュエルが殺さずに生け捕った。あの男なら、もしかしたらアルベルト卿をこの世に戻せるかも」
「それは、本当かっ!?」
目を見開いて振り向いたガートルード卿に、ジンは頷く。
「『アンデッド・ウォーリア―作り』が出来るのならば、死んだ人間の魂を、霧散しないうちにかき集めて、再びこちらへ呼び戻すのは可能では、と」
「……なるほどな」ガートルード卿は、真顔で腕を組んだ。
「だが、奴らの言動をまともに信じることは危険だ。アルベルト卿を呼び戻すと約束して、その実、呪文でこちらへ攻撃を仕掛けないとも限らない」
「その辺は考えている」
無表情で答えるジンの、ブラスの瞳をしばし見詰めたガートルード卿は、ふっとアイスブルーの目を伏せた。
「ならば、頼む。アルベルトを今しばらく、この世に引き止めてやってくれ」
******
ジンの治癒魔法で傷は癒えたが、流れた血の量が多かったため貧血状態がまだ治っていない和哉は、連絡を受けたロバートに抱えられるようにして先刻のエントランスへと戻った。
先に向かったガートルード卿とジン、カタリナ、それにデュエルが、灰色の外套の男を取り囲んで、部屋の中央に立っている。
コハルは、少し離れた窓辺で、他に男の仲間が居ないか、外の様子を窺っていた。
傷の痛みは無いが、目眩が酷い和哉は、ほとんどロバートに抱き付く格好で男の前へと立った。
「……あんた、アンデッド・ウォーリア―を作れるのか?」
声を出す度に息が上がって苦しい状態なので、単刀直入に必要事項だけを尋ねる。
男は、灰色の外套のフードの下から、生気のない目を和哉に向けた。
「可能だ。だが、完全に魂が霧散して無くなってしまった者をアンデッドには出来ぬ」
和哉は小さく舌打ちした。
自分は、モンスターのレベルや種類は分かっても、気配は分からない。
ここにまだアルベルト卿の魂が、欠片でも残っていればいいのだが、その気配はこの男にしか分からないのだ。
あるか、と尋ねて、無い、としらばっくれられれば、それでおしまいになってしまう。
騙されないにはどうしたらいいのか、と考え込んだ和哉に、デュエルが励ますように、にっ、と笑った。
「大丈夫だカズヤ。アルベルト卿の魂は、まだ御使いの御元には行っちゃいねえ。……うっすらだが、においがするんだ」
デュエルの鼻は信用していい。
ワ―タイガーが言うのならば、アルベルト卿は、まだこの屋敷に居る。
和哉は男に言った。
「アルベルト卿を蘇らせろ。ただし、妙な真似をしたら、ただじゃ済まさないからな」
しかし、男はふん、と馬鹿にしたように笑った。
「我らに命令出来るのは、御師さまだけ。それ以外の者の命など聞かぬ」
「……強情なアンデッドだな」
ガートルード卿の台詞に、その他の人間が仰天した。
「ええっ!?」
「この男もアンデッドなのかっ!?」
「ああ。正確には、少々違うが。私達は身体を無くし魂と生前の記憶だけで形を作っているが、こいつらは逆だな。死して魂を無くし、何者かの意思によってのみ、動いている」
「所謂ところのゾンビってやつか?」ロバートの質問に、ガートルード卿は首を振った。
「いや、ゾンビとも違う。ゾンビなら、生前の恨みや憎しみなどの負の感情で動き回るが、こいつらにはそれすら無い。――言ってみれば、マリオネット・ゾンビだ」
ガートルード卿の指摘に、男はにいっ、と、嫌な笑みを作った。
「我らは御師さまの意思で動く。それ以外には従わぬ」
「なら、その御師さまとやらに話せよ。アルベルト卿を蘇らせなかったら、この剣はやらないぞ、ってな」
和哉の大胆な提案に、ジンとガートルード卿を除いた皆が、目を剥いた。
「おいおいっ、そんな約束――」
「危険だわさよっ。剣だけ持って、アルベルト卿の呼び戻しはしないかもだわよ?」
「そーだそーだっ!! 止めとけってっ!!」
「そんな約束、出来兼ねると思います。なぜならその刀は――」と、コハルがアマノハバキリの『性質』を言い出しそうになったのを、和哉は「しーっ」と人差し指を口に当てて止めた。
