第93話 雷光
翌日の正午。
獣王国首都ガリアの中央に位置する、巨大な円形闘技場。
そこは今、地獄の釜の底をかき混ぜたような熱気に包まれていた。
ドォォォォン……ドォォォォン……!
数万人の獣人たちによる一斉の「ストンピング」が、巨大な振動となって私の足元を激しく揺らす。
(うう……すごいアウェー感。国全体が敵、みたいな……)
四方八方から突き刺さる殺気。私が気圧されそうになっていると、上空を旋回するクロウさんの声が風に乗って届いた。
『へっ。ビビるなよお嬢。観客なんぞ、ただの動く背景だと思っとけ』
その言葉に勇気づけられ、私は顔を上げ、前を見据える。
対峙するのは、三つの巨大な影。
中央に、山のごとき威圧感を放つ獣王レオニダス。
右に、抜き身の剣のように殺気をたぎらせる近衛隊長ゼガ。
そして左には――昨日はいなかった、長い煙管をくゆらせるウサギの獣人。
獣王がニヤリと牙を見せて笑い、重厚な声を響かせた。
「ルールは単純だ。まずは我が側近たちを倒してみせよ。俺への挑戦権はその先にある」
『ガァァァァッ! さあ、待ちに待った余興の始まりだぁッ!』
実況役の猿獣人が、裂帛の声を張り上げる。
『王に挑むという命知らずな人間たち!その第一戦!立ちはだかるは我が国が誇る最強の矛!近衛隊長、ゼガァァァッ!!』
ワァァァァァッ!!
大歓声の中、銀狼の獣人ゼガが前に出る。
対するは――我がゼノン辺境伯家が誇る、ヘクターさんも頭が上がらない、護衛隊「鬼の副隊長」ことヒルダさんと、体術も精霊魔術もすでに一線級の「戦う侍女」セリナ!
『対する人間側は、女が二人!こりゃあ、ゼガ隊長の爪研ぎにもなりそうにねえなぁ!』
観客席からの嘲笑。
(ぷーくすくす、笑っていられるのも今のうちよ……!うちの侍女と副隊長をなめないでよね!)
カァァァンッ!!
開始の銅鑼が鳴り響いた瞬間――。
(えっ、消えた!?)
私の動体視力すら置き去りにする速度!すかさず『瞳』を発動!これで見える!
「まずは魔術師から潰す!」
ゼガが『身体強化』と『活法術』の二重強化で一気に加速。弾丸のような踏み込みでセリナに肉薄する。剣と爪の同時一閃。殺意の高さが異常だ。
ガシャァァァン!!
セリナが展開した『魔力障壁』が一瞬でガラスのように砕け散る。
(うそっ、あの強固な障壁を紙みたいに!?)
「させない!」
だが、そこには既にヒルダさんが割り込んでいた。二振りの短剣が銀光を放ち、ゼガの追撃を弾く。
キィンッ!
激しい火花が散る。けれど、ゼガの腕力はデタラメすぎた。ヒルダさんを正面から力任せに吹き飛ばしにかかる。
「甘いッ!」
ゼガは止まらない。バックステップで距離を取るセリナを、飢えた狼の如き執念で追い詰める。
まずい、追いつかれる――と思ったその時!
ヒルダさんの目が、スッと絶対零度の温度に変わった。
(キタッ!ヒルダさんの「仕事人モード」!)
彼女は体勢を崩しながらも、右手の手刀を突き出し、高速詠唱!
『鋭き風の精霊よ、集いて応えよ!見えざる刃よ、形を成せ!敵を切り裂き、貫け!――『風の刃』!』
ヒュンッ!
不可視の真空刃が、ゼガの首筋を的確に狙う。
だが、それだけじゃない。
砕かれた障壁の破片を足場にして、セリナが遥か高くに跳躍していた。舞うように優雅に、けれどその両手には苛烈な魔力が渦巻いている。
『清き水の精霊よ、集いて応えよ!流れる矢よ、形を成せ!力を以て、飛べ、貫け!――『水の矢』!』
頭上からの水の矢! 正面からの風の刃!
