100.1年間
「のおっ……!?」
ジンの唇が触れた場所から、一挙に顔が熱を発していく。
驚き過ぎて、妙な声を上げて硬直している和哉に、ゆっくりと頭を上げたアンドロイドの美少女は、甘く美麗な笑みを見せた。
「どっ、どどどっ——」
どうしてキスした? と言おうとするが、パニクっていて口が回らない。
察してくれたジンが、柔らかな口調で言った。
「カズヤは、1年間、眠っていたの」
「——1年?」驚いた。
ジンは笑んだまま頷いた。
和哉はふと、なんだか変だ、と思った。
ジンにドSっ気がまるで無い。
というか、やたらと和哉を見下ろしてくる目が、優しいのだ。
以前なら、狼狽している和哉を、半分平坦に、半分揶揄っているような態度で見ていたのに。
ブロンズの整った小顔をまじまじと見詰めている和哉に、ジンが、「どうかした?」と小首を傾げる。
——うわあ……
完全に、和哉のドストライクなジンである。
1年の間に何が起きたのか?
というより、もしかしたら、自分はまだ、夢から覚めてないのか?
「あ……、あの、さっ。そのっ」
「うん?」
ジンがまた顔を近付けて来た。
ガラス玉のような黄銅の瞳に、自分の、真っ赤になった顔が映っている。
余計に恥ずかしくなり、跳ね起きようとした時。
「カズヤっ!! 目が覚めたんだねっ!!」
聞き覚えのある、強烈に元気な女子の声がした。
エルウィンディアは、走り寄る、というより、入り口から一足飛びにベッドへダイブして来た。
咄嗟に巻き込まれるのを避けたジンを他所に、エルウィンディアが今度は和哉に抱き着いた。
「よかったー!! もー、ほんっとに心配したのよっ!? ガマガエルとの戦いの後、この
お屋敷で眠ったまま、ぶっても蹴っても起きないんだもんっ」
「……ちょっと待てエル。心配してくれたのは有難いんだけど、ぶったり蹴ったりってのは、本当にやった訳?」
感じてはいなかったのだから怒る謂れはないのかもしれない。が、やはり承諾なしに殴られるのはいい気がしない。
問い質した和哉に、エルウィンディアは、しまった、という顔でジンを見た。
と。
ジンが、これまで和哉が見たことがない、微妙で柔らかな苦笑をしてみせた。
「まあ、それなりに。言っておくけど、私は頬を軽く叩いたくらいだから」
「そっ……、そうなんだ」和哉は、ますますドギマギしてしまった。
「とっ、ところ、で。ここって、グレイレッド殿下のお屋敷……?」
「ああ……、うん。1年前の戦いで、南レリーアの街や周辺の外隔壁の大半が破壊されて。カズヤがガマガエルを始末してくれたから減ったんだけど、それでも、外隔壁の破壊されたところから妖魔が結構侵入して。 それを防ぐためと、南レリーアを復興するために、ロバートもデュエルも、みんな結構頑張ったんだよ」
「そっか……」
自分が呑気に寝ている間、仲間は苦労をしていたのか。
和哉は申し訳ない気持ちになり、まだエルウィンディアが乗っかっているシーツを引っ張り、顔を隠した。
「わりい……」
「別に。カズヤが謝る筋合いのものではないし」
聞き慣れた、平坦な口調でジンが言った。
あれ? と思い、和哉はシーツから顔を出す。見返してきた黄銅の目は、いつもの冷静な表情に変わっていた。
——やっぱ、ジンはジンかぁ。
変な期待をした自分が滑稽に思えた。もしかしたら、本当に少しでも自分を好きなのでは、とか。
エルウィンディアの行動に、少しは嫉妬してくれたのでは、とか。
「あれれ? カズヤってば落ち込んでる?」人の顔色を察するのが得意なドラゴンの少女は、青緑色の素直な髪を描き上げて、和哉の顔を興味深げに覗き込んで来た。
「せっかく目が覚めたのに、何落ち込んじゃったの? あ、もしかして、いい夢見てたのに、あたしとジンが邪魔しちゃったとか?」
「そーかもしれねーぞー?」
入り口から、ロバートの胴間声がした。
振り向くと、見覚えのある巨躯にさらに一回り筋肉を足した大男が、ニヤニヤ笑いながら立っている。
「ロバートっ!!」
和哉は見慣れた、しかし懐かしい気もする仲間に、破顔した。
「コハルが知らせてくれたんだ。そしたら、そこのドラ娘が先にすっ飛んで行っちまってな」
「そ。で、あたしらはこうして、後からやっと目覚めた呑気な王子サマの顔を眺めに来たんだわさよ」巨躯の後ろから、ひょこっと真っ赤なストールを巻いた、濃い栗色の巻き毛のカタリナが顔を出す。
「おはよう、坊や」相変わらずのガラガラ声の皮肉に、和哉は苦笑する。
ベッドの側まで来た二人は、立ち上がったジンと、まだ和哉を抑え込んでいるエルウィンディアを見比べて、
「さすがジンちゃんはお行儀がいいよな」
「それに比べて。野良ドラゴンは品が無いんだわよさ」
「なぁんですってっ!!」エルウィンディアが飛び上がってカタリナに喰って掛かる。
「だぁれがっ、野良ドラゴンよっ!! あたしはっ、歴とした、カズヤの騎乗竜よっ!!」
もうっ、と膨れるエルウィンディアに、カタリナは「ご主人が眠ってたんじゃあ、野良と同然だわさ」と、やり返した。
「放し飼い」
ジンの、直球の一言に、エルウィンディアが真っ赤になる。
「もーっ!! あたしはっ、ネコじゃ、無いっ!!」
「んじゃワンコか?」
ロバートまでが揶揄いに参戦して、ますますエルウィンディアがヒートアップしたところで。
「全く。我が妹ながら、全然子供っ気が抜けないな」
火の色の髪をした若者——エルウィンディアの兄オーガストが入って来た。
炎竜である彼の後ろからコハルが、続いてデュエルとメルティが入って来た。
和哉は、彼らを見て正直、驚いた。
あんなにやんちゃで暴れん坊だったオーガストが、随分と大人びた風貌に変わっていた。
輝く髪を見る限り、火の精霊とは相変わらず共生しているようだが、一年前の、荒れてすぐに喧嘩を吹っ掛けるような雰囲気は、微塵も感じられない。
何があったのだろう?
和哉の疑問の答えは、デュエルの口から語られた。
「目ぇ覚めてよかったぜっ!! ところで、ロバートの兄貴にもう聞いたかも知れねえけど、オーガストがガートルード卿の騎乗竜になったんだぜっ!!」
「——え?」
ちょっと待て。
ガートルード卿は、アンデッド・ウォーリァーで、同じくアンデッド・ドラゴンのブランシュを相棒にしていたんじゃなかったのか?
生きている竜を騎乗竜には出来ないだろうが。
突っ込みどころ満載の報告に、どこから訊いたものかと迷った和哉に、デュエルがさらに続けた。
「それとよ、ノブトがオオミジマのお姫様と婚約したんだ。おまけにそのお姫様の姉上が、アレクサンダー陛下のお妃様に決まっちまってさ」
「……はぁ!?」
和哉は、思わずベッドから起き上がった。
何が、どーして、そんな話になったのか?
「ちょ……、デュエルっ、悪いけど、最初っからちゃんと説明してくれないかな?」
「あ? あれっ? ジンからも、ロバートの兄貴からもまだなんにも聞いてなかったんかよ?」
寝耳に水、どころか、寝耳に大雨だ。
ぶんぶん、と、和哉は大きく頷いた。




