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第7話 【幕間】侍女の誓い

 わたくしの主となるお方は、天使のようなお方でした。


 ゼノン辺境伯家の三番目のお子様、パスティエール様。その専属侍女をわたくし、セリナが拝命したのは、十二歳の春のことでした。


 執事筆頭である祖父からは、「ゼノン家に仕える者として、一点の曇りもあってはならぬ」と、耳にタコができるほど言い聞かされていました。ですから、初めてお目通りが叶う日、わたくしの心臓は張り裂けんばかりに高鳴っていたのです。


 そして、エリアーナ様に抱かれて現れたパスティエール様を初めてお見かけした瞬間、わたくしは息を呑みました。


 パステルピンクの御髪。宝石のようにきらめく瑠璃色の瞳。まるでお人形か、物語に出てくる妖精のよう。三歳という幼さにもかかわらず、そのお姿には、辺境伯令嬢としての気品が確かに宿っていました。


 このお方を、生涯を懸けてお守りするのだ。

 わたくしは、固く、固く誓いました。


 …しかし、現実は厳しいものでした。

 意気込みとは裏腹に、わたくしは失敗ばかり。


 お茶をお持ちすれば、緊張で手を震わせてこぼしてしまい、着替えのお手伝いをすれば、リボンと格闘しているうちに自分の指を結んでしまう始末。


「も、申し訳ありません!」

 真っ赤になって平謝りするわたくしに、パスティエール様は、いつも小さく首を振って、こうおっしゃるのです。


「だーじょーぶよ」

 そう言って、天使のように微笑まれるのです。


 その度に、わたくしの心は、申し訳なさと、そしてどうしようもないほどの愛おしさでいっぱいになりました。


 なんと慈悲深く、お優しいお方なのだろう。

 わたくしのような出来損ないの侍女を、一度も責めることなく、その澄んだ瞳でじっと見つめ、微笑んでくださる。


 いつしか、失敗して落ち込むたびに、パスティエール様と一緒に手遊び歌を歌うのが、わたくしにとって何よりの慰めとなっていました。先日も、わたくしが母から教わった歌しか知らないと謝ると、「じゃあ、わたちがこんどおうたおしえてあげるね」と、眩しい笑顔でおっしゃってくださったのです。


 ある日のこと。わたくしは、決意を固めていました。

 いつもの侍女服ではなく、動きやすい訓練用の服に着替え、空き時間を見つけて、兵士たちが訓練を行う城の練兵場へと向かいました。


 ちょうどそこには、非番だったのか、若い兵士の方々が数人で自主訓練を行っていました。


「あ、あの…!」

 わたくしの声に、兵士の方々は屈強な体をこちらに向けます。その視線に、思わず足がすくみそうになりました。けれど、パスティエール様の天使の笑顔を思い浮かべ、ぐっと唇を噛みました。


「わたくしに、護身術を教えていただけないでしょうか!」

 わたくしは、力の限りに叫び、そして深く頭を下げました。


「え、嬢ちゃんが…?」

 兵士の方々は、戸惑った顔をしています。無理もありません。侍女見習いの、まだ十二歳の少女が、突然そんなことを言い出したのですから。


「わたくしは、パスティエール様の専属侍女です。あのお方を、この身に代えてもお守りするのが、わたくしの務め。ですが、今のわたくしは、ドジばかりで、何の力もありません…!」


 声が、震えます。


「ですから、お願いします!この辺境で、パスティエール様をお守りできるだけの力が、わたくしには必要なのです!」


 しばらくの沈黙の後、一番年嵩の兵士の方が、にやりと笑いました。


「…気に入った。いいぜ、嬢ちゃん。だが、訓練は厳しいぞ。泣き言は言うなよ」


「はいっ!」


 その日から、わたくしのもう一つの日常が始まりました。

 侍女としての仕事の合間に、泥だらけになって訓練に励む日々。何度転んでも、何度打ちのめされても、パスティエール様の笑顔を思い浮かべれば、不思議と力が湧いてきました。


 特に、忘れられない出来事がございます。

 いつものように訓練に励んでいたあの日、わたくしは疲労のあまり、もう指一本動かせないと膝に手をついておりました。その時です。どこからか、微かに、パスティエール様の可愛らしいお声が聞こえたような気がしたのです。


『がんば〜れぇ〜』と。

 幻聴かと思った次の瞬間、ふわり、と体が軽くなるような、温かい何かに包まれるような、不思議な感覚に襲われました。


「…あれ?」


 鉛のように重かったはずの体が、少しだけ軽くなっている。疲労が、ほんの少しだけ和らいでいました。周囲を見回しても、誰もいません。不思議なこともあるものだ、と首を傾げましたが、その時、わたくしの脳裏に浮かんだのは、やはりパスティエール様の笑顔でした。


(きっと、パスティエール様が、わたくしに力をくださったのだわ)


 根拠などありません。けれど、そう思うと、心が温かくなり、力がみなぎってくるのです。


 いつか、必ず。

 わたくしが、この手でパスティエール様をお守りするのだ。


 その誓いを胸に、わたくしは今日も、訓練用のナイフを強く、強く握りしめるのです。


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