完璧なタイミングの同時攻撃!
「いけぇぇぇッ!」
『おおっとォ! 人間ごときがこれほどの連携を見せるかァ!?』
しかし、ゼガは獰猛に笑った。
「ぬるい!」
(えっ!?)
彼は野生の勘だけで風の刃を紙一重で回避し、上空からの水の矢を剣の一閃で叩き落とした!
(嘘でしょ!? あの連撃を無傷で……!?)
「そこだッ!」
だが、ヒルダさんは止まらない。一瞬の隙を突き、死角から肉薄。短剣による神速の刺突!
ゼガはそれを左手の爪で受け止めようとするが――。
(フェイントだ!)
ヒルダさんは瞬時に短剣を手放した。踏み込んだ勢いをすべて右足に乗せ、強烈な回し蹴りを叩き込む!
バギィッ!
蹴りがゼガの手首を正確に捉え、その手から剣が弾き飛ばされた!
『な、なんとォ!? ゼガ隊長の剣が奪われたァァッ!』
会場がどよめきに包まれる。ざまぁみなさい!
三人が一度距離を取る。ゼガが、痺れた手首を振りながら、さらに凶悪な笑みを浮かべた。
「……へっ。人間にしちゃあ、骨があるじゃねぇか」
彼から放たれる魔力が、赤黒く膨れ上がる。空気が重い……!
「だが、ここからが本番だ」
ゼガが前傾姿勢をとる。剣など最初から不要だと言わんばかりに、その鋭い爪こそが真の凶器。
ドッ!!
石畳が爆ぜた。
先ほどよりもなお速い!この『瞳』でなければ、ただの残像にしか見えない。
ガガガガガッ!!
断続的な衝撃音が鼓膜を叩く。
ヒルダさんとセリナが、背中合わせの陣形で必死に防戦している。
二人は『身体強化』と『魔力障壁』をフル回転させているが、ゼガの爪撃は一撃ごとに障壁を削り、二人の衣服を裂き、じわじわと傷を増やしていく。
(だめだ……身体能力の地力が違いすぎる。このままじゃジリ貧だよ!)
二人が同時に掌を突き出した。
「「ハッ!」」
無数の『魔力弾』が放たれるが、ゼガは避けない。
『活法術』で鋼のように硬化した肉体でそれらを強引に弾き返し、一直線に突っ込んでくる!
「効かねぇよ、そんな豆鉄砲!!」
標的はセリナ。
彼女の喉笛に、ゼガの爪が届く――その瞬間。
フワリ、とセリナのロングスカートが翻った。
その裏地から現れたのは、隠されていた六本の投擲ナイフ!
(出た!セリナの「暗器」!)
ヒュヒュヒュッ!
至近距離からの不意打ち。ゼガの目の前に銀閃が迫る。
「チィッ!」
ゼガが咄嗟に腕を振り、ナイフを弾く。
その一瞬の硬直。
ヒルダさんが見逃すはずがない。
「遅い!」
彼女は限界を超えた『身体強化』で、弾丸のようなタックルをゼガの懐に叩き込む。
「ぐぅッ! ……だが、軽いッ!」
ゼガは体勢を崩しながらも、力任せにヒルダさんを振り払おうと右腕を振り上げた。
「そんな貧弱なタックルじゃ、俺は倒せねえよ!」
その時。
ヒルダさんの背後から、セリナが飛び出した。
彼女は逃げるのではなく、あえて死地であるゼガの懐へと深く踏み込む。
その口元は、高速で呪文を紡いでいる。
(えっ、あの詠唱は……水じゃない、風でもない!?)
