表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
87/98

第86話 分岐点

 灰色の街ラクスを離れてから、数日後。


 私たちは山間部にある小さな宿場町で、予期せぬ足止めを食らっていた。


 窓の外は白一色。数十年に一度とも言われる猛吹雪が、街道も峠も全て覆い尽くしている。


「こりゃあ酷い。あと三日は動けねぇな」


 ヘクターさんが窓の隙間から外を覗き、苦笑する。


 宿の食堂では暖炉の薪がパチパチと爆ぜ、外の轟音が嘘のように静かで暖かい空気が流れていた。


 私達はそこで、夕食をとっているところだった。


 旅の遅れは少し心配だけど、連日の移動で疲れていた私たちには、ちょうどいい休息だ。


 私は暖炉の火を見つめながら、ラクスに残してきた人たちのことを考えていた。


(あの子の熱、もうぶり返してないといいな)


(マリアさん、今も懸命に看病を続けているのかな)


 私たちの行動が、彼女たちの助けになっている。そう信じて疑わなかった。


 その時だった。


 ドンッ! ドンッ!


 暴風の音に混じって、宿の扉が激しく叩かれる音が響いた。


「誰だ? こんな嵐の夜に」


 宿の主人が訝しげに扉の(かんぬき)を外す。


 ヒュオオオオッ!


