第79話 決意
翌朝。
辺境伯城の作戦会議室には、前日のような重苦しい沈黙はなかった。
代わりに漂っていたのは、差し迫った危機に対する緊張感と、具体的な行動へ向けた真剣な熱気だった。
昨夜の私の必死の説得を受け、父上と母上は、娘を死地へ送り出すという苦渋の決断をしてくれたのだ。ならば、私たちは一刻も早く動かねばならない。
まず、クラウス様の迅速な指示により、残っていた研究員達が、サザンとケルドの再調査へ向けて慌ただしく出発していった。
会議室に残ったのは、東への遠征に向かう主要メンバーだけとなった。
テーブルには、大陸東部の地図が広げられている。
「目的地は、遥か東の獣王国、グラント山。だが、そこへ至る道には、巨大な壁がある」
父上が地図上の一国を指差した。辺境伯領がある魔導国アルカディアの東に隣接する大国、「聖教国エリュシオン」だ。
「彼らは唯一神を信仰し、精霊信仰や魔術を『異端』として厳しく弾圧している。公式な貴族としての訪問は不可能だ。パスティの歌の力が露見すれば、即座に異端審問の対象となる」
「異端審問……」
その禍々しい響きに、私は思わず身震いした。全員の顔が曇る。正面突破も、外交ルートも使えない。
「ヒュウ、厄介な国だねぇ。まともに行けば火炙りってわけだ」
沈黙を破ったのは、軽い口笛を吹いたクロウさんだった。彼は地図を見下ろし、ニヤリと笑った。
「だが、抜け道がないわけじゃねぇ。お偉いさんの目をごまかせる、便利な『隠れ蓑』があるじゃねぇか」
「隠れ蓑?それは一体……」
父上が怪訝な顔をする。
「『冒険者』さ」
クロウさんが断言した。
「冒険者ギルドは国に属さない互助組織だ。ギルド証があれば国境の出入りは比較的容易になる。あの堅物な聖教国だって、魔物退治の実利面から冒険者はある程度受け入れてるんだ。魔術師は肩身が狭いがな」
「なるほど……。しがない冒険者に化けて潜入するというわけか」
お爺様が唸るように納得した。
(えっ、ついに私も冒険者デビュー!?それって、なんだか物語の主人公みたいで、少しワクワクするかも……!)
不謹慎かもしれないけれど、前世の知識が刺激され、私の胸は少しだけ高鳴った。正規の手段しか知らない私たちには思いつかない、クロウさんならではの発想だった。
その案が採用され、メンバーの選定が行われた。
「ちなみに俺はパスだ。言い出しっぺだがな」
クロウさんが手を振った。
「獣人は、聖教国じゃあ『穢れた存在』扱いだ。俺は空から気ままに行かせてもらうぜ。向こうで落ち合おう」
母上は元魔導卿として顔が割れている可能性が高く、お爺様は冒険者にしてはお年をめしすぎているという理由から居残りとなった。
では父上が行くかという話になったが、お爺様が首を横に振った。
「ライナス、お前は領主だ。長期間、しかも敵地へ潜入となれば、領地運営に支障が出る。ここは、信頼できる者に託せ」
「……父上の仰る通りです。ならば」
父上は頷くと、控えていた衛兵に合図を送った。
ほどなくして、会議室に二人の人物が入ってきた。
一人は、熊のように屈強な体躯の男性。もう一人は、背中に長弓を背負った、凛とした雰囲気の女性だ。
「まあ!ヘクター隊長、それにヒルダ副隊長!」
私は懐かしい顔ぶれに、思わず声を弾ませた。
「視察旅行と王都への道中にはお世話になりました。お二人が来てくださるなんて、心強いです!」
二人は嬉しそうに目を細め、ビシッと敬礼した。
「はっ!お久しぶりでございます、パスティエール様!」
「ふふ、またお供できて光栄ですわ。お嬢様の護衛任務、我々にお任せください!」
