梅雨の色
夏のラインナップの前に梅雨を思わせる白みがかった寒色系のコスメが並んでいる。特にアイシャドウやネイルコーナーに多く並んでいる。
咲賀睦月はコスメも意外と季節や天気と一緒に進むんだなと新たな発見をした。服には「梅雨服」なんてないのに。
「こんにちは、うさぎくん。キャンビーキュートのマニキュアの新色はまだある?」
キャンビーキュートはドラッグストアでも見かけるプチプラコスメだ。睦月はなんとなくそのパッケージは日曜日の朝に女の子向けにやっている戦闘もののアニメで変身に使いそうだなと思っている。
「あ、はい……え? ネイリスト、なんですよね?」
プロなら高いものを買うのではないだろうかと睦月は内心で首を傾げた。
「ネイリストでも僕は僕だし、安かろうと好きな色なら買うよ」
「かっこいいですね……」
言ってから、睦月はふと引っかかった。
「僕?」
「あれ、気づいてなかったんだ。僕、これでも男だよ」
にんまりと笑う今日の左雨は静かな黒猫より「不思議の国のアリス」に出てくる悪戯なチェシャ猫みたいだと睦月は思う。
「あんまりきれいだから気づかなかった……」
睦月はくりくりとした黒目がちの目を大きく見開いた。
「褒め言葉として受け取っておくよ。ここまでストレートに言われるのは珍しいけどね」
左雨がサラリと受け流した。よく女性と間違えられるのかもしれない。
「これにしよう。水たまりぱしゃん」
左雨の整えられた指先がグレーがかった水色のマニキュアが入った小瓶を摘み上げた。
「水たまりぱしゃん?」
「この色の名前。最近の化粧品って色の名前も面白いんだ」
「へえ……インクみたいだ」
「万年筆のインクもそうなんだ?」
「はい、赤でも夕焼けとか曙とか花の名前がついてたりします」
「たまには五階も見てみようかな。うさぎくんの好きなインク見せてよ」
五階は文房具フロア。睦月にとってはホームグラウンドだ。
「はい。チーフに連絡してからご案内します」
職業的な愛想の良さではなく睦月の声が弾んだ。
睦月がチーフにインカムで連絡を入れると、左雨の案内が終わったらそのまま上がっていいと許可が下りた。左雨は店員たちの間でも有名な常連らしい。
「色々あるんだね」
「自分でインクを混ぜてオリジナルの色をつくる人もいるくらいですから」
睦月は制服のエプロンの肩紐を意味もなくいじった。いつもはきらびやかなコスメフロアで少しだけ話す左雨。彼が自分にとって落ち着く空間で拳ひとつ分空けた隣で同じ棚を見ているのがどことなく落ち着かない。
「黒と紺と茶色が多いね。カラー剤みたい」
「紙って白やクリーム色が多いから普段遣いするインクだとそういう色が人気なんです」
「二階にいる時よりいきいきしてない?」
左雨の切れ長の目が笑う。
「う……万年筆やインクが好きなんです。元々は文房具売り場で希望を出してましたし」
「へー、なかなかシブい趣味。誰かの影響?」
「父が昔から万年筆を使っていて……」
少し熱くなった耳を手で隠しながら答えた。
「そうだよね。好きって大体誰かからの影響だし」
ぱちくりと睦月は瞬いた。睦月の父も誰かから影響を受けて万年筆を使うようになったのかもしれないと考えたことはなかった。もしかしたら、延々と誰かから受け継がれて睦月のいまに繋がっているのだろうか。
「左雨さんのネイルも誰かの影響ですか?」
「ないしょ。ほら、シフト終わりでしょ。着替えておいで。まだ案内してほしいし残業代代わりに上のカフェで奢ってあげる」
人さし指を唇の前に当てて微笑む左雨は睦月にとってモナリザと同じくらい謎めいて見えた。
左雨を案内していたはずなのに、いつの間にか睦月がインクを一瓶買っていた。ちょうど水たまりぱしゃんを暗くしたような色味だ。
七階の洋書売り場にはカフェが併設されている。リラックスさせてくれるのに、それでいて頭をスッキリさせるようなコーヒーの香りが漂っている。
「こんな色なんだ」
睦月が百均で買って持ち歩いている空の万年筆に先ほど買ったインクを入れて渡すと、左雨はテーブルにあった六つ折りの紙ナフキンにくるくると楽しげに線を描いた。
「普段スマホだから手書きってなんかいいかも」
もしかしたら万年筆仲間になってくれるかなと睦月の胸に仄かな期待が灯った。でも、左雨の白くてささくれもない綺麗な手にはシンプルな作りのガラスペンの方が似合うかもしれない。雨粒が叩きつけられる窓越しに左雨を見た睦月はそんな感想を温かいカフェオレと一緒に喉の奥に流し込んだ。