 猛烈な冷気と共に、雪まみれの塊が転がり込んできた。


「う、うぅ……」


 それは、一人の男だった。防寒具はボロボロで、露出した肌は凍傷(とうしょう)なのか青黒く変色している。


「おい、しっかりしろ!」


 私たちが駆け寄る。その顔を見て、私は息を呑んだ。


「……あっ! この人、ラクスで屋根を直してたお兄ちゃんだ!」


 マリアさんの礼拝堂で一緒に看病していた一人だ。


 クラウス様による緊急処置が行われた。温かいスープを飲ませ、体を温めると、若者はようやく意識を取り戻した。


 彼は、霞む視界で私たちを認識すると、ボロボロの手で先生の足元にすがりついた。


「……薬師様……!ああ、よかった、追いつけた……!」


 彼は私たちが「東へ行く」と言っていたのを頼りに、死に物狂いでこの吹雪を越えてきたのだ。


「何があったのです。落ち着いて話して」


 クラウス様の言葉に、若者は涙を流しながら語り始めた。


 それは、あまりに残酷な報告だった。


 私たちが去った後、劇的な治療効果が街で評判になりすぎたこと。


 それを(ねた)んだ教会の司祭が通報し、異端審問官ギースが派遣されたこと。


 診療所は焼かれ、抵抗した仲間たちが雪の中で斬り捨てられたこと。


「……ギースは、マリア様を拷問しました。『誰に入れ知恵された?』と」


 若者の声が震える。


「でも、マリア様は……『夢のお告げ』と言い張って……あなたたちのことを、一言も喋らなかったんです!」


 私の心臓が、早鐘を打った。


 彼女は、私たちを逃がすために、全ての罪を被ったのだ。


「捕まったのは、マリア様とハンス司祭です」


 若者は床に額を擦り付けんばかりに懇願した。


「判決は、第一級異端としての『公開処刑』。場所は首都サンクトゥムの大聖堂前広場です……! お願いします、どうか、マリア様とハンス司祭を助けてください……!」


 宿の中が、静まり返った。


 薪が爆ぜる音だけが、やけに大きく響く。


「……僕のせいだ」


 私の口から、乾いた言葉が漏れた。


「僕が『助けよう』なんて言わなければ……余計な干渉をしなければ……」


 良かれと思った善意が、彼女を燃やす薪になってしまった。


 後悔で視界が歪む。でも、ここで泣いている場合じゃない。


「……助けに行かなきゃ!」


 私が叫ぶと同時だった。


「駄目だ」


 ヘクターさんが、冷徹に告げた。


「え……?」


「俺たちの目的は、お前を無事に獣王国へ届けることだ。聖教国の首都に乗り込んで、異端審問の罪人を助け出す? 自殺行為にも程がある」


「でも、マリアさんは僕たちを庇って!」


「だからこそだ!」


 ヘクターさんが声を荒らげる。


「彼女の犠牲を無駄にするな。ここで下手に介入したら、俺たちまで処刑台送りだ。……リーダーとして、許可できん」


 クラウス様も、眼鏡の位置を直し、冷静に告げた。


「……テオ君。感情論で動いてはいけません。相手は国そのものです。首都のど真ん中で助けた後、どうやって逃げるのです? 国中が敵に回りますよ」


 大人の正論だった。


 私の安全を考えれば、このまま東へ逃げるのが唯一の正解だ。


 それを聞いた若者が、絶望したように項垂れる。


 私は拳を握りしめ、俯いた。


 逃げる? 彼女を見捨てて?


 ……違う。そんなの、絶対に違う。


「……マリアさんは、僕たちを売れば助かったかもしれない」


 私は顔を上げた。


 ヘクターさん、クラウス様、そして仲間たちの顔を真っ直ぐに見る。


「でも、売らなかった。命がけで僕たちを守ってくれた。……その恩を仇で返して生き延びて、そんなの、ちっともハッピーじゃないよ!」


「テオ……」


 ヘクターさんが言葉に詰まる。


 私は続けた。


「助けた後のことは……現地で考える。みんなの力があれば、絶対に道はあるはずだ!」


 まだ具体的な策はない。


 けれど、そこには根拠のない自信ではなく、「絶対に諦めない」という強い意志があった。


 その時だった。


 それまで黙っていたカイルが、腰の剣をガチャリと鳴らして立ち上がった。


「……ああ、くそっ! リーダー、俺もテオに賛成だ」


 カイルは頭をガシガシと掻きながら、ふてぶてしく笑った。


「俺も、あのシスターには世話になったしな。それに……女一人を身代わりにして逃げ延びて、それで食う飯が美味いわけねぇだろ。そんなダサい真似、俺は御免だぜ」


「カイル兄ちゃん……」


「私もです!」


 セリナも一歩前に出た。その瞳は潤んでいるが、強い光が宿っていた。


「わたくしも……マリア様や、あの子供たちの笑顔が忘れられません。良かれと思ってしたことが悲劇を生むなんて、そんな結末、絶対に認められませんわ!」


 そして、いつもは冷静なヒルダさんも、深いため息をついて弓を背負い直した。


「……はぁ。この猛吹雪の中、わざわざ死地に赴くなんて正気の沙汰じゃないわね」


 彼女は呆れたように肩をすくめたが、その口元は少しだけ笑っていた。


「でも、嫌いじゃないわよ、そういうの。……私達はいつから、恩を忘れるほど落ちぶれたのかしらね、リーダー?」


 三人の言葉に、ヘクターさんは目を丸くし、やがて観念したように大きな溜息をついた。


「……たく。揃いも揃って頑固者だらけだ。苦労するぜ」


 彼はニヤリと笑い、私の頭を乱暴に撫でた。


「わーったよ。俺の負けだ。どうせ止めても無駄なんだろ……全員、腹を括れよ! 地獄の底からまとめて救い出すぞ!」


「……やれやれ」


 最後に、クラウス様が苦笑しながら眼鏡を拭った。


「せっかく教えた知識が葬られるのも癪ですしね。それに……私も、借りを返さぬままでは寝覚めが悪い」


 全員の心が、一つになった。


 合理性も、リスクも関係ない。


 ただ、「そうしたいからする」という、私の譲れない源流。


「ありがとうございます……!本当に、ありがとうございます……!」


 若者が、涙を流して床に伏した。


「顔を上げて。まだ何も終わってないよ」


 私は彼の手を取り、力強く宣言した。


「行こう。首都サンクトゥム……待ってて、私達が必ず希望を届けるから」


 翌朝。


 吹雪はまだ止まない。


 しかし、私たちは宿を出て、安全な東への道ではなく、北東――死地である首都サンクトゥムへの分岐路へと、力強く足を踏み入れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