「……その刀に、なにかあるのか?」コハルと和哉のやり取りに気が付いてしまった男が、尋ねる。
「その剣は生きている。そして、主を探している」ガートルード卿が、半分本当のことを告げた。
「私は生前、魔法剣のコレクトをしていた。魔法剣の中には、特殊な方法で魔物を封じたものがあった。その剣もそれに近い、と思われる。……だから、おまえ達の御師さまとやらが、この剣を欲しがっているのだろう?」
アマノハバキリが魔物を封じた剣だと聞かされて、和哉は改めて、デュエルがどうしてこの剣が恐いのか、得心がいった。
多分、飛んでもなく強い魔物が、この剣には宿っているのだ。
そう思い始めると、背負っているアマノハバキリが、頼もしいのか恐ろしいのか、分からなくなって来た。
が、頭の中のそういった雑音は顔には出さず、というか、貧血で顔の筋肉が殆ど動かせないのが幸いして無表情のまま、和哉はもう一度、男に言った。
「御師さまとやらに頼めよ。アルベルト卿の復活を。でないと、本当にこの剣、やらないどころかへし折るぞ」
和哉は、支えてくれていたロバートの腕を離れ、ふらつきながらアマノハバキリを背から抜く。
眼の端に、不安そうなコハルの顔が見える。
大丈夫だ、無茶はしない、と内心で謝りながら、和哉はゆっくりと刀を青眼に構える。
青白く輝く刀身の先端が男の鼻先にすっと止まった時。
男の顔色が、青からどす黒い色に変わった。
どうやら、和哉が本気であるのが、御師さまというやつに伝わったようだ。
「――わかった。アルベルト・ユーバックを蘇らせよう」
「本当だな?」
ふらつきながらも、気力で剣を構えつつ、和哉は念を押した。
男は、深く頷いた。
「御師さまは嘘はおっしゃらない。アルベルト卿は戻す。だからおまえも、卿が戻ったら、その刀を我らに寄越せ」
「――いいだろう」
和哉はアマノハバキリを鞘に戻した。
男は床に投げ出していた足を胡坐に組み直し、背を真っ直ぐに伸ばした。
両掌を胸の前で合わせ、静かにそれを上下させ始めた。
「………、………」
男は、口の中でもごもごと呪文を唱える。僅かに言葉として聞こえるが、呪文は、和哉にはまるで意味の分からない言語だった。
分かる? と、和哉はジンの顔を見た。ジンは黙って首を横に振った。
ジンにも分からないということは、この世界の言葉ではないのだろう。
そう言えば、ディビル教の信徒は、祖先は異世界の住人だったという。ならば、《死者の蘇生》の呪文も、その世界の言葉なのだろう。
和哉達が見守る中。15分程男が呪文を唱え続けると、男の頭上に青白い煙の渦が巻き始めた。
最初はコップぐらいの大きさだった渦は、見る間に縦に伸びる。
伸びた煙はそのまま、人型を作り始めた。
細長い鋭利な面立ちに亜麻色の髪と口髭。貴族の遠乗り用の軽装の腰には、ダーマスク剛のロングソード。
ぐるぐると回りながら現れた、和哉達がよく知るアンデッド・ウォーリア―は、足の先まではっきりと出来上がった途端、閉じていた目をすっ、と開けた。
濃紺の瞳が、自分に注がれる顔全てを確かめ、にっ、と細められた。
「アルベルトのだんなっ!!」デュエルが、嬉しそうに叫んだ。
それに吊られて、和哉達も次々とアルベルト卿に笑顔を向けた。
卿は、にっこり笑うと、術者の男の頭上から降りた。
「どうやら、諸君の熱烈なるリクエストによって、私はまた御使いの御元から引き戻されてしまったようだな」
「なにを言うか」皆から一歩離れて次第を観察していたガートルード卿が、鼻を鳴らした。
「御使いの御元になぞ、行く気は皆無だったのだろう? アルベルト」
アルベルト卿は、まるで悪戯を見付けられた子供のように肩を竦め、ぺろりと舌を出す。
「やれやれ……。ガートルードにはシャレも通じぬ。旧知の仲というのは、どうにもやりにくい」
「よく言う」ハスキーボイスを張り上げて笑うガートルード卿に、和哉も、他の仲間も笑い出した。
うおおおっ!!
アルベルト卿があぁぁ!!
・・・次もがんばりますっ




