104.名無しの湖
南レリーアから南西に約20キロのところに、大きな湖がある。
『名無しの海』と呼ばれている、というのだが。
「なんで、こんなにデカイ湖に名前が無いんすか?」
一年前と同じく、大神殿の魔法陣を使い南レリーアへと移動した和哉達は、更にドラゴン二頭の翼で件の湖まで飛ぶ。
エルウィンディアの背からひょいと下を覗き、和哉は湖の規模に少なからず驚く。
同乗しているクラリスに名の由来を訊いた。
「この湖は、時々姿を消すんじゃ。知らぬ間に消えて、そのまま300年近く無かったこともあったの。なので、昔の名を皆が忘れてしまったのじゃ」
「でも、クラリス大賢者は覚えておいでなんじゃ?」
和哉が突っ込むと、白髪の大賢者は渋い顔をした。
「……大昔は、エルフが名付けた、という伝説があったの。『ルーリール・レリリア』だったか。レリリアはこの地方に住んでいたエルフの言葉で湖という意味じゃ。ルーリールは、古のエルフの女王の名……、だったかの」
『へええ。キレイな名前〜〜』
エルウィンディアが話に割って入る。
「女王の名というと聞こえは良いが、ルーリール女王は、あだ名を『幽鬼の女王』という。エルフにも関わらず、闇の魔法を駆使した、という伝説があるんじゃ」
「うえ……。でもエルフって、精霊魔法以外は不得意って聞いてましたけど」
和哉が言うと、クラリスは「普通はの」と、声を落とした。
「湖の昔の名が本当にルーリール女王の名だったか、わしも記憶が定かではない。ただ、この湖のもうひとつの伝説の名が『幽迷の海』というんじゃ。それが後にルーリール女王と結びついた、の、かも知れん」
「……随分、あやふやなんですねぇ」
「300年も出たり消えたりしている湖じゃ。人間の寿命を考えれば、伝説や伝承があやふやになっても仕方なかろうが。そのうえ、湖は人間が住むには適さぬ場所にある。——見てみい、周囲には草木の一本も無かろう?」
もう一度下を見て、和哉は「確かに」と頷いた。
エルウィンディアはクラリスの指示で、湖の南岸に降りた。
湖の周囲は大小の石だらけだが、南岸だけは比較的土が多い。海と呼ばれるように、岸に緩く波が打ち寄せている。
下に降りると、上空ではぼんやりでも見えていた対岸は全く見えない。それだけ、湖が巨大な証拠である。
エルウィンディアが降りたすぐ側に、オーガストも降りて来た。
炎竜に騎乗していたのは、契約した竜騎士ガートルード卿とジンである。
ロバートやカタリナ達には、南レリーアの神殿で待ってもらっている。
「さて。ではやるか」クラリスは岸辺をぐるりと見回して、ひとつ頷いた。
白いローブの内側から小さな羊皮紙の切れ端を取り出すと、大賢者は表を上にして地面と平行に紙を広げる。
「何……、するんですか?」
訊いた和哉を、クラリスは横目でジロリ、と睨んだ。
「見とれば分かるっ。面倒な魔法なんでな、話し掛けるでないっ」
はぁサイで、と、和哉は一歩下がった。その横に、滑るようにジンが来た。
「転送の魔法陣」
「——へ?」
「ロバート達を、南レリーアの神殿の魔法陣からこちらへ飛ばすための」
ジンの説明に、和哉は思わず「なんでっ!?」と声を上げてしまった。
「そ……、そんな魔法が使えるならっ、今までだってあちこちにそれで飛べば楽だっただろうがっ!!」
「じゃかましいっ!!」
クラリスが吼えた。
「言ったであろうがっ!! 魔法陣の呪は複雑で面倒なんじゃっ!! おまけにっ、大層魔力が要るっ!! わしとてホイホイ使える訳では無いわっ!!」
余程でない限り、クラリスはこの魔法は使いたくない、ということか。
魔法についてはほぼ和哉はド素人だ。
失言に、謝るしかない。
「——失礼、しました」
ふん、と鼻を鳴らして、大賢者は再び作業を続ける。
口中で呪を唱えているらしく和哉達には聞こえないが、しばらくすると羊皮紙の表側が白く光り始めた。
光は真円に近い輪を描いており、内側に神殿で見た魔法陣と似たような複雑な文様が浮かんでいる。
やがて。
「——ひと時、この場に魔力を留まらせよ。マギエア・サイクレア」
クラリスの呪が完成し、羊皮紙の表側の光がそのまま地面へと降りて来る。と同時に、光の魔法陣は二倍、三倍と大きくなった。
地面に到達した魔法陣は、丁度人が四、五人入れるほどの大きさとなって、その場に貼り付く。
「……こんなもんじゃろ」
一仕事終えた、という顔で、クラリスは出来上がった魔法陣を見下ろした。
「後はジン姫、あちらの者らに伝えてくれるかの」
ジンは黙って頷く。
すっ、と、息を吸い込んで目を閉じること暫し。
「神官に、魔法陣を開くように伝えました」
「ええっ!? いつの間にそんなこと出来るようになった?」
驚いて訊いた和哉に、ジンは変わらぬ無表情で、
「御使い様の新機能。今回は日天使様を経由したけど」
「……ええとぉ」
ジンは、月天使ナリディアの神官だ。通常は他の御使い様とは、交信しない。
はず、なのだが。
どう訊いたらいいのか迷っている和哉に、ジンは当たり前のように言った。
「神官が、仕える御使い様を区別せずにお声が聞こえるように、御使い様側の魔法を刷新したの。南レリーアやオオミジマに魔物が出て、大変な時期が続いたから」
地方の神殿は、全部の御使い様を網羅しているわけではない。小さな村や町にもあるのは大概、日天使フィディアの神殿だ。
それだけフィディアへの信仰が篤いのだが、本当は御使い達を仕切っているのは月天使——宇宙空間管理システム・メインエンジニアなのだ。
なのだが。
「……一年経ってもまだ、月天使って、信用されてないのな……」
和哉は、ジンにだけ聞こえるように小声でぼやいた。
ジンが微かに笑った時。
「お。来たようだの」クラリスが魔法陣の変化を告げた。
地面で光っていた文様が一際強く輝くと、真っ直ぐに上へと伸びる。
円筒形の光の柱が立ち、その中に人影が現れる。
ロバート、カタリナ、デュエルに続き、ルースやガストル、メルティまで飛んで来た。
「随分と……、大所帯だな」
和哉は半ば呆れた気分で仲間達を見回す。
「それだけの大物じゃ。マーナガルラは」クラリスが、白髪を掻きながら言った。
飛び飛びになってますが、更新しましたっ!!




