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第83話 嘆きの関所

 領都アイアン・フォルトを出発してから、三週間。


 私たちパーティ『六重奏(セクステット)』は、ついに魔導国の心臓部、王都エレメンシアに到着した。


 車窓から見えたその街並みは、白亜の尖塔が林立し、街中にはゴーレムが闊歩(かっぽ)する、相変わらずの壮観さだった。


 以前、父上たちと馬車で訪れた時は、きらびやかな貴族街や王城しか知らなかったけれど、今の私は薄汚れた冒険者の格好。


 見える景色も、行き交う人々の視線も、あの時とは全く違って見える。それがなんだか少し、こそばゆくて面白かった。


「……でかいな。だが、浮かれてる暇はねぇぞ」


 ヘクターさんが、警戒しながら低く告げる。


「ああ。あくまで俺たちは、田舎から出てきた新米冒険者だ。目立つ行動は慎めよ」


 カイルも、兜を目深にかぶり直して周囲を警戒している。


 私たちは王都の下町にある安宿に数日間滞在し、旅の疲れを癒やすと共に、これからの旅路に必要な物資を買い込んだ。


 特に重視したのは防寒具だ。東へ向かうほど、季節は冬へと近づいていく。


 懐具合は温かかった。領都からの護衛依頼の報酬に加え、道中で狩った魔獣の素材が高値で売れたからだ。私たちは最高級の防寒マントや、雪道用のブーツを揃えることができた。


 王都での滞在中、私たちは誰にも怪しまれることなく、完全に「冒険者」として街に溶け込んでいた。カエルス公爵家の目と鼻の先にいながら、誰も私たちに気づかない。その事実は、私に奇妙な自信を与えた。


 そして、準備を整えた私たちは、逃げるように王都を後にした。


 目指すは東。大陸を分断する巨大な山脈の向こう側だ。


 それからさらに、数週間。


 街道を進むにつれて、景色から色彩が失われていった。


 緑豊かだった平原は枯れ野に変わり、やがて白銀の世界へと塗り替えられていく。


 季節は、一年で最も寒さが厳しい「静寂(せいじゃく)の月」に入っていた。


 私たちの目の前には、魔導国と聖教国を隔てる巨大な壁――「(なげ)きの山脈」が、分厚い雪化粧を纏ってそびえ立っている。


 ここまで乗ってきた乗合馬車は、山麓(さんろく)の宿場町までしか行かない。


 国境の砦を越えるには、徒歩で険しい山道を登り、厳しい入国審査を受けなければならないのだ。


「……寒い。鼻が凍りそう……」


 私は王都で買った厚手のケープに顔を埋め、白い吐息を漏らした。


 体感温度は氷点下。防寒着を着込んでいても、芯まで冷えるような鋭い寒気だ。


 懐の中には、相棒のポルカがいる。彼もこの寒さが堪えるのか、私の体温を求めるように服の裏地越しにピタリと張り付き、小刻みに震えている。


(ごめんねポルカ、もう少しの辛抱だからね)


