第96話 古き友との杯
闘技場での激闘から数時間後。
日が落ち、月が昇る頃には、獣王国の王宮大広間は、国を挙げた大宴会の熱気に包まれていた。
テーブルに並ぶのは、香ばしく焼き上がった山盛りの骨付き肉、肉、そして肉!
豪快に注がれる樽ごとのエールと、芳醇な果実酒。
獣人たちの宴は、まさに生命力そのものだった。
「ガハハハハ! 飲め飲めぇ! 今日は無礼講だ!」
その宴の中心、主賓席に座らされているのは、なぜか私だった。
しかも、獣王レオニダス様の真横という、一番偉い席だ。
「ほら、食え! 小さい体であの剛腕、そして俺の拳を受け止めた度胸! 気に入ったぞ!」
獣王様が、私の皿に次々と巨大な肉塊を放り込んでくる。
「むぐぐ……(脂がすごい……胃もたれしそう……)」
私は必死に肉と格闘する。
少し離れた席では、カイルとヘクターさんが獣人たちに囲まれていた。
「やるじゃねぇか!」
「あの槍捌き、痺れたぜ!」
獣人たちと肩を組み、酒を酌み交わしている。こういう「拳で語り合ったらマブダチ」みたいなところ、体育会系だなぁ。
すると、上機嫌な獣王様が、ジョッキを片手にニヤリと笑い、私の顔を覗き込んだ。
「それにしても人間。お前、本当に良い目をしているな。それに強い」
その言葉に、私はハッとした。
肉を食べている場合じゃない。相手は一国の王様だ。
これまでは身分を隠していたけれど、ここからは対等に話をするために、ちゃんと筋を通さないと。
私はナプキンで口元を拭うと、椅子から降りて居住まいを正した。
今の私は、変装のために茶色に染めた髪に、男装のためにバッサリと切り落としたショートヘア。
着ているものも、動きやすさ重視の男の子のようなチュニックとズボンだ。
けれど、心までは偽らない。
私は、そこにあるはずのドレスの裾を摘まむ仕草をし、片足を斜め後ろに引いた。
背筋を真っ直ぐに伸ばし、優雅に膝を折る。
王族への最敬礼――カーテシー。
「お褒めに預かり光栄です、獣王陛下。改めましてご挨拶申し上げます」
騒がしかった周囲の獣人たちが、私の洗練された所作に目を奪われ、静まり返る。
私は顔を上げ、凛とした声で名乗った。
「魔導国、ゼノン辺境伯家が長女――パスティエール・ゼノンでございます」
獣王様が目を丸くし、それから面白そうに顎をさすった。
「ほう! ゼノン辺境伯と言えば、魔導国の最西の守護者の一族か! なるほど、あの異常な頑丈さと胆力……納得がいったわ!」
「お褒めに預かり光栄です(頑丈さは血筋じゃない気もするけど……)」
「うむ。名家なら血統も申し分なし。そこでだ。どうだ、俺の息子の嫁に来んか?」
「…………へ?」
私は固まった。 今、なんて?
獣王様は真顔で続けた。
「第一王子、今年で十八歳になる。体格も俺に似て立派だぞ。お前のような強いメスの遺伝子が欲しい!」
(じゅ、十八歳!? 私、今七歳だよ!? ひとまわり以上違うよ!?)
