第74話 枯れた大地
大陸歴685年、涼風の月
王都から戻り、数日が過ぎた朝。
私たちは、調査のために辺境伯家が用意した、大型馬車に乗り込んでいた。行き先は、ここ数ヶ月、原因不明の不作が続いているという北部の農村だ。
季節は晩秋。朝の空気はひんやりと冷たく、冬の足音がすぐそこまで迫っているのを感じる。
今日の私は、公務としての調査に合わせて、動きやすくも暖かい装いにした。
深緑色のウール地の乗馬服風ドレスの上に、秋色のケープを羽織り、足元は頑丈な革のブーツ。パステルピンクの髪は、冷たい風で乱れないよう、しっかりと編み込んでまとめている。腰には、お爺様から頂いた護身用の小さな短剣を下げていた。
今回の調査には、城で執務がある父上に代わり、隠居の身でフットワークの軽いお爺様が同行してくれることになった。頼もしい限りだ。
しかし、馬車の中の空気は、これ以上ないほど重苦しかった。
向かい合わせの座席には、王都からの二人の使者――監視役のクラウス様と、調査員のクロウ様が座っている。セリナは御者台、車内は私とお爺様、そしてこの二人だけだ。
また、私たちの馬車の後ろには、カイルたちが乗る護衛馬車と、調査団の機材や人員を乗せた魔導院の馬車が数台、隊列を組んで続いている。
「…………」
クラウス様は、馬車がガタゴトと揺れる中でも姿勢を崩さず、膝の上で分厚い魔導書や、過去の気象データが書かれた羊皮紙の束を読み込んでいる。
私が「おはようございます」と挨拶しても、視線すら上げずに事務的な一礼を返してきただけだった。
一方のクロウ様は。
「ふわぁ……。カァーッ、朝は苦手だってのに。でもまぁ、この馬車は広くて快適だな」
遠慮なく大あくびをして、窓の外を流れる景色を気だるげに眺めている。
お爺様は、そんな二人の様子を面白くなさそうに鼻で笑った。
「フン。王都の軟弱者どもが。辺境の道は険しいぞ。酔って泣き言を言うなよ」
「ご心配には及びません、先代様。私は常に身体強化の魔術を維持しておりますので」
クラウス様が本から目を離さずに、冷淡に返す。
「へいへい、爺さん。俺は空飛ぶ方が得意なんでね、馬車に酔ったら、空でも飛んでくさ」
クロウ様も飄々と返す。
お爺様は「可愛げのない」と呟いて腕を組んでしまった。
私は、このピリピリした空間で、緊張で胃が痛くなりそうだった。でも、負けてはいられない。今日が、私の証言が本当だと証明する最初の機会なのだ。
数時間後、馬車は目的地の農村に到着した。
私は息を呑んだ。この村を訪れるのは初めてだったけれど、一目見ただけで、様子がおかしいことが分かった。
村全体が、まるで色を失ったかのようにくすんで見えた。
畑の作物は、枯れてこそいないが、葉の色が薄く、見るからに元気がなかった。すれ違う村人たちの表情も暗く、生気がない。
私たちの馬車が村の広場に停まると、後続の調査団の馬車からも魔導師や記録係たちが次々と降り立ち、手際よく機材の搬出を始めた。ものものしい雰囲気に、村人たちが不安そうに遠巻きに見ている。
「ようこそおいでくださいました、先代様、皆様……」
出迎えてくれた村長さんは、ひどくやつれて見えた。困り果てた様子で、現状を訴える。
「ここ数ヶ月、どうも作物の育ちが悪いのです。肥料をやっても水をやっても効果が薄く、収穫した野菜も味が抜けたようで……。それに、村人たちも妙に疲れやすくなっていて」
お爺様が、村長さんの肩に手を置いて励ます。
「案ずるな。そのためにワシらが来た。必ず原因を突き止める」
しかし、クラウス様が冷静な声で割って入った。
「感情論は結構です。村長、具体的なデータはありますか?過去三ヶ月の収穫量の減少推移、および気象記録との比較表を提出してください」
「えっ?で、でーた?きろく?そ、そんな難しいことは分かりませぬが……ただ、何かがおかしいのです」
村長さんが困惑していると、クラウス様は小さく溜め息をついた。
「……これだから、辺境は」
私たちは、特に生育が悪いという畑へと移動し、現場検証を行うことになった。
土は乾燥してひび割れ、植えられた麦は穂をつける前に萎れかけている。
「よし、パスティ。お前はどう思う?」