 私は胸元をそっと撫でて、彼を温めた。


「へっ、弱音を吐くなよテオ。この程度の寒さ、北方の冬に比べりゃマシな方だ」


 先頭を歩くヘクターさんが、豪快に笑いながら雪道をざくざくと進んでいく。彼は一番重い荷物を持っているのに、全く息が切れていない。


「リーダーはその分厚い筋肉の鎧があるからいいですけど、私たちは堪えますわ」


 ヒルダさんが、寒さで少し鼻を赤くしながら軽口を叩く。


「ほら、テオ。俺の後ろ歩けよ。少しは風よけになるだろ」


 カイルが、私の前に立ってくれる。


「ありがとう、カイル兄ちゃん」


 セリナも、私の背中をさすってくれた。


「もう少しです。あの砦を越えれば、聖教国エリュシオンですよ」


 見上げれば、断崖絶壁にへばりつくようにして、石造りの巨大な砦が鎮座(ちんざ)していた。


 「嘆きの関所」。


 信仰と規律のみが支配する国への入り口だ。


 砦の前に到着すると、そこにはすでに数十人の行列ができていた。


 巡礼者、商人、出稼ぎ労働者。皆、寒さに耐えながら無言で順番を待っている。


 魔導国の関所のような開放的な雰囲気はない。監視の目は鋭く、空気は重苦しい。


 審査を行っているのは、白を基調とした法衣に、金属の胸当てをつけた衛兵たちだ。


 そして、その中央には、一際豪華(ひときわごうか)な法衣を纏い、鋭い眼光を放つ男が立っている。


「……あれは『異端審問官(いたんしんもんかん)』ですね」


 隣を歩くクラウス様が、口を動かさずに囁いた。


「彼ら自身の『魔力感知(ソナー)』で、入国者の魔力の質を見定めているのです。厄介ですよ」


「……うん。全力で隠すね」


 私は覚悟を決めた。


 列が進み、ついに私たち『六重奏(セクステット)』の番が回ってきた。


「次! 目的と身分証を」


 衛兵が事務的に告げる。


 リーダーが、正規の冒険者証を提示し、流暢に説明する。


「へい。俺たちゃ冒険者パーティ『六重奏(セクステット)』。そこの薬師の先生の護衛で、商売と巡礼のために来やした」


 衛兵はカードを確認し、後ろに控える審問官に目配せをした。


 審問官が、無言で一歩前に出る。


 その男は、私たち一人ひとりの顔を覗き込み、じっと目を細めた。


 ヘクターさん、ヒルダさん、カイル、セリナ。彼らの持つ魔力は特に問題無しと判断されたようだ。


 クラウス様も、魔導院で培った技術で魔力を完全に抑制し、ただの「学者」になりきって通過した。


 そして、私の番だ。


「……次、その子供」


 審問官の冷たい視線が、私を射抜く。


 私はクラウス様との特訓通り、体内の膨大な魔力を丹田の奥底に押し込め、薄い皮膜で覆うように隠蔽した。ポルカも、私の心臓の鼓動に合わせて気配を消す。


 審問官が、私の目の前に手をかざした。


 ねっとりとした視線のようなものが、体の中をまさぐられる感覚。


(……バレないで、バレないで……!)


 数秒の沈黙が、永遠のように感じられた。


 審問官の眉が、ピクリと動いた。


「……む?」


 彼は怪訝な顔をして、さらに強く私を凝視した。


「……奇妙だ。魔力量は少ない。ほとんど無いに等しい。だが……」


 彼には「視えて」しまったのかもしれない。


 私が無理やり圧縮した高密度の魔力と、ポルカの精霊力が、極限状態で干渉し合い、歪なノイズを発しているのが。


「波長が乱れている。それに、この奥底にある『熱』はなんだ? ……貴様、何を隠している?」


 審問官の声色が厳しくなる。


 周囲の衛兵たちが、一斉に槍の石突きを地面に叩きつけ、威嚇した。


「答えろ! 貴様魔術師か!?」


 絶体絶命。


 私が恐怖で声を詰まらせた、その時だ。


「お、お待ちください! 手荒な真似はしないでやってください!」


 先生が、悲痛な叫び声を上げて割って入った。


「貴様は何だ?」


「私は薬師、その子の主治医です! ……神官様、その反応は、この子が患っている業病『魔力過多症(まりょくかたしょう)』によるものです!」


「魔力過多症だと? なんだそれは」


 聞き慣れない病名に、審問官が眉をひそめる。


 先生は、ここぞとばかりにまくし立てた。


「はい。生まれつき体内で魔力を処理できず、毒のように溜め込んでしまう呪われた体質なのです。常に私の調合した薬と、特殊な呼吸法で無理やり抑え込んでいないと、魔力が暴走して死んでしまいます……! 貴方様が感じ取った『熱』や『乱れ』は、彼が今も必死に発作を抑えている証拠なのです!」