私が混乱していると、背後からセリナとカイルがすっ飛んできた。
「なっ……!? お待ちください獣王陛下! パスティエール様はまだ七歳です! 法的にも倫理的にも事案ですわ!」
「そうだ! ふざけんな筋肉ダルマ! パスティを嫁になんかやるかよ!」
二人の猛抗議に、獣王様は「ガハハ!」と笑い飛ばす。
「何を言うか! 年の差なんぞ、愛と筋肉があれば誤差だろうが!」
「誤差じゃありませんわーっ!!」
会場がドッと笑いに包まれる。
(ふむ、ここは話題を変えるためにも一発、この宴の『返礼』をさせてもらおうかな。)
私は『ちびギター』を取り出すと、広間の中央へと歩み出た。
ポルカが、やる気満々に私の周りを飛び回っている。
「皆様! 素晴らしい宴と、美味しいお肉をありがとうございます! お礼に、わたくしからもこの場を盛り上げるお手伝いをさせてくださいませ!」
広間の中央で立ち止まり、凛とした声で告げる。
その小さな体から放たれる堂々とした気迫に、会場の視線が集中した。
「ほう、なにか演奏するのか! いいぞ、やってみろ!」
獣王様の快諾を受け、私はギターの弦を爪弾いた。
それはただただひたすらに楽しく、思わず体が跳ねるような、泥臭くて熱いカントリー風のリズム。
私の指が弦の上を踊り、乾いた音色が広間に響く。
そこへ、私の声が乗った。
魔力を乗せていないため、精霊たちが現れるわけでも、魔術が発動するわけでもない。
けれど、その歌声には、聴く者の心を揺さぶるような輝きがあった。
「……ッ!? なんだ、不思議と体がうごいちまうぜ!」
最初は様子を伺っていた獣人たちが、一人、また一人と、丸太のような太い腕で手拍子を始めた。
セリナの黄色い声援がさらに宴を盛り上げる。
私はわざとおどけたような表情を作ってウインクを飛ばし、弾むようなリズムで歌い続ける。
それに応えるように、大きな図体の獣人たちが、顔を見合わせてニカッと笑い、一緒にステップを踏みだした。
「ガハハハ! 楽しいじゃねぇか!」
「オオオォォォン!!」
広場は一瞬で、国境も種族も忘れた「どんちゃん騒ぎ」のライブ会場に変貌した。
酒を酌み交わし、肩を組み、私の歌に合わせてデタラメな踊りを披露する獣人たち。
ある者は尻尾をブンブンと振り回し、ある者は豪快に笑い転げている。
魔力なんて使わなくたって、良い音楽があれば世界は一つになれるんだ。
最後の一音を掻き鳴らし、私が優雅に一礼して締めくくると、大広間が揺れるほどの地鳴りのような喝采が降ってきた。
「ガハハハハ!! 最高だ! パスティエール!」
獣王様が豪快に机を叩いて大笑いする。
ふぅ……。やっぱり、ライブの後のこの一体感はたまらない。
宴もたけなわとなった頃、包帯を巻いたレンさんと、治療を終えたゼガ隊長が、私たちの席へとやってきた。
レンさんは長い煙管をくゆらせながら、探るような視線を私に向けた。
「パスティエール様……とお呼びした方がいいですねぇ。それにしても驚きました。獣王様との戦いで見せたあの歌……精霊魔術じゃありませんね? 精霊言語の詠唱には聞こえませんでした」
彼女の目が細められる。
「歌による魔術の発動……『聖教国』の『祈祷術』に似ていますが……まさか、そちらの関係者ですか?」
ピリッ、と会場の空気が張り詰めた。
獣王国と聖教国は敵対関係にある。もし私が聖教国のスパイだと疑われたら、この話は終わりだ。
私が答えに窮していると、横からスッと眼鏡を光らせたクラウス先生が割って入った。
「……ご冗談を」
先生は、冷静かつ毅然とした態度で否定した。
「我々は魔導国の人間です。非合理な『祈り』などという不確かなものに頼る文化はありませんよ」
「では、あれは?」
「彼女の家系に伝わる、特殊な『血統魔法』の一種です。発動の媒体として『歌』を用いますが、その本質は精霊に干渉する精霊魔術に近い」
先生は、私の肩に手を置き、守るように言葉を続けた。
「血統魔法の詳細は家門の秘匿事項に関わりますので、これ以上はお話しできませんが……少なくとも、聖教国のそれとは術理が根本から異なります」
嘘は言っていない。ゼノン家の血統ではないけれど、私の魂の力だもんね。
レンさんは目を丸くし、やがて納得したように頷いた。
「血統魔法……なるほど。魔導国の名家ならば、独自の秘儀を持っていても不思議ではありませんね。疑って失礼しました」
さすが先生。相手の知識欲と貴族への理解を利用して、見事に煙に巻いてくれた。 獣王様も豪快に笑う。
「ガハハ! 難しいことは分からんが、凄ければそれでいい!」
場の空気が落ち着いたところで、私は表情を引き締め、獣王様に向き直った。
「獣王様。冗談はさておき……私たちがここに来た本当の理由は、喧嘩しに来たんじゃありません」
私は、真っすぐに彼の目を見て告げた。
「グラント山に、悪い瘴気が溜まっているんです。それを止めないと、この国も、世界も危ないんです」
