第77話 歌姫の舞
北部農村の森の出来事から二週間後。
辺境伯城の作戦会議室には、再び重苦しい空気が漂っていた。
テーブルには、クラウス様が作成した北の森の魔力分布図と、過去の異変に関する資料が広げられている。
「……結論から言います。北の森で発生した例の『歪み』とそれに付随する魔獣の変異は、既存のいかなる事象とも一致しません。またその発生源も、活性化のトリガーも特定できません……」
クラウス様は、疲労を隠せない様子で眼鏡を押し上げた。あの日の衝撃以来、彼の論理的な思考は壁にぶつかっているようだった。
「そして、ゼノン令嬢。あなたのあの歌について、あれは何ですか?」
突然、クラウス様が私をギロッと睨みつけた。
「私の『魔力感知』では、あなたの歌から、既存の魔術体系では説明がつかない、膨大かつ特異な魔力波動を感知しました。そしてそれは確かに、あの変異した魔獣に何らかの影響を与えたようだ。……一体この辺境で、あなた方はなにを隠している!?」
彼の言葉には、データに基づきつつも、理解を超えた現象への焦りが滲んでいた。
「隠し事などしていない!」
父上が立ち上がり、クラウス様の視線を遮るように私を庇った。
「パスティの歌は、妻の実家であるカエルス公爵家に伝わる血統魔法『調律』が、稀有な形で発現したものではないかと推測している。魔導院も、血統魔法の全容を解明できているわけではないだろう?」
父上は毅然とした態度で反論した。苦しい言い訳だが、父上の威厳がそれを真実らしく補強してくれている。
クラウス様は口を閉ざしたが、納得していないのは明らかだった。
議論の末、私たちは全ての始まりである「深淵の森の泉」を再調査することになった。
私、両親、お爺様、クラウス様、クロウさん、セリナ、そしてカイルを加えた一行は、馬を飛ばし、かつて私が浄化し、精霊と出会った森の奥の泉へとたどり着いた。
そこは、深淵の森のなかとは思えないほど、静謐な空気に包まれていた。
鳥が囀り、木漏れ日が差し込み、動物達が静かに佇んでいる。鏡のように静まり返った水面は、周囲の景色を完璧に反射していた。
私は、静かに泉のほとりへと歩み寄った。
(泉の精霊様、お久しぶりです。またあなたに会いたくてやってきました)
心の中で呼びかけ、私は願いを込めてゆっくりと歌い出した。
歌に合わせて、自然と体が動き出す。
それは前世で培ったリズム感と、今世で学んだ令嬢としての優雅な所作が融合し、一つの神秘的な『舞い』となっていた。
水面を滑るようにステップを踏み、指先まで意識したその姿は、まるで泉の女神に捧げる神楽のようだった。
その光景に、両親やセリナ、カイルたちは息を呑み、言葉を失った。
歌と舞に引かれ、森の奥から小さな光の粒が集まり始め、ポルカと一緒に私の周りをくるくると踊るように飛び回る。
クラウス様が眉間を押さえ、集中するように目を細めた。
「……『魔力感知』に、信じがたい反応が。何かが、この場に集結している……?これは、精霊の魔力……なのか?」
歌と舞が最高潮に達した時、泉の中心から光が溢れ、あの美しい泉の精霊様が再顕現した。
「なっ……!?」
クラウス様が絶句し、眼鏡がずり落ちるのも構わず硬直した。そして、信じられないものを見る目で、震える声で呟いた。
「馬鹿な。本当に精霊なのか!?お伽話の存在が……高密度魔力体として実体化しているだと……!?」
「う……ッ……!」
クロウさんも短く呻き、獣人の本能なのか後ずさった。彼の尻尾の毛が、恐怖と畏敬で膨れ上がっているのが見えた。
泉の精霊様は、動揺する彼らを一瞥もせず、真っ直ぐに私を見つめ、微笑みかけた。
《また会いましたね、愛しき歌い手よ……》
その声は、他の者には難解な精霊言語として響いたようだ。クラウス様は必死にその音韻を聞き取ろうとしたが、理解はできないようだった。
精霊は、東の方角を指し示した。
《『浸蝕者』の力が、まだあちらこちらから感じられます。特に、この地より遥か東にある、火山で、邪悪な意志が力を増しています……》
そして、私に切実な願いを託した。
《あなたなら、きっと他の精霊たちも力を貸してくれるでしょう。お願いです、歌い手よ。『浸食者』から、この星を守って……》
そう言い残し、精霊は光の粒となって霧散し、泉は再び静寂を取り戻した。
夕刻、城に戻る馬車の中は、重苦しい沈黙に包まれていた。
私は、精霊から聞いた「東の火山」のことを皆に伝えた。
「遥か東の火山だって……?まさか、獣王国にある『グラント山』のことか!?」
クロウさんが声を上げた。
クラウス様は完全に魂が抜けたような状態で、ブツブツと呟いている。
「……精霊の、顕現。記録にない、自律思考型の高密度魔力体。あれは確かに精霊言語に酷似していた……いや、しかし……」
城に戻った夜、私は両親の部屋を訪れ、真剣な眼差しで正面から向き合った。
「父上、母上。お願いがあります。私を、東のグラント山――獣王国へ行かせてください!」
両親は当然、断固反対した。
「何を言っているのだ!」
「そんな危険な場所へ、あなたを行かせるわけにはいきません!」
「泉の精霊様から、直接頼まれたのです!」
私は一歩も引かず、熱く説得した。その場に跪き、けれど顔を上げて二人を見つめる。
「私が皆と違い、歌うことでしか魔力を発露できないのは、きっとこのためなんです。瘴気に対抗できるのも、精霊の声が直接理解出来るのも、私だけなんです……」
(そうだ、いま理解した……)
「……これが、私がこの世界に生まれた使命なんです!」
私の言葉に、父上と母上は言葉を失った。
ただの我儘ではない。私の瞳に宿る、決して揺るがない決意の光を、彼らは感じ取ってくれたはずだ。