ヘクター隊長とヒルダ副隊長。年齢的にも実力的にも申し分なく、野営の経験も豊富だ。冒険者への偽装も無理がない。何より、気心の知れた彼らなら安心だ。
「うむ。カイル、セリナ、そしてヘクターとヒルダ。彼らを東方遠征隊の主軸としよう」
父上の決定に、全員が頷いた。
そして――。
「……私も、同行します」
クラウス様が一歩前に出た。
「未知の魔力現象の調査、それが私の『任務』ですから。」
クラウス様はなにやら吹っ切れたのだろうか?それとも監視役として責務を果たすつもりなのだろうか。
「ルートだが……まずは王都へ向かい、そこで態勢を整えてから東の国境へ向かうのが筋だろう」
父上の言葉に、クロウさんが呆れたように肩をすくめた。
「旦那、そいつは甘ぇよ。王都にゃ聖教国の目と耳があるぜ。辺境伯家の馬車でノコノコ乗り込んで、そこから急に冒険者に化けましたなんて、怪しまれるに決まってる」
クロウさんの指摘に、父上が息を呑む。
「確かに……。こちらの動きを悟られるわけにはいかない」
「偽装するなら、最初からだ」
クロウさんが断言した。
「幸い、この領都アイアン・フォルトにも冒険者ギルドの支部がある。ここで登録を済ませ、装備を整え、『冒険者パーティ』としてここを出発するんだ。それが一番怪しまれねぇ」
「なるほど。本来であれば王都への報告が必要だろうか……」
「いや敵を欺くにはまず味方からだ。王都で関係者と会うのはリスクが高い。あくまで『冒険者パーティ』として王都へ向かい、目立たぬよう用事を済ませるのが最善だろうな」
クラウス様が同意した。なんとなく安堵の表情に見えるのは気のせいだろうか。
これで方針は決まった。私たちは、この領都を出る瞬間から、貴族であることを捨てなければならないのだ。
だが、父上はまだ渋い顔をしていた。
「しかし、パスティの偽装はどうする?その愛らしい容姿で、しかもまだ七歳の少女が冒険者というのは、どう見ても無理があるぞ。髪色も目立ちすぎる」
父上の視線が、私の髪に向けられる。
私の髪は、ふわふわとしたパステルピンクの長髪だ。今世でもとても気に入っていた。けれど、父上の言う通りだ。この髪は、潜入の旅にはあまりにも目立ちすぎる。
私は少し考えた後、決意を固めて自身の腰元に手をやった。
そこには、お爺様から護身用にといただいた短剣が差してある。私はそれを迷わず抜き放った。
「……なら、こうします」
「えっ」
「ちょっ、待っ!?」
周囲が止める間もなかった。
私は左手で自慢の長髪を束ねて掴むと、右手の短剣を一閃させた。
ザンッ、という鈍い音と共に、軽くなった頭。
艶のあるパステルピンクの髪の束が、ばさりと床に散らばった。
会議室が凍りついた。
セリナは顔面蒼白で悲鳴を上げかけ、口元を押さえている。母上も絶句し、父上は石化したように動かない。
「へぇ、やるじゃねぇかお嬢。大事にしてたんだろうに」
クロウさんが驚きつつも、感心したように嘴をカカッと鳴らす。
クラウス様は、目を見開いて私を見ていた。
私は短剣を、震えるセリナに手渡した。
「セリナ、残りを男の子に見えるように、整えてちょうだい」
そして、呆然としている母上に向き直る。
「それから母上、ペトラに頼んで、髪の毛の染色薬を作ってもらえませんか?茶色か黒で。短くしても、この色では聖教国で目立ちすぎます」
「え……あ、はい」
母上がうつろに頷くのを見て、私は無惨なショートカットになった髪を揺らし、ニッと笑ってみせた。
「……これなら、文句ないでしょ?」
その私の姿に、大人たちはもはや何も言えなかった。部屋の空気が、完全に切り替わったのが分かった。
もう、後戻りはできない。さあ覚悟を決めろ!