 私は先生の言葉に合わせて、胸を強く押さえ、苦しげに咳き込んだ。


「うっ……ぐぅ……先生、苦しい……熱いよぉ……」


 審問官は、私の苦しむ様子と、先生の必死な訴えを見て、少しだけ毒気を抜かれた顔をした。


「……ふむ。魔導国の人間らしい、汚れた病だな」


 彼は蔑むように鼻を鳴らした。


「だが、腑に落ちん。それほどの重病人を連れて、なぜわざわざ我が国へ来た? 魔術の研究なら魔導国の方が進んでいるだろう」


 鋭い指摘。だが、先生は待っていましたとばかりに、その場に膝をついた。


「救いを求めるためです」


 先生の声が、震えている。


「魔導国の小手先の精霊魔術や薬学では、この子の病を完治させることはできませんでした……。もはや、我々の力ではどうすることもできないのです」


 先生は顔を上げ、涙ぐんだ瞳で審問官を見つめた。


「噂に聞きました。この国には、真の神の奇跡――『祈祷術(プライヤー・アーツ)』があると。もはや、人知を超えた神の御業にすがる他ないのです! どうか、この哀れな子供に、最後の希望をお与えください!」


 その言葉を聞いた瞬間、審問官と衛兵たちの表情が、劇的に変化した。


 警戒の色が消え、代わりに浮かんだのは、隠しきれない優越感と、哀れみだった。


「……ほう。魔導国では治せなかった、か」


 審問官は、満足げに頷いた。


「当然だ。精霊魔術など、神の模倣ごときに過ぎん。人の身で奇跡を操ろうなど、傲慢の極みだからな」


 彼は私を見下ろし、鷹揚に手を振った。


「よかろう。その殊勝(しゅしょう)な心がけに免じて、入国を許可する。神の慈悲は無限だ。せいぜい、我らが教会で祈るのだな」


「あ、ありがとうございます……! 神よ、感謝いたします!」


 先生が深々と頭を下げる。


 こうして私たちは、賄賂も魔導具も使わず、彼らの「信仰心」を満足させることで、堂々と関所を通過することに成功した。


 関所を抜け、雪道をしばらく下ったところで、私たちはようやく安堵の息を吐いた。


「……はぁ。生きた心地がしなかったぜ」


 ヘクターさんが額の汗を拭う。


「やるな、先生。あいつら、最後は上機嫌だったぞ」


論理的帰結(ろんりてききけつ)ですよ。彼らは『精霊魔術より祈祷術が優れている』と信じている。その自尊心を肯定してやれば、疑うよりも先に満足感が勝るのです」


 クラウス様は眼鏡をくいっと押し上げ、いつもの冷静な顔に戻った。


「それにしても、テオ君の演技も大したものでした。本当に発作が起きたのかと思いましたよ」


「えへへ」


 私はこっそりと懐を撫でた。ポルカも「エッヘン」という感じで一度だけ跳ねた。


 峠を越えると、眼下に聖教国エリュシオンの景色が広がった。


 しかし、そこに広がっていたのは、想像していた「聖なる国」のイメージとは違っていた。


 空は分厚い鉛色の雲に覆われ、薄暗い。


 点在する村や街からは、煙突の煙が細々と上がっているだけで、魔導国のような街灯の明かりや活気は感じられない。


 どこか、世界全体が「灰色」にくすんで見えた。


「……ここが、聖教国」


 私が呟くと、セリナが不安そうに身を寄せた。


「なんだか、寒々しいところ……」


 厳しい冬の寒さだけではない。この国を覆う停滞した空気が、肌を刺すようだった。


 私たちは顔を見合わせ、頷き合うと、灰色の荒野へと続く道を歩き出した。

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