『――雷の精霊よ、応えよ! 我が指に、小さき火花を宿せ!――』
一瞬の交錯。
ゼガが反射的に剛拳を突き出す。
セリナはそれを避けず、あえて自分の掌を合わせに行った。彼女の口元が、冷たくも美しく吊り上がる。
「――『弱雷』!」
バチィィィンッ!!
接触した拳と掌の間で、青白い電光が弾けた。
「雷!? セリナ、いつの間に!」
それは敵を吹き飛ばすような派手な攻撃ではない。
神経網を直接焼き切り、筋肉を強制収縮させる、文字通りの必殺。
「が、ぁっ!? ば、馬鹿な……体が、動か……!?」
ゼガの動きがピタリと停止した。全身が激しく痙攣し、硬直する。
その無防備になった胴体に、セリナのしなやかな脚がしなった。
「お掃除させていただきますわ!」
ドゴォッ!!
バリバリと残留電荷を纏った強烈な踵落としが、ゼガの脳天に深々と突き刺さる。
ドォォン……と、獣王国の近衛隊長が、白目を剥いて石畳に沈んだ。
『しょ、勝負ありィィィッ!!なんと、なんとォ!人間のメイドが、あのゼガ隊長を沈めたァァァッ!!』
一瞬の静寂。その後、闘技場を揺るがすような怒号とどよめきが巻き起こった。
「お、おい見たかよ……あの人間のメイド……」
「雷の精霊魔術なんて、扱えるのは『十王』の雷獣族くらいだろ?それを人間が……!?」
『信じられませぇぇん!か弱きメイドかと思いきや、その正体は雷光を纏う戦乙女だったァァッ!』
私は、勝利して戻ってきたセリナに駆け寄った。
「セリナ!凄かったよ!いつの間に雷の精霊魔術を習得してたの!?」
「パスティエール様……」
セリナは、私の無事を確認して安堵の息を吐き、優雅にスカートの端をつまんで一礼をした。
「もったいないお言葉です。すべては、あの日……私の無力さを痛感したあの日から、貴女様をお守りするために積み重ねてきたことですもの」
「あの日……?」
「ええ。ですが……」
セリナが顔を上げると、彼女は少し恥ずかしそうに頬を染め、両手で頭を押さえた。
「やはり、まだ制御が甘いようですわね……」
バチッ、バチチッ。
彼女が手を離すと、いつもは綺麗に結い上げられている栗色の髪が、残留した静電気によって、まるでハリネズミかウニのように四方八方へ元気に逆立ってしまった。
「あうぅ……。これでは、また整えるのに時間がかかりますわ……」
涙目で髪を押さえるセリナ。
その姿を見た瞬間。私の脳裏に、ある日の記憶が鮮烈に蘇った。
――領都での、あの中庭ランチの日。
あの日も、セリナの髪は今日と同じように不自然に爆発していたのだ。
私が「ヘビメタなの?」と聞いた時、彼女は顔を真っ赤にして言った。
『これは乙女の秘密です!』と。
(……あ!)
点と点が繋がった。
そうか。あれは寝癖でも、流行の最先端でもなかったんだ。
セリナは、あの頃から……私たちが知らないところで、ずっと一人で雷魔術の特訓をしていたんだ。
何度も失敗して、感電して、髪をチリチリに焦がしながら……それでも、私を守るための「新しい力」を求めて。
「……セリナ」
胸の奥が熱くなる。なんて健気で、なんて頼もしいんだろう。
私はたまらず、ボサボサ頭のセリナに抱きついた。
「パスティエール様!?」
「ありがとう、セリナ。……その髪型、世界で一番かっこいいよ!」
「えぇ!?い、嫌ですわ、こんな恥ずかしい頭……!」
私たちが抱き合っていると、獣王の側近であるウサギの獣人が、モフモフの手で拍手をしながら歩み寄ってきた。
「お見事ですねぇ。まさかあの石頭のゼガを、正面からブチ抜くなんて」
彼女は長い煙管から紫色の煙を吐き出し、楽しそうに目を細めた。