お爺様が、私に視線を向けた。
「精霊の声を聞いたお前の『感覚』で、何か感じるか?」
お爺様は、私の『瞳』の力のことは知らない。けれど、私の勘を信じてくれているのだ。
「……はい、お爺様。少し、集中してみます」
私はそう言って、目を閉じるフリをした。そして、そっと『瞳』の力を発動させる。視界が切り替わり、世界の「旋律」が浮かび上がる。
――視えた。
私は思わず目を見開いた。
この土地から、本来あるべき豊かな大地の魔力の粒子が、まるで霧のように滲み出し、ゆっくりと、しかし確実に、北の森の方角へと流れて吸い上げられているのだ。
魔力を奪われた土地の「旋律」は、色がくすみ、弱々しい灰色になっていた。
耳の奥で、弦がきしむような、苦しい不協和音が響いている。
「……感じます、お爺様!この土地の魔力が、霧みたいになって、あっちの森の方へ流れてる……!」
私は北の森を指差して叫んだ。表向きは「鋭い感覚」として振る舞いながら。
しかし、クラウス様は冷ややかな目で私を一瞥すると、懐から複雑な水晶と歯車が組み合わさった、見たことのない奇妙な計測機を取り出した。
彼は畑の数カ所で地面にその機械を当て、針の動きを確認していく。
「…………」
針はピクリと動き、不規則に震えている。私にはそれが、大地の悲鳴に反応しているように見えた。
やがて、クラウス様は機械をしまうと、冷徹に結論づけた。
「針の振れ幅は規定値以下。計測結果は『季節変動の許容範囲内』です。微妙な低下は見られますが、直ちに異常とは断定できません」
「ですが、わたくしには感じられるのです!魔力が吸われているのが!」
「ゼノン令嬢。あなたのそれは客観的な証拠になり得ません」
クラウス様は眼鏡の位置を直しながら、淡々と言い放った。
「この不作は、単なる長期的な天候不順と、連作障害による一時的な生育不良でしょう。精霊や、未知の脅威などという、魔導学的な根拠は一切ありません」
「違います!その機械には映らなくとも、確かに視えるのです!感じるのです!このままでは、土地が死んでしまいますわ!」
私は必死に反論した。けれど、クラウス様の態度は変わらない。
「『感じる』……ですか。それは、不作への不安が見せる錯覚、集団心理による思い込みです。あなたのその根拠のない思い込みこそが、正常な判断を妨げている」
「なっ……!」
私は言葉に詰まった。悔しい。真実は目の前にあるのに、それを証明する「論理」を、私は持っていない。機械で測れないものを、どうやって信じさせればいいの?
「おーい、みんな。ちょっと面白い話を聞いてきたぜ」
その時、別行動で村をふらついていたクロウ様が戻ってきた。手には、村の老婆から貰ったという干し芋を持っている。
「カァ。村の婆さん連中が言ってたんだがな、最近妙なことがあるらしい」
クロウ様は干し芋をかじりながら、飄々と報告した。
「夜になると、村外れの北の森のあたりが、風景が『陽炎のように』歪んで見えることがあるだとさ。あと、風のない日に、耳障りな低い音がする、とかな」
「歪み……嫌な音……」
私はハッとした。それって、精霊さん達が警告していた『前兆』と同じじゃない!
「典型的な流言飛語ですね」
クラウス様は鼻で笑った。
「不安がそのような幻覚を見せているのでしょう。非魔導学的な噂話に付き合っている暇はありません」
しかし、お爺様が低い声で言った。
「フン。ワシは長年の勘で生きてきた男だ。孫娘の『感覚』と、土地の者の『声』の方を信じる」
お爺様は、私が指差した北の森を睨みつけた。
「行くぞ。その森の噂、確かめる必要がある」
「……本気ですか、ガレオス様。非合理的な時間の浪費ですが」
クラウス様は露骨に嫌な顔をした。
「まあ、依頼主である辺境伯家がそこまで仰るなら、付き合いましょう。ただし、危険と判断した場合は即時撤退します。カエルス公爵閣下への報告義務もありますので」
こうして私たちは、村人が恐れる「歪み」の噂がある北の森へと向かうことになった。
森の入口は、昼間だというのに薄暗く、不気味な静けさに包まれていた。 私は、悔しさを噛み締めつつ、馬車を降りた。
(今度こそ……絶対に、認めさせてみせる!)




