第97話 荒野の特訓
獣王国、首都ガリアを出発して、早三日が経過した。
獣王レオニダス様が貸してくれたのは、ただの地竜じゃない。
王家専用の『王室地竜』。
通常の地竜より二回りは巨大で、黒曜石のように輝く鱗と、鋼鉄のような筋肉を持つ怪物だ。
通常なら街道を迂回して一ヶ月はかかる道のりを、道なき樹海を一直線にブチ抜き、わずか一週間で踏破しようっていう強行軍。
それはつまり、どういうことかと言うと――。
「うひゃぁぁぁぁぁぁ~っ!」
「パスティエール様、しっかり捕まっていてください!」
ドゴォォォン!!
地竜が大岩を飛び越え、木々をなぎ倒して着地するたびに、凄まじい衝撃が輿を襲う。乗り心地は最悪、まるでブレーキの壊れた絶叫マシーンだ。
「オラァ! 遅ぇぞトカゲ野郎! もっと脚を回せぇ!」
手綱を握るのは、ゼガ隊長。
暴れ馬ならぬ暴れ地竜を完璧に御せるのは、彼の剛腕と、獲物を屈服させるような威圧感のおかげかな。
「おいゼガ! 前方に崖だ、右に切れ!」
上空からは、クロウさんが偵察し、的確に進路を指示する。
「右だな! 掴まってろ!」
ギュンッ! と視界が真横に傾く。
私たちは悲鳴を上げながら、荒野を文字通り爆走していた。
旅も中盤に差し掛かったある日の夜。
私たちは樹海の中で野営をしていた。
焚き火を囲み、食事を終えた後のひととき。ここで、即席の『青空魔術教室』が開かれていた。
「……なるほど。クラウス殿の講義は分かりやすいですねぇ」
レンさんが、感心したようにクラウス先生に言った。
「我々獣王国でも精霊魔術は使いますが、感覚と経験則で覚えるのが主流です。魔導国の理論体系とは、少しアプローチが違うようですね」
「ええ。ですが、目指す頂は同じです」
先生が眼鏡の位置を直し、薪をくべながら静かに語る。
「例えば、魔導国の『ガイア魔導卿』。彼は獣人ですが、あなた方の『感覚』を魔導国の『理論』で体系化し、最強の魔術師の一角となりました」
「ええ、もちろん存じておりますとも。ガイア様は獣王国の誇りであり、我々の代行者のような御方。誰もがその名を知っています」
レンさんは誇らしげに目を細めた。
へぇ、あのもふもふなガイア様、故郷でもやっぱり有名人なんだな。
そこで、ふと疑問に思ったことを聞いてみた。
「あの、レンさん。獣人さんの使う『活法術』って、人間でも使えるんですか? もし使えるなら、カイルやヘクターさんが覚えればもっと強く……」
私の質問に、レンさんは口元を袖で隠し、「ほほほ」と笑った。
「どうでざんしょうねぇ。あれは伝承が途絶えた命紋魔法の原理を応用し、魔力操作による瞬間的な肉体強化で、爆発的な力を得る技術です」
彼女は私の腕をツンとつついた。
「獣人の強靭な筋肉や骨密度だからこそ反動に耐えられるのであって……貧弱な人間が使えば、筋肉が断裂し、骨が砕けてしまうかもしれませんねぇ」
「ひえっ……」
やっぱり、種族の壁はあるのか。残念。
レンさんは話題を変えるように、私を見た。
「それにしても……パスティエール様の『歌』は異質です。味方への身体強化ができることももちろん、なにより自分自身の回復を行えるなんて、『血統魔法』とはいえ、興味がつきませんね」
「えっと……それは……」
(説明が難しい……!)
私が答えに詰まると、先生が助け舟を出してくれた。
「……正直なところ、私にも完全な解明はできていません」
先生は神妙な顔つきで言った。
「本来なら研究対象としていろいろ実験したいところですが……彼女の家系に伝わる『血統魔法』ゆえ、部外者には理解できない独自の理屈があるのでしょう。実に掴みどころがないですよ」
(ひぇっ! さらっと「実験」とか言ったよこの人。目がマジなんだけど!)
