第92話 獅子の咆哮
私たちはクロウさんの手配で、首都ガリアへ向かう「地竜便」の乗り場へと急いだ。そこで待っていたのは、想像を絶する光景だった。
全長5メートルはあろうかという、岩のような皮膚に覆われた巨大なトカゲ――『地竜』。
それが、鋼鉄で補強された頑丈な客車を背中に担いでいる。地竜は「グルルル……」と喉を鳴らし、太い足で地面を掻いている。その一掻きで石畳が削れるほどの力強さだ。
「カァ……。へへっ、久しぶりに見るとやっぱデケェな」
クロウさんが御者に金貨の詰まった小袋を渡し、私たちを客車の中へと促した。
「お嬢、舌を噛まないように気をつけなよ。こいつの乗り心地は『走る地震』みたいなもんだからな」
「じ、地震……?」
私が恐る恐る乗り込むと、すぐに扉が重々しい音を立てて閉められた。
次の瞬間――。
ドォン!!
何の前触れもなく、景色が後方へすっ飛んだ。
「きゃあぁぁぁっ!?」
凄まじいGが体を襲う。地竜は舗装された街道ではなく、最短距離である荒野を一直線に爆走し始めたのだ。
岩を砕き、段差をものともせず、魔力で強化された脚力で大地を蹴り進む。振動は激しいなんてレベルじゃない。お尻が椅子から浮きっぱなしだ。
「うぷっ……。こ、これは……船よりきついかもしれん……」
さすがのヘクターさんも顔色が青い。
そして向かいの席では、クラウス先生がまた死んだ魚のような目で一点を見つめていた。以前の乗り合い馬車以上の惨状だ。
「……持続的……身体強化……生物……構造が……走行に特化……うぷっ」
「せ、先生!? 無理して分析しなくていいから! 口を閉じて!」
数日後。
私たちは車窓から獣王国の広大な大地を眺めていた。赤茶けた大地、どこまでも続くサバンナ。生命力に溢れ、残酷で、美しい世界。
「……厳しい場所だね。でも、綺麗」
私が窓に張り付いて呟くと、クロウさんが低い声で応じた。
「……ああ。だが、この国は過酷だ。強さこそが正義、強さこそが全ての基準。それが獣王国の掟さ」
彼は自嘲気味に笑い、自分の翼を撫でた。
「だから俺みたいな、腕っぷしより小賢しい知恵が回るだけの半端者は、空を飛ぶことぐらいしかできないのさ」
その言葉には、故郷への愛憎と、かつての挫折が滲んでいるように聞こえた。
やがて、地竜が速度を落とした。
目の前にそびえ立つのは、巨大な岩山そのものをくり抜いて作られた天然の要塞都市。
獣王国首都、ガリア。
街の至る所で、獣人たちが修行や手合わせをしている熱気に圧倒されながら、私たちは最上層にある王城――『獅子の岩座』へと向かった。
しかし、巨大な鉄の門の前で、完全武装の近衛兵たちに槍を突きつけられた。
「止まれ! 人間風情が気安く近づける場所ではない!」
「……へいへい。相変わらず頭が固いねぇ」
クロウさんが前に出て翼を広げた。
「俺だよ、元・空挺偵察部隊のクロウだ。大将に、人間のお客人を連れてきたと伝えてくれ」
「……クロウ、だと?」
門の奥から現れたのは、銀色の毛並みを持つ隻眼の狼獣人――ゼガ。
彼はクロウさんを一瞥するなり、露骨な軽蔑の視線を向けた。
「群れを捨てて逃げ出した『負け犬』が、どの面下げて戻ってきた。それに、なんだその貧弱な人間たちは。消えろ」
私は一歩前に出た。
「遊びじゃありません!獣王レオニダス様にお会いしたいのです!国の一大事に関わる話があります!」
「王は忙しい。力無き者の戯言を聞く耳は持たん。……帰れ!」
ドッ!
ゼガから放たれた強烈な殺気。普通の人間なら腰を抜かすほどの威圧感だ。
だが、その殺気を切り裂くように、ヘクターさんが私の前に立った。
「……言葉を慎め」
ヘクターさんは剣の柄に手を掛け、静かに、しかしゼガをも凌駕する濃密な闘気を放ち返した。
「このお方をどなたと心得る。貴様ごときが殺気を向けてよい相手ではないぞ」
それは、ゼノン辺境伯家の護衛隊長としての、誇り高き顔だった。
一触即発。空気が張り詰め、火花が散るかと思われた、その時――。
「ガハハハハ!!」
頭上の城壁から、雷のような轟笑が降ってきた。
ドォォォン!!
まるで砲弾が落ちたかのような衝撃と共に、ヘクターさんとゼガの間に砂煙が舞い上がった。地面がひび割れ、中心に黄金のたてがみを持つ巨漢が着地していた。
「へ、陛下!?」
ゼガが慌てて膝をつく。立ち上がったのは、身長2メートルを優に超える獅子の獣人――獣王レオニダス。
「庭先で『殺気』が漂っておって、じっとしていられるか! 挨拶代わりにしては上等だぞ、人間!」
ただそこに立っているだけで、肌が痺れるような圧倒的な覇気。
「人間ども。俺に会いに来たというなら、その『肝』を見せてみろ!」
獣王が肺一杯に息を吸い込む。本能が警鐘を鳴らした。
「みんな、防御体勢!」
私の叫びと同時に、王が吠えた。
「『ウォォォォォォ――ッ!!』」
覇気そのものが衝撃波となって襲いかかる。純粋な肺活量と魔力放出による『咆哮』だ。
カイルやヒルダさんが吹き飛ばされそうになるのを、ヘクターさんが支える。クラウス先生が私を庇う。
でも、私は目を逸らさなかった。
真正面から、獣王の目を見つめ返し、その場に踏みとどまる。
やがて咆哮が止み、砂煙が晴れていく。私たちは、誰一人として膝をついていなかった。
「……ほう」
獣王が、楽しそうに喉を鳴らした。
「ただの弱き人間ではないようだな。特にそこの小さいの……いい目だ」
彼は腕を組み、私を見下ろした。
「良かろう。話を聞く前に、まずは貴様らの『牙』がどれほどのものか……明日の正午、闘技場へ来い!」
彼は凶悪な笑みを浮かべ、宣言した。
「俺が直々に相手をしてやる。生き残れば、話を聞いてやる!」




