第8話 兄へ贈る歌
大陸暦682年、霜降の月
私が四歳になった頃には、すっかり「歌が好きな子」として城内で認知されていた。
庭の花を見ては歌い、美味しいお菓子を食べては歌い、お兄様たちに遊んでもらっては歌う。私の拙い歌は、この無骨な城の日常に、ほんの少しだけ彩りを添えているらしかった。
「パスティエール様、本日のお歌も、大変素敵でございました…!」
私の専属侍女であるセリナは、相変わらずのドジっ子で、しょっちゅうお盆をひっくり返したり、廊下で転んだりしているけれど、私の歌に関しては誰よりも熱心なファンだった。彼女のキラキラした賞賛の旋律は、私の創作意欲をくすぐる、最高のスパイスだ。
そんな穏やかな日々が続いていたある日のこと。
夕食の席で、お父様が少しだけ寂しそうな顔で告げた。
「レオナルドも、来年で十二歳か。年が明けたら、王都の魔術学園へ発つことになるな」
その言葉に、私の心臓はきゅっと縮こまった。
お母様の話によれば、この国の最高学術機関である『魔導院』が運営する魔術学園には三つの課程があり、我が家では中等部が始まる十二歳から入学するのが慣わしなのだそうだ。
「レオナルドは、領地の経営を学び、中央の貴族たちとの繋がりを作るために、六年間、寮で暮らすことになります」
六年間。それは、四歳の私にとっては、永遠にも思える時間だった。
来年になったら、優しくて大好きなレオ兄様が、遠くへ行ってしまう。その事実が、ずしりと私の胸にのしかかった。
(何か、何か私にできることは…?)
そうだ、と私は思い至る。前世で、何度も何度も行ってきたこと。
「しょうこうかい、する!」
「…しょうこうかい?壮行会かい?」
私の宣言に、お父様が目を丸くする。私はこくりと頷いた。
「レオにいしゃまのための、とくべつな、しょうこうかい!」
その日から、私の「レオ兄様を送る会・極秘プロジェクト」が始動した。
メンバーは、私と、ギルバート兄様と、そしてセリナだ。
「兄貴のために、俺もいっちょ噛みしてやるか!」
「パスティエール様のためとあらば、このセリナ、粉骨砕身お手伝いいたします!」
頼もしい(?)仲間を得て、私たちは年の暮れの壮行会に向けて、準備を始めた。
私は、兄様に贈るための特別な歌の作詞作曲に取り掛かる。
そして、前世の知識を活かして、ギル兄様に「折り紙」を教えた。最初は「紙を折るのが何の役に立つんだ?」と訝しんでいたギルバ兄様だったが、一枚の紙が動物や剣の形に変わっていく面白さにすっかり夢中になった。特に、レオ兄様が使うレイピアを折り紙で作れた時は、大はしゃぎしていた。
私とセリナは、歌の準備の合間に、色とりどりの紙で、たくさんの星や輪飾りを作った。
そして、年の暮れ。レオナルド兄様の壮行会の日がやってきた。
食堂には、私たちが作った星や輪飾りが飾り付けられ、いつもよりずっと華やかな雰囲気だ。
お父様、お母様、お爺様から、餞別の言葉と贈り物が手渡される。レオ兄様は、その一つ一つに、真剣な面持ちで、そして少しだけ照れくさそうに頭を下げていた。
「兄貴!俺からはこれだ!」
ギル兄様が差し出したのは、彼が作った、レオ兄様の愛用するレイピアにそっくりな折り紙の剣だった。兄様は一瞬きょとんとしたが、すぐに破顔して、それを受け取った。
そして、いよいよ私の番になった。
セリナに手を引かれ、部屋の隅に作られた簡易な舞台に立つ。
「レオにいしゃま…。いままで、いっぱいあしょんでくれて、ありがと…。わかんないこと、いっぱいおしえてくれて、ありがと…」
話しているうちに、涙がぽろぽろと溢れてくる。
「にいしゃまのために、おうた、つくりました。きいて、ください…!」
泣きながら、私は歌い始めた。レオ兄様の、銀色の髪を、優しい瞳を、まっすぐに見つめて。
その歌は、星のきらめきのように私の口から魔力と共に紡がれ、レオ兄様を優しく包み込んでいく。私が生まれてからずっと優しかったレオ兄様との思い出を思い浮かべながら、一言ずつ丁寧にその歌を紡いでいく。
歌が終わると、食堂は一瞬の静寂に包まれ、そして、割れんばかりの拍手が起こった。
見れば、レオ兄様の瞳から、大粒の涙が溢れ出していた。お母様もお父様も、お爺様も、そしてギル兄様も、目を真っ赤にしている。セリナも、隣でボロボロと泣いていた。
「…パスティ」
レオ兄様が舞台に駆け寄り、私を力強く抱きしめてくれた。
「ありがとう。…最高の、贈り物だ」
その日の辺境伯領の城内は、いつまでも温かい涙と、優しい拍手で包まれていた。
年が明け、レオナルド兄様が王都へ旅立つ日。
城の門前には、王都へ向かうための立派な馬車が停められていた。
真新しい制服に身を包んだレオ兄様は、いつもよりずっと大人びて見えた。私の隣で、セリナが「素敵ですわ…」と小さくため息を漏らしている。
「父上、母上、行ってまいります」
「うむ。体に気をつけて、励むのだぞ」
お父様は、厳格な領主の顔で息子を送り出す。けれど、その魔力が寂しそうに揺れているのを、私は見逃さない。
「兄貴!王都のうまい菓子、今度送ってくれよな!」
ギルバート兄様は、わざと明るくそう言って、レオ兄様の肩を叩いた。
そして、レオ兄様は私の前に屈みこむと、優しい手で私の頭を撫でた。
「パスティ。しばらく会えなくなるが、良い子にしているんだよ。父上と母上を困らせちゃだめだよ。年末の休暇には帰ってくるからね」
「…うん」
「約束だ。…それから、これは御守りだよ」
そう言って、レオ兄様は私の手に、綺麗な銀細工の髪飾りを握らせてくれた。
「にいしゃま、ありがと…」
「どういたしまして。…じゃあ、行ってくる」
寂しさをこらえ、私はレオ兄様の背中を見送る。馬車がゆっくりと動き出し、角を曲がって見えなくなるまで、ずっと。セリナが、慌ててハンカチを差し出してくれましたが、彼女の目も少し潤んでいて、その手はわずかに震えていました。
魔術学園。
世界中から、魔術を志す者が集まる場所。貴族も平民も関係なく、ただ純粋に、知識と技術を磨く場所。
そこには、私の知らない世界が、無限に広がっているに違いない。
私は、レオ兄様が去っていった道の先を、じっと見つめた。
大丈夫。私が十二歳になるまで、きっとあっという間だ。
それまでに、私ももっと成長しよう。
いつか、私も学園へ行く。
その日を胸に描きながら、私は小さな拳を、ぎゅっと握りしめた。