「確かに血統魔法であれば、既存の魔術式では判らないところもあるんでしょう。獣王国にも何名かおりますが、皆自由奔放で一体どこにいるのやら」
レンさんが苦笑する。
翌日の昼下がり。
事件は起きた。
「止まれェェッ!!」
ゼガ隊長が手綱を強く引き、地竜が急停止する。
前方、焼け焦げた木々の向こうから、灼熱の息遣いが聞こえてきた。
「グルォォォォ……ッ!!」
現れたのは、全身が溶岩のように赤黒く脈打ち、背中から煙を上げる巨大な熊――『溶岩熊』の群れだ。
その数、五体。
「おいおい、ついに出やがったか……」
クロウさんが空から降りてきて顔をしかめる。
「本来なら火山の奥地にいるはずの奴らが、こんなところまで」
「やはり、火山で何かが起こっているな……! 総員戦闘準備! 露払いだ!」
ゼガ隊長の号令で、私たちは輿から飛び降りた。
「行くぞ!」
カイルが先陣を切って飛び込む。
速い!
カイルは熱気をものともせず、風のように懐に入り込み、鋭い剣閃を走らせた。
ガギィンッ!!
「なっ!?」
金属音が響き、カイルの剣が弾かれた。
斬れていない。高熱を帯びた岩のような皮膚に阻まれ、刃が通らないのだ。
「硬ってぇぇぇ! なんだこいつら!?」
「ガァァァッ!!」
怒ったマグマ・ベアが、灼熱の爪を振り下ろす。
「させませんわ!」
セリナが『水の矢』を同時に放つ。
ジュワァァァッ!!
『水の矢』がベアの顔面に直撃し、凄まじい蒸気が上がる。
「グオッ!?」
急激な冷却に、ベアが怯む。
「ナイス、セリナ!」
「パスティエール様、今です!」
私は蒸気の中を突き破って踏み込んだ。
魔力を右拳に一点集中させる。
「はああああっ!」
ドゴォォォォン!!!
私の拳がベアの腹部にめり込む。
岩のような皮膚ごと衝撃が貫通し、巨大な熊がボールのように吹き飛んで、背後の木々を次々とへし折った。
「……相変わらず威力がおかしいだろ」
カイルが呆れたように言うが、敵はまだ残っている。
「減らず口叩いてないで、次が来るよ!」
「分かってるよ! くそっ、硬いなら継ぎ目を狙うまでだ!」
カイルはスピードで翻弄し、関節や目の柔らかい部分を狙って攻撃を繰り返す。
セリナは『水の矢』で敵を冷却して動きを鈍らせ、隙を突いて短剣を叩き込む。
私とカイル、セリナで二体倒している間に、ヘクターさんとヒルダさんが一体、ゼガ隊長とレンさんが二体を仕留めていた。
ちなみにクラウス先生は後方で腕組みして分析中だ。働け。
戦闘終了後。
なんとか群れを倒したものの、カイルは肩で息をしていた。
「はぁ、はぁ……硬すぎるだろ、あいつら」
剣の刃が少しこぼれている。
一方、私は魔力を使っただけで無傷。セリナも涼しい顔だ。
一息ついた時、私はふと気になって尋ねた。
「そういえばセリナ、雷の精霊魔術は使わなかったわね? 雷なら、水で濡れた相手には効果抜群じゃないかしら?」
「……いいえ。雷はまだ魔力操作がそこまで完璧にできず、拡散して味方であるカイル様やパスティエール様を黒焦げにしてしまう恐れがありますので」
「……そんなのを私の至近距離で使ったの?」
隣で聞いていたヒルダさんが、本気でどん引きしていた。
その日の深夜。
ふと、喉の渇きで目が覚めた。
水筒の水を飲もうと起き上がると、少し離れた岩場のほうから、シュッ、シュッ、と鋭い風を切るような音が聞こえてきた。
私はそっとテントから顔を覗かせた。