広間のざわめきが、波が引くように静まった。 獣王様の目が鋭くなる。
「……やはり、そうか」
彼は酒を置き、真剣な顔になった。
「実は最近、国境付近に『マグマ・ベア』などの高ランク魔獣が現れている。それも、痛みを感じず暴れる奇妙な状態でな。調査隊を送ったが、難航していてなぁ」
やっぱり、あの時の魔獣たちは火山から逃げてきたんだ。
「しかしなぜ、その原因がグラント山だと知っている?」
「……『泉の精霊』が、教えてくれたんです」
「精霊と話したのか……!?」
「精霊の顕現……?」
獣人たちがざわめく。彼らにとっても、精霊そのものと会話したというのは驚くべきことなのだろう。 けれど、獣王様は私の瞳をじっと見つめ、そして深く頷いた。
「……なるほど。あの戦いを見れば、お前が精霊に愛されていることは疑いようがないな」
彼は重々しく告げた。
「信じよう。お前の言葉を」
「獣王様……!」
「だが、あの山は険しいぞ」
「私なら、瘴気を払えます。だから、山へ入る許可をください!」
獣王様はニヤリと笑い、盃を干した。
「許可などいらん! 俺たちも協力してやる!」
彼は立ち上がり、宣言した。
「楽しませてくれた礼に、最強の案内人をつけてやろう!」
「感謝します、獣王レオニダス様」
話がまとまったところで、私は限界を迎えていた。
(うぅ、お肉食べすぎた……ちょっと胃休めしたい……)
私は「少しお手洗いに」と言い訳をして、宴の喧騒から逃れるようにバルコニーへと向かった。
夜風が気持ちいい。
ふう、と息をついてバルコニーに出ようとした、その時だった。
先客がいた。
手すりにもたれて、一人で月を見上げているクロウさんだ。
声をかけようとして――私は足を止めた。
もう一人、包帯だらけの大きな影が近づいてきたからだ。
ゼガ隊長だ。
私はとっさに、カーテンの陰に身を隠した。
あの二人の間には、私なんかが割り込んじゃいけないような、ヒリヒリした空気が漂っていたから。
「……逃げ出した腰抜けが、今度は魔導国の手駒になったのか?」
ゼガ隊長の低い声。クロウさんは振り返りもせずに答える。
「へっ。相変わらずの筋肉バカの石頭か?」
一触即発の空気かと思われたが――ゼガ隊長は、持っていた新しい酒瓶を、放り投げるようにクロウさんへ渡した。 クロウさんがそれを片手で受け止める。
「……完敗だ」
ゼガ隊長は、手すりに背中を預け、夜空を見上げた。
「二対一だったとはいえ、人間の小娘にしてやられるとはな、俺もヤキが回ったぜ」
「へぇ? お前がそんなこと言うとはな」
「……ああ。俺は精霊魔術を小細工だと侮っていた。だが、あいつらはそれを使って、俺より遥かに強かった。……お前が昔言っていた通りだったのかもな」
ゼガ隊長の声が、少し震えた気がした。
「……あの日、お前が『引くのも勇気だ』と言った時……俺はそれを腰抜けの戯言だと笑った。結果、俺は部下全員を死なせちまった」
私は息を呑んだ。
そんな過去があったなんて……。
クロウさんが部隊を逃げたと言われていたのは、仲間を見捨てたんじゃなくて、無謀な戦いを止めようとしていたんだ。
「……よせやい」
クロウさんは夜空を見上げる。
「今の俺はただの運び屋だ。過去の話なんて忘れちまったよ」
「フン、相変わらず素直じゃねぇな」
ゼガ隊長は苦笑し、酒瓶を掲げた。
「だが、これだけは言わせろ。……お前が生きててくれて、よかった」
月明かりの下、カチン、と硬質な音が鳴る。
「「……乾杯」」
二人の長年のわだかまりが、夜風と共に消えていく。
私は胸が温かくなるのを感じながら、二人の邪魔をしないように、そっとその場を離れた。
よかったね、クロウさん。
翌朝。
城門の前には、旅装を整えた私たちと、二日酔いで頭を押さえる獣王様の姿があった。
「うぅ……頭が痛い……。だが、約束通り案内人は用意したぞ」
獣王様が指差した先には、旅装束のレンさんと、そして――。
「……世話を焼かせやがって」
大きなリュックを背負った、ゼガ隊長の姿があった。
「えっ、ゼガ隊長も!?」
「おう。王の命令だ。それに……俺も、お前たちの『戦い方』をもっと見たくなったんでな」
ゼガ隊長はぶっきらぼうに言いながら、チラリとクロウさんを見た。
クロウさんは「やれやれ」といった様子で、でも少し嬉しそうに翼をすくめる。
昨日の夜の乾杯が、二人を繋ぎ直したんだ。
レンさんも微笑む。
「私は地理に詳しいですからねぇ。微力ながらサポートしますよ」
頼もしすぎる仲間が増えた!
獣王様が、私の背中をバンと叩く。
「行ってこい! 戻ってきたらまた飲もうぜ! その時までに息子をめかし込んで紹介してやるからな!」
「だーかーらー! それは遠慮しますってばぁぁー!」
私たちは新たな仲間を加え、いざ、瘴気が渦巻くグラント山へと出発した。
泉の精霊が教えてくれた、悲痛な『声』の主を救うために。