月明かりの下、カイルが一人で素振りを繰り返していた。
昼間の戦闘で、私の一撃必殺やセリナの魔術に比べ、自分が決定打を与えられなかったことに焦りを感じているのだろう。
「くそっ……もっと速く、もっと鋭く……!」
刃こぼれの手入れをした剣を、何度も、何度も振るう。
声をかけようとした、その時だった。
「……おい小僧。無駄が多いぞ」
闇の中から、低い声がかかった。
見張りをしていたゼガ隊長だ。
私はとっさに身を潜めた。男同士の話に割り込むのは野暮だもんね。
「あ? なんだよ。冷やかしか?」
カイルが警戒して剣を構えるが、ゼガ隊長は岩に腰掛けたまま鼻を鳴らした。
「お前の身体強化は、ただ魔力でコーティングしてるだけだ。強くなった気になってるようだが、だからあの程度の魔獣の皮一枚斬れんのだ」
「なんだと……?」
「よく見てろ」
ゼガ隊長が、手近な大岩に手を触れる。
彼の体からは、カイルのような激しい魔力の光は一切出ていない。
しかし――。
ドォンッ!!
接触した瞬間、大岩が内側から爆発したように粉砕された。
遠目に見ている私でも分かった。あれは、魔力の使い方が次元から違う。
「『活法術』は、魔力をただの『膜』として扱う術じゃねぇ。筋肉の繊維一本一本に魔力を通し、衝突の刹那、内側で一気に『爆ぜる』力へと変える技術だ」
「なっ……活法術だって!? あれは人間が使うと身体が壊れるってレンさんが……!」
カイルが驚愕して叫ぶ。
しかし、ゼガ隊長は静かに彼を見下ろした。
「そうだ。普通の人間ならな。だが、お前はその『普通』のままで、あの化け物どもに勝てるのか?」
「それは……!」
「反動はデカい。肉を切らせて骨を断つどころか、自分の骨を砕いて相手を断つ技だ。……だが、その『代償』を支払う覚悟があるなら、教えてやる」
(……なるほど。基礎魔術の『身体強化』をより細かく自身の肉体に合わせて操作し、インパクトの瞬間に魔力を膨らませるイメージか。)
それは、獣人のような強靭な肉体を持たない人間にとっては、諸刃の剣。
けれどゼガ隊長は、カイルの目の中に、リスクを冒してでも強くなりたいという渇望を見たのだろう。
「……くそっ、上等だ! 教えてくれ!」
カイルは迷わず頭を下げた。
「フン。死にたくなきゃ、火山に着くまでにモノにしろ」
ゼガ隊長はニヤリと笑うと、指導を始めた。
カイルは痛みに顔を歪めながらも、必死に食らいついていく。
「ぐぅっ……! 腕が、裂けそうだ……!」
「耐えろ。身体が壊れないギリギリを見極めるんだ」
私は、その様子を見て、声をかけずに寝床に戻ることにした。
カイルなら、きっとできる。
そして旅の七日目、夕方。
大陸暦686年、萌芽の月。
鬱蒼とした樹海を抜けると、空気が一気に熱くなった。
鼻をつく硫黄の匂い。
私たちの目の前に、黒煙を上げ、赤黒い瘴気を纏った巨大な山――『グラント山』が、禍々しい姿を現した。
ゴゴゴゴ……。
本来は静かなはずの山が、不気味に鳴動している。
「……聞こえる。また、あの声だ」
私は耳を澄ませた。
以前聞いた泉の精霊の澄んだ声とは違う。もっと荒々しく、けれど弱々しい声。
「『熱い、苦しい』って……泣いてる」
私は拳を握りしめた。
「行かなきゃ! 待ってて、今助けるから!」
瘴気の奥で待つ正体不明の存在を救うため、私たちはついに、灼熱の火山へと足を踏み入れた。




